2012年8月4日土曜日

対語シリーズ「笑むと泣く」‥対語シリーズを最終回


今朝未明,なでしこジャパンがロンドンオリンピック決勝トーナメントの準々決勝でブラジルに2対0で勝利し,日本選手や日本の応援団の笑顔が印象的でした。
万葉時代の「笑む」はまさに笑顔を作る「微笑む」に近い状況を指していたのかもしれません。
相手に対して好意を持っていることを示すもっとも簡単な方法が「微笑む」であることは今もあまり変わらないと私は思います。
ただ,どの程度好意を持っているかは微笑みかけられた側の受け止め方で大きく異なります。
微笑んだ側と微笑まれた側の好意に対する認識の差が大きいと両者のコミュニケーションがなかなかうまくいかないことが出てきます。
その例として次の詠み人知らず短歌が万葉集にあります。

道の辺の草深百合の花笑みに笑みしがからに妻と言ふべしや(7-1257)
みちのへのくさふかゆりの はなゑみにゑみしがからに つまといふべしや
<<道の傍の草の繁みに咲く百合の花が微笑んでいるようにちょっと微笑みかけただけでもう夫婦の関係とはいえないでしょう?>>

儀礼的に微笑んだのを相手がプロポーズの意志と勘違いするが実際にあったのかもしれませんね。
ただ,相手に好意は持っているのだけれど,本当は相手をじらすためにこんな短歌を詠んだとも考えられそうです。特にこの短歌の作者が女性だった場合です。
でも,やはり微笑みかけられることは嫌なことではありません。
次の東歌がそれを物語っています。

己が命をおほにな思ひそ庭に立ち笑ますがからに駒に逢ふものを(14-3535)
おのがををおほになおもひそ にはにたちゑますがからに こまにあふものを
<<自分の命をいい加減に思わないでください。あなたが私の家の庭に立って微笑むだけで私は駿馬に出会った気持ちになります>>

これから旅(徴兵?)に出る恋人に向けて詠んだものなのでしょうか。無事に帰って笑顔で微笑んでほしいという気持ちが込められているように私には強く感じられます。
この短歌に出会って,昔「かぐや姫」というフォークグループが歌っていた「あの人の手紙」の歌詞(結局恋人は戦死して帰ってこなかった)を思い出しました。
「笑む」が幸せを表す言葉とすれば,「泣く」はまさにその反対の言葉でしょうか。
万葉集は泣きたくなるような悲しい気持ちを詠んだ和歌も数多く出てきます。

照る月を闇に見なして泣く涙衣濡らしつ干す人なしに(4-690)
てるつきを やみにみなして なくなみだ ころもぬらしつ ほすひとなしに
<<照る月が闇夜に見えるほど泣いた涙で衣を濡らしてしまった。干してくれる人がいないのに>>

この短歌は大伴三依が詠んだとされる悲別の歌です。「干してくれる人」は笑顔で逢ってくれる恋人を指しているのでしょう。
次に万葉集においてお互い計63首もやり取りをした中臣宅守(なかとみのやかもり)と狭野茅上娘子(さののちがみのをとめ)の恋歌の中から,宅守の短歌1首を紹介します。
宅守は許されない娘子と結婚することで今の福井県に流罪となってしまいます。
離れ離れになってしまう二人にとって,涙も枯れ果てるような本当に切ない気持ちを和歌に託して詠んだ63首は,万葉集を代表する悲恋の歌群なのです。

我妹子に逢坂山を越えて来て泣きつつ居れど逢ふよしもなし(15-3762)
わぎもこにあふさかやまをこえてきて なきつつをれどあふよしもなし
<<最愛の人に逢えるという逢坂山を超えて,逢える術がなく私は泣いてばかりいる>>

さて,私はここ1週間いろんなできごとがありました。ブログですから本当はその都度書きたいのですが,今時間がまとまってとれず,この後の投稿で少しずつ書いていきたいと思います。
その出来事の中でも,職場の後輩から「天の川」プレミアムやCrossのボールペン・シャープペンシルなどをプレゼントしてくれたのはもっともうれしかったできごとのひとつです。
特に「天の川」プレミアムは,このブログで「美味しかった」と書いたのを見てくれて,プレゼントのひとつに選んでくれたのです。
プレゼントを受けたときの私の「笑顔」はきっと最高のものだったのでしょう。
長く続けてきました「対語シリーズ」は今回で一旦終了とします。次回からしばらく夏休みスペシャルを続け,その後新たなシリーズをお送りします。
夏休みスペシャル「最近のできごと」に続く。

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