万葉集で馬や駒を詠んだ和歌シリーズの最後は,少しきわどいもの,滑稽なものを揃えてみました。今までの投稿ですでに紹介しているものもありますが,馬という切り口で見ていきたいと思います。
まず,前回では紹介しませんでしたが,東歌に出てくる短歌です。
あずへから駒の行ごのす危はとも人妻子ろをまゆかせらふも(14-3541)
<あずへからこまのゆごのす あやはともひとづまころを まゆかせらふも>
<<崖の上の端を駒に乗って進むのは危険だが,あの若い人妻にはそんな危険を冒してでも近づきたいなあ>>
う~ん。こんな訳でよいのかな~。これを当時の東国は大らかで羨ましいと見るか,東国の男は気を付けろという警告として採録されたと見るか,読者側の感性や倫理観に大きく左右されそうですね。これ以上コメントすると天の川君が余計なことを言いそうなので,やめておきます。
次は2012年1月15日の投稿で紹介しました土の駒形の玩具か置物を作る土師(はじ)に対して,日焼けした巨勢豊人という人物(木こり?)が嘲笑して詠んだ短歌です。
駒造る土師の志婢麻呂白くあればうべ欲しからむその黒色を(16-3845)
<こまつくるはじのしびまろ しろくあればうべほしからむ そのくろいろを>
<<いつも部屋ん中で土の駒人形ばっかり作っている志婢麻呂さんはいつも青白い顔なので,日焼けした黒い肌が羨ましいんじゃないのかな?>>
馬自体とは関係ありませんが,当時馬の玩具や置物が結構人気があって,そういっものを作る専門技能を持った職人がいたことを想像させますね。
次は,2012年7月8日の投稿で紹介しました僧侶の無精ひげを馬に繋いで引かせるなんて,とんでもない短歌です。
法師らが鬚の剃り杭馬繋いたくな引きそ法師は泣かむ(16-3846)
<ほふしらがひげのそりくひ うまつなぎいたくなひきそ ほふしはなかむ>
<<横着して鬚を剃らないで伸びて来た坊さんの鬚に馬を繋いで強く引かせてはいけないよ。坊さん泣くだろうからね>>
万葉時代,仏教の僧侶は法師と呼ばれ,時代の先端を行くエリート職のようでした。いつの時代でもそうですが,中にはとてもそれに似つかわしくない僧侶がいたようですね。そんなことしちゃいけないと詠んでいますが,あまりにもひどい格好だったので,馬に引かせるという短歌になったのでしょうか。
さて,最後は2009年11月8日と2013年1月27日に紹介した越中で大伴家持が部下の浮気を諭した短歌です。
左夫流子が斎きし殿に鈴懸けぬ駅馬下れり里もとどろに(18-4110)
<さぶるこがいつきしとのに すずかけぬはゆまくだれり さともとどろに>
<<左夫流子という遊女を正妻のように住まわせている君の家に,鈴も付けずに駅を経由して奥さんを乗せた早馬がやってきたぞ。その蹄の音を里中に轟かせてな>>
早馬には鈴を付けることになっていたようですが,部下の奥さんは鈴を付ける時間も惜しく,急いで駆け付けてきた。どうせ,越中だから分かるわけないと,同僚たちの前で左夫流子と付き合っているところを見せびらかしたり,自慢げに話したのでしょうね。それが京にいる奥さんの耳に入ったのですから,それはもう大変な騒ぎ。
「黙ってリゃよかったのに」なんて,馬馬,いや努努思ってはならないのですぞ,おのおの方(馬を詠んだ和歌シリーズのまとめ)。
2014年正月休みも今日までで明日からは多忙な仕事が待っています。年末年始スペシャルは以上で,次回からは以前シリーズ投稿しました「動きの詞(ことば)シリーズ」の第2段をお送りします。
動きの詞(ことば)シリーズ…知る(1)に続く。
0 件のコメント:
コメントを投稿