日本は山国です。多くの場所では遠くは見渡せません。
万葉集を読み解くに,万葉時代に奈良盆地から旅をする場合,基本的に山と山の間の峠を越えたり,山麓の曲がりくねった道を縫うように進むことがほとんどだったように想像できそうです。結局,そんな旅では,行き先は山に隠れて見えず,どんなところなのか分からない,山を越えてきたために出発した自分の家の方も見えない,そんな状況の中を我慢して進むことになります。
次は市原王(いちはらのおほきみ)が多くの山を向こうにある美しい岬で可愛い海女の子に出会ったことを忘れられない気持ちを詠んだ短歌です。
網児の山五百重隠せる佐堤の崎さで延へし子が夢にし見ゆる(4-662)
<あごのやまいほへかくせる さでのさきさではへしこが いめにしみゆる>
<<網児の山々が幾重にも隠している佐堤の崎でさで網を広げて漁をしていた海人の娘が夢に出てくる>>
いくつもの山を越えてようやく到着した佐堤の崎は突然眼前に現れ,その美しさに感動しただけでなく,そこで漁をしている娘の健康的な可愛さが本当に忘れられない,そんな思いが私には伝わってきます。
<この短歌を万葉集の編者が掲載した理由>
京の女性は色白だが,家に籠り,何重にも衣を着て,暗い夜しか逢えない不健康さが感じられるのに対し,この岬で見た娘たちは,明るい太陽のもとで,薄い衣を身に着けただけで網を引っ張っている。市原王がこの短歌のように感じるのはもっともかもしれませんね。
ただ,この短歌を聞いた京の男性はどう思うでしょうか。是非その岬に行ってみたいと思わないでしょうか。「市原王様もお薦めの「佐堤の崎」周遊ツアー募集中で~す」といったツアーエージェントの営業マンがいたかどうかは分かりませんが,山の向こうにある美しい「佐堤の崎」をイメージした人は少なくなかったと私は想像します。
万葉集には,少し裕福になった京人(市民)を旅に誘う効果があったと私は感じます。
次は山が月を隠す状況を藤原八束(ふぢはらのやつか)が詠んだとされる短歌です。
待ちかてに我がする月は妹が着る御笠の山に隠りてありけり(6-987)
<まちかてにわがするつきは いもがきるみかさのやまに こもりてありけり>
<<私がずっと待っていた月は彼女が着ける笠という御笠の山に隠れていたのだ>>
山が無ければ,もっと早く月が顔を出していたのに,山があるおかげで月の出を待つことになった。八束は月が出たら何をしようとしていたのでしょうか。今日の出を楽しみに待つ人がいるように,万葉時代は月の出も楽しみに待つ人がいたのかもしれませんね。
さて,冒頭日本は山国で遠くを見渡せる場所は少ないと書きましたが,関東平野は平地でもかなり遠くを見渡せるところがあります。次は,そんな情景を詠んだ東歌です。
妹が門いや遠そきぬ筑波山隠れぬほとに袖は振りてな(14-3389)
<いもがかどいやとほそきぬ つくはやまかくれぬほとに そではふりてな>
<<彼女の家から遠くまで来てしまったなあ。筑波山が他の山で隠れて見えなくならないうちに(もう一度)袖を振っておこう>>
彼女の家は筑波山の麓にあるのでしょうか。関東平野で筑波山が見えなくなるのは相当遠くにはなれないとそうならないでしょう。筑波山が見える限り,旅に出るときに別れを告げた彼女のいる方向に間違いなく向かうことができる。関東平野での筑波山の重みは今以上に重かったのだろうと私は想像します。また,奈良の市民は「東国の筑波山でどんなにすごい山なんだろうか」と想像を掻き立てられたかもしれませんね。
動きの詞(ことば)シリーズ…隠る(4)に続く。
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