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2014年5月23日金曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…置く(4:まとめ)  放って置かないで!

<長浜城に寄る>
この前の土日は今年もみかんの木の年間オーナーになって,「今年の木」の抽選会に出るために奈良の明日香村に行きました。行きの土曜日は,途中,長浜城に寄り,長浜城の天守から晴天の琵琶湖を眺めることができました。

また,長浜城の近くのお蕎麦屋さんで,昼食に「にしんそば」ではなく,おそらく日本海産のサバが主役の「サバそうめん」定食を食べました。サバの甘露煮がボリューム満点で満足な昼食でした。

<明日香ミカン農園に着く>
みかん農園から見た明日香村方面も晴天で遠くの方まで見ることができました。畝傍山と二上山がはっきりと見えました。

<本題>
さて,「置く」の最終回は今まで出てきた用法以外の「置く」について見ていきます。
「置く」には置く対象があるはずですね。万葉集で「置く」の対象を見ていきますと,まず「幣(ぬさ)」がみつかります。「幣」とは神前に折りたたんで供える布,紙を指します。万葉集では旅の安全を祈るため,各地場の神々に幣を供えることが出てきます。

山科の石田の杜に幣置かばけだし我妹に直に逢はむかも(9-1731)
やましなのいはたのもりに ぬさおかばけだしわぎもに ただにあはむかも
<<山科の石田の社に幣を捧げて祈ったらすぐ妻に逢えないだろうか>>

この短歌は2012年8月11日の本ブログにも紹介している藤原宇合(ふじはらのうまかひ)が詠んだというものです。
私が育った京都市山科にある石田(いわた)神社は奈良の京から逢坂山を通って近江東国へ行く無事を祈って幣を供える(手向ける)ことが流行っていたのだろうと私は想像します。
スムーズに旅が進むよう加護される霊験が大きいといわれている石田神社に幣を手向ければ(置けば),待っている妻とすぐ逢えると考えこの短歌を宇合は詠んだのかもしれませんね。
次は馬酔木の花を「置く」場所について詠んだ短歌です。

かはづ鳴く吉野の川の滝の上の馬酔木の花ぞはしに置くなゆめ(10-1868)
かはづなくよしののかはの たきのうへのあしびのはなぞ はしにおくなゆめ
<<カエルが鳴いている清らかな吉野川の滝の上に咲いていた馬酔木の花ですぞ。隅の方に置いてはなりません>>

この場合のカエルはカジカガエルなのでしょうね。そんな清らかな場所のさらに滝の上の採りにくい場所に咲いていた馬酔木の花をなのだから粗末に扱わず,ちゃんとした場所に飾るようにこの短歌は促しています。
ここでいう「置く」は飾るという意味に近いように感じます。
次も植物を置くことを詠んだ詠み人知らずの短歌(東歌)ですが,その植物は別のものの譬えです。

あしひきの山かづらかげましばにも得がたきかげを置きや枯らさむ(14-3573)
あしひきのやまかづらかげ ましばにもえがたきかげを おきやからさむ
<<山に生えている珍しいヒカゲノカズラ。これは滅多に得られないもの。置いたままにして枯らすようなことは決してすまいぞ>>

「山かづら」は,この短歌の作者が恋している彼女のことを譬えていると考えても良いでしょう。
やっと最高の恋人ができた。絶対離したくない。放っておかない。そんな思いがこの短歌から見えます。
最後もそのままにするという意味の「置く」を詠んだ詠み人知らずの女性が詠んだ,または女性の立場で詠んだと思われる短歌です。

あしひきの山桜戸を開け置きて我が待つ君を誰れか留むる(11-2617)
あしひきのやまさくらとを あけおきてわがまつきみを たれかとどむる
<<山桜戸を開けたまま,私が待っているあの人を,誰が引き留めているのでしょう>>

私はいつでもOKなのに,なかなか来てくれない彼。もしかしたら誰かが私のところに行けないように引き留めているのではないかと思いたくなるくらい待ち遠しい。「いつでもOK」という気持ちを「山桜戸を開け置きて」という美しい表現を使っているこの短歌を見て,この作者に同情する私がいます。
そして,藤原定家が恋人が来るのを待つ少女の立場で詠んだ百人一首の短歌を思い出しました。

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ(97番)

ここまで多様な「置く」の表現を万葉集で見てきました。次回からはこの百人一首の短歌にも出てくる「焼く」を万葉集で見ていくことにします。
動きの詞(ことば)シリーズ…焼く(1)に続く。

2014年5月10日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…置く(3) 水蒸気は気温で変化し,人間に和歌を詠ませる?

東京ウォーキングフェスタに2度目の参加
今年も東京ウォーキングフェスタ(5月3日・4日東京都立小金井公園がスタートゴール)に参加しました。

昨年は2日間とも30㎞コースだったので,当然今年も2日間とも30㎞コースを歩きました。少し暑かったですが,途中の公園,道路端,川原,民家の庭先に咲く多くの草花や新緑の木々を楽しむことができました。
写真は,新緑と花を歩きながら楽しめたスナップです。




<本題>
「置く」の3回目ですが,雪,露,霜などを「置く」という表現が多数万葉集に出てきますので,取り上げてみます。露と霜については,今年3月のブログでも紹介していますが,「置く」という動詞を視点に見ていきます。
さてまず,今の季節とは異なりますが雪から見ます。雪について「降り置く」という表現が多く使われています。

真木の上に降り置ける雪のしくしくも思ほゆるかもさ夜問へ我が背(8-1659)
まきのうへにふりおけるゆきの しくしくもおもほゆるかも さよとへわがせ
<<真木の上に降り積もっている雪のように,幾重にもあなたのことが思われます。夜に来て下さいね,私のあなた>>

完全な逆ナンパの短歌ですね。この短歌の作者は他田廣津娘子(をさだのひろつのをとめ)という女性です。雪は大きな木の上にたっぷりと積もっていたのでしょう。男(夫)からすれば,「雪が積もる(降り置かれた)ような寒い夜に妻問に行けるわけないよ」という気持ちかもしれませんが,雪明りの夜は道も良く見え,音も静かでなかなか雰囲気が良いですよとでも娘子はいいたげですね。
次は,「降り置く」の表現は使っていませんが,積もった雪はすぐ消える惜しさを詠んだ坂上郎女(さかのうへのいらつめ)の短歌です。

松蔭の浅茅の上の白雪を消たずて置かむことはかもなき(8-1654)
まつかげのあさぢのうへの しらゆきをけたずておかむ ことはかもなき
<<松の木蔭に低く生えた茅(ちがや)の上に積もった雪を積もったまま消えないようにするおまじないはないものかしら>>

茅のような低木の上に積もった雪は地熱の影響を受けず,また松の木の陰で直接太陽にも当たらない関係で,他の場所より長く雪が消えずに積もっ(置いた)たままになるのだろうと私は想像します。それでも,いつかは消える美しくもはかない雪。郎女自身の身体的な若さが徐々になくなっていく寂しさを譬えているのかもと私は思いたくなります。
次は「霜を置く」の例を見ます。

秋田刈る仮廬もいまだ壊たねば雁が音寒し霜も置きぬがに(8-1556)
あきたかるかりいほもいまだ こほたねばかりがねさむし しももおきぬがに
<<秋稲刈をするための小屋もまだ壊さない(稲刈りが終わっていない)時期にもう雁が寒そうに鳴いている。もう霜が降りしてしまうのか>>

この短歌は忌部黒麻呂(いみべのくろまろ)という人物が詠んだとされています。当時,稲刈りの時期には,自分の田の近くに仮廬(小屋)を作って,そこに稲刈りの道具や刈った稲を一時的に置いたりしたのかもしれません。
作者は農民の稲刈りの様子を眺めて,霜が置く(降りる)時期が早まることを心配してこの短歌を詠んだののだろうと私は思います。忌部氏は朝廷の祭事を担当していた氏族で,天候により豊作や凶作,農民の作業の進捗に関心があったのかもしれません。
最後は「露を置く」の例として,「霜を置く」の例で出した短歌と似ている詠み人知らずの短歌を紹介します。

秋田刈る仮廬を作り我が居れば衣手寒く露ぞ置きにける(10-2174)
あきたかるかりいほをつくり わがをればころもでさむく つゆぞおきにける
<<秋の田の稲刈りのために小屋を作ってそこにいると,袖が寒いなと思ったら,何と露に濡れていた>>

この作者は農民の立場か,稲泥棒や稲田を荒らす野生の動物(猪や鹿)を監視し,追い払う役目の人の立場で詠んでいそうです。監視作業は,秋が深まり,露に濡れるほど夜は冷えるツライ仕事であったのでしょう。ただ,実際に詠ったのは収穫が終わった後の祭りのときかもしれませんね。
「雪を置く」「霜を置く」「露を置く」を使った万葉集の和歌を見ると,それらの言葉が気候(湿度の高い日本の気候)の変化をとらえて恋,風景,仕事などの状況を詠む道具として使われていたように私は感じます。
動きの詞(ことば)シリーズ…置く(4:まとめ)に続く。

2014年5月1日木曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…置く(2) 間を大切に!

「間(ま)を置く」という言葉があります。その「間」にはいろいろ意味がありますが,この場合は「時間」や「距離」の間を指すようです。
万葉集には「間(あひだ・ま)を置く」という表現を使った和歌がいくつか出てきます。
最初は安貴王(あきのおほきみ)が因幡八上采女(いなばのやかみのうねめ)と密通した罪で采女が郷里の因幡へ帰されたことに対して詠んだとされる長歌の反歌です。

敷栲の手枕まかず間置きて年ぞ経にける逢はなく思へば(4-535)
しきたへのたまくらまかず あひだおきてとしぞへにける あはなくおもへば
<<お互いの腕を枕にして寝ることがなく,長い年月が経ってしまったように感じる。逢えないことを思うと>>

他人の妻と密通して,女性の方が大きな罪に問われるのは何か釈然としないのですが,そういった時代だったのでしょうか。いずれにしても「貴族による不倫」という大きなスキャンダルだったに違いないのでしょうね。そして,渦中の人の感想を詠んだ歌を残すというワイドショー的な記事が万葉集にその他にも多く残されているのは興味深いことです。
この短歌で安貴王が詠んだ「間置く」の「間」はそんなに長い期間ではなかったけれど,つらくで何年もの長さに感じたのは間違いないと私は想像します。
さて,次は大伴家持が雨の日にホトトギスの鳴き声を聞いたときに詠んだ短歌です。

卯の花の過ぎば惜しみか霍公鳥雨間も置かずこゆ鳴き渡る(8-1491)
うのはなのすぎばをしみか ほととぎすあままもおかず こゆなきわたる
<<卯の花が散ってしまうのが惜しいと思ったのか霍公鳥が雨の間も無いくらい鳴き続けています>>

ホトトギスが白い卯の花の美しさが散ってしまうことで惜しんでいるわけではないでしょう。惜しいと感じているのは家持のほうです。その時,ホトトギスの鳴き声が途切れなく続いているので,きっとホトトギスも自分と同じ気持ちなのだろうと詠んでいるわけです。「雨間も置かず」は「雨が降り続いているのと同じ間隔で」という意味になりそうです。
「雨間」の次は「波間」です。

酢蛾島の夏身の浦に寄する波間も置きて我が思はなくに(11-2727)
すがしまのなつみのうらに よするなみあひだもおきて わがおもはなくに
<<酢蛾島の夏身の浦に寄せる波の間隔が繰り返されるような,あなたへ寄せる気持ちが強弱するような恋し方はしていないのに>>

この詠み人知らずの短歌は,恋しさに波があるようなことはないと宣言している1首だと私は感じます。
次は真珠のネックレスがぎっしり詰まっているような様子を形容して途切れ無い気持ちを詠んだ,詠み人知らずの短歌です。

玉の緒の間も置かず見まく欲り我が思ふ妹は家遠くありて(11-2793)
たまのをのあひだもおかず みまくほりあがおもふいもは いへどほくありて
<<珠の首飾りの珠が紐にすき間なく通されているように,休む間なく見ていたいよ。でも俺が思うおまえは遠くの家にいる>>

「玉の緒の」は間に掛かる枕詞という解釈が一般的ですが,私はあえて訳してみました。
最後は,天平12(740)年に中臣宅守(なかとみのやかもり)が流刑地の越前の国(今の福井県)から平城京にいると思われる狭野弟上娘子(さののちがみのをとめ)に贈ったといわれる歌の1首です。

霍公鳥間しまし置け汝が鳴けば我が思ふ心いたもすべなし(15-3785)
ほととぎすあひだしましおけ ながなけばあがもふこころ いたもすべなし
<<霍公鳥よ,鳴く間を少し開けてくれ。お前が鳴くと私が娘子を恋しく思う心を抑えることができなくなるから>>

流刑地の越前では,ホトトギスがしきりと鳴いていたのでしょう。それが妻を呼ぶ声に感じられた宅守には娘子と遠く離れざるを得ない自分を嘆くしかない心境だったのだと私は感じます。
「間を置く」の「間」は,作者の状況や心境などによって,ポジティブにもネガティブにも感じられたことが万葉集から私には見てとれます。
動きの詞(ことば)シリーズ…置く(3)に続く。

2014年4月27日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…置く(1) 別離の歌に似合う「置く」

<今回GWスペシャルは無し>
ゴールデンウィーク(GW)がいよいよ始まりましたね。私の勤めている会社は4/28は営業日ですが,その他は5/6まで休業です。4/28に休む社員も割といて11連休を満喫するとのことです。
私は,4/28にソフトウェア保守契約をしてくださっているお客様との打ち合わせが入り,また小売業の別のお客様はGWに特段の休みがなく,その対応などで最大2日位の休日出勤を予定しています。
その他は,ゴルフのラウンドや昨年歩いた小金井公園から出発する2日間のウォーキングフェスタに参加予定です。
そんな関係で,このブログはGWスペシャルではなく,通常の投稿で進める予定です。
さて,今回から新しく取り上げる万葉集に出てくる動詞は,現代でも日常的に使用する「置く」です。
万葉集に出てくる「置く」の用例を見ていくと,現代での意味より広い意味で使われていたようです。それを何回かに分けて見て行きましょう。
今回は「残す」という意味の「置く」を見てみましょう。

飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ(1-78)
とぶとりのあすかのさとをおきていなば きみがあたりはみえずかもあらむ
<<明日香の里を残して,余が去ってしまえば、(平城京からは)君がいるあたりはもう見えないのであろうか>>

この短歌は,平城京遷都(和同3年)に際して,明日香藤原京から奈良の平城京に向かうとき,当時の在位していた元明天皇が詠んだとされるものです。明日香の里を残したものは何か? それは,27歳という若さで亡くなった夫の草壁皇子の霊だと私は思います。彼が生きていれば平城京遷都はどうなっていたのか,草壁皇子の魂が居る明日香からも遠く離れてしまう寂しさが私には感じられます。
次は,大伴家持が天平11(739)年に妻(正妻ではない)の死を悼んだ短歌(長歌の返歌)です。

時はしもいつもあらむを心痛くい行く我妹かみどり子を置きて(3-467)
ときはしもいつもあらむを こころいたくいゆくわぎもか みどりこをおきて
<<別の時があったろうに、私の心をこれ程痛ませ死んでしまった私の妻。幼い子を残して>>

この妻がどこの家の誰かは万葉集を含め,記録に残っていないそうです。また,「置かれた(残された)みどり子」がその後どうなったかも不明のようです。この後しばらくして家持の正妻になっとたという大伴大嬢との関係から,素性を残さなかったのかもしれません。ただ,家持はこの妻が亡くなったことへを悲しむ和歌を万葉集に10首以上残しています。
最後は,田部忌寸櫟子(たべのいみきいちひこ)が大宰府に赴任したとき,京に残した舎人吉年(とねりのよしとし)との相聞歌4首中に「置く」が出てくる3首を紹介します。

衣手に取りとどこほり泣く子にもまされる我れを置きていかにせむ(4-492)
ころもでにとりとどこほり なくこにもまされるわれを おきていかにせむ
<<衣の袖に取りついて泣く子にもまさって別れを悲しむ私を残して行ってしまわれる。どうしたらよいのでしょうか(吉年)>>

置きていなば妹恋ひむかも敷栲の黒髪敷きて長きこの夜を(4-493)
おきていなばいもこひむかも しきたへのくろかみしきて ながきこのよを
<<残して行ってしまったあなたを恋しく思うでしょう。黒髪を床に敷いて長いこの夜をずっと(櫟子)>>

朝日影にほへる山に照る月の飽かざる君を山越しに置きて(4-495)
あさひかげにほへるやまに てるつきのあかざるきみを やまごしにおきて
<<朝日が映えて山の端に照る月を見飽きないほどに美しいあなたをはるかな山の彼方に残してしまった(櫟子)>>

これらの短歌は,櫟子が大宰府に赴任したときに櫟子自身が披露したものだろうと私は想像します。最初の短歌は京に残してきた吉年が詠んだとして紹介し,後はそれに対して櫟子自身の返歌としているようです。
状況から京に残った吉年は女性で,大宰府に行った櫟子は男性なのでしょう。櫟子が大宰府へ旅立つとき,吉年は自分の黒髪を一部切って,束ねて櫟子に渡したのかもしれません。それを床に敷いて寝て,京に残した吉年を朝まで思い,夜が明けたときの感傷がまた深いという遠距離恋愛のドラマが私の頭にイメージされます。
<グルーバル化によって離れ離れになる?>
それまで日本のどこかの農村で農家として暮らしていたら,恋人や妻とこのような別離はなかった。国の近代化(律令制度)やグローバル化(大陸との交渉,大陸からの防衛など)に係る身になって,仕事の場が距離的広がっていった当時の状況を私はイメージしてしまいます。
そして,現代の日本だけでなく,世界のどの国においても,近代化やグローバル化で,距離的,時間帯的,精神的な別離が避けられない状況が依然あると私は思います。
現代では,その別離で置かれた(残された)妻,夫,子供,親,祖父母,孫,そして恋人とを繋ぐ(スマホ,パソコン,テレビ電話などの)メディアも,そのような別離関係のデメリットを軽減する手段とて進歩しています。
ただ,メディアは文字通り媒体でしかありません。そこに流れるコンテンツ(文章やイメージ)にどれだけ相手を想う気持ちを伝えられる内容になっているかが重要であることに今も変わりがないのではないでしょうか。万葉集に古さを感じさせない表現があるのは,そのようにコンテンツで思いを一生懸命伝えようする表現努力が今も必要だからだろうと私は考えるのです。
動きの詞(ことば)シリーズ…置く(2)に続く。