<飲み会連チャン>
7月から8月の前半,私はいろいろな人と飲んだり,カラオケで歌ったりする機会がいつもより多くありました。
今一緒に仕事をしている仲間(といっても私より15~30歳位若い人達),以前仕事で一緒に苦労した別部門の人,お客様や取引先の社員,定年退職した以前の上司,15年ほど前にインド・シンガポール・韓国を訪問する視察団で一緒だった人,大学時代のクラブ顧問の先生,同期生,後輩など,ほぼそれぞれ別の日に飲んだのですから,回数が多いのは想像に難くないでしょう。
そういった親しい仲間,知人と飲むのは私にとって本当に楽しいことなのです。
今一緒にやっていることに対する気持ちの共有,過去の思い出を語たり合って懐かしむ,これからの予定や生き方を示し合って連携を模索,知らないことを教え合うなど,これら飲み会で私が今後も生きていくことへのモチベーションを高めてくれる情報がいっぱい入ってきました。
「そういったことはシラフでもできるはずだ!」いう人もいるかもしれません。でも私はそうは思いません。
万葉時代から,さまざまな人との宴(うたげ)で,人々が打ち解け合うことの大切さを知っていました。それが,万葉集に出てくる次の短歌で分かりそうです。
夜光る玉といふとも酒飲みて心を遣るにあにしかめやも(3-346)
<よるひかるたまといふとも さけのみてこころをやるに あにしかめやも>
<<たとえ夜でも光るという高価な玉よりも酒を飲んで心をリラックスさせる価値の方が高い>>
これは大伴旅人が詠んだ讃酒歌の1首です。
さて,宴はウチアゲの転ということが広辞苑などに載っていますが,ウタイアゲ(詠い上げ)の転というのはどうでしょうか。
万葉時代では宴の席で和歌を詠うのが定番だったように私は想像します。庶民の豊作祈願や収穫を祝う宴でも和歌の前進の歌謡を詠って場を盛り上げていたのでしょう。
万葉集にも和歌ではなく,次のような詠み人知らずの民謡や歌謡に近い歌が出てきます。
はしたての熊来のやらに 新羅斧落し入れ わし かけてかけてな泣かしそね 浮き出づるやと見む わし(16-3878)
<はしたてのくまきのやらに しらきをのおとしいれ わし かけてかけてななかしそね うきいづるやとみむ わし>
<<熊来の海の底に新羅製の斧を落としてしまったのか~ ワッショイ。声を出し出しそんなに泣くなよな~ 浮いてくるかもしれん,見ててあげるからよ~ ワッショイ>>
諸説が考えられますが,ひと儲けしようと新羅から高級品の斧を輸入しようとしたが,熊来という場所(能登の国)の近くで難破して海の底に落としてしまった商人を揶揄して詠ったのだろうと思います。
<現代のウタイアゲはカラオケボックス>
今の世の中でも,会社で出世できない連中が集まり,自分達より先に出世した社員の失敗を変え歌まじりに唄うことがあるのではないでしょうか。ワッショイ。
ところで,今回の飲み会の中でも,歌の好きな連中(私もその一人)が多いと二次会はカラオケボックスへ行くことになります(居酒屋で唄うと他のお客さんの迷惑になりますからね)。カラオケボックスでは,どんなに大きな声を出してもOKで,思い切り唄えます。
私は新しい歌は分かりませんから,往年のフォークソングを中心に唄うしかありません。それもメジャーでない曲が多く,若い人達からは「知らない曲ばかり」と言われます。もちろん,私はお構いなしで唄っています。
ただ,一緒に聞いている人がいる以上,昔の曲であっても今の若い人にも通じるメッセージ性の高いものを選んで唄っているのは事実です。
それとは別に,大きな声で唄うことはストレス発散には良いことだというのは間違いないでしょう。
夏休みスペシャル「最近のできごと」オリンピック競技を見て に続く。
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