いまさら書くのも変ですが,ヒトは生きている状態の終了により死という状態を迎えます。一般的にヒトは死の状態に至るのを可能な限り遅らせようとして生きています(いずれは死を迎えることになりますが)。
ヒトが死に至るのを遅らせようとする(長く生きようとする)その大きな要因のひとつには,死後の状態がどんなものか分からないという恐怖心があるのかもしれません。
死に対する恐怖心はヒトの本能であり,万葉時代でも当然あったはずです。今回は万葉集で詠まれている生死観を見て行くことにしましょう。
まず,大伴旅人の有名な短歌からです。
生ける者遂にも死ぬるものにあればこの世なる間は楽しくをあらな(3-349)
<いけるもの つひにもしぬるものにあれば このよなるまはたのしくをあらな>
<<我々生物はいずれ死ぬのだから生きている間は楽しく生きたいものだよね>>
解説は特に要らないでしょう。さて,次は竹取翁(万葉集に出てくる竹取の翁)が詠んだとされる短歌(長歌の反歌)です。
死なばこそ相見ずあらめ生きてあらば白髪子らに生ひずあらめやも(16-3792)
<しなばこそあひみずあらめ いきてあらばしろかみこらに おひずあらめやも>
<<死んでしまえば相見ることも無い。しかし,生きていれば自分の白髪や生きている子供にきっと一緒にいられるのだよ>>
これは,若い娘たちに老人を大切にするよう諭したものと私は解釈します。
若いときはとかく年寄りを大切にしない時期があるけれど,長く生きていることはそれだけで意味があることを伝えようとしているのだろうと思います。
次は仏教に出てくる「生死」というキーワードを取り扱った詠み人知らずの短歌です。
生き死にの二つの海を厭はしみ潮干の山を偲ひつるかも(16-3849)
<いきしにのふたつのうみを いとはしみしほひのやまを しのひつるかも>
<<煩悩を遠ざけ仏の世界に思いをはせる>>
「生き死にの二つの海」とは,仏教用語の「生死(しやうじ)」のことで,人間に繰り返しやってくる苦悩を意味します。「煩悩(ぼんなう)」とも言います。
「潮干の山」とは潮の干満のように満ちてきては引いていく人間の煩悩から影響を受けないほど高い山のことで,煩悩から解放された仏の世界である仏界(ぶっかい)を意味します。
奈良時代では仏教の影響を受けるようになり,「死」は本当の生命体の死を意味するのではなく,「死ぬほど好き」「死ぬほど可愛い」「死ぬほど苦しい」といった,生きている間の感情の頂点を指すようになって行ったのかも知れません。
次回はそんな「死ぬほど恋しい」「恋の苦しさで死にそう」といった恋にまつわる「生と死」をみていきましょう。
対語シリーズ「生と死」(2)に続く。
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