今回は現代の日常会話ではほとんどまず使わないだろう「まく欲し」について,万葉集を見ていきます。「まく欲し」は「強く~したい」という願望の形容詞です。万葉集では「見まく欲し」(見たい)という使い方が何首か出てきます。
次は山部赤人が旅の途中に詠んだとされる長歌です。
御食向ふ 淡路の島に 直向ふ 敏馬の浦の 沖辺には 深海松採り 浦廻には なのりそ刈る 深海松の 見まく欲しけど なのりその おのが名惜しみ 間使も 遣らずて我れは 生けりともなし(6/946)
<みけむかふあはぢのしまに ただむかふみぬめのうらの おきへにはふかみるとり うらみにはなのりそかる ふかみるのみまくほしけど なのりそのおのがなをしみ まつかひもやらずてわれは いけりともなし>
<<淡路の島に直ぐ向う敏馬の浦の沖あたりでは,深い海底にある海松(みる)を採り,浦辺ではなのりそを刈る。海松のように君の顔を見たいと思うけれど,そんなことをするとつ(なのりそ)のように自分の名の評判が下がるのではないかと思い,使いも遣ることができず,私は生きた気がしない>>
赤人は瀬戸内海の淡路島の直面する駿馬の浦では,海藻の採取が盛んであることを知ります。
その海藻には海松とかなのりそという名付けられたものがあることを知り,妻への想いが蘇り,これを詠んだのだろうと私は考えます。この長歌の吟詠を聞いた京人は,そんな面白い名前の海藻を見てみたい,現地に行ってみたい,採れたての海藻を食べてみたいと思ったに違いないと私は思います。
次の「まく欲し」の形容として出てくるのが,「懸けまく欲し」というものてす。これは,「言葉に出して言いたい」といった意味です。
栲領巾の懸けまく欲しき妹が名をこの背の山に懸けばいかにあらむ(3-285)
<たくひれ かけまくほしき いもがなをこのせのやまに かけばいかにあらむ >
<<声をかけたい妻の名をこの背の山になぞらえてみたらどうだろう>>
この短歌は丹比笠麻呂(たぢひのかさまろ)という羈旅の歌を5首ほど万葉集に残す官吏が紀伊の国(和歌山)を旅したときに詠んだものです。背は夫という意味があるようです。背の山を自分に懸けて,妻の名を懸ける(声を出して呼ぶ)ことを欲する気持ち(まく欲し)を詠んだと私は解釈します。
最後は「守らまく欲し」という用例の短歌(詠み人知らず)を紹介します。
うつたへに鳥は食まねど縄延へて守らまく欲しき梅の花かも(10-1585)
<うつたへにとりははまねど なははへてもらまくほしき うめのはなかも>
<<全部鳥が食べてしまうようなことはないと思いますが,しめ縄を一面に張ってしっかり守りたいほど見事な梅の花です>>
ここまで万葉集に出てくる「まく欲し」を見てきましたが,読者の皆さんが「見まく欲し」といつも感じて頂けるような内容のブログに,これからもして「行かまく欲し」と考えています。
さて,次回から「心が動いた詞(ことば)シリーズ」はお休みにして少し早いですが,夏休みスペシャルに入ります。
夏休みスペシャル「長尾街道を歩く」に続く。
2013年7月20日土曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「なつかし」
私のように年齢を重ねると最近次のような経験で「懐かしい」と感じることが多くあります。
・ BSで放送された「二十四の瞳」を久しぶりに観た。
・ 10何年以上前,勤務先近くで頻繁に通っていたが事業所が変わりその後行かなくなった飲み屋に久しぶりに行ってみた。
・ 名神高速道路(一部)が最初に開通して50年という記事を読み,58年10月京都市山科区(当時京都市東山区山科)蚊ヶ瀬で行われた起工式に,会場のすぐそばまでちっちゃな自転車に乗って見物に行ったことを思い出した。
さて,本題の万葉集ですが,「なつかし」を詠んだ和歌が18首ほどでてきます。その中で「なつかし」の対象となるものは,次のようにいろいろあります。
秋の山辺,秋山の色,梅の花,君,木の葉,妻,妻の子,鳥の鳴き声,鳥の初声,野原, 藤波の花,山,我妹。
万葉集で出てくる「なつかし」の意味は,現代のようにかなり遠い過去の「思い出」と強く結びつく言葉だけではなかったようです。例を見てみましょう。
さ夜更けて暁月に影見えて鳴く霍公鳥聞けばなつかし(19-4181)
<さよふけてあかときつきに かげみえてなくほととぎす きけばなつかし>
<<夜が更けて夜明け前の月に姿を見せて鳴くほととぎすの鳴き声を聞くと心がを癒される>>
この短歌は大伴家持が越中で詠んだ1首です。家持は前の晩からストレスか悩みで眠れなかったのでしょうか。でも,夜明け前に「キキョ,キキョ」とホトトギスの鳴き声で心静かになったようです。ここの「なつかし」は「心が和む」「心が癒される」といった意味になりそうです。
次の1首は柿本人麻呂歌集から万葉集に転載したという詠み人知らずの短歌です。
見れど飽かぬ人国山の木の葉をし我が心からなつかしみ思ふ(7-1305)
<みれどあかぬひとくにやまの このはをしわがこころから なつかしみおもふ>
<<ずっと見ていたい人国山(故郷)の木の葉(人たち)のことを心から慕わしく思っています>>
ここでの「なつかし」は「人を慕う」という意味かと思います。次は,大伴家持が越中赴任後1年ほどした天平19年,平城京に一時的に帰って状況を報告するため,越中を出発する前,盟友の大伴池主が家持に贈った長歌の反歌です。
玉桙の道の神たち賄はせむ我が思ふ君をなつかしみせよ(17-4009)
<たまほこのみちのかみたち まひはせむあがおもふきみを なつかしみせよ>
<<道の神たちよ,賽物(さいもつ)を捧げましょう。私が慕っている家持殿を親しみをもって迎えてください>>
この「なつかし」も,その前の2首とはニュアンスが少し異なっいると私は感じます。最後は,大宰府で大伴旅人がホストとなり,大勢のゲストを集めた梅見の宴(天平2年春開催)でゲストのひとりの小野氏淡理(をののうぢのたもり,小野田守)が詠んだ短歌です。
霞立つ長き春日をかざせれどいやなつかしき梅の花かも(5-846)
<かすみたつながきはるひを かざせれどいやなつかしき うめのはなかも>
<<霞立つ長い春の日をかざしていても,(飽きることなく)ますます心がひかれる梅の花ですね>>
梅が咲くころ,日照時間が冬至の頃と比べて長くなってきます。そんな柔らかい春の日がずっと当たっていても,梅の花はどうしてこんなに魅力的なのかという気持ちを詠いあげています。このとき「なつかし」という形容詞がこの短歌における表現のキーワードになっていると私は感じます。
この年,旅人は6年間務めた大宰府長官の任を解かれ,「懐かしい」平城京に戻るのです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「まく欲し」に続く。
・ BSで放送された「二十四の瞳」を久しぶりに観た。
・ 10何年以上前,勤務先近くで頻繁に通っていたが事業所が変わりその後行かなくなった飲み屋に久しぶりに行ってみた。
・ 名神高速道路(一部)が最初に開通して50年という記事を読み,58年10月京都市山科区(当時京都市東山区山科)蚊ヶ瀬で行われた起工式に,会場のすぐそばまでちっちゃな自転車に乗って見物に行ったことを思い出した。
さて,本題の万葉集ですが,「なつかし」を詠んだ和歌が18首ほどでてきます。その中で「なつかし」の対象となるものは,次のようにいろいろあります。
秋の山辺,秋山の色,梅の花,君,木の葉,妻,妻の子,鳥の鳴き声,鳥の初声,野原, 藤波の花,山,我妹。
万葉集で出てくる「なつかし」の意味は,現代のようにかなり遠い過去の「思い出」と強く結びつく言葉だけではなかったようです。例を見てみましょう。
さ夜更けて暁月に影見えて鳴く霍公鳥聞けばなつかし(19-4181)
<さよふけてあかときつきに かげみえてなくほととぎす きけばなつかし>
<<夜が更けて夜明け前の月に姿を見せて鳴くほととぎすの鳴き声を聞くと心がを癒される>>
この短歌は大伴家持が越中で詠んだ1首です。家持は前の晩からストレスか悩みで眠れなかったのでしょうか。でも,夜明け前に「キキョ,キキョ」とホトトギスの鳴き声で心静かになったようです。ここの「なつかし」は「心が和む」「心が癒される」といった意味になりそうです。
次の1首は柿本人麻呂歌集から万葉集に転載したという詠み人知らずの短歌です。
見れど飽かぬ人国山の木の葉をし我が心からなつかしみ思ふ(7-1305)
<みれどあかぬひとくにやまの このはをしわがこころから なつかしみおもふ>
<<ずっと見ていたい人国山(故郷)の木の葉(人たち)のことを心から慕わしく思っています>>
ここでの「なつかし」は「人を慕う」という意味かと思います。次は,大伴家持が越中赴任後1年ほどした天平19年,平城京に一時的に帰って状況を報告するため,越中を出発する前,盟友の大伴池主が家持に贈った長歌の反歌です。
玉桙の道の神たち賄はせむ我が思ふ君をなつかしみせよ(17-4009)
<たまほこのみちのかみたち まひはせむあがおもふきみを なつかしみせよ>
<<道の神たちよ,賽物(さいもつ)を捧げましょう。私が慕っている家持殿を親しみをもって迎えてください>>
この「なつかし」も,その前の2首とはニュアンスが少し異なっいると私は感じます。最後は,大宰府で大伴旅人がホストとなり,大勢のゲストを集めた梅見の宴(天平2年春開催)でゲストのひとりの小野氏淡理(をののうぢのたもり,小野田守)が詠んだ短歌です。
霞立つ長き春日をかざせれどいやなつかしき梅の花かも(5-846)
<かすみたつながきはるひを かざせれどいやなつかしき うめのはなかも>
<<霞立つ長い春の日をかざしていても,(飽きることなく)ますます心がひかれる梅の花ですね>>
梅が咲くころ,日照時間が冬至の頃と比べて長くなってきます。そんな柔らかい春の日がずっと当たっていても,梅の花はどうしてこんなに魅力的なのかという気持ちを詠いあげています。このとき「なつかし」という形容詞がこの短歌における表現のキーワードになっていると私は感じます。
この年,旅人は6年間務めた大宰府長官の任を解かれ,「懐かしい」平城京に戻るのです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「まく欲し」に続く。
2013年7月14日日曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「ゆゆし」
<郡上八幡への訪問>
この前の月曜日から水曜日まで,コンピュータソフトウェアに関する学会のシンポジウムに参加するため,岐阜市に行ってきました。岐阜市は35度以上の猛暑が続いていましたが,会場や宿泊先のホテルで冷房が効いていて快適に過ごせました。
そのシンポジウムは毎年場所を代えて開催されているのですが,私は本当に久しぶりの参加でした。学会の幹事の方や大学の先生方と久しぶり再会できた人も多く,懇親会では初めて名刺を交換した人だけでなく,そういった方々とも楽しくソフトウェア工学の研究動向についてお話ができました。
また,岐阜市に行ったついでに親しい参加者数人と車で郡上八幡を訪れました。
郡上おどりはまだ始まっていませんでしたが,天気に恵まれ,静かな郡上八幡の城下町,清流だけど水量豊かな吉田川,八幡城から眺めた街並みや青々とした山並みは本当に素晴らしいと感じました。
郡上八幡は,食品サンプル(レストランの入り口横に飾ってある料理のイミテーション)の創始者とも称される岩崎瀧三の出身地で,食品サンプルを作る産業が盛んだそうです。郡上八幡で作られた食品サンプルの全国シェアは60%もあるらしく,時間の関係でちら見しかできませんでしたが,街には食品サンプルを売る店やサンプル作成の体験ができる工房もありす。
昼食で食べた郡上八幡城下町エリアのお店の「うな重」は最高でした。ここのウナギはミネラル分豊かな郡上八幡の湧水で何日も過ごしてからさばかれているのかもしれませんね。
天の川 「たびとはん。わいに黙って,自分だけウナギを食べたんか! えろ~,ゆゆしいこっちゃ!」
天の川君,ちょうど今回のテーマの「ゆゆし」を使ってくれてありがとう。素晴らしい連携プレイだね。
天の川 「褒めてごまかしてもアカンで。わいにもウナギ,ウナギや,ちゅうねん!」
<本題>
無視して本題に移りましょう。「ゆゆし」は,天の川君が「うとましい」「いやだ」という意味で言ったように,現在でも「ゆゆしい」として使われています。
しかし,広辞苑には「神聖また不浄なものを触れてはならないものとして強く畏怖する気持ちを表すのが原義」とあります。
万葉集では,当然ですがその原義に近い意味で使われている和歌がでてきます。
かけまくもあやに畏し 言はまくもゆゆしきかも 我が大君皇子の命 万代に見したまはまし 大日本久邇の都は うち靡く春さりぬれば 山辺には花咲きををり 川瀬には鮎子さ走り いや日異に栄ゆる時に およづれのたはこととかも 白栲に舎人よそひて 和束山御輿立たして ひさかたの天知らしぬれ 臥いまろびひづち泣けども 為むすべもなし(3-475)
<かけまくもあやにかしこし いはまくもゆゆしきかも わがおほきみみこのみこと よろづよにめしたまはまし おほやまとくにのみやこは うちなびくはるさりぬれば やまへにははなさきををり かはせにはあゆこさばしり いやひけにさかゆるときに およづれのたはこととかも しろたへにとねりよそひて わづかやまみこしたたして ひさかたのあめしらしぬれ こいまろびひづちなけども せむすべもなし>
<<言葉をかけるのもたいへん畏れ多く、言ってみるのもはばかれることだが,私が仕へる天子(聖武天皇)の皇子(安積親王)が永遠にお治めなさるべき恭仁の都は,春が來ると山の辺には枝もたわわに花が咲き,川の瀬にはアユの子が走るように泳いでいる。日に日に段々と隆盛していく中、悪い噂の呪いの言葉とも思はれるような評判が聞こえてきた。それは御身に使える舍人達が白い栲の着物に着替えて、和束山をば輿に乗って出発され,天を治めにお登りなされた(お亡くなりになった)ので、舍人達は倒れころげて,絶え間ない涙に濡れて泣いている。何とも仕方がないことだ>>
この長歌は,大伴家持が恭仁(くに)京の造営に携わっていた天平16年,聖武(しやうむ)天皇の第二皇子である安積親王(あさかしんわう)が若くして亡くなったことを悼んで詠んだものです。
ここに出てくる「ゆゆしきかも」は「神聖であるからお名前も言ってはいけないほど」といった意味でしょうか。
さて,次は少し違う意味の「ゆゆし」を詠んだ詠み人知らずの女性の短歌です。
朝去にて夕は来ます君ゆゑにゆゆしくも我は嘆きつるかも(12-2893)
<あしたいにてゆふへはきます きみゆゑにゆゆしくもわは なげきつるかも>
<<朝にお帰りになって,夕方またお見えになるあなた様だから,いらっしゃらない昼は,うとましいほど私は嘆いてしまうことでしょう>>
「あなたとずっといたいのよ」というこの短歌を見た男性は,早めに女性宅に来るようになったでしょうか。
さて,次は高級官僚である中臣東人(なかとみのあづまひと)が阿倍女郎(あべのいらつめ)に贈った相聞歌です。
ひとり寝て絶えにし紐をゆゆしみと為むすべ知らに音のみしぞ泣く(4-515)
<ひとりねてたえにしひもを ゆゆしみとせむすべしらに ねのみしぞなく>
<<ひとりで寢ていたら,あなたが結んでくれた紐が切れた。それは不吉な兆しというけれど,どうすけばよいのか分からず泣くばかりなのです>>
これに対して,阿倍女郎は次のように返歌しています。
我が持てる三相に搓れる糸もちて付けてましもの今ぞ悔しき(4-516)
<わがもてるみつあひによれる いともちてつけてましもの いまぞくやしき>
<<私が持っている三本に縒った丈夫な糸で紐を縫いつけてあげればよかった。今では悔いています>>
さて,東人が「ゆゆし」といった不吉な前兆を女郎はどう解釈したのでしょうか。
東人さんは,もう二人は別れなければならないので泣いているのか? それとも,何としても別れたくないので泣いているのか? 女郎にとってはそこを見極めなければならいでしょう。
そこで,女郎は返歌では悔いていることを別れとは無関係の紐をつなぐ糸に絞って詠い,相手の反応を見ようとしたのではないかと私は思います。
これに対する東人の返歌は万葉集に残っていないようです。二人はこの相聞をもって別れてしまったのでしょうか。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「なつかし」に続く。
この前の月曜日から水曜日まで,コンピュータソフトウェアに関する学会のシンポジウムに参加するため,岐阜市に行ってきました。岐阜市は35度以上の猛暑が続いていましたが,会場や宿泊先のホテルで冷房が効いていて快適に過ごせました。
そのシンポジウムは毎年場所を代えて開催されているのですが,私は本当に久しぶりの参加でした。学会の幹事の方や大学の先生方と久しぶり再会できた人も多く,懇親会では初めて名刺を交換した人だけでなく,そういった方々とも楽しくソフトウェア工学の研究動向についてお話ができました。
また,岐阜市に行ったついでに親しい参加者数人と車で郡上八幡を訪れました。
郡上おどりはまだ始まっていませんでしたが,天気に恵まれ,静かな郡上八幡の城下町,清流だけど水量豊かな吉田川,八幡城から眺めた街並みや青々とした山並みは本当に素晴らしいと感じました。
郡上八幡は,食品サンプル(レストランの入り口横に飾ってある料理のイミテーション)の創始者とも称される岩崎瀧三の出身地で,食品サンプルを作る産業が盛んだそうです。郡上八幡で作られた食品サンプルの全国シェアは60%もあるらしく,時間の関係でちら見しかできませんでしたが,街には食品サンプルを売る店やサンプル作成の体験ができる工房もありす。
昼食で食べた郡上八幡城下町エリアのお店の「うな重」は最高でした。ここのウナギはミネラル分豊かな郡上八幡の湧水で何日も過ごしてからさばかれているのかもしれませんね。
天の川 「たびとはん。わいに黙って,自分だけウナギを食べたんか! えろ~,ゆゆしいこっちゃ!」
天の川君,ちょうど今回のテーマの「ゆゆし」を使ってくれてありがとう。素晴らしい連携プレイだね。
天の川 「褒めてごまかしてもアカンで。わいにもウナギ,ウナギや,ちゅうねん!」
<本題>
無視して本題に移りましょう。「ゆゆし」は,天の川君が「うとましい」「いやだ」という意味で言ったように,現在でも「ゆゆしい」として使われています。
しかし,広辞苑には「神聖また不浄なものを触れてはならないものとして強く畏怖する気持ちを表すのが原義」とあります。
万葉集では,当然ですがその原義に近い意味で使われている和歌がでてきます。
かけまくもあやに畏し 言はまくもゆゆしきかも 我が大君皇子の命 万代に見したまはまし 大日本久邇の都は うち靡く春さりぬれば 山辺には花咲きををり 川瀬には鮎子さ走り いや日異に栄ゆる時に およづれのたはこととかも 白栲に舎人よそひて 和束山御輿立たして ひさかたの天知らしぬれ 臥いまろびひづち泣けども 為むすべもなし(3-475)
<かけまくもあやにかしこし いはまくもゆゆしきかも わがおほきみみこのみこと よろづよにめしたまはまし おほやまとくにのみやこは うちなびくはるさりぬれば やまへにははなさきををり かはせにはあゆこさばしり いやひけにさかゆるときに およづれのたはこととかも しろたへにとねりよそひて わづかやまみこしたたして ひさかたのあめしらしぬれ こいまろびひづちなけども せむすべもなし>
<<言葉をかけるのもたいへん畏れ多く、言ってみるのもはばかれることだが,私が仕へる天子(聖武天皇)の皇子(安積親王)が永遠にお治めなさるべき恭仁の都は,春が來ると山の辺には枝もたわわに花が咲き,川の瀬にはアユの子が走るように泳いでいる。日に日に段々と隆盛していく中、悪い噂の呪いの言葉とも思はれるような評判が聞こえてきた。それは御身に使える舍人達が白い栲の着物に着替えて、和束山をば輿に乗って出発され,天を治めにお登りなされた(お亡くなりになった)ので、舍人達は倒れころげて,絶え間ない涙に濡れて泣いている。何とも仕方がないことだ>>
この長歌は,大伴家持が恭仁(くに)京の造営に携わっていた天平16年,聖武(しやうむ)天皇の第二皇子である安積親王(あさかしんわう)が若くして亡くなったことを悼んで詠んだものです。
ここに出てくる「ゆゆしきかも」は「神聖であるからお名前も言ってはいけないほど」といった意味でしょうか。
さて,次は少し違う意味の「ゆゆし」を詠んだ詠み人知らずの女性の短歌です。
朝去にて夕は来ます君ゆゑにゆゆしくも我は嘆きつるかも(12-2893)
<あしたいにてゆふへはきます きみゆゑにゆゆしくもわは なげきつるかも>
<<朝にお帰りになって,夕方またお見えになるあなた様だから,いらっしゃらない昼は,うとましいほど私は嘆いてしまうことでしょう>>
「あなたとずっといたいのよ」というこの短歌を見た男性は,早めに女性宅に来るようになったでしょうか。
さて,次は高級官僚である中臣東人(なかとみのあづまひと)が阿倍女郎(あべのいらつめ)に贈った相聞歌です。
ひとり寝て絶えにし紐をゆゆしみと為むすべ知らに音のみしぞ泣く(4-515)
<ひとりねてたえにしひもを ゆゆしみとせむすべしらに ねのみしぞなく>
<<ひとりで寢ていたら,あなたが結んでくれた紐が切れた。それは不吉な兆しというけれど,どうすけばよいのか分からず泣くばかりなのです>>
これに対して,阿倍女郎は次のように返歌しています。
我が持てる三相に搓れる糸もちて付けてましもの今ぞ悔しき(4-516)
<わがもてるみつあひによれる いともちてつけてましもの いまぞくやしき>
<<私が持っている三本に縒った丈夫な糸で紐を縫いつけてあげればよかった。今では悔いています>>
さて,東人が「ゆゆし」といった不吉な前兆を女郎はどう解釈したのでしょうか。
東人さんは,もう二人は別れなければならないので泣いているのか? それとも,何としても別れたくないので泣いているのか? 女郎にとってはそこを見極めなければならいでしょう。
そこで,女郎は返歌では悔いていることを別れとは無関係の紐をつなぐ糸に絞って詠い,相手の反応を見ようとしたのではないかと私は思います。
これに対する東人の返歌は万葉集に残っていないようです。二人はこの相聞をもって別れてしまったのでしょうか。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「なつかし」に続く。
2013年7月6日土曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「ともし」
気象庁によりますと関東甲信越地方がいつもより早めに梅雨明けをしたとみられるそうです。明日は七夕です。短冊に願いを書いて笹に結び付けた幼いころを思い出します。
このブログも七夕を扱った投稿がいくつかあり,それらの閲覧数はおかげさまで例年以上にうなぎのぼりです。
さて,今回は「ともし」について万葉集を見ていきたいと思います。「ともし」は漢字で「乏し」または「羨し」と書きます。一見,「物足らない」とか「劣っている」という印象を持つ漢字ですが,万葉集に出てくる意味は少し違います。何回か前に経済学の話を書きましたが,まさに稀少性を絵にかいたような言葉で,「珍しくて心が引かれる」という意味です。
実際に万葉集で詠まれているものをみていきましょう。
夕月夜影立ち寄り合ひ天の川漕ぐ舟人を見るが羨しさ(15-3658)
<ゆふづくよかげたちよりあひ あまのがはこぐふなびとを みるがともしさ>
<<夕月が出ている夜に身を寄せ合って天の川を漕いで渡る舟人を見るのが珍しく羨ましい>>
夕日も見える美しい天の川をふたりだけで舟に乗って,肩を寄せ合って舟を漕ぐのは,本当にロマンチックなんだろうなと作者は感じて詠ったのかもしれませんね。この短歌は天平8(736)年の七夕に,遣新羅使のひとりが詠んだものとされています。
次も七夕詠んだ,柿本人麻呂歌集に出ていたという詠み人知らずの短歌です。
恋ひしくは日長きものを今だにもともしむべしや逢ふべき夜だに(10-2017)
<こひしくはけながきものを いまだにもともしむべしや あふべきよだに>
<<恋い慕いながら長い日々を過ごしてきたのです。今だけでも貴重な時間を過ごさせてほしいのです。逢うはずのこの夜だけでも>>
「ともし」を貴重な時間の修飾語と訳してみました。
妻問婚はなかなか大変です。気軽に「今晩は」といって妻宅に入れてもらえるものではありません。何度も手紙や使いの者を出してもなかなか許されないことも多かったようです。その間,夫は妻問いが許される日を待ち続けます。それが,年に1回しか逢えない牽牛と織姫の物語とオーバラップしてしまうのは容易に想像できます。そして,ようやく妻問いが許されたら,労いの言葉や癒しの言葉をかけてほしいと願う気持ちはわかる気が私にはします。
次は,妻問を待つ女性側の立場て詠んだ短歌です。
己夫にともしき子らは泊てむ津の荒礒巻きて寝む君待ちかてに(10-2004)
<おのづまにともしきこらは はてむつのありそまきてねむ きみまちかてに>
<<自分夫となかなか逢えない私は舟泊りして港の荒磯をめぐりながら寝ます。あなたを待ちきれずに>>
「ともし」をなかなか逢えない形容として訳しました。
夫は牽牛,自分は織姫になぞらえています。夫がなかなか逢いに来ないので,私は天の川の港にある舟に乗って,舟を港の周りをくるくるさせながら待ちきれず寝てしまいますよという意味と私は解釈しました。
明日の七夕なのでデートをするカップルが待ち合わせるのは,東京スカイツリーでしょうか? 東京ディズニーリゾートでしょうか? ホークスタウン(福岡)でしょうか? ユニバーサルスタジオジャパン(大阪)でしょうか? 東京ドームシティーアトラクションズでしょうか? 八景島シーパラダイス(横浜)でしょうか?
みなさま,Goodな七夕をお過ごしください。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「ゆゆし」に続く。
このブログも七夕を扱った投稿がいくつかあり,それらの閲覧数はおかげさまで例年以上にうなぎのぼりです。
さて,今回は「ともし」について万葉集を見ていきたいと思います。「ともし」は漢字で「乏し」または「羨し」と書きます。一見,「物足らない」とか「劣っている」という印象を持つ漢字ですが,万葉集に出てくる意味は少し違います。何回か前に経済学の話を書きましたが,まさに稀少性を絵にかいたような言葉で,「珍しくて心が引かれる」という意味です。
実際に万葉集で詠まれているものをみていきましょう。
夕月夜影立ち寄り合ひ天の川漕ぐ舟人を見るが羨しさ(15-3658)
<ゆふづくよかげたちよりあひ あまのがはこぐふなびとを みるがともしさ>
<<夕月が出ている夜に身を寄せ合って天の川を漕いで渡る舟人を見るのが珍しく羨ましい>>
夕日も見える美しい天の川をふたりだけで舟に乗って,肩を寄せ合って舟を漕ぐのは,本当にロマンチックなんだろうなと作者は感じて詠ったのかもしれませんね。この短歌は天平8(736)年の七夕に,遣新羅使のひとりが詠んだものとされています。
次も七夕詠んだ,柿本人麻呂歌集に出ていたという詠み人知らずの短歌です。
恋ひしくは日長きものを今だにもともしむべしや逢ふべき夜だに(10-2017)
<こひしくはけながきものを いまだにもともしむべしや あふべきよだに>
<<恋い慕いながら長い日々を過ごしてきたのです。今だけでも貴重な時間を過ごさせてほしいのです。逢うはずのこの夜だけでも>>
「ともし」を貴重な時間の修飾語と訳してみました。
妻問婚はなかなか大変です。気軽に「今晩は」といって妻宅に入れてもらえるものではありません。何度も手紙や使いの者を出してもなかなか許されないことも多かったようです。その間,夫は妻問いが許される日を待ち続けます。それが,年に1回しか逢えない牽牛と織姫の物語とオーバラップしてしまうのは容易に想像できます。そして,ようやく妻問いが許されたら,労いの言葉や癒しの言葉をかけてほしいと願う気持ちはわかる気が私にはします。
次は,妻問を待つ女性側の立場て詠んだ短歌です。
己夫にともしき子らは泊てむ津の荒礒巻きて寝む君待ちかてに(10-2004)
<おのづまにともしきこらは はてむつのありそまきてねむ きみまちかてに>
<<自分夫となかなか逢えない私は舟泊りして港の荒磯をめぐりながら寝ます。あなたを待ちきれずに>>
「ともし」をなかなか逢えない形容として訳しました。
夫は牽牛,自分は織姫になぞらえています。夫がなかなか逢いに来ないので,私は天の川の港にある舟に乗って,舟を港の周りをくるくるさせながら待ちきれず寝てしまいますよという意味と私は解釈しました。
明日の七夕なのでデートをするカップルが待ち合わせるのは,東京スカイツリーでしょうか? 東京ディズニーリゾートでしょうか? ホークスタウン(福岡)でしょうか? ユニバーサルスタジオジャパン(大阪)でしょうか? 東京ドームシティーアトラクションズでしょうか? 八景島シーパラダイス(横浜)でしょうか?
みなさま,Goodな七夕をお過ごしください。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「ゆゆし」に続く。
登録:
投稿 (Atom)