2012年3月20日火曜日

対語シリーズ「多と少」‥少ない資源を大切に活かせば,多くの豊かさがやってくる?

少し投稿が滞りましたが,今回は万葉集での「多」と「少」の扱いを見て行きましょう。
万葉集で形容詞の「多し」は「おほし」と「まねし」という発音に当てられ,名詞の「多」という漢字は「さは」という発音に当てられます。
また,形容詞の「少し」は「すこし」と「すくなし」の二通りの発音に当てられます。
まず,人目(他人の目)が多いことに対して「恋路の邪魔」と嫌っている詠み人知らずの短歌2首を紹介します。

潮満てば入りぬる礒の草なれや見らく少く恋ふらくの多き(7-1394)
しほみてば いりぬるいその くさなれや みらくすくなく こふらくのおほき
<<満潮となれば海に隠れる磯辺の海草のようにあなたと逢う機会が少なくなり恋しい気持ちばかりが多くなる>>

人目多み目こそ忍ぶれすくなくも心のうちに我が思はなくに(12-2911)
ひとめおほみめこそしのぶれ すくなくもこころのうちに わがおもはなくに
<<人目が多いので目に付かぬように忍んでいますが,少なくとも心の中では私は恋慕っております>>

次は,人目のないところで二人だけで逢いたいと詠い続け「少」が3回も出てくる詠み人知らずの長歌(というより歌謡に近い?)を紹介します。

琴酒を 押垂小野ゆ 出づる水 ぬるくは出でず 寒水の 心もけやに 思ほゆる 音の少なき 道に逢はぬかも 少なきよ 道に逢はさば 色げせる 菅笠小笠 我がうなげる 玉の七つ緒 取り替へも 申さむものを 少なき道に 逢はぬかも(16-3875)
<ことさけをおしたれをのゆ いづるみづぬるくはいでず さむみづのこころもけやに おもほゆるおとのすくなき みちにあはぬかも すくなきよみちにあはさば いろげせるすげかさをがさ わがうなげるたまのななつを とりかへもまをさむものを すくなきみちにあはぬかも
<<琴酒を垂らすような野原から流れ出る水は生暖かくなく,その冷たさで心も爽やかになりますね。思うに,あなたとは人の気配が少ない道で逢いたいのです。人通りが少ない道で逢いたいのです。お似合いのあなたのスゲの小笠と,私が首に掛ける玉を飾った7本の緒の首飾りを交換したいと言わせてください。人通りが少ない道で逢いたいのです>>

次は「多」が出てくるもので,大伴家持が世の中の無常を詠んだ次の短歌があります。

うつせみの常なき見れば世の中に心つけずて思ふ日ぞ多き(19-4162)
うつせみのつねなきみれば よのなかにこころつけずて おもふひぞおほき
<<現世の無常を見るにつけ,世の中のできごとに対する心をしっかり持つことができず,ただ物思いにふけるだけの日が多いなあ>>

越中赴任中,の情勢の急変を伝える知らせを頻繁に聞くたび,家持は世の無常を感じ,今後どう対応すればよいのか,どんな生きざまをしていけば良いか,悶々とする日々が多くなっていった時期があったのだろうと私は想像します。
<財の多さと少なさ>
さて,今の私たちは多くのモノ(財)を所有することに興味を持ちます。より多くの財を所有できたとき,やはり幸福感を得る人も多いと思います。その逆に,たとえば昨年3月の震災で多くの財を失った方々は,幸福感をやはり感じることは少ないのだろうと思います。
私が大学で経済学を学ぶなかで,「経済史」という科目を教えて下さった先生が「今,中華人民共和国で文化大革命と呼ばれる思想統制が起こっている。国民はたとえば人民服という画一的な服装の着用を強いられている。しかし,いずれはその国の人々もきらびやかでコンテンポラリーなファッションに血眼になるのです。」と言われた言葉を鮮烈に覚えています。
一緒に授業を受けていた学生の多くが当時人民服だけを着た国民の姿を連日テレビで見ていたので「そんなことは絶対あり得ないよ。四人組(江青をはじめとする文化大革命を推進した4人)が失脚してもあの国でそんなことは起こらない!」と感じていたようです。
<人間は結局物質的な豊かさを最初に求める>
でも私は,「経済哲学」という別科目で「『豊かになり幸福感を味わいたい』という人間の欲求は不変である」と学んでいました。「毛沢東思想を美化し,全国民にその思想を徹底させようとしても,人間である以上,より豊かになりたいという気持ちが消えることはない」と私は感じ「経済史」の先生の言葉を素直に受け入れることができました。
そして,今の中国を見てください。その先生の予想通り,そう遠くない時期に上海などが世界の最新ファッションの発信基地になる勢いです。12億人以上の多くの人々が本気で物質的な豊かさを得ようとした時のパワーは,計り知れないものがあります。
<日本は大国主義なってはいけない?>
いっぽう,資源や人口の少ない日本が豊かになるためには大国と真正面から競争するのではなく,日本しかできないニッチな部分(少ない資源でより高い付加価値を持つ製品やサービス)をより多く見つけ,それを全世界が必要と感じるようにしていくしかないと私は考えます。

数日前,私は新潟県村上市を観光で訪れました。写真は塩引き鮭(サケ)という数百年続く村上特産の保存食を作っている(味匠喜っ川さんの)建物の中です。
鮭が内臓を抜かれ,腹を開いた形で室内や軒先にたくさん干されていますが,その多さに驚きました。
一見,残酷のようにも見えますが,鮭が昨年と同程度に遡上してくることを確認しつつ,鮭の産卵を助け,獲る量はコントロールされ,乱獲はされません(だから数百年続いているのです)。
産卵を終えた鮭はすぐに死に,川に漂い,腐敗してしまいますが,人間がその前に自然の恵みとして頂き,冬雪に閉ざされる人々に栄養を与えてきたのです。日本海側での暮らし豊かさを別の街でまた知った思いです。
対語シリーズ「生と死」に続く。

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