2017年12月30日土曜日

序詞再発見シリーズ(30:本シリーズおわり) … 万葉時代の高級な「衣」とは?

今回は,前回のような粗末な単衣ではなく,裏地の付いた当時としては高級な「衣」を序詞に詠んだ万葉集の短歌を紹介します。
最初は,中国や朝鮮から輸入されたものか,その輸入服の形に国内で縫製された「韓衣」について詠んだ短歌です。

朝影に我が身はなりぬ韓衣裾のあはずて久しくなれば(11-2619)
<あさかげに あがみはなりぬからころも すそのあはずてひさしくなれば>
<<我が身は朝の人影のようにやせ細ってしまった。韓衣のすそが合わないように君と久しく逢っていないから>>

作者の気持ちはよくわかるのですが,このシリーズとしては韓衣のすそが合わない理由が気になります。
韓衣は中国風の服ですから体をすべて覆うような服であり,錦織の技法で文様を織り込んでいたと考えられます。奈良時代には,錦織部(にしごりべ)という錦織の技術を研究,普及,産業振興する組織が大和政権にあったようです。ですので,韓衣といっても輸入品ではなく,国内で縫製する技術があったのでしょう。
しかし,すそは足の先に行くほど広く作るのが当時のデザインだとすると,錦織の絵柄を縫い合わせできちっと合わせてすそを仕立てるのが難しく,高度な技術が必要だったのでしょう。結局,すその文様が合っているかいないかで,仕立ての出来が左右され,値段も大きく変わったのかも知れません。
「高級韓衣がこんな信じられない値段で買えます!」という売り手のトークに乗って買ってしまったら,細かい部分が雑だったということを昔もあったのかも知れませんね。
さて,次は裏地がちゃんとついている衣を序詞で詠んだ短歌です。

橡の袷の衣裏にせば我れ強ひめやも君が来まさぬ(12-2965)
<つるはみのあはせのころも うらにせばわれしひめやも きみがきまさぬ>
<< ツルバミで染めた袷(あはせ)の着物を裏返すような仕打ちをなさるなら,私は無理に来てとは言いません。あなたが来ないことに対して>>

この短歌は,2011年10月22日の投稿で紹介したものです。
ただ,それは心の裏側を説明したものでしたが,今回は衣がテーマですので,「袷衣(あはせころも)」について考えます。裏地が付いている「袷」の反対は,裏地のない「単(ひとへ)」です。
橡で染めた袷の衣はきっと高価なものだったのでしょう。それは女性のほうから男性へ贈ったものと考えてよいでしょうね。贈った側の気持ち(逢いに来てほしいという気持ち)を無視して踏みにじる(送った衣を裏返しに着る)のは許せない。「もういいです!」と言いたいのですよね,作者は。
最後は,裏地のある豪華な衣を序詞に詠んだ短歌です。

赤絹の純裏の衣長く欲り我が思ふ君が見えぬころかも(12-2972)
<あかきぬの ひたうらのきぬながくほり あがおもふきみがみえぬころかも>
<<赤絹のついた裏地が直に縫いこまれた衣を私が長い間いつも欲しいと願っているのと同じほど思い慕うあなた様,この頃はお見えになりませんね>>

この短歌も2012年11月1日の投稿で紹介しています。ただ,ここも違う視点で説明します。
「赤絹のついた裏地が直に縫いこまれた衣」というのはどんな衣なんでしょうか?
まず,裏地が赤色に染められた布ということですから,相当濃い色ですよね。裏地が濃い色ということは,表地は裏地の色が透けてこないほどもっと濃い色であるか,表地の生地自体が透けないような相当厚みがあるものである必要がありそうです。
そして,「直に縫い込まれている」ということは,表地と裏地に隙間が無いように,丁寧にしっかり縫われていることを示します。このような表現が,女性ならきっと来てみたいと思う豪華な衣のイメージを表していることがわかります。 
さて,まだまだ序詞に使われている言葉はたくさんありますが,30回続きましたのでここで「序詞再発見シリーズ」は一区切りをつけることにします。
次回は2018年正月スペシャルを投稿します。
(2018年正月スペシャル‥万葉集から犬について考える につづく)

2017年12月20日水曜日

序詞再発見シリーズ(29) … 万葉時代の粗末な「衣」とは?

今回は,「衣」それも当時粗末と扱われていた「衣」が序詞にどのように詠まれていたかを万葉集で見ていきます。
万葉時代では,すでに何らかの染色の技術,特に草木染の技法はかなり広まっていたことが万葉集からも想像ができます。ただ,染める目的は,染めていない布や衣よりもきれいに,かつ豪華に見せることがすぐに思い浮かびます。
ただ,日常使う衣で,汚れや黄ばみが目立たなくするために染めるという目的もあったかも知れません。
次は,そんな衣庶民的な衣を序詞に詠んだ短歌です。

橡の一重の衣うらもなくあるらむ子ゆゑ恋ひわたるかも(12-2968)
<つるはみのひとへのころも うらもなくあるらむこゆゑ こひわたるかも>
<<ツルバミに染めた一重の衣に裏地が無いように,あの娘の心は裏表がなく純真だからよけい恋しくなってしまう>>

橡はドングリの一種で,その葉や実を草木染の染色材として使ったとすれば,色は茶系だったろうと想像します。一重の衣ですから,その色に染めることで,白色に比べ衣の下が透けて見えるのを防止に役立ったのかも知れません。
この短歌の作者は,裏地のある高級な衣を着ているような金持ちは心に裏表があるかもしれないが,一重の廉価な衣を着ている娘は,世間ずれしないで純真で無垢な心をもっていると思ったのでしょう。
次は,製塩に携わる漁師が着る衣について,序詞に詠んだ短歌です。

志賀の海人の塩焼き衣なれぬれど恋といふものは忘れかねつも(11-2622)
<しかのあまのしほやきころもなれぬれど こひといふものはわすれかねつも>
<<志賀島の漁師がいつも着る塩焼き衣が定番のように私の恋というものも常時記憶からなくならない>>

万葉時代は,製塩を漁師やその家族が,漁の合間や夫や親が漁で留守の間にやっていたのだと私は想像します。
製塩技法は,海水を綺麗な砂を敷き詰めた塩田に撒き,天日で水分を飛ばし,砂と一緒に乾いた塩を採取。それを少量の真水に溶かし,砂が沈んだ上澄みの濃縮塩水を焚火で焼いた石の上に振りかけ,水分が飛んで石に残った塩を採取するような製法だったと私は想像します。
その作業をする人たちは,屋外での作業で長く使っていても丈夫な麻などの不厚い衣だったのかも知れません。今でいうデニムのような生地かもですね。当然,長く着ているうたに,塩を焼く焚火のススやに直射日光にあたり,古びた柔道着の色のように,独特の色に変化していたのでしょう。
それが,製塩作業をする人の定番作業着として,作業を見学する人たちには映っていたのだろうと私はこの短歌から想像します。
次は,製塩作業する人の作業着として,別の呼び方の衣があったことを物語る短歌です。

大君の塩焼く海人の藤衣なれはすれどもいやめづらしも(12-2971)
<おほきみのしほやくあまのふぢころも なれはすれどもいやめづらしも>
<<献上する塩を焼く漁師が着る藤衣は着慣れているところを見るときっと特別に仕立てたものなのだろう>>

この短歌に出てくる「藤衣」については,どんな衣か諸説があるようです。
2012年11月1日の投稿では「藤衣はとても織り目が粗く,肌が透けて見えるほど」と私は書いていますが,今は少し違ったものではないかと考えています。
それは,御門に献上するための特別な塩田などで製塩作業をしている人を区別するため,着ていた藤色に染めた作業着のことを指したのではないかと。
藤衣は塩焼き衣に比べたら,薄くて丈夫じゃなさそうに見えるけれど,作業している人たちがテキパキとやっているのを見ると,サマになっていると作者は感じたのかも知れません。
当然でしょうね。大君に献上するような塩を作っている製塩のプロですから,漁師の片手間とは違うスピード感で作業を進めているようにも感じます。
万葉時代は製塩は漁師が片手間にやる作業という常識から,高品質な献上塩を作る専門の製塩工プロという職業が生まれ始めた時期なのかもしれません。
(序詞再発見シリーズ(30:本シリーズおわり)に続く)

2017年12月14日木曜日

序詞再発見シリーズ(28) … 「舟」の用途や形は多様だった?

フルタイムの本業(ソフトウェアの保守開発)の忙しさがなかなか解消せず,またこのブログの投稿が滞ってしまいました。当面引退とはいかずに,私の本業はまだまだ続きそうです。
ただ,来年の2月を過ぎるとこのブログを立ち上げて10年目に入ります。満10年に向け,来年は少し頑張って投稿を多くしたいと考えていますが,結果はどうでしょうか。
今回は,「舟」やそれに関連するものが万葉集の序詞としてどのように詠まれているかを見ていきます。
まずは,葦が密生しているような潟にも入っていけるような小さな舟について詠んだ短歌です。

港入りの葦別け小舟障り多み今来む我れを淀むと思ふな(12-2998)
<みなといりのあしわけをぶねさはりおほみいまこむわれをよどむとおもふな>
<<入港する葦別け小舟にはいろいろ支障が多いように,差し障りが多くて今そちらへ着くのが遅れても,私のあなたへの気持ちが淀んだと思わないで>>

葦が群生しているような大きな川の河岸や海の潟では,葦を刈り取ったり,葦の群生の下に隠れているカニ,ウナギ,巻貝,二枚貝などを狩猟するための小さな舟が必要となります。
舟は小さいほど奥の方に入れますが,小さすぎると刈り取った葦や採取した魚介類を多く載せられないため,小さくするには限界があります。葦原の奥に行けば行くほど,良い葦や豊富な魚介類が獲れる可能性が高いのは分かっていても,葦に邪魔をされてなかなか先に行けない。
そんな情景が障害が多いなか君に会いに来たのに,なかなか来れないといって君への気持ちが淀んだと思わないでほしいというのが,作者の気持ちなのでしょうか。
<この作者は葦原での漁が大変なのを知っていた?>
ただ,私はこの序詞に注目したいのです。一般解釈とは違うかも知れませんが,葦に分け入って漁をする舟が大変だということを作者は知っていたということになります。
万葉時代には,さまざまな職業が生まれ,職業ごとのその大変さや面白さを紹介するメディアがあった可能性に私は注目します。すなわち,今で言えば職業紹介サイトのようなものです。もちろん,当時文字はまだ発達していなかったので,職業を紹介するようなガイドがいて,相談に乗っていたのかも知れません。「若人よ,来たれこの仕事に!」というような職業紹介イベントが定期的に行われていた可能性までも私は思いを巡らせます。
次は,逆に港と港をつなぐ比較的大きな舟について詠んだ短歌です。

浦廻漕ぐ熊野舟つきめづらしく懸けて思はぬ月も日もなし(12-3172)
<うらみこぐくまのぶねつきめづらしくかけておもはぬつきもひもなし>
<<入江を漕ぎ巡る熊野舟はいつ見ても新鮮なように妻を心に懸けて思わぬ月日はない>>

熊野舟は,紀伊の国の熊野の地で作られた丈夫で性能の良いブランド舟だったと私は思います。
港周辺で進んでいる舟がなかなかお目に掛かれないブランド舟の「熊野舟」を見た時の感動を作者は経験していたとも考えられそうです。
熊野の地は大木が生えている広大な森林地帯で,腕の良い木こり,製材士,運搬工がいて,山深くまで切り込んだ今の熊野川水系を使って木材を運ぶのに適した場所だったといえるかも知れません。当然,河口付近には腕の良い船大工が居て,品質の良い木台を入念に舟に仕立てたのでしょう。
そんな地で作られた船は品質が良く,丈夫で長持ちがするため,舳先の形を特殊なものにするなどしてブランド化し,高価で取引がされたと考えられます。それを手に入れられるのは,一部の裕福な漁師や渡し舟経営者に限られていたと考えられます。そして,運よく熊野舟を手に入れられた人たちも,手持ちの舟のすべてを高価な熊野舟にできるわけがなく,一般の人はお目に掛かれるのがよほど稀で新鮮だったのかも知れません。
最後は,舟という言葉は出てきませんが,舟の楫を漕ぐ音を序詞に詠んだ短歌です。

漁りする海人の楫音ゆくらかに妹は心に乗りにけるかも(12-3174)
<いざりするあまのかぢおとゆくらかにいもはこころにのりにけるかも>
<<魚を獲りに出る漁師の舟の楫の音がゆっくり繰り返すように,だんだん彼女が心に乗り移ってきたなあ>>

海で漁をする漁師は毎日楫を漕いで漁に出るので,一番効率の良い,疲れの少ない漕ぎ方で楫を漕ぐのでしょう。そうすると,ギコー,ギコーという楫を漕ぐ音は,海辺の宿に泊まっていた作者にとっては,心地よい一定のリズムでのどかに感じられたのかも知れません。そのようなリズムで彼女は自分の心の中に入ってくるという短歌となります。
実は,父親が海辺の旅館や民宿に泊まるのが好きで,私が子供のころ一度和歌山県の和歌の浦付近の漁港近くの小さな旅館に泊まったとき,朝沖に向かって進む小さな漁船が発する「ポンポンポンポン..」という音と舟が残す波跡が,いかにものどかなリズムと映像を幼い私も感じた記憶があります。
父が「ポンポン船の音で目が覚めてしもたわ。朝早ようから漁師はんはご苦労なこっちゃなあ。」と起きてきたのを覚えています。そして「ポンポン船はなあ。焼玉エンジンちゅうのを載せている舟で,あんな音を出して動くんや」と私に教えてくれたのです。
当時は,ポンポン船はディーゼルエンジン付きの舟に急速に取り替えられつつある頃で,父もまだ現役として残っていることを珍しく感じたのかも知れません。
(序詞再発見シリーズ(29)に続く)

2017年10月19日木曜日

序詞再発見シリーズ(27) … 「道」にはさまざまなものがあり,人はさまざまな感じ方をする?

本投稿は,一度出した「雲居」に関する(441回目の)投稿を取り消し,以下の文に差し替えます。内容が不適切であることが判明したためです。「雲居」に関しては,「序詞」シリーズとしてではなく,改めてどこかで取り上げたいと思います。

いろいろなオファーの対応に追われていて,しばらくお休みをしてしまいましたが,今回からは自然や地名を表す言葉を離れ,人工物を序詞に詠んだ万葉集の短歌をを紹介していきます。
今回は「道」「路」を序詞に詠んだ巻11と巻12の短歌です。
「道」や「路」は,人間が踏み固めたもの,獣(けもの)が踏み固めてできたものなどのように自然にできたものもあります。しかし,国が大きく変わった万葉時代では,多くは人間が人工的に整備したものを指したのでしょう。
「道」や「路」には,識別する標識や人工物(溝,石や砂などを敷き詰め舗装,道祖神,庚申塚,一里塚,垣,並木,澪標(みをつくし)など)によって,「道」や「路」とそれ以外の場所を区分けしていたと考えられます。
万葉集には,序詞だけでなく,さまざまな表現で「道」や「路」は使われています。
さて,最初は序詞で「道」を詠んだ短歌です。

玉桙の道行き疲れ稲席しきても君を見むよしもがも(11-2643)
<たまほこのみちゆきつかれ いなむしろしきてもきみをみむよしもがも>
<<道を歩き疲れて稲筵を敷いて休むことができたとしても,いとしい君を見る方法があるだろうか>>

「玉桙の」は「道」に掛かる枕詞ですので,今回は特に訳しませんでしたが,道には鉾のような形をした標識が立てられていたのかも知れませんね。
「道」を長く歩き続けることは大変なことで,「疲れる」というイメージが当時からあったのでしょう。
今のような道の整備技術が高くなかったことに加え,馬や荷車の車輪であちこちデコボコの場所があり,雨の時はぬかるみ,乾燥した日が続くと風の強い時は土ぼこりが大変だったと考えられるからです。
そんな道で疲れても,稲筵を用意して敷けば休めるが,恋人になかなか逢えない疲れはどうしても取れないという気持ちを表していると私は感じます。
次は,「路」でも水路を序詞に入れた短歌です。

駅路に引き舟渡し直乗りに妹は心に乗りにけるかも(11-2749)
<はゆまぢにひきふねわたし ただのりにいもはこころにのりにけるかも>
<<水路の向こうとこちらをつなぐ渡し船が付くと皆がすぐに乗るように,あなたは逢ってすぐ私の心に乗ってきた>>

「水路」ですが,運河ようにな水路を指している訳ではなく,川の対岸の間,そして湖や海など島や陸(をか)との間などを結ぶ水路です。この水路を通って行き来する舟を「渡し舟」と呼びます。
渡し舟の営業が始まると,その便利さに多くの利用者が出て,利用のピーク時間帯では乗り切れないことも考えられ,早めに乗り場に来る人もいるかも知れません。
その勢いと同じぐらいの勢いで「あなたは私の心に乗ってきた(直ぐに好きになった)」という作者の気持ちが私にはよくわかります。
次はまた「道」に戻ります。

新治の今作る道さやかにも聞きてけるかも妹が上のことを(12-2855)
<にひはりのいまつくるみちさやかにも ききてけるかもいもがうへのことを>
<<新しく開墾した場所に作ったばかりの道が心地よいように,君の身の上ことを心地よく聞くことがてきた>>

田畑が新しく開墾されると種苗,肥料,収穫物を運ぶ道が必要となります。
現地の人たちが昔から田畑として使っている場所は,道の整備が計画的でなく,農家には苦労が多いのです。しかし,新しく計画的に開かれた農地では,必要な道も必要十分で効率的に作られます。
当然,その道は幅も広く,平らに作られることから,歩くにしても,荷車でモノを運ぶにしても,古い道よりも心地よく通れるのです。
それと同じくらい心地よいのが好きな相手の世間の良い評判です。
万葉時代,女性の評判はあまり外でその姿を見せないことから,「姿を見た」という人の噂話がほとんどだと思います。
しかし,恋人か夫婦(といっても,妻問婚ですから基本別居)の関係の女性に対して,「凄く綺麗らしいよ」とった評判が立つのは,かなり嬉しいものなのだったのだろうと私には想像できますね。
(序詞再発見シリーズ(28)に続く)

2017年8月27日日曜日

序詞再発見シリーズ(26) … 「雲」は空や遠くにあるものを隠す厄介な存在?

今回は,その他の雲を序詞に詠んだ万葉集の短歌を紹介します。
最初は,雲と月の関係を詠んだ短歌です。

雲間よりさ渡る月のおほほしく相見し子らを見むよしもがも(11-2450)
<くもまよりさわたるつきの おほほしくあひみしこらを みむよしもがも>
<<雲間を通る月が時より顔を少し見せるように,やっと互いに出会った乙女よ,もう見ることはできないのだろうか >>

美しい月を見たいと思って夜空を見上げても,雲が邪魔をして見られない。雲の切れ間からようやく少し見えることがあったとしても,すぐに次の雲に隠されてしまい,次にいつ見られるのか予想もつかない。
そんなイライラした状況を,好きな彼女の姿を見るチャンスがなかなか来ない苛立ちら例えているのでしょうか。逆に,なかなか見ることができないからこそ,名月も彼女の姿もより見たいという気持ちになるのだと私は思います。
次も雲と月(三日月)の関係を詠んだ短歌です。

三日月のさやにも見えず雲隠り見まくぞ欲しきうたてこのころ(11-2464)
<みかづきのさやにもみえず くもがくりみまくぞほしき うたてこのころ>
<<三日月のようにはっきりと見えないうえに雲にまで隠れてしまう。そのように,なかなか発見できないお姿を見たいという思いが いっそうつのるこの頃なのです>>

この短歌は,最初の短歌よりも,なかなか姿が見られず,見たい気持ちが募る思いをストレートに詠んでいます。満月だと薄い雲に覆われても何とか見ることはできますが,三日月だと薄い雲でも隠されてしまう確率が高くなってしまいます。
万葉時代,月の満ち欠けが恋の成就の確率に関する縁起モノ(満月に近づくと逢える可能性が高いなど)として見られていたのかも知れませんね。
最後は,雲が発生するはるか遠くをイメージした短歌です。

波の間ゆ雲居に見ゆる粟島の逢はぬものゆゑ我に寄そる子ら(12-3167)
<なみのまゆ くもゐにみゆるあはしまの あはぬものゆゑわによそるこら>
<<波の間から雲が出る場所のように遠い場所に見える粟島のように,彼女とは逢わずにいるのに,私には彼女と出来ているという根も葉もない噂が聞こえる>>

「雲居」という言葉は,この場合「遠く」という意味で使われていると解釈しました。
粟島は「淡路島」のことなのか,それとも別の島なのか気になりますが,島の名称がポイントのため。ここはスルーします。
いずれにしても「雲」というものは,万葉人にとってコントロールできないものの代名詞の一つだった可能性を私は感じますね。
(序詞再発見シリーズ(27)に続く)

2017年8月6日日曜日

序詞再発見シリーズ(25) … 「くも」だけでは他の同音異義語と混同する?

今回は,「雲」を序詞に詠んだ万葉集の短歌のうち,「天雲」という言葉になっているものを見ていきます。
最初は,鶴が出てくる短歌です。

天雲に翼打ちつけて飛ぶ鶴のたづたづしかも君しまさねば(11-2490)
<あまくもにはねうちつけて とぶたづのたづたづしかもきみしまさねば>
<<天雲に翼を打ちつけて飛ぶ鶴の「たづ」のように,私の心もたづたづし(たどたどしい気持ち)です。あなたがいないので>>

この短歌は,鶴が「天雲に翼を打ちつけて飛ぶ」の様子をどう解釈するがポイントだと私は思います。天雲は空に浮かぶ雲と考えますと,空に浮かぶ雲に,大きな翼を叩きつけるように上昇していく鶴を見ている情景だと私はイメージします。
鶴は身体が大きく,上昇して気流に乗るまでは,全力で翼を上下させないと上空までいけません。それは,優雅に上空で舞っている鶴の姿とは違い,鶴が飛び立つときは空に浮かぶ雲でさえ手掛かりにしたい気持ちで全力を出しているように見えたのでしょうか。
鶴の飛びたつ苦しそうな姿を自分が恋しい人を思う気持ちの強さ,そしてより相手と近づきたいとあえいでいる自分を重ね合わせて作者はこの短歌を詠んだのかも知れません。
次は,雷鳴を詠んだ短歌です。

天雲の八重雲隠り鳴る神の音のみにやも聞きわたりなむ(11-2658)
<あまくものやへくもがくり なるかみのおとのみにやも ききわたりなむ>
<<幾重も重なる天雲に隠れて雷の音だけが聞こえてくるように頻繁に伝わって来るのは他人の噂だけだ>>

稲妻は見えないけれど,遠くで雷鳴が聞こえ,空は分厚い雲で覆われている気象状況が良く伝わってきます。
私が埼玉県の吉川市(当時は吉川町)に住んでいたとき,梅雨の末期になるとこんな気象状況がよくありました。近くの河川敷ゴルフ場でゴルフをしているときなどは,カミナリが近づいてくるのか,遠ざかっていくのか,稲妻の方向が定かでないときは非常に気になったものです。カミナリ雲が接近したため,ゴルフを中断したり,結局途中で中止したことが何度かありました。
この短歌の作者は,誰が自分たちのことの噂を広めているのか,気になり,これを詠んだのかも知れません。噂というのは尾ひれがついて伝わることが多く,音だけの雷鳴のように二人の関係にとって迷惑に感じるものだったのでしょうね。
最後は,雲に隠れてわからないという気持ちを詠んだ短歌です。

思ひ出でてすべなき時は天雲の奥処も知らず恋ひつつぞ居る(12-3030)
<おもひいでてすべなきときは あまくものおくかもしらず こひつつぞをる>
<<思い出してどうしようもなくなった時には,天雲のその先がどうなっているか分からないくらいに恋焦がれているのです>>

この短歌の作者は,実際に空に浮かぶ雲を見て詠んだわけではなく,自宅で恋しい人と逢ったときのことを思い出して,今逢えないことの苦しさでどうしょうもなくなったのでしょうか。
先が見えない相手との恋路を空に浮かぶ分厚い雲の向こうが全く見えないことに例えていると私は見ます。やはり,雲一つない晴天のように遠くの先が見えるような明るい恋がしたいという気持ちが伝わってきます。
<同音異義語>
さて,雲を敢て天雲と読むのはなぜか考えてみました。「くも」と発音するものに「クモ(蜘蛛)」があります。万葉集では,山上憶良が詠んだ有名な貧窮問答歌に「蜘蛛の巣」という言葉が出てきます。
和歌を文字として記録することは一般的ではなく,口承でお互い記憶していた万葉時代は,同音意義の言葉は何らかの修飾語を付けて聞き分けていたのかもしれないと私は想像します。
「雲」は「蜘蛛」と区別するために「天雲」と表現することが多かったという論理です。真偽のほどは如何?です。
(序詞再発見シリーズ(26)に続く)

2017年7月31日月曜日

序詞再発見シリーズ(24) … 万葉人は山と雲をどう見たか?

今回は,「山にかかる雲」を万葉集の序詞に詠んだ短歌を紹介します。
最初は「香久山にかかる雲」です。

香具山に雲居たなびきおほほしく相見し子らを後恋ひむかも(11-2449)
<かぐやまにくもゐたなびき おほほしくあひみしこらを のちこひむかも>
<<香具山に雲がたなびいているように,はっきりとは見なかったが見た彼女を,あとで恋しくなってしまうのか>>

私は何度も香久山の近辺を通っていますし,登ったこともあります。香久山は非常に低い山です。そのため,雲が山すそをたなびく姿は実はイメージできにくい山です。
富士山のような大きく高い山だとこの短歌のイメージとピッタリなんですがね。
もしかしたら,この短歌の作者は天の香久山を実際には見たことがなく,伝聞で詠んでいるのかも知れませんね。そして,雲のように見える実体は,実は春霞だった可能性もありそうです。
次は「葛城山にかかる雲」です。

春柳葛城山に立つ雲の立ちても居ても妹をしぞ思ふ(11-2453)
<はるやなぎかづらきやまにたつくもの たちてもゐてもいもをしぞおもふ>
<<葛城山に立った雲のように,居ても立っても,彼女のことだけを恋しく思う>>

「春柳」は葛城山の枕詞として広辞苑には出てきます。今回は訳しませんでした。
葛城山は今の正式名称は「大和葛城山」と呼びます。場所は奈良県御所市の西に位置付き,山の西側は大阪府唯一の村である千早赤阪村です。標高は1,000メートル近くあり,関西としては立派な山の部類に入ります。
奈良盆地の南部にある飛鳥京や藤原京からは,葛城山がいつも見えて,夏になると入道雲のような雲が立つこともあったのだろうと私は思います。
次は「三笠の山にかかる雲」です。

君が着る三笠の山に居る雲の立てば継がるる恋もするかも(11-2675)
<きみがきるみかさのやまにゐるくもの たてばつがるるこひもするかも>
<<三笠の山にかかる雲のように,つぎつぎと湧き立ってくるような恋をさせてくれる>>

「君が着る」は三笠にかかる枕詞と広辞苑には出ています。これも,無理に訳しませんでした。ただ,女性が着る(被る)笠は,当時屋外に出ることの少ない女性の美しさやセンスの良さを見るのに使われたのではないかと私は考えます。
三笠の山は平城京の近くにあるため,京人は常に見ていた可能性があります。三笠の山に雲がかかるのは,やはり雨の時や雨が降った後の可能性がありそうです。
日本の気候を考えると,山と雲が切り離せないというイメージが万葉時代からあったことが,これらの短歌から感じとれます。
(序詞再発見シリーズ(25)に続く)