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2014年6月22日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…引く(1) 植物は無闇に採ってはいけません

<私の引き際>
私の同年輩の人たちには,そろそろ現役を引退する人が増えています。「人間引き際が肝心」とか「引退しても悠々自適」とか「顧問として引く手あまた」とか,「引退」に関して世間ではいろいろと言われることがありますね。
私自身は「引き際を忘れて,往生際が悪く,仕事にしがみついて,一向に現役から引く気配を見せない」といったところでしょうか。理由は表向き「引き取り手がないので」ということにしていますが,本当は今の仕事(ソフトウェア保守開発の現場)は私には向いているし,好きだからです。
<本題>
さて,今回からしばらくは動詞「引く」を万葉集で見ていくことにします。実は,2012年7月8日の当ブログで,対語シリーズ「押すと引く」というテーマで「引く」を少し取り上げています。しかし,「引く」を国語辞典で(それこそ)引くとたくさんの説明が出てきます。
広い意味を持つ言葉のためか,状況や「引く」対象によって意味が異なる場合,次のように当てる漢字を別のものにすることがあります。

弾く,惹く,曳く,牽く,轢く,退く,挽く
万葉集に出てくる「引く」の対象も,次のようにさまざまです。

麻,網,石,板,馬,枝,帯,楫(かぢ),梶(かぢ),葛(くず),黒髪,心,琴,自分,裾(すそ),弦(つる),蔓(つる),幣(ぬさ),根,花,人,舟,眉,都(みやこ),藻(も),弓,緒(を)
今回は,その中で植物のさまざまな部分を「引く」動作を詠んだ和歌を見ていきましょう。
最初は梅の枝に関したものです。

引き攀ぢて折らば散るべみ梅の花袖に扱入れつ染まば染むとも(8-1644)
ひきよぢてをらばちるべみ うめのはなそでにこきいれつ しまばしむとも
<<枝を引き寄せて折ったら梅の花が散ってしまいそう。花だけをしごいて袖に入れよう。花の色が袖に染まっても>>

この短歌は,大伴旅人の従者であった三野石守(みののいそもり)が詠んだとされる1首です。大伴旅人は大宰府長官としての赴任中,梅の花の美しさを愛でる和歌を従者とともに多く残しています。その影響なのかはわかりませんが,太宰府天満宮周辺には6,000本もの梅の木が植えられているそうです。
次は,夏になってものすごい勢いで伸びる葛を引く(駆除する)作業をしている乙女たちを詠んだ詠み人知らずの短歌です。

霍公鳥鳴く声聞くや卯の花の咲き散る岡に葛引く娘女(10-1942)
ほととぎすなくこゑきくや うのはなのさきちるをかに くずひくをとめ
<<ほととぎすの鳴く声をもう聞いたかい? 卯の花が見事に咲いて,地面にも花弁が散っている丘で伸びた葛のつたを引いている早乙女たちよ>>

ほととぎすと卯の花から次の歌詞で始まる「夏は来ぬ」という唱歌を私は思い出しました。

卯の花の におう垣根に ほととぎす 早やも来啼(な)きて 忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

この唱歌の作詞者を改めて調べてみました。すると,何と歌人で国文学者の佐々木信綱(1872~1963)ではないですか。今までこの唱歌の作詞者について私は全く意識していませんでした。佐々木信綱は万葉集にも造詣が深く,万葉集に関する本をたくさん出しています。もしかしたら佐々木信綱先生「夏は来ぬ」の作詞をするとき,この短歌も参考にしたのでは?と私は勝手な想像をしています。
最後はの花を引っ張る東歌です。

小里なる花橘を引き攀ぢて折らむとすれどうら若みこそ(14-3574)
をさとなるはなたちばなを ひきよぢてをらむとすれど うらわかみこそ
<<小さな里にある橘の花を引き寄せて折ろうとするが、まだ若々しく柔らかいので(折ることができないよ)>>

ここでの橘の花は目当ての女性を指していそうですね。この短歌の作者がお目当ての相手はまだ幼い少女で,なかなかうまく靡いてこないことを嘆いているようにも私には思えます。
実は万葉集の東歌には,このように女性の譬えとして花などを詠った優れた譬喩歌が何首も残されています。
動きの詞(ことば)シリーズ…引く(2)に続く。

2014年5月1日木曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…置く(2) 間を大切に!

「間(ま)を置く」という言葉があります。その「間」にはいろいろ意味がありますが,この場合は「時間」や「距離」の間を指すようです。
万葉集には「間(あひだ・ま)を置く」という表現を使った和歌がいくつか出てきます。
最初は安貴王(あきのおほきみ)が因幡八上采女(いなばのやかみのうねめ)と密通した罪で采女が郷里の因幡へ帰されたことに対して詠んだとされる長歌の反歌です。

敷栲の手枕まかず間置きて年ぞ経にける逢はなく思へば(4-535)
しきたへのたまくらまかず あひだおきてとしぞへにける あはなくおもへば
<<お互いの腕を枕にして寝ることがなく,長い年月が経ってしまったように感じる。逢えないことを思うと>>

他人の妻と密通して,女性の方が大きな罪に問われるのは何か釈然としないのですが,そういった時代だったのでしょうか。いずれにしても「貴族による不倫」という大きなスキャンダルだったに違いないのでしょうね。そして,渦中の人の感想を詠んだ歌を残すというワイドショー的な記事が万葉集にその他にも多く残されているのは興味深いことです。
この短歌で安貴王が詠んだ「間置く」の「間」はそんなに長い期間ではなかったけれど,つらくで何年もの長さに感じたのは間違いないと私は想像します。
さて,次は大伴家持が雨の日にホトトギスの鳴き声を聞いたときに詠んだ短歌です。

卯の花の過ぎば惜しみか霍公鳥雨間も置かずこゆ鳴き渡る(8-1491)
うのはなのすぎばをしみか ほととぎすあままもおかず こゆなきわたる
<<卯の花が散ってしまうのが惜しいと思ったのか霍公鳥が雨の間も無いくらい鳴き続けています>>

ホトトギスが白い卯の花の美しさが散ってしまうことで惜しんでいるわけではないでしょう。惜しいと感じているのは家持のほうです。その時,ホトトギスの鳴き声が途切れなく続いているので,きっとホトトギスも自分と同じ気持ちなのだろうと詠んでいるわけです。「雨間も置かず」は「雨が降り続いているのと同じ間隔で」という意味になりそうです。
「雨間」の次は「波間」です。

酢蛾島の夏身の浦に寄する波間も置きて我が思はなくに(11-2727)
すがしまのなつみのうらに よするなみあひだもおきて わがおもはなくに
<<酢蛾島の夏身の浦に寄せる波の間隔が繰り返されるような,あなたへ寄せる気持ちが強弱するような恋し方はしていないのに>>

この詠み人知らずの短歌は,恋しさに波があるようなことはないと宣言している1首だと私は感じます。
次は真珠のネックレスがぎっしり詰まっているような様子を形容して途切れ無い気持ちを詠んだ,詠み人知らずの短歌です。

玉の緒の間も置かず見まく欲り我が思ふ妹は家遠くありて(11-2793)
たまのをのあひだもおかず みまくほりあがおもふいもは いへどほくありて
<<珠の首飾りの珠が紐にすき間なく通されているように,休む間なく見ていたいよ。でも俺が思うおまえは遠くの家にいる>>

「玉の緒の」は間に掛かる枕詞という解釈が一般的ですが,私はあえて訳してみました。
最後は,天平12(740)年に中臣宅守(なかとみのやかもり)が流刑地の越前の国(今の福井県)から平城京にいると思われる狭野弟上娘子(さののちがみのをとめ)に贈ったといわれる歌の1首です。

霍公鳥間しまし置け汝が鳴けば我が思ふ心いたもすべなし(15-3785)
ほととぎすあひだしましおけ ながなけばあがもふこころ いたもすべなし
<<霍公鳥よ,鳴く間を少し開けてくれ。お前が鳴くと私が娘子を恋しく思う心を抑えることができなくなるから>>

流刑地の越前では,ホトトギスがしきりと鳴いていたのでしょう。それが妻を呼ぶ声に感じられた宅守には娘子と遠く離れざるを得ない自分を嘆くしかない心境だったのだと私は感じます。
「間を置く」の「間」は,作者の状況や心境などによって,ポジティブにもネガティブにも感じられたことが万葉集から私には見てとれます。
動きの詞(ことば)シリーズ…置く(3)に続く。