2012年6月18日月曜日

対語シリーズ「淀(淵)と瀬」‥天の川には淀(淵)と瀬があったのか?


先日,大学で私が所属していた万葉集の研究会の顧問をして頂いた先生の古稀を祝うため,同じく顧問をされていた他のクラブや公開講座の卒業生・現役メンバー計100名以上が一堂に会しました。
私は集いの全体幹事を拝命し,昨年から企画を始め,その後の準備・当日の運営を中心的に進めました。
何とか盛会かつ無事に集いを完了することができ,今は正直ホッとしているところです。
先週は集いの準備で更新が滞りましたが,ブログアップを再開します。
今回は川の流れが緩やかな場所(淀)と深くなった場所(淵)に対し,反対に川が浅く流れが速い場所(瀬)について万葉集で詠まれいる和歌を見て行きましょう。
実は「淀」と「瀬」,「淵」と「瀬」の両方が詠まれている歌が万葉集にいくつも出てきます。
まず,「淀」と「瀬」の詠み人知らずの短歌から。

宇治川は淀瀬なからし網代人舟呼ばふ声をちこち聞こゆ(7-1135)
うぢがははよどせなからし あじろひとふねよばふこゑ をちこちきこゆ
<<宇治川には歩いて渡れる流れの緩やかな淀のような瀬がないらしい。網代をかけて漁を獲る人達の舟を呼ぶ声があちこちから聞こえる>>

琵琶湖から流れる大量の水が上流から押し寄せてくる宇治川,急流で,魚を獲る網代を設置するのも大変だったのかも知れません。
網代の材料や設置する人を運ぶ舟の操作も急流のため難しく,流れる水音に負けないほど大きな声で作業者間で指示が飛んでいたのでしょうか。
もうひとつ「淀」と「瀬」が出てくる長歌を紹介します。作者は境部老麻呂(さかひべのおゆまろ)という役人で,天平13(741)年2月に恭仁(くに)京を賛美して作ったとされています。

山背の久迩の都は 春されば花咲きををり 秋されば黄葉にほひ 帯ばせる泉の川の 上つ瀬に打橋渡し 淀瀬には浮橋渡し あり通ひ仕へまつらむ 万代までに(17-3907)
やましろのくにのみやこは はるさればはなさきををり あきさればもみちばにほひ おばせるいづみのかはの かみつせにうちはしわたし よどせにはうきはしわたし ありがよひつかへまつらむ よろづよまでに
<<山背の久迩の都は,春になると花がいっぱい咲き,秋になると紅葉が美しく映えます。帯のような泉川の上流の瀬には打橋を渡し,流れ淀んだ瀬には浮橋を渡し,そこを通ってお仕えいたしましょう。いついつまでも>>

泉川は今の木津川のことだとされています。瀬は早瀬の意味と淀んだ瀬の意味があります。瀬と書くと前者,淀瀬と書くと後者の意味になります。
しかしながら,この3年後には恭仁京は無くなってしまいます。時の流れは早瀬に浮かぶ木の葉のようにあっという間に過ぎ去っていく奈良時代中期でした。
次は「淵」と「瀬」の両方が詠み込まれた大伴旅人が大宰府で詠んだとされる短歌です。やはり時の流れを川の淵と瀬に例えて詠んでいます。

我が行きは久にはあらじ夢のわだ瀬にはならずて淵にありこそ(3-335)
わがゆきはひさにはあらじ いめのわだせにはならずて ふちにありこそ
<<私の大宰府赴任もそう長くはないでしょう。夢の流れは瀬に(早い変化に)ならずに淵の(変化の少ない)ままであってほしいものだ>>

世の中の変化が急激だと先が読めなくなる。そうならないで欲しいというのが,大宰府にいる旅人の偽らざる気持ちだったのかも知れませんね。
次に,その旅人が奈良に帰任し,大納言になった後,亡くなるその年,自分生まれ故郷の明日香の地に想いを馳せて詠んだ短歌です。

しましくも行きて見てしか神なびの淵はあせにて瀬にかなるらむ(6-969)
しましくもゆきてみてしか かむなびのふちはあせにて せにかなるらむ
<<ほんの少しだけでも行って見てみたい。神奈備の川の淵は浅くなって瀬になっているのではないか>>

晩年の旅人は身体も弱り,生まれ故郷の明日香に行くことすらままならない状態だったのでしょう。
でも,神奈備山を見て幼い頃飛び込んで遊んだ川(飛鳥川)の淵はどうなっているか見てみたい。
きっと,上流からの土砂で浅くなり浅瀬になっていて,昔と変わってしまっているのだろうなと旅人は想像しているように私には感じられます。
みなさんにも幼いころ遊んだ場所が今どうなっているか気になるところはきっとあるのではないでしょうか。
さて,七夕も近付きつつありますが,夜空に輝く天の川は万葉集によると急流だったようです。
というのは「瀬」と「天の川」を詠んだ和歌はたくさん出てきますが,天の川で「淀」や「淵」を詠んだものはありません。
その中で,詠み人知らずの短歌一首を紹介します。

天の川瀬々に白波高けども直渡り来ぬ待たば苦しみ(10-2085)
あまのがは せぜにしらなみたかけども ただわたりきぬまたばくるしみ
<<天の川の瀬々の白波は高かったけれど,ただひたすら渡ってきたよ。待つのは辛いことだからね>>

万葉時代は七夕は,今でいえばバレンタインデーやクリスマスのような男女の出会いの場だったのでしょうか。天の川は早瀬で,渡るのは少し危ないけれど,それを押して逢いに来る彦星と待つ織姫。
ただ,残念ながら新暦7月7日は梅雨が明けていないことが多く,万葉時代の雰囲気は今は伝わりにくいのかも知れませんね。
ところで,いつもごろごろしている天の川君は早瀬という雰囲気はかけらもなし。まさに「淀んだ淵」だね。

天の川 「やかましいなあ。寝てばっかりはわしの甲斐性や。放っといてんか!」

対語シリーズ「解くと結ふ」に続く。

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