2012年3月31日土曜日

対語シリーズ「生と死」(2)‥恋に生き,恋に死す?

万葉時代の恋愛は「うきうきする」「心が躍る」「楽しい」「幸せ」という気持ちになるものではなく,「切ない」「苦しい」「ツライ」「悩ましい」ものだったようです。その結果,「恋のために死にそう」とか「いつまでこの恋の苦しさを耐えて生きていけるのか」などという表現が万葉集の和歌には多く出てきます。
その例を次に示します。

事もなく生き来しものを老いなみにかかる恋にも我れは逢へるかも(4-559)
こともなくいきこしものを おいなみにかかるこひにも われはあへるかも
<<これまで大事もなく生きてきたが,老いてこれほどツライ恋にも私は出会ってしまうとは>>

恋ひ死なむ後は何せむ生ける日のためこそ妹を見まく欲りすれ(4-560)
こひしなむのちはなにせむ いけるひのためこそいもを みまくほりすれ
<<これほどツライ恋で死んでしまったらどうしょう。今生きている日のためにこそ恋人の顔を見たいのに>>

この2首は,大伴氏のなかでも旅人や家持ほどは昇進しなかったけれども,最終的に正五位下(家持は従三位)までになった大伴百代(おほとものももよ)が,天平元(729)年頃に大宰府で詠んだものとされています。これを詠んだとき,百代は30歳~40歳位だろうと私は想像します。当時の平均寿命を考えると老いの域に達しょうとしているといってもおかしくなかったのだろうと私は受け入れます。そして,百代は大宰府の女性と許されない恋に陥り,逢いたいのだけれど思うように逢えない苦しさを感じる日々が続いたのでしょう。
さて,万葉集巻11~13の詠み人知らずの和歌にも生き死にを表現に使うほど苦しい恋の歌が多数載せられています。

いつまでに生かむ命ぞおほかたは恋ひつつあらずは死なましものを(12-2913)
いつまでにいかむいのちぞ おほかたはこひつつあらずは しなましものを
<<命には限りがある。こんなツライ恋であるなら死んだほうがましだよ>>

よしゑやし死なむよ我妹生けりともかくのみこそ我が恋ひわたりなめ(13-3298)
よしゑやし しなむよわぎも いけりとも かくのみこそあが こひわたりなめ
<<いっそ死んでしまおう。生きていたって,あなたをこんなに恋い焦がれ続けていくなら>>

<妻問い婚の面倒くささ>
当然ですが,実際に恋で本当に死んだわけではないと私は思います。その位苦しい恋だ,その位強く恋慕っているのだと伝えたいのでしょう。万葉時代の妻問い婚の慣習では,今の恋人同士のように頻繁逢えたり,逢った時に何時間もお話しができる状況はありませんでした。手紙や贈物を何回も送って,ようやく女性の親から許可が出て,寝床で逢うことができるのです(一緒に食事なんてとんでもないのです)。必死で自分の思いを伝えたい気持ちでこれを詠んでいるのです。実際には「死」や「もう生きられない」という表現を使いたくなるのも私には理解できますね。
<「死」という言葉を簡単に使う現代>
今でも「必死で頑張る」という言葉もよく使いますが,使った人はほとんど100%はその後も生きています。「ゴールを死守する」という言葉も遣いますが,やはり同じです。「死」という言葉を使うのも「生きている」状態があっての話です。そして,今「生きている」ことの真剣さ,誠実さを伝えたいために「死」という言葉を使うのです。
どんなに苦しい,悲しい,ツライ,悩ましい,生きている意味を感じないと思っても,言葉だけにして,実際に「死」を選んではいけないのです。「死」という漢字たくさん使ってもよいから,そういう苦しい気持ちを詩歌,エッセイとして書いたり,友達,友人,先輩にお話して,みんなに伝えることが実は「生きる」ことの証しだと私は思います。
万葉歌人たちも,「死」という言葉を和歌に使って表現し,歌人自身は生き続けたのです。
今生きてる人達は,中島みゆき作詞作曲「誕生」の歌詞にあるように生まれた時最初に親や親戚・知人から"Welcome"と言われて生まれてきたはずです。自分の勝手な判断で「自分は生きている価値が無い」と決めつけることがもしあるとしたら,それはあってはならないことだと私は思います。"生まれてくれてWelcome!"と思っている人がたくさんいるのですから。
200号直前特集(今までの振り返り)に続く。

2012年3月25日日曜日

対語シリーズ「生と死」(1)‥生死は繰り返す?

いまさら書くのも変ですが,ヒトは生きている状態の終了により死という状態を迎えます。一般的にヒトは死の状態に至るのを可能な限り遅らせようとして生きています(いずれは死を迎えることになりますが)。
ヒトが死に至るのを遅らせようとする(長く生きようとする)その大きな要因のひとつには,死後の状態がどんなものか分からないという恐怖心があるのかもしれません。
死に対する恐怖心はヒトの本能であり,万葉時代でも当然あったはずです。今回は万葉集で詠まれている生死観を見て行くことにしましょう。
まず,大伴旅人の有名な短歌からです。

生ける者遂にも死ぬるものにあればこの世なる間は楽しくをあらな(3-349)
いけるもの つひにもしぬるものにあれば このよなるまはたのしくをあらな
<<我々生物はいずれ死ぬのだから生きている間は楽しく生きたいものだよね>>

解説は特に要らないでしょう。さて,次は竹取翁(万葉集に出てくる竹取の翁)が詠んだとされる短歌(長歌の反歌)です。

死なばこそ相見ずあらめ生きてあらば白髪子らに生ひずあらめやも(16-3792)
しなばこそあひみずあらめ いきてあらばしろかみこらに おひずあらめやも
<<死んでしまえば相見ることも無い。しかし,生きていれば自分の白髪や生きている子供にきっと一緒にいられるのだよ>>

これは,若い娘たちに老人を大切にするよう諭したものと私は解釈します。
若いときはとかく年寄りを大切にしない時期があるけれど,長く生きていることはそれだけで意味があることを伝えようとしているのだろうと思います。
次は仏教に出てくる「生死」というキーワードを取り扱った詠み人知らずの短歌です。

生き死にの二つの海を厭はしみ潮干の山を偲ひつるかも(16-3849)
いきしにのふたつのうみを いとはしみしほひのやまを しのひつるかも
<<煩悩を遠ざけ仏の世界に思いをはせる>>

「生き死にの二つの海」とは,仏教用語の「生死(しやうじ)」のことで,人間に繰り返しやってくる苦悩を意味します。「煩悩(ぼんなう)」とも言います。
「潮干の山」とは潮の干満のように満ちてきては引いていく人間の煩悩から影響を受けないほど高い山のことで,煩悩から解放された仏の世界である仏界(ぶっかい)を意味します。
奈良時代では仏教の影響を受けるようになり,「死」は本当の生命体の死を意味するのではなく,「死ぬほど好き」「死ぬほど可愛い」「死ぬほど苦しい」といった,生きている間の感情の頂点を指すようになって行ったのかも知れません。
次回はそんな「死ぬほど恋しい」「恋の苦しさで死にそう」といった恋にまつわる「生と死」をみていきましょう。
対語シリーズ「生と死」(2)に続く。

2012年3月20日火曜日

対語シリーズ「多と少」‥少ない資源を大切に活かせば,多くの豊かさがやってくる?

少し投稿が滞りましたが,今回は万葉集での「多」と「少」の扱いを見て行きましょう。
万葉集で形容詞の「多し」は「おほし」と「まねし」という発音に当てられ,名詞の「多」という漢字は「さは」という発音に当てられます。
また,形容詞の「少し」は「すこし」と「すくなし」の二通りの発音に当てられます。
まず,人目(他人の目)が多いことに対して「恋路の邪魔」と嫌っている詠み人知らずの短歌2首を紹介します。

潮満てば入りぬる礒の草なれや見らく少く恋ふらくの多き(7-1394)
しほみてば いりぬるいその くさなれや みらくすくなく こふらくのおほき
<<満潮となれば海に隠れる磯辺の海草のようにあなたと逢う機会が少なくなり恋しい気持ちばかりが多くなる>>

人目多み目こそ忍ぶれすくなくも心のうちに我が思はなくに(12-2911)
ひとめおほみめこそしのぶれ すくなくもこころのうちに わがおもはなくに
<<人目が多いので目に付かぬように忍んでいますが,少なくとも心の中では私は恋慕っております>>

次は,人目のないところで二人だけで逢いたいと詠い続け「少」が3回も出てくる詠み人知らずの長歌(というより歌謡に近い?)を紹介します。

琴酒を 押垂小野ゆ 出づる水 ぬるくは出でず 寒水の 心もけやに 思ほゆる 音の少なき 道に逢はぬかも 少なきよ 道に逢はさば 色げせる 菅笠小笠 我がうなげる 玉の七つ緒 取り替へも 申さむものを 少なき道に 逢はぬかも(16-3875)
<ことさけをおしたれをのゆ いづるみづぬるくはいでず さむみづのこころもけやに おもほゆるおとのすくなき みちにあはぬかも すくなきよみちにあはさば いろげせるすげかさをがさ わがうなげるたまのななつを とりかへもまをさむものを すくなきみちにあはぬかも
<<琴酒を垂らすような野原から流れ出る水は生暖かくなく,その冷たさで心も爽やかになりますね。思うに,あなたとは人の気配が少ない道で逢いたいのです。人通りが少ない道で逢いたいのです。お似合いのあなたのスゲの小笠と,私が首に掛ける玉を飾った7本の緒の首飾りを交換したいと言わせてください。人通りが少ない道で逢いたいのです>>

次は「多」が出てくるもので,大伴家持が世の中の無常を詠んだ次の短歌があります。

うつせみの常なき見れば世の中に心つけずて思ふ日ぞ多き(19-4162)
うつせみのつねなきみれば よのなかにこころつけずて おもふひぞおほき
<<現世の無常を見るにつけ,世の中のできごとに対する心をしっかり持つことができず,ただ物思いにふけるだけの日が多いなあ>>

越中赴任中,の情勢の急変を伝える知らせを頻繁に聞くたび,家持は世の無常を感じ,今後どう対応すればよいのか,どんな生きざまをしていけば良いか,悶々とする日々が多くなっていった時期があったのだろうと私は想像します。
<財の多さと少なさ>
さて,今の私たちは多くのモノ(財)を所有することに興味を持ちます。より多くの財を所有できたとき,やはり幸福感を得る人も多いと思います。その逆に,たとえば昨年3月の震災で多くの財を失った方々は,幸福感をやはり感じることは少ないのだろうと思います。
私が大学で経済学を学ぶなかで,「経済史」という科目を教えて下さった先生が「今,中華人民共和国で文化大革命と呼ばれる思想統制が起こっている。国民はたとえば人民服という画一的な服装の着用を強いられている。しかし,いずれはその国の人々もきらびやかでコンテンポラリーなファッションに血眼になるのです。」と言われた言葉を鮮烈に覚えています。
一緒に授業を受けていた学生の多くが当時人民服だけを着た国民の姿を連日テレビで見ていたので「そんなことは絶対あり得ないよ。四人組(江青をはじめとする文化大革命を推進した4人)が失脚してもあの国でそんなことは起こらない!」と感じていたようです。
<人間は結局物質的な豊かさを最初に求める>
でも私は,「経済哲学」という別科目で「『豊かになり幸福感を味わいたい』という人間の欲求は不変である」と学んでいました。「毛沢東思想を美化し,全国民にその思想を徹底させようとしても,人間である以上,より豊かになりたいという気持ちが消えることはない」と私は感じ「経済史」の先生の言葉を素直に受け入れることができました。
そして,今の中国を見てください。その先生の予想通り,そう遠くない時期に上海などが世界の最新ファッションの発信基地になる勢いです。12億人以上の多くの人々が本気で物質的な豊かさを得ようとした時のパワーは,計り知れないものがあります。
<日本は大国主義なってはいけない?>
いっぽう,資源や人口の少ない日本が豊かになるためには大国と真正面から競争するのではなく,日本しかできないニッチな部分(少ない資源でより高い付加価値を持つ製品やサービス)をより多く見つけ,それを全世界が必要と感じるようにしていくしかないと私は考えます。

数日前,私は新潟県村上市を観光で訪れました。写真は塩引き鮭(サケ)という数百年続く村上特産の保存食を作っている(味匠喜っ川さんの)建物の中です。
鮭が内臓を抜かれ,腹を開いた形で室内や軒先にたくさん干されていますが,その多さに驚きました。
一見,残酷のようにも見えますが,鮭が昨年と同程度に遡上してくることを確認しつつ,鮭の産卵を助け,獲る量はコントロールされ,乱獲はされません(だから数百年続いているのです)。
産卵を終えた鮭はすぐに死に,川に漂い,腐敗してしまいますが,人間がその前に自然の恵みとして頂き,冬雪に閉ざされる人々に栄養を与えてきたのです。日本海側での暮らし豊かさを別の街でまた知った思いです。
対語シリーズ「生と死」に続く。

2012年3月6日火曜日

対語シリーズ「男と女」(3)‥男の浮気,如何に対峙(退治)するか女心は揺れ動く?

<浮気>
女性にとって,最愛の恋人が浮気をすると当然平常心ではいられません。
浮気相手の女性に対し「○○君は私のモノよ!」「この泥棒猫女!○○君には近づかないで!」と攻撃したり,恋人には「私とあの女とどっちが好きなの?!」と問い詰めます。
男の方が曖昧な返事をしようものなら「あの女と付き合うなら,絶対許さないからね!」と相手の浮気を徹底糾弾し,「二度と浮気はしません」と相手が誓うまで許しません。
しかし,相手が改心する気持ちが完全でないと見るや,急速に恋心は冷え,簡単に別の男に鞍替えをすることも女性はいといません。
未練がましいのは男の方で,どちらかというと切り替えの早いのは女性の方です。

天の川 「たびとはん。えらい詳し~なあ。経験豊富なんと違ゃうか?」

いえいえ。天の川君がいつも言っているように私はそんな甲斐性はありません。万葉集から得た想像で書いてるだけだよ。
では,そんな和歌を何首か紹介しましょうかね。まず,詠み人知らずの次の短歌です。

愛しと思へりけらしな忘れと結びし紐の解くらく思へば(11-2558)
うつくしとおもへりけらし なわすれとむすびしひもの とくらくおもへば
<<あの時はいとおしいと思ってくださったのね。忘れないでと誓って結んだ紐が自然に解けたのはまだ貴方様がいとおしく思っているとの報せでしょうか>>

万葉時代,女性は外に出歩くことはままならず,まして恋敵に怒鳴りこむことはそう簡単にできなかったと思います。
また,財力がある場合は,男性が複数の妻を持つことが許されていた時代ですから,女性は強く主張をできずに,相手の男性に気づかせる方法しか取れなかったのだと私は思います。
次も詠み人知らずの短歌ですが,もう少し女性から強く意思を伝えたものもあります。

天地の神を祈りて我が恋ふる君いかならず逢はずあらめやも(13-3287)
あめつちの かみをいのりて あがこふる きみいかならず あはずあらめやも
<<天地の神に祈って私が恋する貴方様なのです。逢えないことなどあるはずがないのだから>>

それでも,相手が自分に靡かないようになった時は,次の笠女郎大伴家持に贈った衝撃的な短歌となります。

心ゆも我は思はずき山川も隔たらなくにかく恋ひむとは(4-601)
こころゆもわはおもはずき やまかはもへだたらなくにかくこひむとは
<<心から私は思ってもみませんでした。貴方様とは山川を隔てるような遠さではないのに,こんなに逢えずに恋苦しむとは>>

思ふにし死にするものにあらませば千たびぞ我れは死にかへらまし(4-603)
おもひにししにするものにあらませば ちたびぞわれはしにかへらまし
<<恋をしすぎて死ぬことがあるなら,私は数えきれないほど死んでいるでしょう>>

相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後方に額つくごとし(4-608)
あひおもはぬひとをおもふは おほてらのがきのしりへに ぬかつくごとし
<<想ってもくれない人を恋することは,大きい寺にあるご利益のない餓鬼像に対して後ろから拝むような無意味なことですね>>

ここまで,言われた家持は困り果てて次のような短歌を返します。女性にもてたプリンス家持でさえ,未練がましさや自己弁護が伝わってきます。

いまさらに妹に逢はめやと思へかもここだ我が胸いぶせくあるらむ(4-611)
いまさらにいもにあはめやと おもへかもここだあがむね いぶせくあるらむ
<<もう、貴女に逢えないと思うからか,こんなにも私の心は塞いでいる>>

なかなかに黙もあらましを何すとか相見そめけむ遂げざらまくに(4-612)
なかなかにもだもあらましを なにすとかあひみそめけむ とげざらまくに
<<どうせなら黙っていればよかった。どうして貴女と逢ってしまったんだろう。正妻にはできないのに>>

天の川 「まあ~,笠女郎と家持とのやりとりは今で言うと次のようなシーンやな。
笠女郎『家持はん!奥さんと別れて,私と一緒になると言うたんちゃうんか?』
家 持『悪いけどな,今の嫁はんとはうまいこと別れられへんねん。』
笠女郎『え~!そんなん絶対アカンわ。許さへんで。』
どや?」

関西弁するとちょっとニュアンスが違うような気がするけど,私にはまったく経験がないから良いことにしますかね。
対語シリーズ「多と少」に続く。

2012年3月3日土曜日

当ブログ4年目突入スペシャル「万葉集編纂の目的は?」

万葉集をリバースエンジニアリングする」という変な(ケッタイな)名前のブログも,早4年目に入りました。
これまでアップした200件近い記事をほぼ満遍なく世界中の多くの方々に読んでいただいているようです。お陰さまでGoogleが記録している当ブログの閲覧数も年を追うごとに増えています。
さて,私が非常に強い興味を持つ万葉集のテーマのひとつに,このブログでも過去何度か取りあげてきた「万葉集は何の目的で編纂されたのか?」ということがあります。
万葉集を編纂した人(編者)が誰であるか,編纂の目的は何であるかの記録が無いため,万葉集愛好家の方々の多くはどうしても和歌の作者(詠み手)がその和歌をどういう心境で詠んだか?(文学としての捉え方の方向)に興味が向かってしまうのではないでしょうか。万葉集の研究書,解説書も編纂の意図や編者が誰かを断定的に書いたものは少ないように感じます。
<改めて私の仕事>
このブログで私のプロファイルにも書いていますが,私は仕事柄ソフトウェアのリバースエンジニアリング(そのソフトウェアの所有者からの委託であり合法)をたびたび仕事として行います。
既存のプログラムや設計書(多くは更新不十分)を見て,そのプログラム(またプログラムの集まりである機能やシステム)の初期開発やその後の改修の意図,目的を推測することが中心的な作業となります。
そういった仕事で今私がかなり忙しいのは,いろいろなところで稼働中のソフトウェアの多くが設計書に初期開発やその後の保守の目的や意図が十分書かれていないことが少なからずあるからなのです。
特に,10年以上長く稼働しているソフトウェアは,初期開発時の開発目的や意図はあっても,稼働後何度も手を加わえている(修正している)意図や目的が記録されていないことの方が問題になる場合が少なくありません。そんなソフトウェアの所有者は,私のような保守開発者にリバースエンジニアリングを依頼し,それらの意図や目的を正確に判断した上で,今後の最適な修正方法の提案を求めるのです。
<万葉集に仕事のノウハウを適用>
これまで私は万葉集の個々の和歌から編者の編纂意図や目的を推理しようと,既存のソフトウェアのリバースエンジニアリング手法を使ってきました。
このブログが4年目を迎えた節目として,これまで万葉集をリバースエンジニアリングし,それによる万葉集編纂目的の推測について書くことにします(来年になると違った考えを持つかもしれませんが)。
ただ残念なことに,私のソフトウェアに対するリバースエンジニアリングの(プロとしての)技量をもってしても,未だに万葉集の編纂意図を自信をもって「これだ!」といえる結論を持つに至っていません。
その原因は二つあります。ひとつは時間が足らないことです。私は万葉集を調べることはあくまで趣味の世界であり,これで一銭も稼いでいません。食べるためには今はITの仕事をたくさんするしかなく,それ以外の時間は限られます。
結論が出せないもう一つの理由は,万葉集の和歌の多様性にあります。編纂の意図に関する仮説をひとつ立てると,それでは説明できない和歌がすぐ見つかってしまいます。
<現在私が感じる万葉集編集の目的>
今の私は「万葉集の編者が当時の日本の政治制度,文化,暮らし,習慣,遊び,風土,土地柄,人柄,人の価値観,歴史,気候,自然,自然感,産業,職業,そして言葉の多様性(良いことも悪いことも)を和歌という形式を通して示したかった」のではないかという仮説を持つに至っています。
では,誰にその多様性を示したかった(万葉集を見て欲しかった)のでしょうか?
それは外国(人)かもしれないと私は考え始めています。光仁天皇の頃,大伴家持が中心として万葉集を今の姿に近く編纂したとすると(これも私の勝手な仮定です),実はその頃に遣唐使が1回,遣新羅使遣渤海使はそれぞれ数度派遣されています。結局,私の仮説は派遣先の国への献上物とする目的で万葉集が編纂されたかもしれないということです。
ただ,実際にその目的が達成したか(完成し,献上されたか)は実はどうでもよいと私は考えています。編纂の目的が最後まで果たされなかったからといって編集の目的が消えるわけではないですから。
この仮説から,外国人に日本文化の多様性,産業の成熟度,日本人の感性の豊かさ伝えることによって,外国に貿易相手として有望であり,珍しい産物や自然がたくさんあることを万葉集を献上することで伝えたかったと私は考えています。
<万葉集はCoolな日本を紹介?>
まさに,"Cool Japan"(洗練された日本)を外国に示そうとしたのではないか,そんな気がしてなりません。また,当時交易のあった外国からも,飾り立てた来客用の京の情景だけでなく,地方の庶民も含めた日本の生の暮らしが知りたいという要求が強くあった可能性があります。
日本という国を侵略・略奪の対象とするのではなく,対等なパートナーとして扱うこと,双方の国も独自性を尊重し合うこと,お互いが学び合うことのメリットを理解してもらうことなどが万葉集編纂の目的もあった可能性を感じます。
万葉集には,恋の歌,羈旅の歌,日本の風土を詠んだ歌,別離の歌,葬送の歌,家族の絆を詠んだ歌,自然(日・月・山・海・川・天候)の変化を詠んだ歌,動植物の歌,年中行事を詠んだ歌,人生を詠んだ歌,生活の貧しさ・豊かさを詠んだ歌,政治・社会を詠んだ歌,日本に根付いた思想(仏教・儒教・道教・神道等)を詠んだ歌,占いの歌,祈りの歌,諭しの歌,歓びの歌,宴会での歌,心情の歌などあらゆるシチュエーションの和歌がでてきます。
<日本はグローバル化すればそれでよいか?>
さて,現在日本にはグローバル化の進展を望む諸外国の声があるといいます。日本が真の意味でグローバル化しなければならないという課題は数十年前から叫ばれています。しかし,本当に日本はグローバル化を進展させることができたのでしょうか。もっともグローバル化が進んでいるといわれる日本の産業界でも,ようやく有名企業数社が社内公用語を英語にするという程度です。私の勤務先はIT系の会社ですが,ビジネスとして日常的に英語を話すことができない人(残念ながら私もその一人)が大多数です。
一般に日本語でしかコミュニケーションしない日本の人達は,万葉集が取りあげている上記のような多様な視点で今の日本についてよく知っている(詳しいの)でしょうか? 答えはNo.だと思います。
多くの日本人は自分のことや興味のあることしか考えずに,自分及び今自分が関係する世界に閉じこもり,自分の世界という島国から出ようとしていないように私は感じます。その結果,同じ日本人の間でさえ,共通に理解しあえるものが希薄になってしまっていると私は思います。

最後に大伴家持が越中で詠んだ長歌を紹介して今回の長文記事を終りにします。この中に出てくる「八千種(やちくさ)」は「多様な」という意味です。家持は多様な日本の自然に心を動かされ,その多様さに興味は尽きないと詠っています。

時ごとにいやめづらしく 八千種に草木花咲き 鳴く鳥の声も変らふ 耳に聞き目に見るごとに うち嘆き萎えうらぶれ 偲ひつつ争ふはしに 木の暗の四月し立てば 夜隠りに鳴く霍公鳥 いにしへゆ語り継ぎつる 鴬の現し真子かも あやめぐさ花橘を 娘子らが玉貫くまでに あかねさす昼はしめらに あしひきの八つ峰飛び越え ぬばたまの夜はすがらに 暁の月に向ひて 行き帰り鳴き響むれどなにか飽き足らむ(19-4166)
ときごとにいやめづらしく やちくさにくさきはなさき なくとりのこゑもかはらふ みみにききめにみるごとに うちなげきしなえうらぶれ しのひつつあらそふはしに このくれのうづきしたてば よごもりになくほととぎす いにしへゆかたりつぎつる うぐひすのうつしまこかも あやめぐさはなたちばなを をとめらがたまぬくまでに あかねさすひるはしめらに あしひきのやつをとびこえ ぬばたまのよるはすがらに あかときのつきにむかひて ゆきがへりなきとよむれどなにかあきだらむ
<<季節こどに本当に面白く多様な草木の花が咲き,鳥の鳴き声も変わる。世間の評判や実際この目で花を見るたびに,私は非常に嘆き,嘆息をつく。元気がでず,しょんぼりしつつ,あまりにも多い花の種類を思いながら、どの花が好いか迷っているうちに、葉が茂り木陰ができる四月がくると,夜に鳴く霍公鳥。おまえは昔から語りつがれている鶯の可愛いいほんとうの子なのだろうか。菖蒲や橘の花を娘達がくす玉に挿す頃,霍公鳥よ昼は一日山の重った嶺を飛び越えて歩き,夜は夜通し、明け方の月の前を、往き来して、あたりにこだまするほどけたたましく鳴くのが本当に興味深い>>

対語シリーズ「男と女」(3)に続く。