<転職先状況>
昨年12月からの職場で対応しているシステムの詳細構造がようやくラビリンス(迷宮)状態からいくつかの道筋が見え始めました。道筋がいくつか見え始めると,その他の隠れている道筋も見つけやすくなります。なぜなら,道筋を設計するとき,ある種の統一した思想で作っているハズですから,その考えを想定して探すことで,次々と道筋が見えてくることがあります。ここまで来ると,依然として簡単ではありませんが,今までに比べて対象システムを理解する仕事は少しずつ楽になっていきます。
世の中の仕組みもそうかもしれません。みなさん,理解できない・理不尽と思える出来事やさまざまな仕組がたくさんあると感じませんか? 私は感じます。
逆に「世の中の動きや出来事の原因なんて全て承知の助(すけ)よ」という人の数は本当に少ないのではないでしょうか。その人は未来を全て予測できる人に他ならないですからね。
<複雑な世の中の仕組み(設計図)をどう理解?>
仕組みが不明な世の中でどう生きていくか?
基本は私がソフトウェアの保守開発の仕事でやっているように,とにかく世の中を不断にリバースエンジニアリングすることしかないと私は最近感じます。「世の中の仕組みのリバースエンジニアリンク」とは,発生した事件,出来事,お知らせなどを丹念にフォローし,それが発生する原因や構造を想像していく。そして,その原因や構造があるところでは,同じような事件,出来事,お知らせがいつごろ発生するか予想をするみることです。
予想が外れたら(実際は,そのケースの方が多い?),原因や構造の理解に正しくない部分があった訳なので,それがどこか再度分析を試みるという繰り返しです。そうすることによって,少しずつ世の中の仕組みや問題な部分の本質が見えてきて,間違った行動が少なくなると私は信じています。
<本題>
さて,また前置きが長くなりましたが,万葉集を見ていきます。今回は,「隠る」の2回目として「島隠る」をテーマとします。
最初の1首は,山部赤人が今の兵庫県の瀬戸内海沖を船に乗って羈旅していたとき詠んだとされる短歌からです。
島隠り我が漕ぎ来れば羨しかも大和へ上るま熊野の船(6-944)
<しまがくりわがこぎくれば ともしかもやまとへのぼる まくまののふね>
<<島陰に隠れ,大波を避けて我が舟を漕いで来ると,ああ羨ましいことだ。あれは大和の方へ(真っ直線に)上って行く本物の熊野で造られた高級な船だよ>>
おそらく赤人が乗っている舟は比較的古びた小さな船で,陸から離れると危ないため,島の海岸線を伝って航行。そのため,島影に隠れたり現れたしながらの航海だったと思われます。今で言えば,お金がないのでくねくねと曲がったローカル線の各駅停車に乗らざるを得ないのだが,新幹線がピュンピュンと追い抜いて行くのを見て羨ましいなあと感じる気持ちに近いかもしれませんね。
<「熊野の船」は当時最新鋭の船?>
万葉時代は,外国からの優れた造船技術の導入と,漁業用は漁業用,輸送用は輸送用と造船の分業化・専門化が進み,経験豊かで高度な技術を持った造船技術者が専門の造船所で造船に専念する。そのことで,それまでに見たことがないような高品質で高性能な船が作られるようになった時代だと私は思います。各地には,立派な造船所がつくられ,それぞれがしのぎを削って良い船を作り,多少のシケや大波でもビクともしないような船がさっそうと航行して行ったのでしょう。造船所の地名からブランド船の一つとして「熊野の船」が知られていたのかもしれません。
次は,旅立ちの時,見送る女性の問いかけに答えた詠み人知らずの短歌です。
八十楫懸け島隠りなば我妹子が留まれと振らむ袖見えじかも(12-3212)
<やそかかけしまがくりなば わぎもこがとまれとふらむ そでみえじかも>
<<多くの櫂を舟に付けて漕ぎ出しても,島に隱れて行ったら,私の愛しい人が止れと袖を振っても,見えなくなるでしょう(この別れは致し方ないのです)>>
この短歌の作者に最初に問いかけたのは,次の短歌です。
玉の緒の現し心や八十楫懸け漕ぎ出む船に後れて居らむ(12-3211)
<たまのをのうつしこころや やそかかけこぎでむふねに おくれてをらむ>
<<正気でいられませんよ。多くの櫂を付けた船であなたは行ってしまわれ,残された私は..>>
この短歌は,男性が出発する日まで,港近くの旅籠で過ごした遊女が別れを惜しんで詠んだものではないかと私は思います。このくらい大袈裟に詠うことで,この間あなた様との接したことは忘れられないことでしたと伝えたかったと私は思います。
さて,最後は遣新羅使が瀬戸内海を航路で西に向かうとき詠んだとされる短歌です。
海原を八十島隠り来ぬれども奈良の都は忘れかねつも(15-3613)
<うなはらをやそしまがくり きぬれどもならのみやこは わすれかねつも>
<<海原をたくさんの美しい島々を縫って来たのだが,奈良の都のことはどうしても忘れられない>>
この短歌の「島隠り」は,島を縫うように進んできたことを表すと私は思います。遣新羅使として,西に向かう航路において,京(みやこ)を出発してかなりの日数が経ち,ホームシックになっている状況が私には素直に伝わってきます。
次回は「山」に関する「隠る」を見ていきます。
動きの詞(ことば)シリーズ…隠る(3)に続く。
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