今年も東京ウォーキングフェスタ(5月3日・4日東京都立小金井公園がスタートゴール)に参加しました。
昨年は2日間とも30㎞コースだったので,当然今年も2日間とも30㎞コースを歩きました。少し暑かったですが,途中の公園,道路端,川原,民家の庭先に咲く多くの草花や新緑の木々を楽しむことができました。
写真は,新緑と花を歩きながら楽しめたスナップです。
<本題>
「置く」の3回目ですが,雪,露,霜などを「置く」という表現が多数万葉集に出てきますので,取り上げてみます。露と霜については,今年3月のブログでも紹介していますが,「置く」という動詞を視点に見ていきます。
さてまず,今の季節とは異なりますが雪から見ます。雪について「降り置く」という表現が多く使われています。
真木の上に降り置ける雪のしくしくも思ほゆるかもさ夜問へ我が背(8-1659)
<まきのうへにふりおけるゆきの しくしくもおもほゆるかも さよとへわがせ>
<<真木の上に降り積もっている雪のように,幾重にもあなたのことが思われます。夜に来て下さいね,私のあなた>>
完全な逆ナンパの短歌ですね。この短歌の作者は他田廣津娘子(をさだのひろつのをとめ)という女性です。雪は大きな木の上にたっぷりと積もっていたのでしょう。男(夫)からすれば,「雪が積もる(降り置かれた)ような寒い夜に妻問に行けるわけないよ」という気持ちかもしれませんが,雪明りの夜は道も良く見え,音も静かでなかなか雰囲気が良いですよとでも娘子はいいたげですね。
次は,「降り置く」の表現は使っていませんが,積もった雪はすぐ消える惜しさを詠んだ坂上郎女(さかのうへのいらつめ)の短歌です。
松蔭の浅茅の上の白雪を消たずて置かむことはかもなき(8-1654)
<まつかげのあさぢのうへの しらゆきをけたずておかむ ことはかもなき>
<<松の木蔭に低く生えた茅(ちがや)の上に積もった雪を積もったまま消えないようにするおまじないはないものかしら>>
茅のような低木の上に積もった雪は地熱の影響を受けず,また松の木の陰で直接太陽にも当たらない関係で,他の場所より長く雪が消えずに積もっ(置いた)たままになるのだろうと私は想像します。それでも,いつかは消える美しくもはかない雪。郎女自身の身体的な若さが徐々になくなっていく寂しさを譬えているのかもと私は思いたくなります。
次は「霜を置く」の例を見ます。
秋田刈る仮廬もいまだ壊たねば雁が音寒し霜も置きぬがに(8-1556)
<あきたかるかりいほもいまだ こほたねばかりがねさむし しももおきぬがに>
<<秋稲刈をするための小屋もまだ壊さない(稲刈りが終わっていない)時期にもう雁が寒そうに鳴いている。もう霜が降りしてしまうのか>>
この短歌は忌部黒麻呂(いみべのくろまろ)という人物が詠んだとされています。当時,稲刈りの時期には,自分の田の近くに仮廬(小屋)を作って,そこに稲刈りの道具や刈った稲を一時的に置いたりしたのかもしれません。
作者は農民の稲刈りの様子を眺めて,霜が置く(降りる)時期が早まることを心配してこの短歌を詠んだののだろうと私は思います。忌部氏は朝廷の祭事を担当していた氏族で,天候により豊作や凶作,農民の作業の進捗に関心があったのかもしれません。
最後は「露を置く」の例として,「霜を置く」の例で出した短歌と似ている詠み人知らずの短歌を紹介します。
秋田刈る仮廬を作り我が居れば衣手寒く露ぞ置きにける(10-2174)
<あきたかるかりいほをつくり わがをればころもでさむく つゆぞおきにける>
<<秋の田の稲刈りのために小屋を作ってそこにいると,袖が寒いなと思ったら,何と露に濡れていた>>
この作者は農民の立場か,稲泥棒や稲田を荒らす野生の動物(猪や鹿)を監視し,追い払う役目の人の立場で詠んでいそうです。監視作業は,秋が深まり,露に濡れるほど夜は冷えるツライ仕事であったのでしょう。ただ,実際に詠ったのは収穫が終わった後の祭りのときかもしれませんね。
「雪を置く」「霜を置く」「露を置く」を使った万葉集の和歌を見ると,それらの言葉が気候(湿度の高い日本の気候)の変化をとらえて恋,風景,仕事などの状況を詠む道具として使われていたように私は感じます。
動きの詞(ことば)シリーズ…置く(4:まとめ)に続く。
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