明日から7月です。もう少ししたら,今年の大相撲名古屋場所が始まります。先場所(五月場所)では「多くの力士が,横綱白鵬に対し,なすすべもなく敗れた」というような対戦が多かったようです。名古屋場所は白鵬と対戦する力士の奮戦を期待したいものですね。
さて,ここで言う「なすすべもない」は「手の施しようがない」とか「有効な方策がない」といった意味となりそうです。
今回の「すべなし」は,万葉集では,約50首の和歌で出てきます。七夕が近づいている時期なので,七夕歌の中で「すべなし」がどのように使われているが見てみましょう。
たぶてにも投げ越しつべき天の川隔てればかもあまたすべなき(8-1522)
<たぶてにもなげこしつべき あまのがはへだてればかも あまたすべなき>
<<小石でも投げれば向こう岸に届きそうな天の川だが,川が隔てているため、いろいろ逢う手立を考えるのがすべてだめだなあ>>
この短歌は筑紫で山上憶良が七夕を詠んだ長歌の反歌2首の内の1首です。相手はすぐ近くに住んでいるようです。しかし,1年1度逢えるかどうか分からない牽牛と織姫以上に逢うのは難しいようです。憶良は遣唐使で中国文化を吸収してきた関係で,日本独特の妻問い婚の面倒くささを,七夕を引き合いに出して暗に批判しているようにも私は感じます。
袖振らば見も交しつべく近けども渡るすべなし秋にしあらねば(8-1525)
<そでふらば みもかはしつべく ちかけども わたるすべなし あきにしあらねば>
<<袖を振れば,お互い見交わすこともできるほど近いけれども,天の川を渡ることができない。七夕の秋でないので>>
これも憶良が七夕を詠んだ短歌の1首です。本当は毎晩でも逢いたいのに,天の川が邪魔をして,逢えないことを嘆いているようです。
久方の天の川原にぬえ鳥のうら歎げましつすべなきまでに(10-1997)
<ひさかたのあまのかはらに ぬえどりのうらなげましつ すべなきまでに>
<<天の川の河原にぬえ鳥のように織女は嘆いていていた。何もできないほど>>
この短歌は柿本人麻呂歌集から転載した詠み人知らずの1首です。「ぬえ(鵺)鳥」は「トラツグミ」のことらしいです。トラツグミは夜悲しそうに「ひい~いっ」と鳴く鳥のようです。実際の鳴き声はYouTubeに何件かアップされています。この短歌の作者は,牽牛と逢えない織姫の嘆きの深さを表現する手段として「ぬえ」の鳴き声を引き合いに出すのはなかなかの詠み手だと私は思います。
<テレビ番組での感想>
ところで,昨晩NHKの総合テレビで放送された「NHKスペシャル/シリーズ日本新生"観光革命"がニッポンを変える 」を視聴しました。私はTwitterをやらないので,このブログで少し意見を述べてみます。
日本の多様な文化や自然をもっと海外に紹介し,もっと多くの観光客に海外からきてもらうべきだという番組の意図に私は大いに賛同します。番組に出席した日本各地,海外各国のコメンテータからさまざまな意見が出て,新たな刺激を受けました。
私は多様な日本の文化,慣習,伝統工芸,産業,自然の原点を知るには,やはり万葉集が超一級の資料だと思います。そして,私が更に特筆すべきと考えることは,万葉集に出てくるそれらの原点さえも,実は万葉集の中ですでに多種多様なのです。
<日本人の宗教観>
私の考えでは,日本人は一つのものだけでは長い時間満足できない民族だといってもよいかもしれません。宗教観を例にすると,日本人は一神教のような宗教より,伊勢神宮などが祀る天照大神(あまてらすおほみかみ),各地の天満宮が祀る天神(てんじん:菅原道真のこと),東京都台東区入谷真源寺のような日蓮宗系の寺院に祀られることがある鬼子母神(きしもじん),成田山新勝寺や高幡山明王院金剛寺(高幡不動)など真言宗系の寺院に祀られることがある不動明王(ふどうみやうわう),鶴岡八幡宮(鎌倉)や石清水八幡宮(京都)など八幡宮で祀られる八幡神(やはたのかみ),東京の浅草寺や滋賀県の石山寺に祀られる観音菩薩(くわんおんぼさつ),東京都豊島区巣鴨にある高岩寺(とげぬき地蔵)や奈良市にある帯解寺などに祀られている地蔵菩薩,各地の稲荷神社で祀られるキツネ信仰などなど,日本人の多くは,それぞれお得意のご利益にあずかろうと,せっせとお参りをします。
さらに札所めぐりや七福神めぐりなどという神社仏閣をハシゴしてめぐるコースも各地にたくさんあります。そのような行動をとる日本人の中には,クリスマスには教会のミサに参加する人もいたりします。
敬虔なキリスト教徒やイスラム教徒の方々から見ると「日本人の宗教観はどうしょうもない(すべない)」と見えるかもしれませんね。
<なぜ日本人は何でも受け入れてしまうのか?>
さて,日本の文化が多様性を持ち,何でも受け入れてしまうように見えるのは,日本が島国でかつ山で囲まれた地方が多く,自分たちだけの地域の特性に合った文化,風習での生活を比較的長い年月続けられ,それらが各地でしっかりと定着できる期間が日本にはあったからだと私は思います。
ところが,ある時突然にどうしても他の地方の文化や外国の文化が急激に入ってこざるを得ない時が訪れます(古墳時代や奈良時代,室町時代,戦国時代,明治時代,第二次世界大戦後など)。そんなとき,日本人は多少の摩擦や葛藤の発生を我慢して,異国の文化をそれまでの文化とうまく融合させる努力を惜しまず行う。その結果,より日本文化の多様性が進んむようになったのではないかと私は考えるのです。
<万葉時代は外国文化が洪水のように入ってきた?>
外国の文化などが急激に入ってきた最初の時代が古墳時代・奈良時代で,中国大陸や朝鮮半島から仏教や儒教,大陸の文化,風習,技能,そして律令制度や国の管理制度が導入され,それまでの日本という国に対して大きな変革が行われた時代だと私は思います。万葉集の和歌はそのような時代背景の中で生まれたのです。変革のデメリットさえも多く詠まれています。
私は,観光客に万葉集を読めとか理解しろといっているわけではありません。そんなことは,短い時間しかない観光客には受け入れられないでしょう。ただ,万葉集に出てくるイベントを再現し,それに参加して,体験してもらうようなツアーなら可能でしょう。
<万葉集に出てくる行事の体験ツアー>
たとえば,万葉集に詠まれた七夕行事を追体験する(参加者の男女が七夕の衣装を着て,川の対岸で手を振り,男性が舟で渡り,男女が手をつないで旅館へ直行),全国各地で万葉集に出てくる「宴(うたげ)」の再現に参加,「行幸(みゆき)」の再現に参加,万葉時代の食べられていたヘルシーな料理を再現し食べる,当時の機織,裁縫,陶芸を再現し実際に体験する,当時の衣装,装飾品,携帯品を再現,貸出し記念撮影する,万葉集に出くる花の名所を整理し,季節ごとのツアー客に紹介するなどが考えられます。
この中には,地方の高齢者でも対応できる(観光客を迎えたり,案内したりできる)ものもあると思います。安定した観光立国ニッポンにするには,世界に類を見ない日本の文化を日本人自身がより知ること,古い日本の情報を安易に否定しないこと,日常生活の中にあるそういったものを大切にすることが重要だと私は思うのですが,どうでしょうか。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「ともし」に続く。
2013年6月30日日曜日
2013年6月22日土曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「苦し」
「苦し」は,対語シリーズ「苦と楽」で一部紹介していますが,40首も詠まれている「苦し」のほんの少ししか紹介できませんでした。
七夕が近づいている今の季節,万葉集で七夕を詠む短歌の中で「苦し」を使っているものをこのシリーズで紹介します。
まず,前回の投稿でも紹介した湯原王が詠った七夕の短歌です。
彦星の思ひますらむ心より見る我れ苦し夜の更けゆけば(8-1544)
<ひこほしのおもひますらむ こころよりみるわれくるし よのふけゆけば>
<<彦星の別れを惜しむ心よりも,見まもる私にとってつらい夜が次第に更けていけば(さらに惜しむ心が募る)>>
七夕の夜,妻問いのときの気持ちを詠んだものでしょうか。彦星が織姫に年に一度七夕で逢って,その後(来年の七夕まで逢えない)別れの口惜しさよりも,妻問いが終わって,可愛い妻を見つめている時間が夜が更けるにしたがって少なくなっていく(帰る時間がだんだん迫る)苦しい(苦し)時間の方が,もっと惜しいと湯原王は詠っていると私は感じます。
次は万葉集の編者が柿本朝臣人麻呂歌集から選んだという,妻問いをする男性の複雑な心境を彦星になぞらえ詠んだ,詠み人知らずの短歌です。
彦星は嘆かす妻に言だにも告げにぞ来つる見れば苦しみ(10-2006)
<ひこほしはなげかすつまに ことだにもつげにぞきつる みればくるしみ>
<<彦星は嘆いている妻に言葉だけ掛けようとやって来るのだ。実際に逢うと(別れが)つらいから>>
自分(彦星)がなかなか来てくれないと嘆いている妻(織姫)を想像すると,逢ってしまうと別れがもっとつらい(苦し)から,妻とは逢わず,「恋しい」という言葉だけ掛けて帰ろうとする自分がいる,そんな心境を妻に贈ったものかもしれません。この短歌を贈られた妻は「そんなことを考えずに逢ってください」ときっと返歌をすることになるのでしょう。妻を焦らし,妻から「逢ってください」と言わせる(思わせる)高度なテクニックというのは考えすぎでしょうか。
次も柿本朝臣人麻呂之歌集から選んだという詠み人知らずの七夕の短歌1首です。
万代に照るべき月も雲隠り苦しきものぞ逢はむと思へど(10-2025)
<よろづよにてるべきつきも くもがくりくるしきものぞ あはむとおもへど>
<<いついつまでも照るはずの月も雲に隠れてしまって、苦しいことです。逢いたいと思うのに>>
前にも書きましたが,万葉時代七夕の夜は妻問いが普段より多く行われる日だったのでないかと私は想像しています。現代で言えばクリスマスイブの夜にデートをするカップルが多いのと同じ感覚かもしれませんね。そんな夜,街灯がない万葉時代,月明かりがあると道に迷わないし,道を踏み外して怪我をして妻問いできないくなるようなことも少なくなります。ところが,月が雲にかくれてしまい,妻問いを待つ妻にとって夫が無事に来てくれるのか心配になり(苦し)この短歌を詠んだのではないかと私は思います。
さて,最後に紹介する「苦し」を詠んだ詠み人知らずの七夕の短歌です。
天の川瀬々に白波高けども直渡り来ぬ待たば苦しみ(10-2085)
<あまのがはせぜにしらなみ たかけどもただわたりきぬ またばくるしみ>
<<天の川の瀬々の白波は高かったけれど,直に渡ってきたぜ。待つのはお互いにつらいことだからね>>
この男性は,妻の家に妻問いに行くのにいろいろ障害(家族や恋敵などの抵抗)があったのでしょう。
その障害の回避のタイミングを計るのではなく,障害と真正面から戦って,やっつけて来たと妻に誇らしげに詠っている感じが私にはします。
来月7日に恋人とデートを約束している人は,これらの短歌を参考に,何かしゃれた一言を考えてみたらいかがでしょうか。
私には残念ながら来月7日はデートなんていう洒落た予定はありません。翌日から岐阜で開催されるソフトウェア技術に関する学会のシンポジウムに参加し,そこで設置されるソフトウェア保守をテーマとした作業部会で議論するための準備が忙しい七夕となりそうです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「すべなし」に続く。
七夕が近づいている今の季節,万葉集で七夕を詠む短歌の中で「苦し」を使っているものをこのシリーズで紹介します。
まず,前回の投稿でも紹介した湯原王が詠った七夕の短歌です。
彦星の思ひますらむ心より見る我れ苦し夜の更けゆけば(8-1544)
<ひこほしのおもひますらむ こころよりみるわれくるし よのふけゆけば>
<<彦星の別れを惜しむ心よりも,見まもる私にとってつらい夜が次第に更けていけば(さらに惜しむ心が募る)>>
七夕の夜,妻問いのときの気持ちを詠んだものでしょうか。彦星が織姫に年に一度七夕で逢って,その後(来年の七夕まで逢えない)別れの口惜しさよりも,妻問いが終わって,可愛い妻を見つめている時間が夜が更けるにしたがって少なくなっていく(帰る時間がだんだん迫る)苦しい(苦し)時間の方が,もっと惜しいと湯原王は詠っていると私は感じます。
次は万葉集の編者が柿本朝臣人麻呂歌集から選んだという,妻問いをする男性の複雑な心境を彦星になぞらえ詠んだ,詠み人知らずの短歌です。
彦星は嘆かす妻に言だにも告げにぞ来つる見れば苦しみ(10-2006)
<ひこほしはなげかすつまに ことだにもつげにぞきつる みればくるしみ>
<<彦星は嘆いている妻に言葉だけ掛けようとやって来るのだ。実際に逢うと(別れが)つらいから>>
自分(彦星)がなかなか来てくれないと嘆いている妻(織姫)を想像すると,逢ってしまうと別れがもっとつらい(苦し)から,妻とは逢わず,「恋しい」という言葉だけ掛けて帰ろうとする自分がいる,そんな心境を妻に贈ったものかもしれません。この短歌を贈られた妻は「そんなことを考えずに逢ってください」ときっと返歌をすることになるのでしょう。妻を焦らし,妻から「逢ってください」と言わせる(思わせる)高度なテクニックというのは考えすぎでしょうか。
次も柿本朝臣人麻呂之歌集から選んだという詠み人知らずの七夕の短歌1首です。
万代に照るべき月も雲隠り苦しきものぞ逢はむと思へど(10-2025)
<よろづよにてるべきつきも くもがくりくるしきものぞ あはむとおもへど>
<<いついつまでも照るはずの月も雲に隠れてしまって、苦しいことです。逢いたいと思うのに>>
前にも書きましたが,万葉時代七夕の夜は妻問いが普段より多く行われる日だったのでないかと私は想像しています。現代で言えばクリスマスイブの夜にデートをするカップルが多いのと同じ感覚かもしれませんね。そんな夜,街灯がない万葉時代,月明かりがあると道に迷わないし,道を踏み外して怪我をして妻問いできないくなるようなことも少なくなります。ところが,月が雲にかくれてしまい,妻問いを待つ妻にとって夫が無事に来てくれるのか心配になり(苦し)この短歌を詠んだのではないかと私は思います。
さて,最後に紹介する「苦し」を詠んだ詠み人知らずの七夕の短歌です。
天の川瀬々に白波高けども直渡り来ぬ待たば苦しみ(10-2085)
<あまのがはせぜにしらなみ たかけどもただわたりきぬ またばくるしみ>
<<天の川の瀬々の白波は高かったけれど,直に渡ってきたぜ。待つのはお互いにつらいことだからね>>
この男性は,妻の家に妻問いに行くのにいろいろ障害(家族や恋敵などの抵抗)があったのでしょう。
その障害の回避のタイミングを計るのではなく,障害と真正面から戦って,やっつけて来たと妻に誇らしげに詠っている感じが私にはします。
来月7日に恋人とデートを約束している人は,これらの短歌を参考に,何かしゃれた一言を考えてみたらいかがでしょうか。
私には残念ながら来月7日はデートなんていう洒落た予定はありません。翌日から岐阜で開催されるソフトウェア技術に関する学会のシンポジウムに参加し,そこで設置されるソフトウェア保守をテーマとした作業部会で議論するための準備が忙しい七夕となりそうです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「すべなし」に続く。
2013年6月16日日曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「めづらし」
今の「珍しい」は,古く万葉時代では「めづらし」として使われていることが,万葉集の和歌からも類推できます。
<希少性とは>
ところで,過去本ブログの投稿でも何度か書いていますが,私は大学では経済学を結構まじめに学びました。経済学を学ぶ過程で強く印象に残ったものの一つに「稀少性(Scarcity)」という概念があります。
モノの価値を決めるのに稀少性が経済学における根本的概念のひとつだとしっかり教えられたのを覚えています。たとえば,レアメタル(rare metal)のような稀少資源は,無尽蔵にある資源ではなく,ある限られた量しか入手できない資源という意味です。容易に推測できると思いますが,稀少性が高い(入手できる量が少ない)資源ほど単位当たりの価値が高い資源と経済学は考えるのです。
<人は限定ものに弱い?>
一般的な販売物でも「○○様限定」「期間限定」「在庫一掃処分」「閉店セール」「レアもの」「有名人の直筆サイン入り○○」「採れたて野菜」「厳選素材」「特選ネタ」「活魚」「浜ゆで毛ガニ」などのキャッチコピーにヒトは飛びつくように,稀少性による消費者の価値をくすぐるものだと私は思います。
逆に,いくら必須なものでも(たとえば,水,空気など),あり余るほどあると,欠乏したときの危機を想像しない限り,日ごろはなかなか価値を感じられないことがあります。いっぽう,生活に必須でなくても(単なる飾り物)でも,世界に一つしかないものだったら欲しくなり,それを手に入れることができたときは無上の幸福感を感じることもあります。
<ミクロ経済とマクロ経済>
経済学では,この稀少性に考えに基づき,モノの価値(あくまでヒトから見た価値)がその量によって変化する「限界効用逓減の法則」が導かれ,そこからモノの価格(物価)が決まる(均衡する)原理が示されています(ミクロ経済学)。
さらに,その均衡した物価を適切に維持(コントロール)することで,国民が求める富を全体として最大になるようにする国家の基本的な役割も経済学では示しています(マクロ経済学)。たとえば,今流行の「アベノミクス」で物価を2%上昇させるといった政策は,マクロ経済学の考えに基づいて,国民全体の豊かさ向上を目指す施策のひとつの方法だと私は考えます。
<マクロ経済では所得のバラツキを少なくすることも重要>
ただ,豊かさ(所得)が全体平均としていずれ年間150万円向上したとしても,標準偏差(バラツキ)が大きいと社会的な格差を生み,豊かさをたっぷり享受できるヒトがいるいっぽうで,貧困にあえぐヒトが出てしまいます。また,長期的(10年単位)には豊かさが向上はしても,短期的(ここ1~2年)生活が苦しくなることがあると,その間生活に耐えられない国民が多数出てしまう可能性もあります。
私が職業として専門にしているソフトウェア保守開発では,政治や社会全体に関心を持ち,世の中の今の変化(モノの価値に対する変化も含む)や何年か先の世の中を予測し,今の世の中のみに対応している既存ソフトウェアをどのタイミングで,どのように修正(保守開発)していくかを先回りして考えることを心掛ける必要があると私は考え。実践しています。
<本題>
では,本題の万葉集で「めづらし」を見ていきます。万葉集に「めづらし」を使った和歌が25首ほど出てきます。結構な数です。「めづらし」は当時そう「珍しい」単語ではなかったのでしょう。
ただし,今のような「一般でない」「あり得ない」「奇異な」という意味以外の意味にも使われています。
青山の嶺の白雲朝に日に常に見れどもめづらし我が君(3-377)
<あをやまのみねのしらくも あさにけにつねにみれども めづらしあがきみ>
<<青々とした山の嶺にかかるきれいな白雲のように朝も昼も見ていて飽きない貴方です>>
ここでの「めづらし」は「飽かず」(飽きない)と同義と考えられそうです。この短歌は,志貴皇子(しきのみこ)の子であり,光仁(こうにん)天皇とは兄弟の関係にある湯原王(ゆはらのおほきみ)が宴席で出席者を讃えて詠んだもののようです。本当は「めづらし」とせずに「飽かず」とした方が字余りにならずに済むのですが,ありきたりの表現では気持ちが伝わらないと考えたのかもしれません。
次は,「愛すべきである」という意味で詠まれたと私が理解する短歌1首です。
本つ人霍公鳥をやめづらしく今か汝が来る恋ひつつ居れば(10-1962)
<もとつひとほととぎすをや めづらしくいまかながくる こひつつをれば>
<<ホトトギスよりも愛らしい,私が本当に恋しいと想っている人が来るのを心待ちにしています>>
この詠み人知らずの短歌の作者は来る人を待つ側なので,女性と思われます。現代の「珍しい」に引っ張られて「めづらし」の訳は難しいのですが,「愛らしい」としました。いかがでしょうか。
次の大伴家持が越中で詠んだ短歌は「すばらしい」という意味に「めづらし」が使われている例です。
時ごとにいやめづらしく咲く花を折りも折らずも見らくしよしも(19-4167)
<ときごとにいやめづらしく さくはなををりもをらずも みらくしよしも>
<<季節ごとにすばらしく咲く花々は折って見ても,折らずにそのまま見ても良いものだ>>
私は過去2回4月下旬に富山県高岡市に行ったことがあります。そのとき,桜,コブシ,モクレンなどの花がいっせいに開花している風景は,まさに家持のこの短歌の気持ちと同ようじでした(もちろん,花や花が咲いた枝を折ったりはしませんが)。
今は梅雨ですが,アジサイ,菖蒲が見頃で,梅雨が明けると,蓮,サルスベリの花が見ごろになります。写真は,奈良県明日香村の亀石の近くにある蓮池を昨年夏に撮ったものです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「苦し」に続く。
<希少性とは>
ところで,過去本ブログの投稿でも何度か書いていますが,私は大学では経済学を結構まじめに学びました。経済学を学ぶ過程で強く印象に残ったものの一つに「稀少性(Scarcity)」という概念があります。
モノの価値を決めるのに稀少性が経済学における根本的概念のひとつだとしっかり教えられたのを覚えています。たとえば,レアメタル(rare metal)のような稀少資源は,無尽蔵にある資源ではなく,ある限られた量しか入手できない資源という意味です。容易に推測できると思いますが,稀少性が高い(入手できる量が少ない)資源ほど単位当たりの価値が高い資源と経済学は考えるのです。
<人は限定ものに弱い?>
一般的な販売物でも「○○様限定」「期間限定」「在庫一掃処分」「閉店セール」「レアもの」「有名人の直筆サイン入り○○」「採れたて野菜」「厳選素材」「特選ネタ」「活魚」「浜ゆで毛ガニ」などのキャッチコピーにヒトは飛びつくように,稀少性による消費者の価値をくすぐるものだと私は思います。
逆に,いくら必須なものでも(たとえば,水,空気など),あり余るほどあると,欠乏したときの危機を想像しない限り,日ごろはなかなか価値を感じられないことがあります。いっぽう,生活に必須でなくても(単なる飾り物)でも,世界に一つしかないものだったら欲しくなり,それを手に入れることができたときは無上の幸福感を感じることもあります。
<ミクロ経済とマクロ経済>
経済学では,この稀少性に考えに基づき,モノの価値(あくまでヒトから見た価値)がその量によって変化する「限界効用逓減の法則」が導かれ,そこからモノの価格(物価)が決まる(均衡する)原理が示されています(ミクロ経済学)。
さらに,その均衡した物価を適切に維持(コントロール)することで,国民が求める富を全体として最大になるようにする国家の基本的な役割も経済学では示しています(マクロ経済学)。たとえば,今流行の「アベノミクス」で物価を2%上昇させるといった政策は,マクロ経済学の考えに基づいて,国民全体の豊かさ向上を目指す施策のひとつの方法だと私は考えます。
<マクロ経済では所得のバラツキを少なくすることも重要>
ただ,豊かさ(所得)が全体平均としていずれ年間150万円向上したとしても,標準偏差(バラツキ)が大きいと社会的な格差を生み,豊かさをたっぷり享受できるヒトがいるいっぽうで,貧困にあえぐヒトが出てしまいます。また,長期的(10年単位)には豊かさが向上はしても,短期的(ここ1~2年)生活が苦しくなることがあると,その間生活に耐えられない国民が多数出てしまう可能性もあります。
私が職業として専門にしているソフトウェア保守開発では,政治や社会全体に関心を持ち,世の中の今の変化(モノの価値に対する変化も含む)や何年か先の世の中を予測し,今の世の中のみに対応している既存ソフトウェアをどのタイミングで,どのように修正(保守開発)していくかを先回りして考えることを心掛ける必要があると私は考え。実践しています。
<本題>
では,本題の万葉集で「めづらし」を見ていきます。万葉集に「めづらし」を使った和歌が25首ほど出てきます。結構な数です。「めづらし」は当時そう「珍しい」単語ではなかったのでしょう。
ただし,今のような「一般でない」「あり得ない」「奇異な」という意味以外の意味にも使われています。
青山の嶺の白雲朝に日に常に見れどもめづらし我が君(3-377)
<あをやまのみねのしらくも あさにけにつねにみれども めづらしあがきみ>
<<青々とした山の嶺にかかるきれいな白雲のように朝も昼も見ていて飽きない貴方です>>
ここでの「めづらし」は「飽かず」(飽きない)と同義と考えられそうです。この短歌は,志貴皇子(しきのみこ)の子であり,光仁(こうにん)天皇とは兄弟の関係にある湯原王(ゆはらのおほきみ)が宴席で出席者を讃えて詠んだもののようです。本当は「めづらし」とせずに「飽かず」とした方が字余りにならずに済むのですが,ありきたりの表現では気持ちが伝わらないと考えたのかもしれません。
次は,「愛すべきである」という意味で詠まれたと私が理解する短歌1首です。
本つ人霍公鳥をやめづらしく今か汝が来る恋ひつつ居れば(10-1962)
<もとつひとほととぎすをや めづらしくいまかながくる こひつつをれば>
<<ホトトギスよりも愛らしい,私が本当に恋しいと想っている人が来るのを心待ちにしています>>
この詠み人知らずの短歌の作者は来る人を待つ側なので,女性と思われます。現代の「珍しい」に引っ張られて「めづらし」の訳は難しいのですが,「愛らしい」としました。いかがでしょうか。
次の大伴家持が越中で詠んだ短歌は「すばらしい」という意味に「めづらし」が使われている例です。
時ごとにいやめづらしく咲く花を折りも折らずも見らくしよしも(19-4167)
<ときごとにいやめづらしく さくはなををりもをらずも みらくしよしも>
<<季節ごとにすばらしく咲く花々は折って見ても,折らずにそのまま見ても良いものだ>>
私は過去2回4月下旬に富山県高岡市に行ったことがあります。そのとき,桜,コブシ,モクレンなどの花がいっせいに開花している風景は,まさに家持のこの短歌の気持ちと同ようじでした(もちろん,花や花が咲いた枝を折ったりはしませんが)。
今は梅雨ですが,アジサイ,菖蒲が見頃で,梅雨が明けると,蓮,サルスベリの花が見ごろになります。写真は,奈良県明日香村の亀石の近くにある蓮池を昨年夏に撮ったものです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「苦し」に続く。
2013年6月9日日曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「かしこし」
「かしこし」の現代語で使われているのは「賢い」となりますが,万葉時代の「かしこし」は「賢い」よりももっと広い意味の言葉だったと万葉集の和歌からは推測できます。というのは「かしこし」を使った万葉集の和歌は,70首以上あり,「おそろしい」「恐れ多い」「もったいない」「ありがたい」などさまざまな意味に使われています。
この中で熟語を形成しているものは次の通りです。
あやにかしこし‥非常に恐れ多い
海をかしこし‥海を畏怖している
沖はかしこし‥沖は恐ろしい
かしこき国‥ありがたい国
かしこき坂‥恐ろしい坂
かしこき道‥恐ろしい道
かしこき山‥神聖な山
波をかしこし‥波を恐れる
命(みこと)かしこし‥お命が恐れ多い
山はかしこし‥山は恐れ多い
ゆゆしかしこし‥非常にありがたい
では,実際に万葉集を見ていきましょう。まずは大宰府から帰任する大伴旅人へ遊女(うかれめ)児島が別れを惜しんで詠んだ短歌からです。
おほならばかもかもせむを畏みと振りたき袖を忍びてあるかも(6-965)
<おほならばかもかもせむを かしこみとふりたきそでを しのびてあるかも>
<<普通のお方でしたらいろいろして差し上げようと考えたのですが,かしこき(高貴な)旅人様ですので袖を振ってお別れの挨拶をしたくても我慢しているのです>>
本当は別れのつらさの感情を露わにして,旅人様に飛びつきたいくらいなのだけれど,そんなことをしたら高貴な旅人様の立場に傷がつきかねないので堪えているという気持ちを詠っていると私は感じます。
<別れの言葉>
私のように人生を長くやっていると,さまざまな人との出会いと別れを数多く体験します。
出会いはこれからよろしくお願いしますという雰囲気で,割と決まりきった挨拶で済みますが,別れとなると出会ってから今までの付き合い方や思い出が人ごとに違うでしょう。そうすると,お別れの時の一言をどのように言うか今でも悩むことがあります。でも,この短歌のような別離の和歌が万葉集にはたくさんあり,適切な言葉を万葉集から学ぶことも少なからずあります。
さて,次も別離の短歌ですが,「かしこし」はまた別の意味で使われています。
海の底沖は畏し礒廻より漕ぎ廻みいませ月は経ぬとも(12-3199)
<わたのそこおきはかしこし いそみよりこぎたみいませ つきはへぬとも>
<<海底が深い沖は危険なので,磯伝いに漕ぎめぐってください。日数はかかっても>>
この詠み人知らずの短歌は,船旅にでる夫を送るとき,妻が詠んだ1首でしょうか。とにかく,無事で帰ってきてほしいという思いが伝わってきますね。あこがれの人を陰で慕っている短歌です。
最後は,畏怖するという意味で「かしこし」が使われている短歌です。
天雲に近く光りて鳴る神の見れば畏し見ねば悲しも(7-1369)
<あまくもにちかくひかりて なるかみのみればかしこし みねばかなしも>
<<空の雲の近くで光る雷を見れば恐ろしいような気がするけれど,見なければ悲しい気になる>>
昔から雷の光と音響は神が発し,鳴らすものとして畏怖されてきたのかもしれません。
ただし,空で見えている雲で稲光が発せられ,ゴロゴロと大きな音を出すときは,その後雨が降ることが多いのだろうと私は思います。そのため,そのような雷が鳴らない時は雨が降らず,作物には良くないことがわかっていたのかもしれません。
この短歌は,好きな人と出会うと相手の眩しさに胸が高鳴り,自分がどうなってしまうか分からない恐ろしさ(不安)があるが,逢えないと悲しさが募るという気持ちを比喩て詠んだという見方もできそうです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「めづらし」に続く。
この中で熟語を形成しているものは次の通りです。
あやにかしこし‥非常に恐れ多い
海をかしこし‥海を畏怖している
沖はかしこし‥沖は恐ろしい
かしこき国‥ありがたい国
かしこき坂‥恐ろしい坂
かしこき道‥恐ろしい道
かしこき山‥神聖な山
波をかしこし‥波を恐れる
命(みこと)かしこし‥お命が恐れ多い
山はかしこし‥山は恐れ多い
ゆゆしかしこし‥非常にありがたい
では,実際に万葉集を見ていきましょう。まずは大宰府から帰任する大伴旅人へ遊女(うかれめ)児島が別れを惜しんで詠んだ短歌からです。
おほならばかもかもせむを畏みと振りたき袖を忍びてあるかも(6-965)
<おほならばかもかもせむを かしこみとふりたきそでを しのびてあるかも>
<<普通のお方でしたらいろいろして差し上げようと考えたのですが,かしこき(高貴な)旅人様ですので袖を振ってお別れの挨拶をしたくても我慢しているのです>>
本当は別れのつらさの感情を露わにして,旅人様に飛びつきたいくらいなのだけれど,そんなことをしたら高貴な旅人様の立場に傷がつきかねないので堪えているという気持ちを詠っていると私は感じます。
<別れの言葉>
私のように人生を長くやっていると,さまざまな人との出会いと別れを数多く体験します。
出会いはこれからよろしくお願いしますという雰囲気で,割と決まりきった挨拶で済みますが,別れとなると出会ってから今までの付き合い方や思い出が人ごとに違うでしょう。そうすると,お別れの時の一言をどのように言うか今でも悩むことがあります。でも,この短歌のような別離の和歌が万葉集にはたくさんあり,適切な言葉を万葉集から学ぶことも少なからずあります。
さて,次も別離の短歌ですが,「かしこし」はまた別の意味で使われています。
海の底沖は畏し礒廻より漕ぎ廻みいませ月は経ぬとも(12-3199)
<わたのそこおきはかしこし いそみよりこぎたみいませ つきはへぬとも>
<<海底が深い沖は危険なので,磯伝いに漕ぎめぐってください。日数はかかっても>>
この詠み人知らずの短歌は,船旅にでる夫を送るとき,妻が詠んだ1首でしょうか。とにかく,無事で帰ってきてほしいという思いが伝わってきますね。あこがれの人を陰で慕っている短歌です。
最後は,畏怖するという意味で「かしこし」が使われている短歌です。
天雲に近く光りて鳴る神の見れば畏し見ねば悲しも(7-1369)
<あまくもにちかくひかりて なるかみのみればかしこし みねばかなしも>
<<空の雲の近くで光る雷を見れば恐ろしいような気がするけれど,見なければ悲しい気になる>>
昔から雷の光と音響は神が発し,鳴らすものとして畏怖されてきたのかもしれません。
ただし,空で見えている雲で稲光が発せられ,ゴロゴロと大きな音を出すときは,その後雨が降ることが多いのだろうと私は思います。そのため,そのような雷が鳴らない時は雨が降らず,作物には良くないことがわかっていたのかもしれません。
この短歌は,好きな人と出会うと相手の眩しさに胸が高鳴り,自分がどうなってしまうか分からない恐ろしさ(不安)があるが,逢えないと悲しさが募るという気持ちを比喩て詠んだという見方もできそうです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「めづらし」に続く。
2013年6月1日土曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「あやし」
今回は万葉集に出くる形容詞「あやし」をみていきます。現代用語に対応させると「怪しい」となります。「怪しい話」「怪しい関係」「怪しい雲行」「この会社は怪しい」といったネガティブな言葉として使われることが多いようです。
しかし,万葉集に出てくる「あやし」はネガティブでない意味も含むもっと広い意味だったようです。
あらたまの五年経れど我が恋の跡なき恋のやまなくあやし(11-2385)
<あらたまのいつとせふれど あがこひのあとなきこひの やまなくあやし>
<<年が新らたになり五年経ってしまったが,私の恋はいつまでも実を結ばない恋かも。それでも恋しい気持ちがいつまでも止むことがないのは不思議だ>>
この短歌は,柿本人麻呂歌集に出ていたものを万葉集に載せたという詠み人知らずの1首です。「あやし」は「不思議な」という意味で使われています。
次は「逢えないことが理解できない」という感情を表した詠み人知らずの短歌です。
時守の打ち鳴す鼓数みみれば時にはなりぬ逢はなくもあやし(11-2641)
<ときもりのうちなすつづみ よみみればときにはなりぬ あはなくもあやし>
<<時守が打ち鳴らす鼓を数えてみたら,逢う約束の時間になっている。それなのに逢えないのはどうしてなのだろう>>
平城京では,すでに時を知らせる太鼓が公衆の場では鳴らされていたことが,この短歌で読み取れます。時間を計り,正時になると太鼓を鳴らす人を時守と呼んでいたようです。
「○○で何時に待っているよ」と約束したが,その時間になっても相手は現れない。今だったら,携帯電話で「どうしたの?」と確認できますが,万葉時代では待ちぼうけになってしまうしかありません。
私は,まだ携帯電話がほとんど普及していない若いころ,女性から待ちぼうけをくらわされたことが何回もあります。本当にこの短歌の作者の気持ちは他人事とは思えないのですよ。
天の川 「たびとはん。待ちぼうけになるのは,相手がちっともOKしてへんのに,たびとはんだけが会う約束できたと勘違いしてやったんとちゃうか?」
最近「怪しい」サイトばかり見ていて,しばらくちょっかいを出さなかった天の川のやつ,余計なことをしゃべってきたな。相手が来なかったのは,急にどうしても行けない事情があったからに決まっているでしょ。でも,来なかった理由は結局聞けなかったなあ。
天の川 「なんや。そんなら,わいの言うたことはやっぱり図星やったんなんか」
あっ,あっ,「あやし」を詠んだ最後の短歌を,しょっ,しょっ,紹介します。
相思はずあるらむ君をあやしくも嘆きわたるか人の問ふまで(18-4075)
<あひおもはずあるらむきみを あやしくもなげきわたるか ひとのとふまで>
<<私のお慕いする気持ちなど少しも考えてくださらない貴殿に,人が変に思うほどに私は嘆き続けています。人が「どうしたのですか?」と尋ねるほどに>>
この短歌は,天平21(749)年3月15日,越中で大伴池主(おほとものいけぬし)が大伴家持に贈ったものです。池主が家持に対する親愛の情を家持から池主に対するそれよりも極端に強いと大袈裟に表現していると私は感じます。お互いが非常に仲が良いからこんな表現ができるのかもしれません。
これに対して家持は翌日に次のような短歌を返しています。
恋ふといふはえも名付けたり言ふすべのたづきもなきは我が身なりけり(18-4078)
<こふといふはえもなづけたり いふすべのたづきもなきは あがみなりけり>
<<「恋ふ」とはよくも名付けたものですね。お伝えする方法も手立ても無いのは,小生の方ですよ>>
池主が「相思ふ」という言葉を使ったので,それは男女の仲の「恋ふ」と同じ意味で,そんな言葉を使われたらこちらから返す言葉もないよと返事をしたのだと私は考えます。ただ,家持は池主に対してクレームを言っているのではなく,池主の大袈裟なアプローチに少し困惑しつつもやり取りを楽しんでいると考えた方がよさそうですね。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「かしこし」に続く。
しかし,万葉集に出てくる「あやし」はネガティブでない意味も含むもっと広い意味だったようです。
あらたまの五年経れど我が恋の跡なき恋のやまなくあやし(11-2385)
<あらたまのいつとせふれど あがこひのあとなきこひの やまなくあやし>
<<年が新らたになり五年経ってしまったが,私の恋はいつまでも実を結ばない恋かも。それでも恋しい気持ちがいつまでも止むことがないのは不思議だ>>
この短歌は,柿本人麻呂歌集に出ていたものを万葉集に載せたという詠み人知らずの1首です。「あやし」は「不思議な」という意味で使われています。
次は「逢えないことが理解できない」という感情を表した詠み人知らずの短歌です。
時守の打ち鳴す鼓数みみれば時にはなりぬ逢はなくもあやし(11-2641)
<ときもりのうちなすつづみ よみみればときにはなりぬ あはなくもあやし>
<<時守が打ち鳴らす鼓を数えてみたら,逢う約束の時間になっている。それなのに逢えないのはどうしてなのだろう>>
平城京では,すでに時を知らせる太鼓が公衆の場では鳴らされていたことが,この短歌で読み取れます。時間を計り,正時になると太鼓を鳴らす人を時守と呼んでいたようです。
「○○で何時に待っているよ」と約束したが,その時間になっても相手は現れない。今だったら,携帯電話で「どうしたの?」と確認できますが,万葉時代では待ちぼうけになってしまうしかありません。
私は,まだ携帯電話がほとんど普及していない若いころ,女性から待ちぼうけをくらわされたことが何回もあります。本当にこの短歌の作者の気持ちは他人事とは思えないのですよ。
天の川 「たびとはん。待ちぼうけになるのは,相手がちっともOKしてへんのに,たびとはんだけが会う約束できたと勘違いしてやったんとちゃうか?」
最近「怪しい」サイトばかり見ていて,しばらくちょっかいを出さなかった天の川のやつ,余計なことをしゃべってきたな。相手が来なかったのは,急にどうしても行けない事情があったからに決まっているでしょ。でも,来なかった理由は結局聞けなかったなあ。
天の川 「なんや。そんなら,わいの言うたことはやっぱり図星やったんなんか」
あっ,あっ,「あやし」を詠んだ最後の短歌を,しょっ,しょっ,紹介します。
相思はずあるらむ君をあやしくも嘆きわたるか人の問ふまで(18-4075)
<あひおもはずあるらむきみを あやしくもなげきわたるか ひとのとふまで>
<<私のお慕いする気持ちなど少しも考えてくださらない貴殿に,人が変に思うほどに私は嘆き続けています。人が「どうしたのですか?」と尋ねるほどに>>
この短歌は,天平21(749)年3月15日,越中で大伴池主(おほとものいけぬし)が大伴家持に贈ったものです。池主が家持に対する親愛の情を家持から池主に対するそれよりも極端に強いと大袈裟に表現していると私は感じます。お互いが非常に仲が良いからこんな表現ができるのかもしれません。
これに対して家持は翌日に次のような短歌を返しています。
恋ふといふはえも名付けたり言ふすべのたづきもなきは我が身なりけり(18-4078)
<こふといふはえもなづけたり いふすべのたづきもなきは あがみなりけり>
<<「恋ふ」とはよくも名付けたものですね。お伝えする方法も手立ても無いのは,小生の方ですよ>>
池主が「相思ふ」という言葉を使ったので,それは男女の仲の「恋ふ」と同じ意味で,そんな言葉を使われたらこちらから返す言葉もないよと返事をしたのだと私は考えます。ただ,家持は池主に対してクレームを言っているのではなく,池主の大袈裟なアプローチに少し困惑しつつもやり取りを楽しんでいると考えた方がよさそうですね。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「かしこし」に続く。
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