この正月もあっという間に3が日が過ぎようしています。
馬を詠んだ万葉集の和歌の3回目は東歌で詠まれたものを見ていきます。東歌が詠まれた東国は今の静岡県辺りから中部・関東・甲信越をおおよそ指しているようです。平城京から見ると未開の地に見えたのかもしれません。
ただ,私の住む埼玉県には,さきたま古墳群など古墳の跡と思われる場所がたくさんあります。
国宝の金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)と呼ばれる鉄拳には雄略天皇との関わりが書かれているとの説が有力とのこと。そのため,衆議をする場所,住居,工場,市場,物資配送施設など都市に近いものを地方豪族主体に発達させていた可能性も否定できないと考えられます。
関東平野に限っていうと物資の移送は,川の場合上り下りだけでなく渡しも舟だったと想像できます。陸の移送は馬が主体だったのではないでしょうか。そのためか,万葉集の東歌に船,舟,馬,駒を詠んだ歌が結構でてきます。
舟と船はまたの機会として,馬と駒が出てくる東歌を紹介します。なお,東歌では圧倒的に馬よりも駒が多く出てきます。その理由は「馬」をタクシーや乗合バス,「駒」を自家用車に譬えればわかりやすいかもしれません。
大都会や住宅密集地では自分用の馬(駒)を所有することは難しく,東国のように広い土地がある場合は自分用の馬(駒)や馬屋を所有することが比較的用意だったと感じます。
現在の東京周辺よりも少し離れた郊外に住む世帯の方が自家用車の所有率が高いはずです。
では,まず東歌で馬が出てくる短歌を紹介します。
鈴が音の早馬駅家の堤井の水を給へな妹が直手よ(14-3439)
<すずがねのはゆまうまやの つつみゐのみづをたまへな いもがただてよ>
<<鈴の音をひびかせる早馬の駅家にある堤井の水をくれるかい,直に君の手から>>
早馬は街道の駅家間を高スピートで人,物資,書類などを運ぶことを専門とする馬です。所有者は馬による輸送を業としているプロです。なので,個人が飼っていて自由に使える駒とは違います。この短歌の作者は早馬の騎手か早馬専用の駅家で働いている駅員ではないかと私は想像します。
彼女も駅家で働いている若い女性で,この短歌の作者はその可愛さに僕に水をおくれよと声を掛けた情景でしょうか。
次は駒が出てくる東歌の1首目です。
足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通はむ(14-3387)
<あのおとせずゆかむこまもが かづしかのままのつぎはし やまずかよはむ>
<<足音のしないでゆく馬がいたらよいのに。葛飾の真間の継橋をいつも通って行こけるのに>>
「真間の継橋」には,本当に好き同士の二人の間を継ぐことができる橋という言い伝えがあったのだろうと私は想像します。しかし,馬で駆け付け,密かに逢おうとするが,蹄の音で周りに分かってしまう。今で言うとエンジン音がしない自動車が欲しいといったところでしょうかね。電気自動車では可能でしょうか。
次は東国らしい駒の姿を詠んだ短歌です。
春の野に草食む駒の口やまず我を偲ふらむ家の子ろはも(14-3532)
<はるののにくさはむこまの くちやまずあをしのふらむ いへのころはも>
<<春の野で草を食む駒の口がいつも動いているようにいつも俺のことを口に出して思ってくれているのだろう,家にいる妻は>>
東国ではこういう草の野がいっぱいあったのでしょう。
ちなみに,我が家の妻は私が仕事の都合で会社からたまに早く帰ると心配してくれます。「会社で干されたのではないかしら?」とか「テレビで見たいものがあって早く帰ってきたとしたら,ひとりで楽しみに見ようとしていた番組は急いでビデオに取っておく必要があるかしら?」などと。
最後は,自分の駒に悪いが彼女のところに悪路でも行きたいと詠んだ短歌です。
さざれ石に駒を馳させて心痛み我が思ふ妹が家のあたりかも(14-3542)
<さざれいしにこまをはさせて こころいたみあがもふいもが いへのあたりかも>
<<小石の原に我が駒を走らせ心が少し痛むだけどよ,俺が思う彼女の家のあたりにどうしても来てしまうぜ>>
この短歌で,どうしても田舎の悪路をスカイラインGT-Rクラスのマニュアルシフトのスポーツカーでブイブイ飛ばして,大きな農家の入口の前で止めているお兄さんをイメージしてしまいます。
おっと,悪いイメージではけっしてありません。羨ましいなあというイメージです。
年末年始スペシャル「馬を詠んだ和歌(4)」に続く。
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