今回から動詞「折る」について,万葉集でどのように詠まれているか見ていきたいと思います。
万葉時代の「折る」の意味は,今とほとんど変わっていないと思います。
<「折る」の定義>
「折る」は,まっすぐなものを途中で角ができる状態で二つのまっすぐなものにすることです。場合によっては,角の角度が0度(二つのまっすぐなものが並ぶ状態)のこともあります。また,角の部分が切れて二つのまっすぐなものが分離してしまう状態にすることもさします。
角を作るためには,元のまっすぐなものは一般にある程度硬いものでなければなりません。紐のような柔らかいものでは,角ができにくいし,まっすぐな状態でも全体が曲線になってしまうことになり,「折る」ではなく,「曲げる」を使います。ただ,柔らかいものでも,布や紙では「折り畳む」というように,まっすぐな状態を結果として保持できている場合,「折る」という言葉を使います。
<万葉集での用例>
万葉集では「折る」対象は次のものが多く出てきます。
木の枝(えだ),膝(ひざ),花などの茎(くき),身体(からだ),草,指,袖,心,時(←折り重なる)
今回は,その中で「花を折る」について,見ていきましょう。ただし,実際には花自体を折ると花がつぶれてしまいますので,花の茎を折ることをさしていると思います。万葉集の和歌で折られてしまう花(花にとって折られるのは迷惑?)は次のようなものが出てきます。
梅,桜,馬酔木,なでしこ,橘,萩,山吹
これは何を指しているのでしょうか?
万葉時代にもうこれだけの花を観賞用に採取していたということを指しているのではと私は感じます。では,実際に万葉集の和歌を見ていきましょうか。
最初は何と言っても万葉集で一番多く詠まれている「梅の花を折る」を詠んだ,他田廣津娘子(をさだのひろつのをとめ)が詠んだとされる短歌です。
梅の花折りも折らずも見つれども今夜の花になほしかずけり(8-1652)
<うめのはなをりもをらずもみつれども こよひのはなになほしかずけり>
<<梅の花は折って生けて見ても良いし,折らずにそのまま見ても良いのですが,今宵見る梅の花の素晴らしさには到底及びますまい>>
この娘子は,万葉集では巻8にこの短歌以外にもう1首の短歌が出てくるだけですが,掲載配置からは坂上郎女などの大伴家の女性たちと親交があったのだろうと私には想像できます。
夜の宴(女子会?)で梅の花がどのようなアレンジで演出されたのか分かりませんが,かがり火での照らし方(ライトアップ方法)に何かの工夫がされていたのかもしれませんね。
次は,木に咲く花ではなく,秋の七草の一つの撫子を「折る」を詠んだ旋頭歌です。
射目立てて跡見の岡辺のなでしこの花ふさ手折り我れは持ちて行く奈良人のため(8-1549)
<いめたててとみのをかへのなでしこのはな ふさたをりわれはもちてゆくならひとのため>
<<跡見の岡辺に咲くなでしこ(撫子)の花をたくさん手折って持って行くことにしましょう。奈良にいるあの人へのお土産として>>
この旋頭歌は2011年7月でのブログでも紹介していますが,平城京に住んでいた紀鹿人(きのしかひと)が,現在の奈良県桜井市にあったと云われる跡見の岡が見える大伴稲公(おほとものいなきみ)の家に招かれた時詠んだもののようです。稲公邸から跡見の岡に見事に咲き誇る撫子の花群の見事さに,花束にできる位いっぱい折り採って京人(みやこびと)のお土産にしたいと思ったのでしょうね。
さて,最後は橘の花を折ることを詠んだ東歌です。
小里なる花橘を引き攀ぢて折らむとすれどうら若みこそ(14-3574)
<をさとなるはなたちばなをひきよぢて をらむとすれどうらわかみこそ>
<<里にある花橘を引き寄せて折るつもりが,枝があまりにも若々しく折って自分のモノにできない>>
もちろん,花橘は気に入った綺麗で若い女性の譬えでしょう。するっと逃げられたのかもしれませんね。
ところで,橘は柑橘類であり,寒さに弱いとされています。この東歌の場所に寄りますが,当時すでにかなり東の方まで橘が植えられていたことが分かります。もしかしたら,この短歌は今の伊豆半島南端あたりの里で新しく植えられた橘なら,確かに枝も柔らかい可能性が高いと考えられそうです。本日現在のWikipediaのタチバナの記述によると,現在でも橘の木の北限が静岡県沼津市戸田地区とあるところから,当時でも橘を育てることが可能なギリギリの地の話だったと私は思います。
いずれにしても,万葉集に掲載された1首からいろいろなことが想像でき,興味が尽きませんね。
動きの詞(ことば)シリーズ…折る(2)に続く。
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