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2012年12月31日月曜日

年末年始スペシャル「2012年本ブログ投稿を振り返って」

<私の本業が忙しい理由>
今年はこの投稿を含め60件アップできました。今年始めの予想では70件以上いけるかなと思ったのですが,私の本業であるソフトウェア保守開発の業務が多忙で,やっとここまででした。
ところで,その業務が多忙な理由は次の通りだと私は考えています。
ソフトウェア保守開発の業務案件(以下,単に案件といいます)は,1案件単位の平均的な規模は比較的小さいのですが,規模のバラツキ(標準偏差)は結構大きいのです。また,案件発生は完全には予測不可能で,案件の発生はいわゆる「統計的な考え」に基づく必要があります。
ここでいう「統計的な考え」とは,銀行のATMの台数,駅の改札機の台数,スーパーのレジの稼働数,高速道路の料金所のゲート数などをどれだけ用意すれば,処理待ち時間がどの程度になるかという検討です。
<ATMの待ち行列で例示>
案件の発生は,ATMの例では出金,入金,振込,記帳,残高照会などを行うひとりのATM利用者の到着を指します。ソフトウェア保守開発要員数に対応するのは,ATMの設置数となります。
みなさんは,給料日前にATMコーナーに行くと空いている多くのATMを見るでしょう。いっぽう,給料日にはATMはフル稼働で,空くのを待っている人の列に出会います。
このようにバラツキが大きいのはソフトウェア保守開発案件もATMの利用者数も同じです。
また,利用者は残高照会だけして帰る人もいれば,ATM操作に慣れないのに何件もの振込をする人もいます(そんな人を見ているとイライラを感じた経験はありませんか?)。1利用者のATM専用時間のバラツキが非常に大きいのも保守開発案件対応時間と似ています。
<対応エンジニアに空きはない?>
ただ,似ていないのは,ATMはある程度利用されていない時間があっても統計学の待ち行列理論から見て最適であればOKですが,ソフトウェア保守開発の要員は空きが発生しないことが第一命題になっています。
そのため,待ち行列での最適性とは無関係に要員に空きを発生させなくする方法は,最低限の要員で体制を組み,案件が重なったときは残業でこなすということになります(私が勤める会社のように割増の残業代を払ってやるからよいだろうという経営者の発想はまだましで,残業が発生するのはお前のせいだからサービス残業で対応するんだというブラック企業もあると聞きます)。
もちろん,都度案件の外部委託も考えられますが,規模が比較的小さく,納期も短いため非効率です。結局,案件が極端に集中すると要員の残業時間が非常に多くなってしまいます。
待ち行列理論を勉強し,多少の空き時間が出来ても最適という認識になれば,空き時間は代休を取得したり,スキルアップや環境整備に回し,次の案件対応をより効率的にできることのメリットを経営サイドはもう少し理解すべきだと感じた一年でした。
<この1年のブログアップ>
さて,私事はこのくらいにして,本ブログの2012年を振り返ってみます。
年初は,(万葉集の)私の接した歌枕シリーズ「須磨」で始まりました。歌枕シリーズは福島県の「相馬」,愛媛県の「松山」と続き,1月7日からは前年(2011年)8月より続けている「対語シリーズ」戻りました。
3月末まで「対語リーズ」を続け,4月に入って,200投稿記念としてスペシャル記事を書きました。
その中でも,富山県高岡で学生時代に一緒に万葉集を研鑽したメンバーやその後輩たちと集いを持てたことは今でも印象に残っています。
その後,ゴールデンウィークスペシャルとして「私の接した歌枕」シリーズ(湯河原,三輪山,丹波,葛飾)をアップし,再び「対語シリーズ」に戻りました。
1年間連載してきた「対語シリーズ」は8月第1週で最終回としました。その後は私の夏休み近辺の状況をアップした夏休みスペシャルに入りました。
実は,今年の夏休み,私の行動力は結構すごかったと自画自賛したくなるほどです。
青春18きっぷで奈良の明日香村を往復したのは昨年でしたが,今年はそれに加えて大津から宇治まで奈良街道を夜を通して歩きました。
また,女夫淵温泉から加仁湯までや富士山本八合目(標高3,400m)までトレッキングをしました。さらに,私が会社でのポジションが変わったこともあり,多くの人たちと何度も宴で飲みました。
そんなこんなをブログにアップできたことは思い出深いことです。
そして,夏が終わり,新らたに「今もあるシリーズ」を開始しました。
その後も多忙な仕事の傍ら,8月加仁湯までしか行かなかった奥鬼怒ですが,10月上旬にはその先鬼怒沼(標高2,000m)まで登りました。秋晴れの空,筋雲,山並みが沼の水辺に映り,本当にきれいでした。
<閲覧数もアップ>
この1年のアクセス数は1年前の1.5倍に増えました。また,7月ひと月のアクセス数はこれまで1ヶ月のアクセス数の最高を40%以上上回るアクセス数となりました。そのほか特徴的なことは,海外からのアクセス比率がアップしました。特に米国からのアクセス数が今年の後半から急速に伸びています。
来年も300号を目指し,より多くの方に読んでもらえるよう,ブログアップを続けていきます。
ただ,次の有名な元興寺の僧侶が詠んだとされる旋頭歌に出てくる「白玉」を「万葉集」と考えるとその歌から諭(さと)されるため,アクセス数をあまり気にせず書き続けることにしましょう。

白玉は人に知らえず知らずともよし知らずとも我れし知れらば知らずともよし(6-1018)
<しらたまはひとにしらえずしらずともよし しらずともわれししれらばしらずともよし>
<<白玉の本当の価値は人に知られていない。知らなくても人は困りはしない。その価値を人は知らなくても自分さえが知っていれば人が知らなくてもそれでよいのだ>>

年末年始スペシャル「万葉集:新春の和歌(1)」に続く。

2012年8月4日土曜日

対語シリーズ「笑むと泣く」‥対語シリーズを最終回


今朝未明,なでしこジャパンがロンドンオリンピック決勝トーナメントの準々決勝でブラジルに2対0で勝利し,日本選手や日本の応援団の笑顔が印象的でした。
万葉時代の「笑む」はまさに笑顔を作る「微笑む」に近い状況を指していたのかもしれません。
相手に対して好意を持っていることを示すもっとも簡単な方法が「微笑む」であることは今もあまり変わらないと私は思います。
ただ,どの程度好意を持っているかは微笑みかけられた側の受け止め方で大きく異なります。
微笑んだ側と微笑まれた側の好意に対する認識の差が大きいと両者のコミュニケーションがなかなかうまくいかないことが出てきます。
その例として次の詠み人知らず短歌が万葉集にあります。

道の辺の草深百合の花笑みに笑みしがからに妻と言ふべしや(7-1257)
<みちのへのくさふかゆりの はなゑみにゑみしがからに つまといふべしや>
<<道の傍の草の繁みに咲く百合の花が微笑んでいるようにちょっと微笑みかけただけでもう夫婦の関係とはいえないでしょう?>>

儀礼的に微笑んだのを相手がプロポーズの意志と勘違いするが実際にあったのかもしれませんね。
ただ,相手に好意は持っているのだけれど,本当は相手をじらすためにこんな短歌を詠んだとも考えられそうです。特にこの短歌の作者が女性だった場合です。
でも,やはり微笑みかけられることは嫌なことではありません。
次の東歌がそれを物語っています。

己が命をおほにな思ひそ庭に立ち笑ますがからに駒に逢ふものを(14-3535)
<おのがををおほになおもひそ にはにたちゑますがからに こまにあふものを>
<<自分の命をいい加減に思わないでください。あなたが私の家の庭に立って微笑むだけで私は駿馬に出会った気持ちになります>>

これから旅(徴兵?)に出る恋人に向けて詠んだものなのでしょうか。無事に帰って笑顔で微笑んでほしいという気持ちが込められているように私には強く感じられます。
この短歌に出会って,昔「かぐや姫」というフォークグループが歌っていた「あの人の手紙」の歌詞(結局恋人は戦死して帰ってこなかった)を思い出しました。
「笑む」が幸せを表す言葉とすれば,「泣く」はまさにその反対の言葉でしょうか。
万葉集は泣きたくなるような悲しい気持ちを詠んだ和歌も数多く出てきます。

照る月を闇に見なして泣く涙衣濡らしつ干す人なしに(4-690)
<てるつきを やみにみなして なくなみだ ころもぬらしつ ほすひとなしに>
<<照る月が闇夜に見えるほど泣いた涙で衣を濡らしてしまった。干してくれる人がいないのに>>

この短歌は大伴三依が詠んだとされる悲別の歌です。「干してくれる人」は笑顔で逢ってくれる恋人を指しているのでしょう。
次に万葉集においてお互い計63首もやり取りをした中臣宅守(なかとみのやかもり)と狭野茅上娘子(さののちがみのをとめ)の恋歌の中から,宅守の短歌1首を紹介します。
宅守は許されない娘子と結婚することで今の福井県に流罪となってしまいます。
離れ離れになってしまう二人にとって,涙も枯れ果てるような本当に切ない気持ちを和歌に託して詠んだ63首は,万葉集を代表する悲恋の歌群なのです。

我妹子に逢坂山を越えて来て泣きつつ居れど逢ふよしもなし(15-3762)
<わぎもこにあふさかやまをこえてきて なきつつをれどあふよしもなし>
<<最愛の人に逢えるという逢坂山を超えて,逢える術がなく私は泣いてばかりいる>>

さて,私はここ1週間いろんなできごとがありました。ブログですから本当はその都度書きたいのですが,今時間がまとまってとれず,この後の投稿で少しずつ書いていきたいと思います。
その出来事の中でも,職場の後輩から「天の川」プレミアムやCrossのボールペン・シャープペンシルなどをプレゼントしてくれたのはもっともうれしかったできごとのひとつです。
特に「天の川」プレミアムは,このブログで「美味しかった」と書いたのを見てくれて,プレゼントのひとつに選んでくれたのです。
プレゼントを受けたときの私の「笑顔」はきっと最高のものだったのでしょう。
長く続けてきました「対語シリーズ」は今回で一旦終了とします。次回からしばらく夏休みスペシャルを続け,その後新たなシリーズをお送りします。
夏休みスペシャル「最近のできごと」に続く。

2012年6月23日土曜日

対語シリーズ「解くと結ふ」‥紐は解いて待つ?いや,解いてもらうため結んで待つ?


旧暦の七夕(今の8月立秋あたり)は妻問いにちょうど良い季節だったのでしょうか?
梅雨が明け晴れた日が多く,空気も澄んでくる。昼間はまだ暑いが,立秋も過ぎ夜になると少し風が涼しく感じられるようになる。うるさい蛙(かはづ)の声がおさまり,どこからともなくロマンチックな秋の虫の声が聞こえてくる。
今のように,高いビル,アスファルトの道,貧弱な街路樹などによるヒートアイランド現象が無かった万葉時代は,旧暦七夕の時期の夜になると男女が身を寄せ合うのにもっとも適した季節だったのではないかと私は想像します。
さて,妻問いで夫の来訪を待つ妻は下衣の紐を解いて待つか,夫に解いてもらうために紐は軽く結んでおくか?どちらが夫に喜んでもらえるか。それが大問題です。
まずは,万葉集に出てくる紐を解いて待つ派の女性(詠み人知らず)の短歌です。

天の川川門に立ちて我が恋ひし君来ますなり紐解き待たむ(10-2048)
<あまのがはかはとにたちて あがこひしきみきますなり ひもときまたむ>
<<天の川の渡し場に行っては,私が恋い慕っていたあなたがいらっしゃるらしい。衣の紐を解いてお待ちしよう>>

次は,七夕を詠ったものではありませんが,紐を夫に解いてもらう派の詠み人知らず(東歌)の短歌です。

昼解けば解けなへ紐の我が背なに相寄るとかも夜解けやすけ(14-3483)
<ひるとけばとけなへひもの わがせなにあひよるとかも よるとけやすけ>
<<昼間は解ことしても解けない紐が,あなたと寄添う夜は何と解けやすいこと>>

紐を解いたのは本人か夫か分かりませんが,少なくとも相寄るまでは紐は結んで待っていると想像できます。
ところで,男の方はどうでしょうか。牽牛星と織姫星の逢瀬を題材にお互いが衣の紐を解きあいたいと詠った次の詠み人知らずの短歌があります。

高麗錦紐解きかはし天人の妻問ふ宵ぞ我れも偲はむ(10-2090)
<こまにしきひもときかはし あめひとのつまどふよひぞ われもしのはむ>
<<高麗錦の紐を互いに解きあって彦星が妻問いをする今宵。私もそうして見よう>>

この3首から,共寝では男心としては着ているものを脱がせるプロセスが楽しみ(ワクワクする)。通常の女心は準備OKの印として着ているものを脱いでおきたい。ただし,そんな男心を知っている女性は相手に脱がせるため,わざと着ておく(紐を結んでおく),といったことが分かりますね。

天の川 「なんや。今も昔もちっとも変わらへんな。たびとはんは女性の背中のホックを外すが下手やったやんか。」

あのね,天の川君。頼むから誤解を招くようなことを言わないようにしてくれ。とんでもない天の川の奴に乱されましたがまとめます。
紐を解くの「解」は「解析学」「数値解析」の「解」です。
解析学や数値解析を研究している人には,もともと圧倒的に男性が多いとしたら,「紐を解く」を男性が好きだということとまさか関係があるなんてことはないですよね。
対語シリーズ「天と地」に続く。

2012年6月18日月曜日

対語シリーズ「淀(淵)と瀬」‥天の川には淀(淵)と瀬があったのか?


先日,大学で私が所属していた万葉集の研究会の顧問をして頂いた先生の古稀を祝うため,同じく顧問をされていた他のクラブや公開講座の卒業生・現役メンバー計100名以上が一堂に会しました。
私は集いの全体幹事を拝命し,昨年から企画を始め,その後の準備・当日の運営を中心的に進めました。
何とか盛会かつ無事に集いを完了することができ,今は正直ホッとしているところです。
先週は集いの準備で更新が滞りましたが,ブログアップを再開します。
今回は川の流れが緩やかな場所(淀)と深くなった場所(淵)に対し,反対に川が浅く流れが速い場所(瀬)について万葉集で詠まれいる和歌を見て行きましょう。
実は「淀」と「瀬」,「淵」と「瀬」の両方が詠まれている歌が万葉集にいくつも出てきます。
まず,「淀」と「瀬」の詠み人知らずの短歌から。

宇治川は淀瀬なからし網代人舟呼ばふ声をちこち聞こゆ(7-1135)
<うぢがははよどせなからし あじろひとふねよばふこゑ をちこちきこゆ>
<<宇治川には歩いて渡れる流れの緩やかな淀のような瀬がないらしい。網代をかけて漁を獲る人達の舟を呼ぶ声があちこちから聞こえる>>

琵琶湖から流れる大量の水が上流から押し寄せてくる宇治川は,急流で,魚を獲る網代を設置するのも大変だったのかも知れません。
網代の材料や設置する人を運ぶ舟の操作も急流のため難しく,流れる水音に負けないほど大きな声で作業者間で指示が飛んでいたのでしょうか。
もうひとつ「淀」と「瀬」が出てくる長歌を紹介します。作者は境部老麻呂(さかひべのおゆまろ)という役人で,天平13(741)年2月に恭仁(くに)京を賛美して作ったとされています。

山背の久迩の都は 春されば花咲きををり 秋されば黄葉にほひ 帯ばせる泉の川の 上つ瀬に打橋渡し 淀瀬には浮橋渡し あり通ひ仕へまつらむ 万代までに(17-3907)
<やましろのくにのみやこは はるさればはなさきををり あきさればもみちばにほひ おばせるいづみのかはの かみつせにうちはしわたし よどせにはうきはしわたし ありがよひつかへまつらむ よろづよまでに>
<<山背の久迩の都は,春になると花がいっぱい咲き,秋になると紅葉が美しく映えます。帯のような泉川の上流の瀬には打橋を渡し,流れ淀んだ瀬には浮橋を渡し,そこを通ってお仕えいたしましょう。いついつまでも>>

泉川は今の木津川のことだとされています。瀬は早瀬の意味と淀んだ瀬の意味があります。瀬と書くと前者,淀瀬と書くと後者の意味になります。
しかしながら,この3年後には恭仁京は無くなってしまいます。時の流れは早瀬に浮かぶ木の葉のようにあっという間に過ぎ去っていく奈良時代中期でした。
次は「淵」と「瀬」の両方が詠み込まれた大伴旅人が大宰府で詠んだとされる短歌です。やはり時の流れを川の淵と瀬に例えて詠んでいます。

我が行きは久にはあらじ夢のわだ瀬にはならずて淵にありこそ(3-335)
<わがゆきはひさにはあらじ いめのわだせにはならずて ふちにありこそ>
<<私の大宰府赴任もそう長くはないでしょう。夢の流れは瀬に(早い変化に)ならずに淵の(変化の少ない)ままであってほしいものだ>>

世の中の変化が急激だと先が読めなくなる。そうならないで欲しいというのが,大宰府にいる旅人の偽らざる気持ちだったのかも知れませんね。
次に,その旅人が奈良に帰任し,大納言になった後,亡くなるその年,自分生まれ故郷の明日香の地に想いを馳せて詠んだ短歌です。

しましくも行きて見てしか神なびの淵はあせにて瀬にかなるらむ(6-969)
<しましくもゆきてみてしか かむなびのふちはあせにて せにかなるらむ>
<<ほんの少しだけでも行って見てみたい。神奈備の川の淵は浅くなって瀬になっているのではないか>>

晩年の旅人は身体も弱り,生まれ故郷の明日香に行くことすらままならない状態だったのでしょう。
でも,神奈備山を見て幼い頃飛び込んで遊んだ川(飛鳥川)の淵はどうなっているか見てみたい。
きっと,上流からの土砂で浅くなり浅瀬になっていて,昔と変わってしまっているのだろうなと旅人は想像しているように私には感じられます。
みなさんにも幼いころ遊んだ場所が今どうなっているか気になるところはきっとあるのではないでしょうか。
さて,七夕も近付きつつありますが,夜空に輝く天の川は万葉集によると急流だったようです。
というのは「瀬」と「天の川」を詠んだ和歌はたくさん出てきますが,天の川で「淀」や「淵」を詠んだものはありません。
その中で,詠み人知らずの短歌一首を紹介します。

天の川瀬々に白波高けども直渡り来ぬ待たば苦しみ(10-2085)
<あまのがは せぜにしらなみたかけども ただわたりきぬまたばくるしみ>
<<天の川の瀬々の白波は高かったけれど,ただひたすら渡ってきたよ。待つのは辛いことだからね>>

万葉時代は七夕は,今でいえばバレンタインデーやクリスマスのような男女の出会いの場だったのでしょうか。天の川は早瀬で,渡るのは少し危ないけれど,それを押して逢いに来る彦星と待つ織姫。
ただ,残念ながら新暦7月7日は梅雨が明けていないことが多く,万葉時代の雰囲気は今は伝わりにくいのかも知れませんね。
ところで,いつもごろごろしている天の川君は早瀬という雰囲気はかけらもなし。まさに「淀んだ淵」だね。

天の川 「やかましいなあ。寝てばっかりはわしの甲斐性や。放っといてんか!」

対語シリーズ「解くと結ふ」に続く。

2012年3月31日土曜日

対語シリーズ「生と死」(2)‥恋に生き,恋に死す?

万葉時代の恋愛は「うきうきする」「心が躍る」「楽しい」「幸せ」という気持ちになるものではなく,「切ない」「苦しい」「ツライ」「悩ましい」ものだったようです。その結果,「恋のために死にそう」とか「いつまでこの恋の苦しさを耐えて生きていけるのか」などという表現が万葉集の和歌には多く出てきます。
その例を次に示します。

事もなく生き来しものを老いなみにかかる恋にも我れは逢へるかも(4-559)
<こともなくいきこしものを おいなみにかかるこひにも われはあへるかも>
<<これまで大事もなく生きてきたが,老いてこれほどツライ恋にも私は出会ってしまうとは>>

恋ひ死なむ後は何せむ生ける日のためこそ妹を見まく欲りすれ(4-560)
<こひしなむのちはなにせむ いけるひのためこそいもを みまくほりすれ>
<<これほどツライ恋で死んでしまったらどうしょう。今生きている日のためにこそ恋人の顔を見たいのに>>

この2首は,大伴氏のなかでも旅人や家持ほどは昇進しなかったけれども,最終的に正五位下(家持は従三位)までになった大伴百代(おほとものももよ)が,天平元(729)年頃に大宰府で詠んだものとされています。これを詠んだとき,百代は30歳~40歳位だろうと私は想像します。当時の平均寿命を考えると老いの域に達しょうとしているといってもおかしくなかったのだろうと私は受け入れます。そして,百代は大宰府の女性と許されない恋に陥り,逢いたいのだけれど思うように逢えない苦しさを感じる日々が続いたのでしょう。
さて,万葉集巻11~13の詠み人知らずの和歌にも生き死にを表現に使うほど苦しい恋の歌が多数載せられています。

いつまでに生かむ命ぞおほかたは恋ひつつあらずは死なましものを(12-2913)
<いつまでにいかむいのちぞ おほかたはこひつつあらずは しなましものを>
<<命には限りがある。こんなツライ恋であるなら死んだほうがましだよ>>

よしゑやし死なむよ我妹生けりともかくのみこそ我が恋ひわたりなめ(13-3298)
<よしゑやし しなむよわぎも いけりとも かくのみこそあが こひわたりなめ>
<<いっそ死んでしまおう。生きていたって,あなたをこんなに恋い焦がれ続けていくなら>>

<妻問い婚の面倒くささ>
当然ですが,実際に恋で本当に死んだわけではないと私は思います。その位苦しい恋だ,その位強く恋慕っているのだと伝えたいのでしょう。万葉時代の妻問い婚の慣習では,今の恋人同士のように頻繁逢えたり,逢った時に何時間もお話しができる状況はありませんでした。手紙や贈物を何回も送って,ようやく女性の親から許可が出て,寝床で逢うことができるのです(一緒に食事なんてとんでもないのです)。必死で自分の思いを伝えたい気持ちでこれを詠んでいるのです。実際には「死」や「もう生きられない」という表現を使いたくなるのも私には理解できますね。
<「死」という言葉を簡単に使う現代>
今でも「必死で頑張る」という言葉もよく使いますが,使った人はほとんど100%はその後も生きています。「ゴールを死守する」という言葉も遣いますが,やはり同じです。「死」という言葉を使うのも「生きている」状態があっての話です。そして,今「生きている」ことの真剣さ,誠実さを伝えたいために「死」という言葉を使うのです。
どんなに苦しい,悲しい,ツライ,悩ましい,生きている意味を感じないと思っても,言葉だけにして,実際に「死」を選んではいけないのです。「死」という漢字たくさん使ってもよいから,そういう苦しい気持ちを詩歌,エッセイとして書いたり,友達,友人,先輩にお話して,みんなに伝えることが実は「生きる」ことの証しだと私は思います。
万葉歌人たちも,「死」という言葉を和歌に使って表現し,歌人自身は生き続けたのです。
今生きてる人達は,中島みゆき作詞作曲「誕生」の歌詞にあるように生まれた時最初に親や親戚・知人から"Welcome"と言われて生まれてきたはずです。自分の勝手な判断で「自分は生きている価値が無い」と決めつけることがもしあるとしたら,それはあってはならないことだと私は思います。"生まれてくれてWelcome!"と思っている人がたくさんいるのですから。
200号直前特集(今までの振り返り)に続く。

2012年3月25日日曜日

対語シリーズ「生と死」(1)‥生死は繰り返す?

いまさら書くのも変ですが,ヒトは生きている状態の終了により死という状態を迎えます。一般的にヒトは死の状態に至るのを可能な限り遅らせようとして生きています(いずれは死を迎えることになりますが)。
ヒトが死に至るのを遅らせようとする(長く生きようとする)その大きな要因のひとつには,死後の状態がどんなものか分からないという恐怖心があるのかもしれません。
死に対する恐怖心はヒトの本能であり,万葉時代でも当然あったはずです。今回は万葉集で詠まれている生死観を見て行くことにしましょう。
まず,大伴旅人の有名な短歌からです。

生ける者遂にも死ぬるものにあればこの世なる間は楽しくをあらな(3-349)
<いけるもの つひにもしぬるものにあれば このよなるまはたのしくをあらな>
<<我々生物はいずれ死ぬのだから生きている間は楽しく生きたいものだよね>>

解説は特に要らないでしょう。さて,次は竹取翁(万葉集に出てくる竹取の翁)が詠んだとされる短歌(長歌の反歌)です。

死なばこそ相見ずあらめ生きてあらば白髪子らに生ひずあらめやも(16-3792)
<しなばこそあひみずあらめ いきてあらばしろかみこらに おひずあらめやも>
<<死んでしまえば相見ることも無い。しかし,生きていれば自分の白髪や生きている子供にきっと一緒にいられるのだよ>>

これは,若い娘たちに老人を大切にするよう諭したものと私は解釈します。
若いときはとかく年寄りを大切にしない時期があるけれど,長く生きていることはそれだけで意味があることを伝えようとしているのだろうと思います。
次は仏教に出てくる「生死」というキーワードを取り扱った詠み人知らずの短歌です。

生き死にの二つの海を厭はしみ潮干の山を偲ひつるかも(16-3849)
<いきしにのふたつのうみを いとはしみしほひのやまを しのひつるかも>
<<煩悩を遠ざけ仏の世界に思いをはせる>>

「生き死にの二つの海」とは,仏教用語の「生死(しやうじ)」のことで,人間に繰り返しやってくる苦悩を意味します。「煩悩(ぼんなう)」とも言います。
「潮干の山」とは潮の干満のように満ちてきては引いていく人間の煩悩から影響を受けないほど高い山のことで,煩悩から解放された仏の世界である仏界(ぶっかい)を意味します。
奈良時代では仏教の影響を受けるようになり,「死」は本当の生命体の死を意味するのではなく,「死ぬほど好き」「死ぬほど可愛い」「死ぬほど苦しい」といった,生きている間の感情の頂点を指すようになって行ったのかも知れません。
次回はそんな「死ぬほど恋しい」「恋の苦しさで死にそう」といった恋にまつわる「生と死」をみていきましょう。
対語シリーズ「生と死」(2)に続く。

2012年3月20日火曜日

対語シリーズ「多と少」‥少ない資源を大切に活かせば,多くの豊かさがやってくる?

少し投稿が滞りましたが,今回は万葉集での「多」と「少」の扱いを見て行きましょう。
万葉集で形容詞の「多し」は「おほし」と「まねし」という発音に当てられ,名詞の「多」という漢字は「さは」という発音に当てられます。
また,形容詞の「少し」は「すこし」と「すくなし」の二通りの発音に当てられます。
まず,人目(他人の目)が多いことに対して「恋路の邪魔」と嫌っている詠み人知らずの短歌2首を紹介します。

潮満てば入りぬる礒の草なれや見らく少く恋ふらくの多き(7-1394)
<しほみてば いりぬるいその くさなれや みらくすくなく こふらくのおほき>
<<満潮となれば海に隠れる磯辺の海草のようにあなたと逢う機会が少なくなり恋しい気持ちばかりが多くなる>>

人目多み目こそ忍ぶれすくなくも心のうちに我が思はなくに(12-2911)
<ひとめおほみめこそしのぶれ すくなくもこころのうちに わがおもはなくに>
<<人目が多いので目に付かぬように忍んでいますが,少なくとも心の中では私は恋慕っております>>

次は,人目のないところで二人だけで逢いたいと詠い続け「少」が3回も出てくる詠み人知らずの長歌(というより歌謡に近い?)を紹介します。

琴酒を 押垂小野ゆ 出づる水 ぬるくは出でず 寒水の 心もけやに 思ほゆる 音の少なき 道に逢はぬかも 少なきよ 道に逢はさば 色げせる 菅笠小笠 我がうなげる 玉の七つ緒 取り替へも 申さむものを 少なき道に 逢はぬかも(16-3875)
<ことさけをおしたれをのゆ いづるみづぬるくはいでず さむみづのこころもけやに おもほゆるおとのすくなき みちにあはぬかも すくなきよみちにあはさば いろげせるすげかさをがさ わがうなげるたまのななつを とりかへもまをさむものを すくなきみちにあはぬかも>
<<琴酒を垂らすような野原から流れ出る水は生暖かくなく,その冷たさで心も爽やかになりますね。思うに,あなたとは人の気配が少ない道で逢いたいのです。人通りが少ない道で逢いたいのです。お似合いのあなたのスゲの小笠と,私が首に掛ける玉を飾った7本の緒の首飾りを交換したいと言わせてください。人通りが少ない道で逢いたいのです>>

次は「多」が出てくるもので,大伴家持が世の中の無常を詠んだ次の短歌があります。

うつせみの常なき見れば世の中に心つけずて思ふ日ぞ多き(19-4162)
<うつせみのつねなきみれば よのなかにこころつけずて おもふひぞおほき>
<<現世の無常を見るにつけ,世の中のできごとに対する心をしっかり持つことができず,ただ物思いにふけるだけの日が多いなあ>>

越中赴任中,京の情勢の急変を伝える知らせを頻繁に聞くたび,家持は世の無常を感じ,今後どう対応すればよいのか,どんな生きざまをしていけば良いか,悶々とする日々が多くなっていった時期があったのだろうと私は想像します。
<財の多さと少なさ>
さて,今の私たちは多くのモノ(財)を所有することに興味を持ちます。より多くの財を所有できたとき,やはり幸福感を得る人も多いと思います。その逆に,たとえば昨年3月の震災で多くの財を失った方々は,幸福感をやはり感じることは少ないのだろうと思います。
私が大学で経済学を学ぶなかで,「経済史」という科目を教えて下さった先生が「今,中華人民共和国で文化大革命と呼ばれる思想統制が起こっている。国民はたとえば人民服という画一的な服装の着用を強いられている。しかし,いずれはその国の人々もきらびやかでコンテンポラリーなファッションに血眼になるのです。」と言われた言葉を鮮烈に覚えています。
一緒に授業を受けていた学生の多くが当時人民服だけを着た国民の姿を連日テレビで見ていたので「そんなことは絶対あり得ないよ。四人組(江青をはじめとする文化大革命を推進した4人)が失脚してもあの国でそんなことは起こらない!」と感じていたようです。
<人間は結局物質的な豊かさを最初に求める>
でも私は,「経済哲学」という別科目で「『豊かになり幸福感を味わいたい』という人間の欲求は不変である」と学んでいました。「毛沢東思想を美化し,全国民にその思想を徹底させようとしても,人間である以上,より豊かになりたいという気持ちが消えることはない」と私は感じ「経済史」の先生の言葉を素直に受け入れることができました。
そして,今の中国を見てください。その先生の予想通り,そう遠くない時期に上海などが世界の最新ファッションの発信基地になる勢いです。12億人以上の多くの人々が本気で物質的な豊かさを得ようとした時のパワーは,計り知れないものがあります。
<日本は大国主義なってはいけない?>
いっぽう,資源や人口の少ない日本が豊かになるためには大国と真正面から競争するのではなく,日本しかできないニッチな部分(少ない資源でより高い付加価値を持つ製品やサービス)をより多く見つけ,それを全世界が必要と感じるようにしていくしかないと私は考えます。

数日前,私は新潟県村上市を観光で訪れました。写真は塩引き鮭(サケ)という数百年続く村上特産の保存食を作っている(味匠喜っ川さんの)建物の中です。
鮭が内臓を抜かれ,腹を開いた形で室内や軒先にたくさん干されていますが,その多さに驚きました。
一見,残酷のようにも見えますが,鮭が昨年と同程度に遡上してくることを確認しつつ,鮭の産卵を助け,獲る量はコントロールされ,乱獲はされません(だから数百年続いているのです)。
産卵を終えた鮭はすぐに死に,川に漂い,腐敗してしまいますが,人間がその前に自然の恵みとして頂き,冬雪に閉ざされる人々に栄養を与えてきたのです。日本海側での暮らし豊かさを別の街でまた知った思いです。
対語シリーズ「生と死」に続く。