2012年7月14日土曜日

対語シリーズ「親と子」‥そう!「親孝行,したいときには親は無し」なのだ。


「親と子」は単純な対語関係と割り切れないものがあります。
でも,自分の親,自分の子のように相互に親子関係ならば,やはり何らかの意識を双方がするのが普通かと思います。
「親のことは忘れた」「あいつとは一切親子の縁を切った」などと言ったところで,何らかの「親と子」という意識があるから出る言葉でしょう。
さて,さまざまな人間模様を詠った和歌がたくさん収録されている万葉集,当然「親」や「子」を詠んだ和歌が数多く出てきます。
まず,恋路の邪魔をする親(父母)を詠んだ子どもたち(詠み人知らず)作の短歌を3首紹介します。

みさご居る荒礒に生ふるなのりそのよし名は告らじ親は知るとも(12-3077)
みさごゐるありそにおふる なのりそのよしなはのらじ おやはしるとも
<<みさご(大型の海鳥)の住んでいる磯に生えるなのりそ(ホンダワラ)のように,名前は伝えません。親が知ると厄介だからね>>

父母に知らせぬ子ゆゑ三宅道の夏野の草をなづみ来るかも(13-3296)
ちちははにしらせぬこゆゑ みやけぢのなつののくさを なづみけるかも
<<父にも母にも知らせていないが,恋しい君だから三宅道の夏野の草をかき分け,分からないように静かに通うことになるなあ>>

上つ毛野佐野の舟橋取り離し親は放くれど我は離るがへ(14-3420)
かみつけのさののふなはし とりはなしおやはさくれど わはさかるがへ
<<上野の佐野の舟橋を取り外ししてしまうように,親達は(貴方と私を)離そうするけれど,私別れたりなんかしないのだから>>

いつの世でも親が認める子どもの結婚相手と子どもが好きになる相手が同じでないことが少なくないようですね。
しかし,親(父母)を愛し,恋しく想う和歌も万葉集にはもちろんたくさんあります。その代表的なものが防人に関連する歌です。
最初は駿河の国出身の防人川原虫麻呂が詠んだとされる1首です。

父母え斎ひて待たね筑紫なる水漬く白玉取りて来までに(20-4340)
とちははえいはひてまたね つくしなるみづくしらたま とりてくまでに
<<父さん母さん、身を清めお祈りしながらお待ちください。筑紫の海底にあるという真珠を採って帰ってくる日まで>>

次は,大伴家持が防人の気持ちになって詠んだ長歌の反歌です。

家人の斎へにかあらむ平けく船出はしぬと親に申さね(20-4409)
いへびとのいはへにかあらむ たひらけくふなではしぬと おやにまをさね
<<家族が身を浄め祈ってくれたので平安な船出だったと母父にお伝えください>>

両方とも,天平勝宝7(755)年2月に採録したとの記録が万葉集の題詞にあります。
親が防人として出兵した子どもの無事をひたすら祈っている。子どもはそのことを痛いほど分かっているわけです。
祈りを通して親子の気持ちが一つになっているのですが,今の平和な日本にそんな親子関係を大切にする気持ちが変わらずあることを祈りたいですね。
そして,子ともが帰らぬ人となったとき家族はどんなに悲しむことになるのか,次は路傍の生き倒れの死人を見ての鎮魂歌です。

母父も妻も子どもも高々に来むと待ちけむ人の悲しさ (13-3337,3340)
おもちちもつまもこどもも たかたかにこむとまちけむ ひとのかなしさ
<<父母も妻も子どもも今か今かと帰えりを待っているであろう家族にとって本当に悲しいことだ>>

親子がお互いに生きている間に相互に愛情を持った孝行ができるようにしたいものです。一方が死んでからではできないですからね。
対語シリーズ「海と山」に続く。

2012年7月8日日曜日

対語シリーズ「押すと引く」‥押しが強ければ引き技もきれいに決まる?


<「天の川」特集は今年も好評>
このブログの閲覧数が先月後半から急増しています。閲覧頂いているほとんどの記事が,昨年の七夕に合わせてアップした「天の川」特集の3編です。
昨年の同時期の閲覧数も急増しましたが,うれしいことに今年はそれをはるかに超える数になっています。ありがたいことですね。
多くの方々に見て頂くことは大変光栄ですし,また「天の川」特集を閲覧して頂いたことをきっかけに,当ブログの他の記事もご覧頂くことになれば幸いです。
さて,昨晩は前回の投稿で写真紹介した壱岐の「天の川酒造」が1986年の貯蔵した麦焼酎「天の川」プレミヤム25年をストレートで味わいました。アルコール度数36度にも関わらず,非常にまろやかでした。それでいて,酔い心地が良く,ゆったりした気分にしてくれました。焼酎というより,熟成したウィスキーに近い味わいのように感じました。
<相撲の押し技と引き技>
ところで,今日から大相撲名古屋場所が始まります。久々の日本人力士優勝があるか,注目をしています。私にとって,相撲は四っ相撲からの豪快な投げ技も見事と感じますが,激しい押し相撲の迫力も見ごたえを感じます。しかし,引き落とし,はたき込み,肩透かし,突き落とし,送り出しなどの鮮やかな引き技も私には魅力に感じます。引き技によって負ける力士は自分が前へ押す力を利用されて引き技に引っ掛かるのだろうと思います。
引き技をあざやかに掛けるためには,相手に(余力を持たせず)渾身の力でこちらら向かってくるように仕向けなければなりません。引き技を掛ける方もまず渾身の力で相手を押し,相手に堪える力を出させます。そして,相手がもう少し力を出せば押し返せると思った瞬間を見計らって引き技を掛ける。そうすると,労せずして相手は力余ってばったり倒れたり,土俵を割ったりします。

万葉集では,相撲の技は出てきませんが,「押す」と「引く」の言葉は多数の和歌で詠まれています。まず,「押す」を詠み込んだ詠み人知らずの東歌(作者は人妻)です。

誰れぞこの屋の戸押そぶる新嘗に我が背を遣りて斎ふこの戸を(14-3460)
たれぞこのやのとおそぶる にふなみにわがせをやりて いはふこのとを
<<誰だろう,家の戸を揺さぶっているのは?新嘗祭のお祝いに私の夫が出かけているのを知っていて家の戸を(揺さぶっているのは)>>

万葉時代の東国は,おおらかな習慣があったのを示したいがために,編者はこの短歌を万葉集に入れたのでしょうか。
もし,本当に女性にとって迷惑だったら歌にしないでしょうね。亭主以外と密通なんて,今でもハラハラドキドキの想像が膨らむ短歌です。もちろん,人妻の立場で東国の男性がこの短歌を創作して,宴会で歌った可能性もあるでしょうね。
ただ,当時の平城京の男性達はこの短歌を見てどう思ったでしょうか? 東国は自由でいいなあ,東国へ行ってみたいなあ,東国で暮らしたいなあ,などと思ったかもしれません。私は万葉集の編者が東国へ誘おうとする意図を感じてしまいます。
次は東歌ではないですが,駆け落ちを想像させる詠み人知らずの短歌も万葉集にはあります。

奥山の真木の板戸を押し開きしゑや出で来ね後は何せむ(11-2519)
おくやまのまきのいたとを おしひらきしゑやいでこね のちはなにせむ
<<この重い無垢の板戸を押し開いて,さあ出ていらっしゃい。今しかないのだ>>

何か,あれをしてはいけない,これをしてはいけないという重い慣習を思い切って押し破るイメージでしょうか。
さて,今度はもうひとつの「引く」をテーマとした少し滑稽な短歌をいくつか紹介します。

梓弓引きみ緩へみ来ずは来ず来ば来そをなぞ来ずは来ばそを(11-2640)
あづさゆみひきみゆるへみ こずはこずこばこそをなぞ こずはこばそを
<<弓を引く,弛めるのように,来ないのなら来ない、来るのなら来るとはっきりしてくださいな。なのに来るとか来ないとか曖昧なことばかり言って,もう!>>

弓を引くとはしっかり的を絞るという意味かも知れませんね。煮え切らない男の態度に業を煮やしたのかも。
さて,次は無精ひげを生やした僧侶達をコケにしたこれも詠み人知らずの短歌です。

法師らが鬚の剃り杭馬繋いたくな引きそ法師は泣かむ(16-3846)
ほふしらがひげのそりくひ うまつなぎいたくなひきそ ほふしはなかむ
<<横着して鬚を剃らないで伸びて来た坊さんの鬚に馬を繋いで強く引かせてはいけないよ。坊さん泣くだろうからね>>

万葉時代,仏教の僧侶と言えば非常に高貴であり,時代の最先端の知識を持っていたエリートでした。当時の僧侶は,頭と顔を綺麗に剃り,清潔感溢れるスターのイメージです。
しかし,着ている衣(袈裟)は同じでも,行動力,態度,知識,書,講話力,修行の重ね具合などの実力には,それぞれ差が大きかったのでしょう。こんな髭を馬に引っ張られて痛がる僧をイメージした短歌が作られるくらいですから。ただ,僧侶の方も負けていません。この短歌に対して「拙僧を馬鹿にすると,税の取り立てが厳しくなり泣くことになるぞよ」と返しています。
そのほか,「引く」を詠み込みだ万葉集の和歌は80首超でてきます。引く対象は弓や馬以外に,網(あみ,つな),舟,眉,裳,裾,水,葛,麻,花などがあります。
対語シリーズ「親と子」に続く。

2012年7月6日金曜日

対語シリーズ「逢うと別れ」‥「天の川」それは出逢いと別れの象徴?


私ごとで大変恐縮ですが,ボーナスが予想よりほんの少し多く出たので,思い切って七夕を機に壱岐の麦焼酎「天の川」プレミアム(写真)を買いました。
何と通常の焼酎ボトルの半分の量(360ml)で2,100円もします。
庶民の私にとっては,急流の天の川に飛び込むような勇気を振り絞って買った次第です。
ただ,申し訳ありませんが,味はまだ飲んでいないので分かりません。呑ん兵衛の天の川君に見つからないように隠しておいて,明日の七夕の夜に飲むことにしています。その味は次回に報告します。
さて,今回のテーマは「逢うと別れ」です。まさに明日の七夕では牽牛織姫が年に一回逢い,そして翌日には別れ,翌年の七夕まで逢えないのです。
次は,天平2(730)年の七夕の頃,大伴旅人邸の宴席で山上憶良が詠んだとされる短歌です。

玉かぎるほのかに見えて別れなばもとなや恋ひむ逢ふ時までは(8-1526)
たまかぎるほのかにみえて わかれなばもとなやこひむ あふときまでは
<<ちらっとお逢いしただけで別れれば無性に恋しく思うでしょう。再び逢える時までは>>

1年に一度ほんの少しだけしか逢えず,すぐ別れてしまうからこそ,恋の想いがさらに募るのでしょうね。
次も七夕の「逢うと別れ」を詠んだ詠み人知らずの短歌です。

月日えり逢ひてしあれば別れまく惜しくある君は明日さへもがも(10-2066)
つきひえりあひてしあれば わかれまくをしくあるきみは あすさへもがも
<<月日はいっぱいあるけれど,今日一日と定めて逢ふのですから,別れることが捨てがたいあのお方は明日までもいて下さればよいのですが>>

織女の今夜逢ひなば常のごと明日を隔てて年は長けむ(10-2080)
たなばたのこよひあひなば つねのごとあすをへだてて としはながけむ
<<織姫は七夕の今夜彦星に逢えたなら,またいつものように明日から二人は離れ離れとなって一年の長い時を過ごしていくのか>>

明日には別れる定めであっても,もう一日でも長く逢っていたいのが,愛し合う二人の気持ちに違いありません。
牽牛と織姫は一年でたった一日だけでも逢える可能性があります。
ただ,遣新羅使のように船が難破して,命を落とし,二度と最愛の人に逢えない可能性があると次の短歌となります。
天平8(736)年の七夕,新羅に向かう遣新羅使が福岡で詠んだ短歌です。

年にありて一夜妹に逢ふ彦星も我れにまさりて思ふらめやも(15-3657)
としにありてひとよいもにあふ ひこほしもわれにまさりて おもふらめやも
<<一年中で一夜だけ織姫に逢う彦星でも私以上に妻のことを想うはずがない>>

万葉時代,このようにして,さまざまな人達が七夕を通して,お互いの恋しい気持ちを確認し合っていたのかもしれません。
対語シリーズ「押すと引く」に続く。

2012年6月30日土曜日

対語シリーズ「天と地」‥天に昇れば大地に落ちる危険性もある


今回は,見上げる「天」と見下ろす「地」について,万葉集を見て行きましょう。
まず山上憶良が詠んだとされる長歌を1首紹介します。

父母を見れば貴し 妻子見ればめぐし愛し 世間はかくぞことわり もち鳥のかからはしもよ ゆくへ知らねば 穿沓を脱き棄るごとく 踏み脱きて行くちふ人は 石木よりなり出し人か 汝が名告らさね 天へ行かば汝がまにまに 地ならば大君います この照らす日月の下は 天雲の向伏す極み たにぐくのさ渡る極み 聞こし食す国のまほらぞ かにかくに欲しきまにまに しかにはあらじか(5-800)
ちちははをみればたふとし めこみればめぐしうつくし よのなかはかくぞことわり もちどりのかからはしもよ ゆくへしらねば うけぐつをぬきつるごとく ふみぬきてゆくちふひとは いはきよりなりでしひとか ながなのらさね あめへゆかばながまにまに つちならばおほきみいます このてらすひつきのしたは あまくものむかぶすきはみ たにぐくのさわたるきはみ きこしをすくにのまほらぞ かにかくにほしきまにまに しかにはあらじか
<<父母を見れば尊敬の念を抱き,妻子を見れば可愛く,愛おしくてたまらない。世の中にはこうした道理がある。とりもちの罠にかかった鳥のように家族への愛情は断ち切り難いのだ。にもかかわらず,行末も分からない世の中だからといって,穴のあいた沓を脱ぎ捨てるように父母や妻子を捨てて行くという人は,非情の石や木と同じ生まれだろうか。蒸発したおまえは誰なのか。天へ行ったなら,思いのままにするがよい。ただし,この地上は大君が治めている。太陽と月が照らすこの国は,雲の垂れる果てまで、ヒキガエルが這い回る地の果てまで、大君が統治している国土なのだ。逃げて思いのままにしたいと,おまえは思うかもしれないが,いつまでもそんな訳には行かないだろう>>

今の日本は,大君(天皇)が治めるのではなく,法治国家です。それでも「大君」を「法」に読み替えれば,まさに現代の世の中でもまったく古さを感じない長歌だと思いませんか?
<1,300年前も同じ>
事件の報道を聞くにつけ,自分を産んでくれた父母に対して尊敬の念を抱かないどころか,気に入らないので殺してしまう子供がいる。
いっぽう,自分の楽しみを奪う邪魔者だからと子供を虐待したり,殺してしまう父母がいる。
また,自分達の思想や行動を邪魔するものは抹殺するというテロリズム的行動も依然無くなっていません。
「道徳教育」というと戦前の軍国主義と結くというイメージがあり,また,超近代化社会では新しい技術や用語を教えるだけで古い倫理観をじっくり教えていくことの優先度が低くなってしまうのは,ある程度仕方ないことかも知れません。また,価値観の多様化によって,ベースとなる倫理観自体の有効な教育の困難性も増しているようにも思います。
実は,私もコンサーバティブ(保守的な)より,イノベーション(革新,改革)という言葉にポジティブなイメージを持つ人間の一人です。
<歴史的教訓は簡単には捨てられない?>
ただ,どんなに革新的な社会であっても古い考え方を全面的に否定して成り立っているのではないと私は思うのですがどうでしょうか。私は常にイノベーションを積極的に考えることと,古くて良いこと(モノ,考え方)をすべて捨て去ることとは同じではないと考えています。
本当の意味のイノベーションは,古いて良いモノは残し,時代に合わなくなってモノは捨て,斬新な考えやモノを積極的に導入する。その時,捨ててしまう古いモノが無くなってしまうことによるデメリット,新しい考えやモノを導入するときに発生しうる変化のリスクを正しく評価という手順を踏んで,やっと実施に移す。
そして,イノベーションを起こす人達(リーダーもメンバー)すべてがその手順の過程(ストーリ)を共有していることこそ,初めてイノベーションが成功できる要因なのだというのが私の考えです。
「ゆっくり考えるなんて悠長なことは言ってられないのだ。失敗を恐れずに何でもいいからチャレンジするんだ!突き進め!」と発破を掛けられ,失敗だけで済むなら良いのですが,失ってはならない貴重なモノまで失ってしまっては本も子もありません。
憶良の上の長歌に対する反歌を続けて紹介します。

ひさかたの天道は遠しなほなほに家に帰りて業を為まさに(5-801)
ひさかたのあまぢはとほし なほなほにいへにかへりて なりをしまさに
<<現状から逃避する天の道は遠い(逃避は結局できない)。黙々と家に帰って自分の仕事をしなさい>>

現状や現場をしっかり見て,着実により良くする(改善)ことが,実は本来のイノベーションなのです。地に足を着けて,難しい状況の中で改善を続けられることは本当に素晴らしい改革なのです。
現状を全面否定し,そこから逃げ出し,一足飛びに解決できることを探す(天の道を探す)ことは簡単に見えますが,結局はそんな道(ショートカットパス)は見つからないことの方がはるかに多いのです。
憶良が伝えたかったのは,そんなことではないかと私は思います。
堅い話が続きましたが,うれしいときや楽しみが近づいているとき,天にも昇る思いや地に足が付かづ,ふあふあした気持ちになることがありますね。

立ちて居てたどきも知らず我が心天つ空なり地は踏めども(12-2887)
たちてゐてたどきもしらず あがこころあまつそらなり つちはふめども
<<立ったりすわったりして,どうしていいかわからず,私の心はまるで天空を舞っているようです。しっかり地を踏んではいるのだけれど>>

この詠み人知らずの短歌は,恐らく恋人がやってくるのを心待ちにしていて,落ち着かない状態を詠んだのでしょう。
来週は七夕です。こんな気持ちで心待ちにしている人もいるかもしれません。その期待が実現し,多くの牽牛と織姫のデートが実現するといいですね。

対語シリーズ「逢うと別れ」に続く。

2012年6月23日土曜日

対語シリーズ「解くと結ふ」‥紐は解いて待つ?いや,解いてもらうため結んで待つ?


旧暦の七夕(今の8月立秋あたり)は妻問いにちょうど良い季節だったのでしょうか?
梅雨が明け晴れた日が多く,空気も澄んでくる。昼間はまだ暑いが,立秋も過ぎ夜になると少し風が涼しく感じられるようになる。うるさい蛙(かはづ)の声がおさまり,どこからともなくロマンチックな秋の虫の声が聞こえてくる。
今のように,高いビル,アスファルトの道,貧弱な街路樹などによるヒートアイランド現象が無かった万葉時代は,旧暦七夕の時期の夜になると男女が身を寄せ合うのにもっとも適した季節だったのではないかと私は想像します。
さて,妻問いで夫の来訪を待つ妻は下衣の紐を解いて待つか,夫に解いてもらうために紐は軽く結んでおくか?どちらが夫に喜んでもらえるか。それが大問題です。
まずは,万葉集に出てくる紐を解いて待つ派の女性(詠み人知らず)の短歌です。

天の川川門に立ちて我が恋ひし君来ますなり紐解き待たむ(10-2048)
あまのがはかはとにたちて あがこひしきみきますなり ひもときまたむ
<<天の川の渡し場に行っては,私が恋い慕っていたあなたがいらっしゃるらしい。衣の紐を解いてお待ちしよう>>

次は,七夕を詠ったものではありませんが,紐を夫に解いてもらう派の詠み人知らず(東歌)の短歌です。

昼解けば解けなへ紐の我が背なに相寄るとかも夜解けやすけ(14-3483)
ひるとけばとけなへひもの わがせなにあひよるとかも よるとけやすけ
<<昼間は解ことしても解けない紐が,あなたと寄添う夜は何と解けやすいこと>>

紐を解いたのは本人か夫か分かりませんが,少なくとも相寄るまでは紐は結んで待っていると想像できます。
ところで,男の方はどうでしょうか。牽牛星織姫星の逢瀬を題材にお互いが衣の紐を解きあいたいと詠った次の詠み人知らずの短歌があります。

高麗錦紐解きかはし天人の妻問ふ宵ぞ我れも偲はむ(10-2090)
こまにしきひもときかはし あめひとのつまどふよひぞ われもしのはむ
<<高麗錦の紐を互いに解きあって彦星が妻問いをする今宵。私もそうして見よう>>

この3首から,共寝では男心としては着ているものを脱がせるプロセスが楽しみ(ワクワクする)。通常の女心は準備OKの印として着ているものを脱いでおきたい。ただし,そんな男心を知っている女性は相手に脱がせるため,わざと着ておく(紐を結んでおく),といったことが分かりますね。

天の川 「なんや。今も昔もちっとも変わらへんな。たびとはんは女性の背中のホックを外すが下手やったやんか。」

あのね,天の川君。頼むから誤解を招くようなことを言わないようにしてくれ。とんでもない天の川の奴に乱されましたがまとめます。
紐を解くの「解」は「解析学」「数値解析」の「解」です。
解析学や数値解析を研究している人には,もともと圧倒的に男性が多いとしたら,「紐を解く」を男性が好きだということとまさか関係があるなんてことはないですよね。
対語シリーズ「天と地」に続く。

2012年6月18日月曜日

対語シリーズ「淀(淵)と瀬」‥天の川には淀(淵)と瀬があったのか?


先日,大学で私が所属していた万葉集の研究会の顧問をして頂いた先生の古稀を祝うため,同じく顧問をされていた他のクラブや公開講座の卒業生・現役メンバー計100名以上が一堂に会しました。
私は集いの全体幹事を拝命し,昨年から企画を始め,その後の準備・当日の運営を中心的に進めました。
何とか盛会かつ無事に集いを完了することができ,今は正直ホッとしているところです。
先週は集いの準備で更新が滞りましたが,ブログアップを再開します。
今回は川の流れが緩やかな場所(淀)と深くなった場所(淵)に対し,反対に川が浅く流れが速い場所(瀬)について万葉集で詠まれいる和歌を見て行きましょう。
実は「淀」と「瀬」,「淵」と「瀬」の両方が詠まれている歌が万葉集にいくつも出てきます。
まず,「淀」と「瀬」の詠み人知らずの短歌から。

宇治川は淀瀬なからし網代人舟呼ばふ声をちこち聞こゆ(7-1135)
うぢがははよどせなからし あじろひとふねよばふこゑ をちこちきこゆ
<<宇治川には歩いて渡れる流れの緩やかな淀のような瀬がないらしい。網代をかけて漁を獲る人達の舟を呼ぶ声があちこちから聞こえる>>

琵琶湖から流れる大量の水が上流から押し寄せてくる宇治川,急流で,魚を獲る網代を設置するのも大変だったのかも知れません。
網代の材料や設置する人を運ぶ舟の操作も急流のため難しく,流れる水音に負けないほど大きな声で作業者間で指示が飛んでいたのでしょうか。
もうひとつ「淀」と「瀬」が出てくる長歌を紹介します。作者は境部老麻呂(さかひべのおゆまろ)という役人で,天平13(741)年2月に恭仁(くに)京を賛美して作ったとされています。

山背の久迩の都は 春されば花咲きををり 秋されば黄葉にほひ 帯ばせる泉の川の 上つ瀬に打橋渡し 淀瀬には浮橋渡し あり通ひ仕へまつらむ 万代までに(17-3907)
やましろのくにのみやこは はるさればはなさきををり あきさればもみちばにほひ おばせるいづみのかはの かみつせにうちはしわたし よどせにはうきはしわたし ありがよひつかへまつらむ よろづよまでに
<<山背の久迩の都は,春になると花がいっぱい咲き,秋になると紅葉が美しく映えます。帯のような泉川の上流の瀬には打橋を渡し,流れ淀んだ瀬には浮橋を渡し,そこを通ってお仕えいたしましょう。いついつまでも>>

泉川は今の木津川のことだとされています。瀬は早瀬の意味と淀んだ瀬の意味があります。瀬と書くと前者,淀瀬と書くと後者の意味になります。
しかしながら,この3年後には恭仁京は無くなってしまいます。時の流れは早瀬に浮かぶ木の葉のようにあっという間に過ぎ去っていく奈良時代中期でした。
次は「淵」と「瀬」の両方が詠み込まれた大伴旅人が大宰府で詠んだとされる短歌です。やはり時の流れを川の淵と瀬に例えて詠んでいます。

我が行きは久にはあらじ夢のわだ瀬にはならずて淵にありこそ(3-335)
わがゆきはひさにはあらじ いめのわだせにはならずて ふちにありこそ
<<私の大宰府赴任もそう長くはないでしょう。夢の流れは瀬に(早い変化に)ならずに淵の(変化の少ない)ままであってほしいものだ>>

世の中の変化が急激だと先が読めなくなる。そうならないで欲しいというのが,大宰府にいる旅人の偽らざる気持ちだったのかも知れませんね。
次に,その旅人が奈良に帰任し,大納言になった後,亡くなるその年,自分生まれ故郷の明日香の地に想いを馳せて詠んだ短歌です。

しましくも行きて見てしか神なびの淵はあせにて瀬にかなるらむ(6-969)
しましくもゆきてみてしか かむなびのふちはあせにて せにかなるらむ
<<ほんの少しだけでも行って見てみたい。神奈備の川の淵は浅くなって瀬になっているのではないか>>

晩年の旅人は身体も弱り,生まれ故郷の明日香に行くことすらままならない状態だったのでしょう。
でも,神奈備山を見て幼い頃飛び込んで遊んだ川(飛鳥川)の淵はどうなっているか見てみたい。
きっと,上流からの土砂で浅くなり浅瀬になっていて,昔と変わってしまっているのだろうなと旅人は想像しているように私には感じられます。
みなさんにも幼いころ遊んだ場所が今どうなっているか気になるところはきっとあるのではないでしょうか。
さて,七夕も近付きつつありますが,夜空に輝く天の川は万葉集によると急流だったようです。
というのは「瀬」と「天の川」を詠んだ和歌はたくさん出てきますが,天の川で「淀」や「淵」を詠んだものはありません。
その中で,詠み人知らずの短歌一首を紹介します。

天の川瀬々に白波高けども直渡り来ぬ待たば苦しみ(10-2085)
あまのがは せぜにしらなみたかけども ただわたりきぬまたばくるしみ
<<天の川の瀬々の白波は高かったけれど,ただひたすら渡ってきたよ。待つのは辛いことだからね>>

万葉時代は七夕は,今でいえばバレンタインデーやクリスマスのような男女の出会いの場だったのでしょうか。天の川は早瀬で,渡るのは少し危ないけれど,それを押して逢いに来る彦星と待つ織姫。
ただ,残念ながら新暦7月7日は梅雨が明けていないことが多く,万葉時代の雰囲気は今は伝わりにくいのかも知れませんね。
ところで,いつもごろごろしている天の川君は早瀬という雰囲気はかけらもなし。まさに「淀んだ淵」だね。

天の川 「やかましいなあ。寝てばっかりはわしの甲斐性や。放っといてんか!」

対語シリーズ「解くと結ふ」に続く。

2012年6月8日金曜日

対語シリーズ「手と足」‥七夕の織姫は手足をリズミカルに動かせた?


「手」と「足」が本当の意味で対語であるか微妙かも知れませんが,万葉集の多くの和歌で「手」と「足」が出てきます。
特に「手」は次のような多くの熟語になり,詠み込まれています。

麻手(あさで)‥麻で織った布
伊豆手船(いづてふね)‥伊豆で造船された船
大御手(おほみて)‥天皇の手
水手(かこ)‥舟を漕ぐ人。水夫
蛙手(かへるて)‥カエデ
衣手(ころもで)‥袖
手柄(たかみ)‥剣のつか
直手(ただて)‥自分の手(自分だけ)で行うこと。
手玉(ただま)‥手に付ける玉
手力(たぢから)‥腕力
手束(たつか)‥手に握り持つこと
手作り(たづくり)‥手で織った布
手馴れ(たなれ)‥扱いに慣れていること
手挟む(たばさむ)‥手で挟む
手火(たひ)‥手に持って道などを照らすたいまつ
手巻(たまき)‥ひじに纏った輪形の装飾品
手枕(たまくら)‥腕を枕とすること
手向け(たむけ)‥神や死者の霊に物を供えること
手本(たもと)‥ひじから肩までの間
手弱し(たよわし)‥か弱い
手弱女(たわやめ)‥たわやかな女性
手童(たわらは)‥幼い子供
手折る(たをる)‥手で折る
柧手(つまで)‥荒削りした木材
手臼(てうす)‥手で杵を持って穀物を挽く臼
手染め(てそめ)‥手で染めたもの
手斧(てをの)‥ちょうな
長手(ながて)‥遠い道
最手(ほつて)‥優れた技
井手(ゐで)‥田の用水を塞き止めているところ

いっぽう,「足」は次のような熟語として使われています(「足る」の用例は除く)。

足占(あうら)‥足を使った占い
足掻き(あがき)‥馬などが前足で掻いて進むこと
足飾り(あしかざり)‥足に付ける飾り
足玉(あしだま)‥足に付ける玉
足早(あしはや)‥速力が速いこと
足痛く(あしひく)‥足に病がある
足悩む(あしゆむ)‥足が痛む。難儀しながら歩く
足速や(あばや)‥足が速いこと
足結(あゆひ)‥動きやすいように袴を膝頭で結んだ紐。

では,まず「手」と「足」が両方詠み込まれていて,七夕を題材にした詠み人知らずの短歌を紹介します。

足玉も手玉もゆらに織る服を君が御衣に縫ひもあへむかも(10-2065)
あしだまも ただまもゆらに おるはたを きみがみけしに ぬひもあへむかも
<<手足につけた飾り玉が触れ合って奏でる音を聞きつつ織る布は,七夕の夜貴方に着ていただくための御衣用なの。お気に入りの形に縫えるよう織れるかしら>>

ところで,後1カ月足らずで七夕がやってきますね。
この歌は織姫の気持ちを詠んだ短歌です。機織(はたおり)は手と足を使いながら行います。足は経糸(たていと)を交互に上と下に分ける踏み台を踏む作業をします。手は舟形をした杼(ひ)と呼ばれる道具を横に走らせ,緯糸(よこいと)を通す作業を行います。
これをタイミング良く繰り返すと,きっと手と足に付けたアクセサリーに付いている玉が触れ合って規則正しい音を立てていたのかも知れませんね。
この音が途絶えることが無いほど頑張って機織をしているけれど,たくましい牽牛に似合いの大きさに織れるか心配している織姫の気持ちをこの作者は表現したかったのでしょうか。
さて,次は同じく七夕と手を詠んだこれも詠み人知らずの短歌を紹介します。

年にありて今か巻くらむぬばたまの夜霧隠れる遠妻の手を(10-2035)
としにありて いまかまくらむ ぬばたまの よぎりこもれる とほづまのてを
<<年に一度,今こそ抱き合おう。夜霧の衣に包まれた彼方の妻の手によって>>

年に一度の逢瀬,天の川対岸の織姫の手で抱かれたい。そんな男の願望が私には伝わってきます。
残念ですが,七夕と身体の足を詠ん和歌は万葉集にはありません(「足る」という意味では出てきます)。しかし,天平感宝元(749)年7月7日越中にて「立つ(足で)」を詠んだ大伴家持の短歌はあります。

安の河こ向ひ立ちて年の恋日長き子らが妻どひの夜ぞ(18-4127)
やすのかは こむかひたちて としのこひ けながきこらが つまどひのよぞ
<<天の川を挟んで向かい立ち,一年に一度の恋に首を長くして待っていた恋人たちが,今夜は共寝をする夜だ>>

今回,万葉集で多く詠まれている手と足について,七夕の切り口で見てみました。万葉時代,七夕では若い男女の手や足が活発に動いたのでしょうね。おっと,勘違いしないでくださいね。文(ふみ)や和歌を書いたり,恋人や妻の家まで歩いたり,恋人や夫を迎える準備をしたりすることですよ。
対語シリーズ「淀と瀬」に続く。