万葉時代の恋愛は「うきうきする」「心が躍る」「楽しい」「幸せ」という気持ちになるものではなく,「切ない」「苦しい」「ツライ」「悩ましい」ものだったようです。その結果,「恋のために死にそう」とか「いつまでこの恋の苦しさを耐えて生きていけるのか」などという表現が万葉集の和歌には多く出てきます。
その例を次に示します。
事もなく生き来しものを老いなみにかかる恋にも我れは逢へるかも(4-559)
<こともなくいきこしものを おいなみにかかるこひにも われはあへるかも>
<<これまで大事もなく生きてきたが,老いてこれほどツライ恋にも私は出会ってしまうとは>>
恋ひ死なむ後は何せむ生ける日のためこそ妹を見まく欲りすれ(4-560)
<こひしなむのちはなにせむ いけるひのためこそいもを みまくほりすれ>
<<これほどツライ恋で死んでしまったらどうしょう。今生きている日のためにこそ恋人の顔を見たいのに>>
この2首は,大伴氏のなかでも旅人や家持ほどは昇進しなかったけれども,最終的に正五位下(家持は従三位)までになった大伴百代(おほとものももよ)が,天平元(729)年頃に大宰府で詠んだものとされています。これを詠んだとき,百代は30歳~40歳位だろうと私は想像します。当時の平均寿命を考えると老いの域に達しょうとしているといってもおかしくなかったのだろうと私は受け入れます。そして,百代は大宰府の女性と許されない恋に陥り,逢いたいのだけれど思うように逢えない苦しさを感じる日々が続いたのでしょう。
さて,万葉集巻11~13の詠み人知らずの和歌にも生き死にを表現に使うほど苦しい恋の歌が多数載せられています。
いつまでに生かむ命ぞおほかたは恋ひつつあらずは死なましものを(12-2913)
<いつまでにいかむいのちぞ おほかたはこひつつあらずは しなましものを>
<<命には限りがある。こんなツライ恋であるなら死んだほうがましだよ>>
よしゑやし死なむよ我妹生けりともかくのみこそ我が恋ひわたりなめ(13-3298)
<よしゑやし しなむよわぎも いけりとも かくのみこそあが こひわたりなめ>
<<いっそ死んでしまおう。生きていたって,あなたをこんなに恋い焦がれ続けていくなら>>
<妻問い婚の面倒くささ>
当然ですが,実際に恋で本当に死んだわけではないと私は思います。その位苦しい恋だ,その位強く恋慕っているのだと伝えたいのでしょう。万葉時代の妻問い婚の慣習では,今の恋人同士のように頻繁逢えたり,逢った時に何時間もお話しができる状況はありませんでした。手紙や贈物を何回も送って,ようやく女性の親から許可が出て,寝床で逢うことができるのです(一緒に食事なんてとんでもないのです)。必死で自分の思いを伝えたい気持ちでこれを詠んでいるのです。実際には「死」や「もう生きられない」という表現を使いたくなるのも私には理解できますね。
<「死」という言葉を簡単に使う現代>
今でも「必死で頑張る」という言葉もよく使いますが,使った人はほとんど100%はその後も生きています。「ゴールを死守する」という言葉も遣いますが,やはり同じです。「死」という言葉を使うのも「生きている」状態があっての話です。そして,今「生きている」ことの真剣さ,誠実さを伝えたいために「死」という言葉を使うのです。
どんなに苦しい,悲しい,ツライ,悩ましい,生きている意味を感じないと思っても,言葉だけにして,実際に「死」を選んではいけないのです。「死」という漢字たくさん使ってもよいから,そういう苦しい気持ちを詩歌,エッセイとして書いたり,友達,友人,先輩にお話して,みんなに伝えることが実は「生きる」ことの証しだと私は思います。
万葉歌人たちも,「死」という言葉を和歌に使って表現し,歌人自身は生き続けたのです。
今生きてる人達は,中島みゆき作詞作曲「誕生」の歌詞にあるように生まれた時最初に親や親戚・知人から"Welcome"と言われて生まれてきたはずです。自分の勝手な判断で「自分は生きている価値が無い」と決めつけることがもしあるとしたら,それはあってはならないことだと私は思います。"生まれてくれてWelcome!"と思っている人がたくさんいるのですから。
200号直前特集(今までの振り返り)に続く。
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