<自宅に隠ったこの正月>
2015年正月もあっという間に過ぎ,この前の3連休は鏡開きの餅をたくさん食べ,正月休みにジムへ通って下げた体重が元に戻ってしまいました。というのも,2月中旬にソフトウェア保守に関する丸一日コースのセミナー講師を担当する予定で,その資料作成に3連休はほぼ潰れ,身体を動かすことがあまりできなかったのです。
このブログも3連休中にはまったく書けず,今書いている状況です。いろいろやり過ぎ感はありますが,元気な証拠だと自分を納得させています。
さて,今回からは動詞「隠(かく)る」「隠(こも)る」「隠(なま)る」を取りあげ,万葉集を見ていきましょう。
現代用語としても「隠れる」「隠す」といった言葉がしっかり残っいます。
<情報は隠されるから価値が出る>
情報化時代の昨今,個人情報,企業秘密情報,先端技術情報,そして,今年制度が動き出すマイナンバー制度(社会保障・税番号制度)の個人に紐づく番号など容易に他人に知られないように隠さなければならない情報がたくさんあります。
これから,善人悪人とってどうかはさておき,情報の価値がますます高くなっていきます。お金,貴金属,宝飾品,高級ブランド品などのように金庫などに保管することで財産が守られます。しかし,価値ある情報は「他人に知られないこと=盗まれない」ということになります。
即ち,情報を隠すことが,その価値を維持する唯一の手段ということになるのです。
一方,情報は価値を生むところで使う(または売る)ことで初めて価値を生みます。ところが,情報を使う,または売る行為は,その情報が無関係の他人に知られてしまうリスクをはらみます。
情報をうまく隠しつつ,使う,売るといったスキル,ノウハウが今後ますます重要になってきます。
秘密にすることを悪に感じる人がいます。また,知らされていないことで疎外感を感じる(仲間外れにされたと感じる)人もいます。さらに,何でも人にじゃべりたがる人がいますが,近い将来主婦同士の井戸端会議も活性化されなくなるかもしれません(それで,主婦のストレスはますます高まる?)。
天の川 「あんたの奥さん,最近機嫌悪いやんか。たびとはん? なんか奥さんにぎょ~さん隠し事してるのとちゃうか」
そうそう,バレると機嫌悪くなるようなヤバイ隠し事がいっぱい... ある訳ないでしょ!
でっ,でっ,では,はじめに万葉集で使われている「隠る」が入った熟語(枕詞も含む)を見てみます。
雨隠(あまごも)る‥雨に降りこめられる
磐隠(いはがく)る‥逝去する
浦隠(うらがく)る‥入江の中に隠れる
面隠(おもかく)す‥恥ずかしくて顔を隠す
雲隠る‥雲が隠す,雲に隠れる,逝去する
木の下(このした)隠る‥木の下に隠れる
島隠(しまかく)る‥島のかげに退避する
妻隠(つまごも)る‥屋,矢,小佐保にかかる枕詞
このように,隠す対象が何かによって「隠る」の意味が微妙に変化していることが分かるような気がします。
では,万葉集の和歌の中で最初は超有名な額田王(ぬかだのおほきみ)が詠んだとされる長歌とその反歌を見ていきましょう。
味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや(1-17)
<うまさけみわのやま あをによしならのやまの やまのまにいかくるまで みちのくまいつもるまでに つばらにもみつつゆかむを しばしばもみさけむやまを こころなくくもの かくさふべしや>
<<三輪の山は奈良の山々の向こうに隠れるまで,道の曲り目が幾重にも重なるまで,ずっと見ながら行きたい山,目を離すことなく見続けたい山なのに,無情にも雲が隠すなんてことがあってよいものだろうか>>
三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや(1-18)
<みわやまをしかもかくすか くもだにもこころあらなも かくさふべしや>
<<三輪山をそんなに隠すのか。せめて雲にも情けがあるなら,隠すなんてことがあってよいだろうか>>
飛鳥宮(あすかのみや)から北に向かうと右手に三輪山が見えてきます。その姿は,何かしら荘厳で,穏やかで,心静まるものを当時の人たちは感じたのかもしれません。それを見ながら,北へ(例えば近江の大津宮へ)旅する人たちは,それを眺めながら楽しく向かいたいのだが,残念なことに雲が隠して見えない。この長短歌は,そんな情景を詠んだのかもしれませんね。
次は柿本人麻呂が詠んだとされる短歌です。
大君は神にしませば雲隠る雷山に宮敷きいます(3-235)
<おほきみはかみにしませば くもがくるいかづちやまに みやしきいます>
<<大君は神であらせられるため,雷の丘に雲に隠れるほど高く,立派な宮をお造りになっておられる>>
この短歌は,同じ番号が振られている次の短歌の異本に出ていおり,忍壁皇子に贈ったとの伝説があると題詞にあります。
大君は神にしませば天雲の雷の上に廬りせるかも(3-235)
<おほきみはかみにしませば あまくものいかづちのうへに いほりせるかも>
<<大君は神にあらせられるため,雷の丘の上に天雲にとどくほど高く立派な別荘を造られたなあ>>
今明日香村に伝わっている雷の丘は非常に低い山です。そこで,この短歌について,あまりにも「よいしょ」した天皇賛美の歌で,人麻呂らしくない和歌だと評価する人もいるようです。私は,無理筋と云われるかもしれませんが,「天雲」「雲隠る」は「宮」または「庵」に係るとして訳しました。
そうすると,実際に山が低いとか高いとかはどうでも良くなり,「天皇は最高の神であり,まさに雷の神さえ従えているのです」と人麻呂はこの短歌で言いたかったのかもしれません。また,当時としてはよほど荘厳な建物が完成したのでしょうね。
今回は,隠す対象が「山」で,隠す側が「雲」を中心に見ていきました。
動きの詞(ことば)シリーズ…隠る(2)に続く。
2015年1月17日土曜日
2015年1月4日日曜日
2015新年スペシャル「ひつじ年に詠まれた和歌(3:まとめ)」 東国からの防人徴集は家持がやめさせた?
本スペシャルの最後は,万葉集で天平勝宝7(755)年:乙未(きのとひつじ)に詠まれたとされる和歌について見ていきます。
天平勝宝7年は歴史的に大きなできごとはない年でした。大伴家持は37歳になっており,難波で防人の検校(けんぎょう)に任に当っていたようです。
そのため,天平勝宝7年に詠まれたと万葉集にある和歌は防人歌,家持が防人の立場や気持ちになって詠った歌,その後家持が検校の任を解かれて京に戻り,宴席での参加者の歌など100首を大きく超える和歌が万葉集に記録されています。
防人制度ですが,この年の翌々年の天平宝字元(757)年(または天平勝宝9年)に東国から防人を集めるのではなく,九州地方のみで構成するようになったとWikipediaに出ています。もし,それが本当なら,家持の防人歌を献上したことが功を奏した可能性もあるかもしれません。
さて,防人歌及び家持の防人歌の代表的にものをいくつか紹介します。
1首目は遠江国長下郡(現在の浜松)の物部古麻呂(もののべのこまろ)が詠んだされる防人歌です。
我が妻も絵に描き取らむ暇もが旅行く我れは見つつ偲はむ(20-4327)
<わがつまもゑにかきとらむ いつまもがたびゆくあれは みつつしのはむ>
<<妻の絵を描く時間があったなら、旅の道中で私は(その絵を)見て妻のことを偲ぶことができるのだが>>
2首目は大伴家持が詠んだ防人歌です。
今替る新防人が船出する海原の上に波なさきそね(20-4335)
<いまかはるにひさきもりが ふなでするうなはらのうへに なみなさきそね>
<<今から新しく交替に新防人が船出する。海原の上に波を立てないで欲しい>>
3首目は下総国埴生郡(今の成田市あたり)出身の大伴部麻与佐(おほともべのまよさ)が詠んだとされる防人歌です。
天地のいづれの神を祈らばか愛し母にまた言とはむ(20-4392)
<あめつしのいづれのかみを いのらばかうつくしははに またこととはむ>
<<天地のいずれの神に祈ったら,いとしい母にまた話しができるのだろう>>
最後は,夫を防人として出す妻が詠んだとされるものです。
防人に行くは誰が背と問ふ人を見るが羨しさ物思ひもせず(20-4425)
<さきもりにゆくはたがせと とふひとをみるがともしさ ものもひもせず>
<<「防人として行くのはどちらのご主人かしら?」と周りの人たちが質問しあっているのを聞くのも気がめいるのです。それが私の夫であるという私の気持ちを知りもしないで>>
そして,天平勝宝7年には橘諸兄の影響力が少しずつ低下し,藤原仲麻呂の影響力が大きくなろうとしている時代です。家持にとって,将来の昇進に関して不安な時代に突入したのは間違いありません。
動きの詞(ことば)シリーズ…隠る(1)に続く。
天平勝宝7年は歴史的に大きなできごとはない年でした。大伴家持は37歳になっており,難波で防人の検校(けんぎょう)に任に当っていたようです。
そのため,天平勝宝7年に詠まれたと万葉集にある和歌は防人歌,家持が防人の立場や気持ちになって詠った歌,その後家持が検校の任を解かれて京に戻り,宴席での参加者の歌など100首を大きく超える和歌が万葉集に記録されています。
防人制度ですが,この年の翌々年の天平宝字元(757)年(または天平勝宝9年)に東国から防人を集めるのではなく,九州地方のみで構成するようになったとWikipediaに出ています。もし,それが本当なら,家持の防人歌を献上したことが功を奏した可能性もあるかもしれません。
さて,防人歌及び家持の防人歌の代表的にものをいくつか紹介します。
1首目は遠江国長下郡(現在の浜松)の物部古麻呂(もののべのこまろ)が詠んだされる防人歌です。
我が妻も絵に描き取らむ暇もが旅行く我れは見つつ偲はむ(20-4327)
<わがつまもゑにかきとらむ いつまもがたびゆくあれは みつつしのはむ>
<<妻の絵を描く時間があったなら、旅の道中で私は(その絵を)見て妻のことを偲ぶことができるのだが>>
2首目は大伴家持が詠んだ防人歌です。
今替る新防人が船出する海原の上に波なさきそね(20-4335)
<いまかはるにひさきもりが ふなでするうなはらのうへに なみなさきそね>
<<今から新しく交替に新防人が船出する。海原の上に波を立てないで欲しい>>
3首目は下総国埴生郡(今の成田市あたり)出身の大伴部麻与佐(おほともべのまよさ)が詠んだとされる防人歌です。
天地のいづれの神を祈らばか愛し母にまた言とはむ(20-4392)
<あめつしのいづれのかみを いのらばかうつくしははに またこととはむ>
<<天地のいずれの神に祈ったら,いとしい母にまた話しができるのだろう>>
最後は,夫を防人として出す妻が詠んだとされるものです。
防人に行くは誰が背と問ふ人を見るが羨しさ物思ひもせず(20-4425)
<さきもりにゆくはたがせと とふひとをみるがともしさ ものもひもせず>
<<「防人として行くのはどちらのご主人かしら?」と周りの人たちが質問しあっているのを聞くのも気がめいるのです。それが私の夫であるという私の気持ちを知りもしないで>>
そして,天平勝宝7年には橘諸兄の影響力が少しずつ低下し,藤原仲麻呂の影響力が大きくなろうとしている時代です。家持にとって,将来の昇進に関して不安な時代に突入したのは間違いありません。
動きの詞(ことば)シリーズ…隠る(1)に続く。
2015年1月3日土曜日
2015新年スペシャル「ひつじ年に詠まれた和歌(2)」 家持,クニク(恭仁苦)の作?
今回は「未(ひつじ)」年に詠まれた万葉集の和歌の2回目として天平15(743:癸未<みづのとひつじ>)年に詠まれたとされるものを見ていきます。
天平15年は,5月に開墾した土地は永年自分の土地となるという「墾田永年私財法」が発布され,10月には「大仏造立の詔」が聖武天皇により出された年です。
大伴家持は25歳になっており,久邇京で内舎人(うどねり:名家の子弟が担当する天皇の警備などを行う付き人)として働いていたとされる年です。
この年に詠まれたと明確に万葉集の題詞や左注で記されているのは,すべて大伴家持が恭仁(久邇,久迩)京で8月(新暦では9月)に詠んだ短歌6首です。なお,恐らくその年に詠まれたと推定できる和歌もありますが,今回は割愛します。では,家持の6首を一挙紹介します。
最初は久邇京を賛美した1首です。これだけが何故か巻6に納められています。
今造る久迩の都は山川のさやけき見ればうべ知らすらし(6-1037)
<いまつくるくにのみやこは やまかはのさやけきみれば うべしらすらし>
<<造営中の久迩の都は周辺の山川が清らかなのを見ると,ここに造ろうとされた理由が分かります>>
次の3首はおそらく久邇京の周辺の山野で秋萩を見て詠んだと思われる短歌です。なお,3首目ですが,新暦9月秋萩がちょうど盛りの時期なので,家持の問いかけはの答えとして,秋萩を散らしたのは牡鹿しかないということになります。
秋萩を久邇京,牡鹿を聖武天皇の譬えとすると,家持の気持ちの別の側面が見えてくるようです。
秋の野に咲ける秋萩秋風に靡ける上に秋の露置けり(8-1597)
<あきののにさけるあきはぎ あきかぜになびけるうへに あきのつゆおけり>
<<秋の野に咲いている秋萩の花が秋風に靡き,その花の上が秋の露に光っている>>
さを鹿の朝立つ野辺の秋萩に玉と見るまで置ける白露(8-1598)
<さをしかのあさたつのへの あきはぎにたまとみるまで おけるしらつゆ>
<<牡鹿が朝立ち寄った野辺の秋萩の花に玉のように美しく付いた白露よ>>
さを鹿の胸別けにかも秋萩の散り過ぎにける盛りかも去ぬる(8-1599)
<さをしかのむなわけにかも あきはぎのちりすぎにける さかりかもいぬる>
<<牡鹿が胸で押し分けて通ったからだろうか。それとも萩が散ったのは盛りを過ぎているためだろうか>>
次の2首は,鹿の鳴き声を聞いて詠んだものです。
山彦の相響むまで妻恋ひに鹿鳴く山辺に独りのみして(8-1602)
<やまびこのあひとよむまで つまごひにかなくやまへに ひとりのみして>
<<やまびこが響き合うほど激しく鳴く山辺の鹿。たった一頭で>>
このころの朝明に聞けばあしひきの山呼び響めさを鹿鳴くも(8-1603)
<このころのあさけにきけば あしひきのやまよびとよめ さをしかなくも>
<<この季節,明け方に聞こえてくるのは山を響かせて牡鹿が激しく鳴く声>>
この2首も牡鹿を聖武天皇に譬えてしまうと,結局後の5首は「内舎人として久邇京に赴任したが,天皇は一向に来ない。いつも山(紫香楽宮)から強烈な通達が来るばかりだ。久邇京の造営は進まず,一部には荒れだところも出てきている。」といった心情が私には見えてきます。
以上6首は,ほぼ同じ時期に家持によって詠まれたとされますが,最初1首だけが別の巻に入れられたのは,その内容から分かる気がします。
2015新年スペシャル「ひつじ年に詠まれた和歌(3:まとめ)」に続く。
天平15年は,5月に開墾した土地は永年自分の土地となるという「墾田永年私財法」が発布され,10月には「大仏造立の詔」が聖武天皇により出された年です。
大伴家持は25歳になっており,久邇京で内舎人(うどねり:名家の子弟が担当する天皇の警備などを行う付き人)として働いていたとされる年です。
この年に詠まれたと明確に万葉集の題詞や左注で記されているのは,すべて大伴家持が恭仁(久邇,久迩)京で8月(新暦では9月)に詠んだ短歌6首です。なお,恐らくその年に詠まれたと推定できる和歌もありますが,今回は割愛します。では,家持の6首を一挙紹介します。
最初は久邇京を賛美した1首です。これだけが何故か巻6に納められています。
今造る久迩の都は山川のさやけき見ればうべ知らすらし(6-1037)
<いまつくるくにのみやこは やまかはのさやけきみれば うべしらすらし>
<<造営中の久迩の都は周辺の山川が清らかなのを見ると,ここに造ろうとされた理由が分かります>>
次の3首はおそらく久邇京の周辺の山野で秋萩を見て詠んだと思われる短歌です。なお,3首目ですが,新暦9月秋萩がちょうど盛りの時期なので,家持の問いかけはの答えとして,秋萩を散らしたのは牡鹿しかないということになります。
秋萩を久邇京,牡鹿を聖武天皇の譬えとすると,家持の気持ちの別の側面が見えてくるようです。
秋の野に咲ける秋萩秋風に靡ける上に秋の露置けり(8-1597)
<あきののにさけるあきはぎ あきかぜになびけるうへに あきのつゆおけり>
<<秋の野に咲いている秋萩の花が秋風に靡き,その花の上が秋の露に光っている>>
さを鹿の朝立つ野辺の秋萩に玉と見るまで置ける白露(8-1598)
<さをしかのあさたつのへの あきはぎにたまとみるまで おけるしらつゆ>
<<牡鹿が朝立ち寄った野辺の秋萩の花に玉のように美しく付いた白露よ>>
さを鹿の胸別けにかも秋萩の散り過ぎにける盛りかも去ぬる(8-1599)
<さをしかのむなわけにかも あきはぎのちりすぎにける さかりかもいぬる>
<<牡鹿が胸で押し分けて通ったからだろうか。それとも萩が散ったのは盛りを過ぎているためだろうか>>
次の2首は,鹿の鳴き声を聞いて詠んだものです。
山彦の相響むまで妻恋ひに鹿鳴く山辺に独りのみして(8-1602)
<やまびこのあひとよむまで つまごひにかなくやまへに ひとりのみして>
<<やまびこが響き合うほど激しく鳴く山辺の鹿。たった一頭で>>
このころの朝明に聞けばあしひきの山呼び響めさを鹿鳴くも(8-1603)
<このころのあさけにきけば あしひきのやまよびとよめ さをしかなくも>
<<この季節,明け方に聞こえてくるのは山を響かせて牡鹿が激しく鳴く声>>
この2首も牡鹿を聖武天皇に譬えてしまうと,結局後の5首は「内舎人として久邇京に赴任したが,天皇は一向に来ない。いつも山(紫香楽宮)から強烈な通達が来るばかりだ。久邇京の造営は進まず,一部には荒れだところも出てきている。」といった心情が私には見えてきます。
以上6首は,ほぼ同じ時期に家持によって詠まれたとされますが,最初1首だけが別の巻に入れられたのは,その内容から分かる気がします。
2015新年スペシャル「ひつじ年に詠まれた和歌(3:まとめ)」に続く。
2015年1月2日金曜日
2015新年スペシャル「ひつじ年に詠まれた和歌(1)」 お目出度いお正月ですが挽歌のご紹介です
2015年新春のお慶びを申し上げます。昨年は長期間休載した時期もありましたが,本年は継続して『万葉集をリバースエンジニアリングする』ブログアップしますので,よろしくお願いします。
さて,今年は未(ひつじ)年ですね。ただ,万葉集の中で「羊」を詠んだ和歌は残念ながらありません。
とういいうことで,万葉集で「未年」(天平3年,天平15年,天平勝宝7年)に詠まれたとされる和歌を3回に分けて紹介することにします。第1回目は「天平3(731)年辛未(かのとひつじ)」です。この年の七月大伴旅人は67年に渡る生涯を終えました。
次は,旅人が死の直前に詠んだとされる短歌のうちの1首です。
しましくも行きて見てしか神なびの淵はあせにて瀬にかなるらむ(6-969)
<しましくもゆきてみてしか かむなびのふちはあせにて せにかなるらむ>
<<少しの時間でも行けるのなら行って見たい。神奈備川のあの淵は埋まって,今は浅瀬になってしまっていないだろうか>>
旅人はもう出かける体力が無くなり叶わないけれど,幼い頃父大伴安麻呂と一緒によく連れられて行って,泳いだ飛鳥の神なび川(飛鳥川?)の深い淵だが,長年訪ねていけず,今は土砂に埋もれて浅瀬になってしまっていないか最後に見届けてみたいという気持ちを読んでいるように私には思えます。最期を前にして,もう一度懐かしい良い思い出の地を訪ねて見てみたいという気持ちは十分理解できる気がします。
そして,旅人が亡くなったことを悼む短歌が,万葉集に6首残っています。すべて旅人の資人(つかひびと)であったという余明軍が詠んだとされるものです。「余明軍」は読み方が諸説あるようですが,朝鮮系の帰化人であったらしいということで音読みの「よ・めいぐん(ヨ・ミョンクン)」としておきましょう。
また,漢字が似ているせいか「余」ではなく「金(キム)」ではないかという説が古来の万葉集研究や写本などであったようです。しかし,最近の万葉集解説は「余」が正しいだろうとしているようです。
お目出度いお正月投稿ですが,その6首とも続けて紹介します。
はしきやし栄えし君のいましせば昨日も今日も我を召さましを(3-454)
<はしきやしさかえしきみの いましせばきのふもけふも わをめさましを>
<<名君であられた殿が生きておられたら昨日も今日も私をお召しになるでしょう>>
かくのみにありけるものを萩の花咲きてありやと問ひし君はも(3-455)
<かくのみにありけるものを はぎのはなさきてありやと とひしきみはも>
<<これも世の定めか,(病床で)萩の花を咲いているかとお尋ねになった殿は今はおられない>>
君に恋ひいたもすべなみ葦鶴の哭のみし泣かゆ朝夕にして(3-456)
<きみにこひいたもすべなみ あしたづのねのみしなかゆ あさよひにして>
<<殿をお慕い続けてもやるせない。葦原で悲しく鳴く鶴のように泣くしかない。朝な夕なに>>
遠長く仕へむものと思へりし君しまさねば心どもなし(3-457)
<とほながくつかへむものと おもへりしきみしまさねば こころどもなし>
<<ずっと長くお仕えしたいと思っていました殿がおられないので,心の支えが無くなりました>>
みどり子の匍ひたもとほり朝夕に哭のみぞ我が泣く君なしにして(3-458)
<みどりこのはひたもとほり あさよひにねのみぞわがなく きみなしにして>
<<幼い子供が這いずり回って朝な夕なに繰り返し泣くように私は泣いています。殿がいらっしゃらないので>>
見れど飽かずいましし君が黄葉のうつりい行けば悲しくもあるか(3-459)
<みれどあかずいまししきみが もみちばのうつりいゆけば かなしくもあるか>
<<何度見ても尊敬できる殿が紅葉が散るように逝ってしまわれた。何と悲しいことか>>
以上ですが,側近ではなく,お召しの人物(資人)の一人が詠んだ短歌を弔いの歌として残した家持。父旅人の人柄に対する素直な尊敬の気持ちが表れているように私には感じられてなりません。
次回は,12年後の天平15年に詠まれたとされる万葉集の和歌を見ていきます。
2015新年スペシャル「ひつじ年に詠まれた和歌(2)」に続く。
さて,今年は未(ひつじ)年ですね。ただ,万葉集の中で「羊」を詠んだ和歌は残念ながらありません。
とういいうことで,万葉集で「未年」(天平3年,天平15年,天平勝宝7年)に詠まれたとされる和歌を3回に分けて紹介することにします。第1回目は「天平3(731)年辛未(かのとひつじ)」です。この年の七月大伴旅人は67年に渡る生涯を終えました。
次は,旅人が死の直前に詠んだとされる短歌のうちの1首です。
しましくも行きて見てしか神なびの淵はあせにて瀬にかなるらむ(6-969)
<しましくもゆきてみてしか かむなびのふちはあせにて せにかなるらむ>
<<少しの時間でも行けるのなら行って見たい。神奈備川のあの淵は埋まって,今は浅瀬になってしまっていないだろうか>>
旅人はもう出かける体力が無くなり叶わないけれど,幼い頃父大伴安麻呂と一緒によく連れられて行って,泳いだ飛鳥の神なび川(飛鳥川?)の深い淵だが,長年訪ねていけず,今は土砂に埋もれて浅瀬になってしまっていないか最後に見届けてみたいという気持ちを読んでいるように私には思えます。最期を前にして,もう一度懐かしい良い思い出の地を訪ねて見てみたいという気持ちは十分理解できる気がします。
そして,旅人が亡くなったことを悼む短歌が,万葉集に6首残っています。すべて旅人の資人(つかひびと)であったという余明軍が詠んだとされるものです。「余明軍」は読み方が諸説あるようですが,朝鮮系の帰化人であったらしいということで音読みの「よ・めいぐん(ヨ・ミョンクン)」としておきましょう。
また,漢字が似ているせいか「余」ではなく「金(キム)」ではないかという説が古来の万葉集研究や写本などであったようです。しかし,最近の万葉集解説は「余」が正しいだろうとしているようです。
お目出度いお正月投稿ですが,その6首とも続けて紹介します。
はしきやし栄えし君のいましせば昨日も今日も我を召さましを(3-454)
<はしきやしさかえしきみの いましせばきのふもけふも わをめさましを>
<<名君であられた殿が生きておられたら昨日も今日も私をお召しになるでしょう>>
かくのみにありけるものを萩の花咲きてありやと問ひし君はも(3-455)
<かくのみにありけるものを はぎのはなさきてありやと とひしきみはも>
<<これも世の定めか,(病床で)萩の花を咲いているかとお尋ねになった殿は今はおられない>>
君に恋ひいたもすべなみ葦鶴の哭のみし泣かゆ朝夕にして(3-456)
<きみにこひいたもすべなみ あしたづのねのみしなかゆ あさよひにして>
<<殿をお慕い続けてもやるせない。葦原で悲しく鳴く鶴のように泣くしかない。朝な夕なに>>
遠長く仕へむものと思へりし君しまさねば心どもなし(3-457)
<とほながくつかへむものと おもへりしきみしまさねば こころどもなし>
<<ずっと長くお仕えしたいと思っていました殿がおられないので,心の支えが無くなりました>>
みどり子の匍ひたもとほり朝夕に哭のみぞ我が泣く君なしにして(3-458)
<みどりこのはひたもとほり あさよひにねのみぞわがなく きみなしにして>
<<幼い子供が這いずり回って朝な夕なに繰り返し泣くように私は泣いています。殿がいらっしゃらないので>>
見れど飽かずいましし君が黄葉のうつりい行けば悲しくもあるか(3-459)
<みれどあかずいまししきみが もみちばのうつりいゆけば かなしくもあるか>
<<何度見ても尊敬できる殿が紅葉が散るように逝ってしまわれた。何と悲しいことか>>
以上ですが,側近ではなく,お召しの人物(資人)の一人が詠んだ短歌を弔いの歌として残した家持。父旅人の人柄に対する素直な尊敬の気持ちが表れているように私には感じられてなりません。
次回は,12年後の天平15年に詠まれたとされる万葉集の和歌を見ていきます。
2015新年スペシャル「ひつじ年に詠まれた和歌(2)」に続く。
2014年12月31日水曜日
動きの詞(ことば)シリーズ…照る(4:まとめ) ♪秋の夕日に照る山もみじ~
今日後わずかで2014年も終わります。今月5本の投稿を目標としていましたので,急いで投稿をしなければなりません。そんなことで,今回も解説は最小限にして,「照る」を詠んだ万葉集の歌の中で,前3回で紹介できなかった「照る」の対象を詠んだものを見ていきます。
最初は長屋王(ながやのおほきみ)が「もみじが照る」を詠んだ短歌です。秋のもみじの歌です。
味酒三輪のはふりの山照らす秋の黄葉の散らまく惜しも(8-1517)
<うまさけみわのはふりの やまてらすあきのもみちの ちらまくをしも>
<<三輪神社のご神体である山を照らすほど色づいた秋のもみじが散ってしまうのが惜しい>>
次は「天の川」が照ることを詠んだ詠み人知らず(但し,柿本人麻呂歌集から)の短歌です。
天の川水さへに照る舟泊てて舟なる人は妹と見えきや(10-1996)
<あまのがはみづさへにてる ふねはててふねなるひとは いもとみえきや>
<<天の川はその水も照り輝いている。舟は泊り場に着いた。舟人(牽牛)は恋人(織姫)と逢っただろうか>>
次は「玉が照る」を詠んだ詠み人知らずの短歌です。
大海の水底照らし沈く玉斎ひて採らむ風な吹きそね(7-1319)
<おほうみのみなそこてらし しづくたまいはひてとらむ かぜなふきそね>
<<大海の底を照らしている玉を取るつもりだ。海をつかさどる神に祈りるから風は吹くなよ>>
最後は「山橘の実が照る」を詠んだ大伴家持の短歌です。
この雪の消残る時にいざ行かな山橘の実の照るも見む(19-4226)
<このゆきのけのこるときに いざゆかなやまたちばなの みのてるもみむ>
<<この雪が消えてしまわないうちに、さあ行きましょう。山橘の実が熟れて美しく照り生えているのを見に>>
これで,4回に渡って投稿してきました「照る」を締めくくります。
この1年を振り返ってみますと,結構さまざまな経験を積みました。新しい出会いがあり,寂しい別れもありました。
読者の皆さん,途中長い中断があれましたが,1年間本ブログのご愛読ありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
2015新年スペシャル(1)に続く。
最初は長屋王(ながやのおほきみ)が「もみじが照る」を詠んだ短歌です。秋のもみじの歌です。
味酒三輪のはふりの山照らす秋の黄葉の散らまく惜しも(8-1517)
<うまさけみわのはふりの やまてらすあきのもみちの ちらまくをしも>
<<三輪神社のご神体である山を照らすほど色づいた秋のもみじが散ってしまうのが惜しい>>
次は「天の川」が照ることを詠んだ詠み人知らず(但し,柿本人麻呂歌集から)の短歌です。
天の川水さへに照る舟泊てて舟なる人は妹と見えきや(10-1996)
<あまのがはみづさへにてる ふねはててふねなるひとは いもとみえきや>
<<天の川はその水も照り輝いている。舟は泊り場に着いた。舟人(牽牛)は恋人(織姫)と逢っただろうか>>
次は「玉が照る」を詠んだ詠み人知らずの短歌です。
大海の水底照らし沈く玉斎ひて採らむ風な吹きそね(7-1319)
<おほうみのみなそこてらし しづくたまいはひてとらむ かぜなふきそね>
<<大海の底を照らしている玉を取るつもりだ。海をつかさどる神に祈りるから風は吹くなよ>>
最後は「山橘の実が照る」を詠んだ大伴家持の短歌です。
この雪の消残る時にいざ行かな山橘の実の照るも見む(19-4226)
<このゆきのけのこるときに いざゆかなやまたちばなの みのてるもみむ>
<<この雪が消えてしまわないうちに、さあ行きましょう。山橘の実が熟れて美しく照り生えているのを見に>>
これで,4回に渡って投稿してきました「照る」を締めくくります。
この1年を振り返ってみますと,結構さまざまな経験を積みました。新しい出会いがあり,寂しい別れもありました。
読者の皆さん,途中長い中断があれましたが,1年間本ブログのご愛読ありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
2015新年スペシャル(1)に続く。
2014年12月30日火曜日
動きの詞(ことば)シリーズ…照る(3) 花や実は我々の心を明るく照らす?
<年末の我が家>
あっという間に年末近くになりました。庭の木の剪定と落ち葉掃除は終わりましたが,部屋は一向に片付きません。年越のゴミはかなりまた出そうです。そのためか妻はイライラしています。
3匹の我が家の猫はホットカーペットの上でおとなし寝ているのがほとんどですが,相変わらず大飯食らいです。
この前買った焼酎「天の川」はあっという間に飲んでしまいました。
私は,一昨日からスポーツジムに通い始めました。ジムで体脂肪を測ったら体脂肪がめちゃくちゃ増えていました。ショックでしたが,これでジムに通い続けられそうです。
ジムの体脂肪計は最初はワザと高く出るようにしているなんて疑いません。身体のためにそうしてくれているのかもしれませんから。今日は2回目で,ジムの女性コーチが私専用のトレーニングメニューを作ってくれるとのこと。これからいそいそと準備して通うことになりそうです。
と,こんな年末を過ごしていて,休日ですが,ブログがなかなか書けません。
<やっと本題>
さて,今回は「花が照る」「植物の実が照る」という表現で万葉集で見ていきましょうか。
分かりやすい短歌ばかりを選びましたので,解説はほとんどなしで,紹介のみしていきます。
先ず「桜」の花から行きましょう。詠み人知らずの短歌です。
あしひきの山の際照らす桜花この春雨に散りゆかむかも(10-1864)
<あしひきのやまのまてらす さくらばな このはるさめにちりゆかむかも>
<<山のきわを照らしている(映えさせている)桜の花がこの春雨で散ってゆくのだなあ>>
次は「桃」の花です。巻19の冒頭を飾る大伴家持作の有名な短歌です。
春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子(19-4139)
<はるのそのくれなゐにほふ もものはな したでるみちにいでたつをとめ>
<<春の庭で紅色に美しく色づいている桃の花。それが照らす下にいる乙女(がさらに美しい)>>
最後は「橘」の熟した実です。藤原八束(ふぢはらのやつか)が新嘗祭(にひなめのまつり)の宴席で詠んだ短歌です。
島山に照れる橘うずに刺し仕へまつるは卿大夫たち(19-4276)
<しまやまにてれるたちばな うずにさしつかへまつるは まへつきみたち>
<<庭園の池の島山に照り輝く橘の実を髪飾りに挿してお仕えするは,大君の御前の多くの官人たちであるよ>>
ところで,中国語でハナミズキのことを「四照花」と書くそうです。
日本では「花が照る」という表現は現代ではあまり使わなくなったようですが,中国では今も健在なのかもしれませんね。
動きの詞(ことば)シリーズ…照る(4:まとめ)に続く。
あっという間に年末近くになりました。庭の木の剪定と落ち葉掃除は終わりましたが,部屋は一向に片付きません。年越のゴミはかなりまた出そうです。そのためか妻はイライラしています。
3匹の我が家の猫はホットカーペットの上でおとなし寝ているのがほとんどですが,相変わらず大飯食らいです。
この前買った焼酎「天の川」はあっという間に飲んでしまいました。
私は,一昨日からスポーツジムに通い始めました。ジムで体脂肪を測ったら体脂肪がめちゃくちゃ増えていました。ショックでしたが,これでジムに通い続けられそうです。
ジムの体脂肪計は最初はワザと高く出るようにしているなんて疑いません。身体のためにそうしてくれているのかもしれませんから。今日は2回目で,ジムの女性コーチが私専用のトレーニングメニューを作ってくれるとのこと。これからいそいそと準備して通うことになりそうです。
と,こんな年末を過ごしていて,休日ですが,ブログがなかなか書けません。
<やっと本題>
さて,今回は「花が照る」「植物の実が照る」という表現で万葉集で見ていきましょうか。
分かりやすい短歌ばかりを選びましたので,解説はほとんどなしで,紹介のみしていきます。
先ず「桜」の花から行きましょう。詠み人知らずの短歌です。
あしひきの山の際照らす桜花この春雨に散りゆかむかも(10-1864)
<あしひきのやまのまてらす さくらばな このはるさめにちりゆかむかも>
<<山のきわを照らしている(映えさせている)桜の花がこの春雨で散ってゆくのだなあ>>
次は「桃」の花です。巻19の冒頭を飾る大伴家持作の有名な短歌です。
春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子(19-4139)
<はるのそのくれなゐにほふ もものはな したでるみちにいでたつをとめ>
<<春の庭で紅色に美しく色づいている桃の花。それが照らす下にいる乙女(がさらに美しい)>>
最後は「橘」の熟した実です。藤原八束(ふぢはらのやつか)が新嘗祭(にひなめのまつり)の宴席で詠んだ短歌です。
島山に照れる橘うずに刺し仕へまつるは卿大夫たち(19-4276)
<しまやまにてれるたちばな うずにさしつかへまつるは まへつきみたち>
<<庭園の池の島山に照り輝く橘の実を髪飾りに挿してお仕えするは,大君の御前の多くの官人たちであるよ>>
ところで,中国語でハナミズキのことを「四照花」と書くそうです。
日本では「花が照る」という表現は現代ではあまり使わなくなったようですが,中国では今も健在なのかもしれませんね。
動きの詞(ことば)シリーズ…照る(4:まとめ)に続く。
2014年12月21日日曜日
動きの詞(ことば)シリーズ…照る(2) ♪照る照る坊主,照る坊主。♪雨,雨,降れ,降れ。
<転職先は自分に合っていた>
今月転職したばかりの新しい職場にも,かなり慣れてきました。やはり,求められるいる技術とマッチ度が高いと職場に居場所ができるのに時間をあまり必要としないことを改めて感じられ,不安感はほぼなくなりました。
16日は新職場での最初の給料が振り込まれ,翌々日には長崎県壱岐の麦焼酎「天の川 壱岐づくし 3年古酒」(写真)を成城石井で奮発して買いました。
今晩,連れの天の川君にも,たまには私が飲ませてあげようと一緒に飲むつもりです。
天の川 「もう~,たびとは~ん。早よ飲もうな~。何でそんなに焦らすねん。」
いやいや,天の川君,22日は19年ぶりの朔旦冬至(さくたんとうじ)だから,その前夜をこの焼酎で祝おうということにしたのだよ。朔旦冬至とはね,...
天の川 「そんなこと知らんでかい。19年一度,冬至に八朔(はっさく)と文旦(ぶんたん)を食べてやな,寒い冬でも風邪ひかんようにお呪いする日やんか。どや。」
間違った知識で天の川君の「どや顔」を見せられてもね。19年に一度,冬至と新月が重なる日が朔旦冬至。これから日が長くなっていく,そして同じように新しい月も最初から満ちていく。そんな意味で心が改まる冬至の日と考える人もいるようだね。
<本題>
さて,天の川君にいまさら教養を深めてもらっても仕方がないので,本題に入りましょう。今回は,「照る」の2回目で,現代の私たちにとって最も身近な「日が照る」を万葉集で見ていきます。
最初の1首は,柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が草壁皇子の死を悼んで詠んだとされる挽歌(長歌)の反歌を紹介します。
あかねさす日は照らせれどぬばたまの夜渡る月の隠らく惜しも(2-169)
<あかねさすひはてらせれど ぬばたまのよわたるつきの かくらくをしも>
<<日の光はいつも照らすけれども,夜を渡る月が欠けてしまうようにお隠れになってしまわれたことが惜しまれる>>
人麻呂にとって,太陽の照らす力は満ち欠けすることはない(日蝕以外)。しかし,月には満ち欠けがあり,その照らす力は人の命のように果かないものである象徴だったのかもしれませんね。
次は,真夏の強烈な日の光に照らされることをイメージした詠み人知らずの短歌です。
六月の地さへ裂けて照る日にも我が袖干めや君に逢はずして(10-1995)
<みなづきのつちさへさけて てるひにもわがそでひめや きみにあはずして>
<<六月の地面が裂けてしまうほど照る日光に干しても,(涙に濡れた)私の袖が乾くことがないのです。あなたに逢わないので>>
旧暦の6月は新暦ではだいたい7月ですから,田んぼの土も干上がって,ひび割れた状態になります。そんな強烈な日光でも恋が成就しないために流す涙の多さで,涙を拭う袖を乾かせない,作者の気持ちが伝わってきます。
次は,日照りで雨乞いをしたくなるほど相手の来訪を待ち望む気持ちを詠んだ詠み人知らずの短歌(東歌・女歌)です。
金門田を荒垣ま斎み日が照れば雨を待とのす君をと待とも(14-3561)
<かなとだをあらがきまゆみ ひがとればあめをまとのす きみをとまとも>
<<我が家の門近くの田に荒垣で身を清めて日照りに対して雨を強く待ちたくなるように,あなた様が来られるのを心待ちにしております>>
家の近くにある門田には,自分の家の田であることを示すためや動物に荒らされないようにするため,荒垣(生垣)を植えていたのでしょう。
しかし,日照りが続くと生垣が枯れてしまう恐れがあり,身を清めて雨乞いの祈りをする気持ちが強くなります。このまま,あなた様が来てくださらないと,私の身体は干ばつの生垣のように,枯れてしまうようだと作者は訴えたいのでしょうね。
最後は,自身の孤独感を詠んだことでよく知られている大伴家持の短歌です。
うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しも独し思へば(19-4292)
<うらうらにてれるはるひに ひばりあがりこころかなしも ひとりしおもへば>
<<うららかな春の日に雲雀が上空を飛んでいる。でも,(のどかな気持ちになれずに)うら悲しい。今自分一人であることを思うと>>
家持の孤独感の原因が何か,いろいろな説があるようですが,私は越中赴任から帰任して,中央政府の中の力関係に順応することへの難しさからくるものも一つにはあったような気がします。
<私の経験に当てはめる>
私が勤めていた会社で,新入社員から15年以上,三多摩方面の事業所で働いていた後,そこでの成果を認められ,新宿区の本社技術スタッフとして配属されたことがありました。しかし,私はその後何年も本社勤めの役員や管理職とのコミュニケーションがうまく行かずに悩んだ時期が続きました。
事業所で「成果を出したやつのお手並み拝見」といった非協力的な周囲に対して,どう協力を取りつけるかに,回答が出せないとき,この家持の孤独感に共感する気持ちが表れてきました。
その後,その時悩んだ経験がさまざまな場面で協力を取り付けるスキルの向上に役立ったのは事実かもしれません。
動きの詞(ことば)シリーズ…照る(3)に続く。
今月転職したばかりの新しい職場にも,かなり慣れてきました。やはり,求められるいる技術とマッチ度が高いと職場に居場所ができるのに時間をあまり必要としないことを改めて感じられ,不安感はほぼなくなりました。
16日は新職場での最初の給料が振り込まれ,翌々日には長崎県壱岐の麦焼酎「天の川 壱岐づくし 3年古酒」(写真)を成城石井で奮発して買いました。
今晩,連れの天の川君にも,たまには私が飲ませてあげようと一緒に飲むつもりです。
天の川 「もう~,たびとは~ん。早よ飲もうな~。何でそんなに焦らすねん。」
いやいや,天の川君,22日は19年ぶりの朔旦冬至(さくたんとうじ)だから,その前夜をこの焼酎で祝おうということにしたのだよ。朔旦冬至とはね,...
天の川 「そんなこと知らんでかい。19年一度,冬至に八朔(はっさく)と文旦(ぶんたん)を食べてやな,寒い冬でも風邪ひかんようにお呪いする日やんか。どや。」
間違った知識で天の川君の「どや顔」を見せられてもね。19年に一度,冬至と新月が重なる日が朔旦冬至。これから日が長くなっていく,そして同じように新しい月も最初から満ちていく。そんな意味で心が改まる冬至の日と考える人もいるようだね。
<本題>
さて,天の川君にいまさら教養を深めてもらっても仕方がないので,本題に入りましょう。今回は,「照る」の2回目で,現代の私たちにとって最も身近な「日が照る」を万葉集で見ていきます。
最初の1首は,柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が草壁皇子の死を悼んで詠んだとされる挽歌(長歌)の反歌を紹介します。
あかねさす日は照らせれどぬばたまの夜渡る月の隠らく惜しも(2-169)
<あかねさすひはてらせれど ぬばたまのよわたるつきの かくらくをしも>
<<日の光はいつも照らすけれども,夜を渡る月が欠けてしまうようにお隠れになってしまわれたことが惜しまれる>>
人麻呂にとって,太陽の照らす力は満ち欠けすることはない(日蝕以外)。しかし,月には満ち欠けがあり,その照らす力は人の命のように果かないものである象徴だったのかもしれませんね。
次は,真夏の強烈な日の光に照らされることをイメージした詠み人知らずの短歌です。
六月の地さへ裂けて照る日にも我が袖干めや君に逢はずして(10-1995)
<みなづきのつちさへさけて てるひにもわがそでひめや きみにあはずして>
<<六月の地面が裂けてしまうほど照る日光に干しても,(涙に濡れた)私の袖が乾くことがないのです。あなたに逢わないので>>
旧暦の6月は新暦ではだいたい7月ですから,田んぼの土も干上がって,ひび割れた状態になります。そんな強烈な日光でも恋が成就しないために流す涙の多さで,涙を拭う袖を乾かせない,作者の気持ちが伝わってきます。
次は,日照りで雨乞いをしたくなるほど相手の来訪を待ち望む気持ちを詠んだ詠み人知らずの短歌(東歌・女歌)です。
金門田を荒垣ま斎み日が照れば雨を待とのす君をと待とも(14-3561)
<かなとだをあらがきまゆみ ひがとればあめをまとのす きみをとまとも>
<<我が家の門近くの田に荒垣で身を清めて日照りに対して雨を強く待ちたくなるように,あなた様が来られるのを心待ちにしております>>
家の近くにある門田には,自分の家の田であることを示すためや動物に荒らされないようにするため,荒垣(生垣)を植えていたのでしょう。
しかし,日照りが続くと生垣が枯れてしまう恐れがあり,身を清めて雨乞いの祈りをする気持ちが強くなります。このまま,あなた様が来てくださらないと,私の身体は干ばつの生垣のように,枯れてしまうようだと作者は訴えたいのでしょうね。
最後は,自身の孤独感を詠んだことでよく知られている大伴家持の短歌です。
うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しも独し思へば(19-4292)
<うらうらにてれるはるひに ひばりあがりこころかなしも ひとりしおもへば>
<<うららかな春の日に雲雀が上空を飛んでいる。でも,(のどかな気持ちになれずに)うら悲しい。今自分一人であることを思うと>>
家持の孤独感の原因が何か,いろいろな説があるようですが,私は越中赴任から帰任して,中央政府の中の力関係に順応することへの難しさからくるものも一つにはあったような気がします。
<私の経験に当てはめる>
私が勤めていた会社で,新入社員から15年以上,三多摩方面の事業所で働いていた後,そこでの成果を認められ,新宿区の本社技術スタッフとして配属されたことがありました。しかし,私はその後何年も本社勤めの役員や管理職とのコミュニケーションがうまく行かずに悩んだ時期が続きました。
事業所で「成果を出したやつのお手並み拝見」といった非協力的な周囲に対して,どう協力を取りつけるかに,回答が出せないとき,この家持の孤独感に共感する気持ちが表れてきました。
その後,その時悩んだ経験がさまざまな場面で協力を取り付けるスキルの向上に役立ったのは事実かもしれません。
動きの詞(ことば)シリーズ…照る(3)に続く。
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