昨日の元旦は,このブログを始めて1日の閲覧数の過去最高を達成しました。閲覧記事の多くが年末年始スペシャルの記事で,海外からの閲覧も増えていますが,日本国内からの閲覧数が通常に比べて10倍以上となっています。日本に住む方のお正月に対する思いが非常に強いことが改めて感じられました。
ほとんど文字だけの地味な本ブログですが,今年も頑張ろうという気がさらに湧いてきています。
さて,「馬を詠んだ和歌」の2回目をお送りします。万葉集では馬や駒を詠んだ和歌がたくさんあります。馬自体ではありませんが,馬が入っている地名や馬酔木といった植物の名前が出てくるものもあります。
万葉仮名(原文)では馬や駒の字が多くがそのまま使われ,音読み(バ,マ,メ,クなど)も多少ありますが,訓読み(うま,ま,こま)もしっかりでてきます。この点を考えると,馬(うま,ま),駒(こま)と訓読みの対応付けは当時かなり浸透していたと考えてもよいと私は思います。
今回は駒が出てくる万葉集の和歌について,いくつか見ていきます(東歌で駒が出てくるものは除きます)。
万葉集では毛の色のちがいによって,黒駒,赤駒,青駒の3種類の駒が出てきます。それぞれ1首ずつを紹介します。
赤駒の越ゆる馬柵の標結ひし妹が心は疑ひもなし(4-530)
<あかごまのこゆるうませの しめゆひしいもがこころは うたがひもなし>
<<赤毛の駒なら飛び越えるかもしれない柵だが,縄でしっかり結び固めておくように固い約束を結んだから,貴女の心に疑いはないよな>>
この短歌は聖武天皇(しやうむてんわう)が側室になる海上女王(うなかみのおほきみ)に送ったものです。女王は天智系の血筋(志貴皇子の娘)。この短歌の前半部分は周囲から二人の間にいろいろ邪魔が入る可能性があることの喩えではないかと私は想像してしまいます。
遠くありて雲居に見ゆる妹が家に早く至らむ歩め黒駒(7-1271)
<とほくありてくもゐにみゆる いもがいへにはやくいたらむ あゆめくろこま>
<<遠くにある雲の向こうに見える妻の家に,早く着こう。歩を進め黒駒よ>>
この短歌は柿本人麻呂歌集から万葉集に転載されたものです。移動手段とスピード感は当時と違うかもしれませんが,現代の単身赴任の夫が早く家に帰り,妻の顔を見たい気持ちに通じるところがあるかもしれませんね。
3種の駒の最後は青駒を詠んだ柿本人麻呂自身が詠んだ短歌です。
青駒が足掻きを速み雲居にぞ妹があたりを過ぎて来にける(2-136)
<あをこまがあがきをはやみ くもゐにぞいもがあたりを すぎてきにける >
<<青駒は駆けるのが速いので,妻が居る家が雲のかなたあたりなるところまで来てしまったなあ>>
青駒は毛が灰色をした馬のようで,駆け足が速かったのでしょうか。妻を残して遠くまで旅に出てしまったことへの寂しさを駒の足の速さで表しているように感じます。
いずれにしても,駒は人間が飼い,人間や荷物の運搬に供されている馬ということになりそうです。
そのため,飼っていた駒が飼い主に見捨てられるか,脱走した駒を,次の詠み人知らずの短歌のようにわざわざ「放れ駒」と当時読んでいたようです。
妹が髪上げ竹葉野の放れ駒荒びにけらし逢はなく思へば(11-2652)
<いもがかみあげたかはのの はなれごまあらびにけらし あはなくおもへば>
<<彼女の髪は竹葉野の放れ駒の毛のように荒れてしまったのか。逢わないことを考えれば>>
やはり人に可愛がられている駒は,当時でも毛並が良く,美しかったのだろうと私は思いたいですね。この短歌の作者の表現は傲慢のようにも見えますが,好きな人もおらず(人間嫌いになって)一人きりで閉じこもっていると外見だけでなく,心も磨かれなくなる(曇ってしまう)可能性が高くなる気が私にはします。もちろん,磨き方によっては逆に傷つく危険性もあります。
私は,ときどきは自分の欠点を適切に指摘してくれるような良い友達をもっと増やし,積極的に会って,話をして,自分を磨く,磨かれる1年にしたものです。
年末年始スペシャル「馬を詠んだ和歌(3)」に続く。
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