2010年9月25日土曜日

いま,万葉集に学ぶべきこと

<投稿100記念>
今回が投稿100回目ということで,通常より長文を載せました。これまで書いた要約でもあり,内容に今まで繰り返し何度も書いて来たことも含んでいます。ご容赦ください。
万葉集の編纂の意図や目的が「やまと言葉のテキスト」,そして「昔からの国の文化,風土,慣習,歴史の’実態’を広く知らしめること」ではないかと何度かこのブログで私は述べています。
もちろん,この推測は私の勝手なものであり,学術的根拠はありません。
万葉集は,飛鳥時代から奈良時代にかけて,海外(中国)の律令制度の導入により,国の様々な場所でどんなことが実際起きているのか,人々がどんな思いで暮らしているのかを和歌(やまと言葉)という形式でストレートに表現し,そしてその題詞,左注の解説を通して残そうとしたものではないかと私は考えます。
万葉集の一つ一つの和歌には,儀礼的なもの,作り話風のもの,自分の感情(美しい,好きだ,逢いたい,つらい,悲しいなど)だけを表現したもの,政治的な色合いの濃いものなど,一つ一つが正確な歴史的事実を表わすものではありません。
ただ,そのように詠わせる社会的背景を多くの和歌の中から推定すると,やはり多くの人は激動の飛鳥時代,奈良時代を翻弄されながら生きた人々の姿が見えてくるように思います。
<社会的変革は痛みを伴う>
一般に,新しい政治制度の導入や改革は,そのスピードが早ければ早いほど,それに翻弄される人々が多く現れてしまうのではないでしょうか。
そういった犠牲をある程度覚悟の上であえて世の中を変えていかなければならないときがあることは国の発展,近代化,国際的競争力の強化のために避けては通れないと私も考えます。
その変革を強力に進めようとする人達は,変革が早く進むほど最終的な犠牲発生期間や全体的なデメリットは少なくて済むと考えるかも知れません。しかし,それについていけない人々が大きな格差を感じ,苦しむ度合いも大きくなります。
私は,万葉時代の政治制度の変革と今のIT(情報技術)をベースとしたグローバル(国際)化の急激な進展の中で,その大波を被る人達(波の上でバランスよく波に乗る一部の人達を除く)の戸惑いには類似点が多くあると感じています。
その混乱ぶりの一例をあげます。
<今はカタカナ外来語だらけの世の中?>
私たちは膨大な数の新しいカタカナ語の出現に戸惑い,時代に乗り遅れまいと必死に覚え,理解しようとしていますが,その新しいカタカナ語の数は一般の人の理解の限界をはるかに超えて急増し続けているように思います。
たとえば「このテレビはブルーレイレコーダとハードディクスがセットされ,有機ELDのクリアな画像でフルハイビジョン,3D映像がエンジョイできます」とか,「このケータイ端末は,オーサリングツールがプリインストールされ,旧モデルよりパワフル,ハイパフォーマンスを実現し,Webコンテンツがスムーズにアップデートでき,ホームページへのアップロードもサクサクです」というような日本語が溢れ,意味は分からないが新しいカタカナ語が使われていると多分優れているのだろうと飛びついてしまう。
<万葉時代の外来語は漢字>
実は万葉時代も漢字が急激に導入され,ほんの一部の人達だけが理解できる状況だったと思われます。
結局,漢字は平安時代になっても難しく,理解できない人が多かったため,ひらがなやカタカナが発明されたのでしょう。
さて,カタカナ語の氾濫の例はあくまでも今の急激な変化を示す一例でしかありませんが,もっと深刻な戸惑いの例もほかにあると思います。
万葉集の様々な和歌でも,時代の変化(重税,法律による制限拡大,違反による重い刑罰,厳密な組織序列,権力争い,左遷,他国との戦争,出兵)に対し,戸惑い,苦しみ,悲しみ,それに耐える姿が読み取れます。
しかし,万葉集にはそのような苦しい状況の中でも変わらないもの(恋愛,家族愛,四季の変化や自然の美しさ,故郷への愛着,かけがえのない命など)を大切しようという姿があり,私は大きな救いを感じます。
<万葉集から我々現代人が学ぶべきこと>
時代背景の類似点から急激な変化にさらされている現代,万葉集が我々に対し教えてくれる点(失ってはならないこと)は次のようにたくさんあると私は思います。
分かりやすい万葉集の短歌を例示しながらいくつかの点について述べてみます。

☆☆家族を大切にする気持ち☆☆
家族を愛する気持ちを詠った万葉歌人は山上憶良が代表例でしょう。官僚である憶良はまだ十分恵まれていた方かもしれません。今でいえば優良企業の正社員です。
今の非正規社員の方々や失業中の方々はもっと厳しい状況だと思いますが,次のような気持ちは失わないでほしいと私は思います。

憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむぞ(3-337)
銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも(5-803)

☆☆命を大切にする気持ち☆☆
万葉集には数多くの挽歌(死者を追悼する和歌)が載せられています。
中には儀礼的な挽歌もありますが,父母も妻子もいるだろう路上の屍を見て詠んだ詠み人知らすの挽歌には心打たれます。

母父も妻も子どもも高々に来むと待ちけむ人の悲しさ(13-3337)

死んだ男性は家族とまた会えることを願い,生き続けたかったけれど,不本意にも生き倒れで命を落としてしまったのでしょう。
でも,父母妻子がいるにも関わらず自ら命を落とす人がたくさんいる今の社会,命を本当に粗末にしている時代なのでしょうか。それとも,自殺する人も本当はもっと生きたかったのでしょうか。

☆☆自然を愛する気持ち☆☆
万葉集には自然を詠んだ詠み人知らずの和歌が本当にたくさんあります。次はその中のたったひとつですが,春,夏,秋と同じ山を見て季節の移り変わりを実に細かく観察している短歌だと私は思います。

春は萌え夏は緑に紅のまだらに見ゆる秋の山かも(10-2177)

☆☆苦難な状況でも励まし合い乗り越えようとする気持ち☆☆
橘諸兄の力が陰りを見せ始め,聖武天皇崩御の後,いわれなき罪で出雲守を解任された大伴氏のエリート大伴古慈悲に対し,「大伴氏のプライドをしっかり自覚し,自棄(やけ)にならずに自分を磨くことを忘れるな」と激励する長歌と反歌2首を大伴家持が贈っています。
次は,その反歌2首です。

磯城島の大和の国に明らけき名に負ふ伴の男心つとめよ(20-4466)
剣太刀いよよ磨ぐべし古ゆさやけく負ひて来にしその名ぞ(20-4467)

☆☆世の中の矛盾をユーモアで風刺するセンス☆☆
世の中の所得格差や重税に対して笑い飛ばそうという短歌もあります。
次は,ハスの花が咲くような大きな池を持つ金持ちを風刺した短歌と檀家衆に無精ひげを揶揄にされた僧侶が「里長が税の取り立てに来たら泣くぞ」と応酬した短歌です。

蓮葉はかくこそあるもの意吉麻呂が家なるものは芋の葉にあらし(16-3826)
壇越やしかもな言ひそ里長が課役徴らば汝も泣かむ(16-3847)

今の世の中,制度矛盾や収入を得るためのスキルの変化から,さまざまな格差が広がっているようにも見えます。
でも,いくら「世の中が悪い」と嘆いたところで明日急に豊かな暮らしになれる保証はありません。
私たちがこれからの激動の時代を前向きに生きていくために,万葉集から学ぶことは少なくないのではないかということを投稿100回の節目の締めくくりとします。
「初秋の明日香」に続く。

2010年9月19日日曜日

このブログのキャストや方向性

万葉集をリバースエンジニアリングする」というこのブログも次回で投稿100回目となります。
今回は,このブログのキャストについて,改めて説明しますね。

◎私(たびと)…生まれ:京都市伏見区。高校まで同市山科区の学校に通う。
        その後,東京八王子市の大学(経済学部)入学,八王子市に暮らす。
        社会人(ITエンジニア)になってからは埼玉県の
        いくつかの市を転居して,現在埼玉県南部のある市に居住。
        万葉集との出会い。小学校の国語の教科書が初め。
        このとき印象に残ったのが,山部赤人の次の短歌。
     若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る (6-919)
        大学で万葉集研究サークルに入り,すこし本格的に万葉集に接する。
        現在,好きな万葉歌人は大伴家持長意吉麻呂笠女郎
◎あう…私(たびと)と同居しているネコ。私の代わりに写真が出ています。
◎妻…私の長年の同居人。ネコが好きですが,万葉集にはほとんど興味を持たず。
        現在は韓流ドラマに凝っている。
◎天の川…私が生まれてからずっと私にまとわりついている陽気な亡霊。
        なぜか関西弁でうるさく話し,ときどきこのブログに出てきては
        ちょっかいを出す。

現在,キャストはこんなものです。

次にこのブログの方向性めいたものも改めて説明します。
万葉集を有名歌人や名歌と評されている和歌から題材にすることはしません。
万葉集で使われている言葉に焦点を当てます。
その言葉を使っている万葉集の和歌を機械的にまとめて見ていきます(このあたりがエンジニアの発想)。
この方法は万葉集を専門に研究されている学者先生も当然行われているかもしれませんが,私のやり方が研究者と根本的に違う(劣る)のは,過去の研究結果や評論をほとんど参考にしない点ですね。
このブログに書いてある内容は,ある言葉にこだわって,万葉集を数日調べて,感じたことをその都度書いているだけなのです。
過去の偉い学者先生方が完全否定していることや万葉集を全部調べれば間違っていることも書いてしまうかもしれません。
このブログは,すべてその時点の私の感想でしかありません。
私は,万葉集からやまと言葉やまと文化の源流をさぐることができると信じています。
そして,そこから現代でも失ってはもったいない文化やモノの見方・考え方を伝えられればと考えているのです。

さて,前回(98回)まで,いろんな言葉を題材にしてきました。
また,難読シリーズや動きの詞シリーズの連載をアップしていますが,まだまだ紹介できていない言葉はいっぱいあります。
これからもずっと続けられるだろうと思うほど万葉集は言葉の宝庫なのです。まさに「よろず(万)の言の葉」なのです。
また,万葉集の中で同じ言葉が様々なシチュエーションで使われていることで,同じ言葉でも前後の関係で微妙にニュアンスが異なり,ある言葉の奥深さを感じさせるものもあります。
もし,万葉集がなかったら,当時使われていた言葉の多くが忘れ去られたり,本来の意味と異なる意味に使われてしまい,日本語が大きく変わっていたかも知れません。

さて,次回は連載100回記念として,万葉集から現代人が学ぶべき点は何かについて私の考えを書く予定です。

2010年9月11日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…惜しむ(3:まとめ)

「惜しむ」の用例として,今でも「名残を惜しむ」という言葉が使われています。
「名残」は「余波」とも書き,ある動きが終わっても,かすかに元の動きの余韻が残っている状態を表す言葉だと思います。
例えば,美しい紅葉が終わって,大半が枯れ木のようになってしまっているが,まだ一部に散らずに残っている部分があり,さぞかし美しかったであろう紅葉の雰囲気が残っている。
それを見て「あ~,もう紅葉も終わったんだ」という思いを「名残を惜しむ」が端的に表現しているのではないでしょうか。

「惜しむ」を使った万葉集の和歌を詠むと「日本人は無常観を楽しむ民族だなあ」と私はつぐつぐ感じることがあります。
一般に無常観は仏教によってもたらされた考え方だと思われがちかもしれません。
しかし,私は仏教伝来以前から日本人は苦しい生活であっても豊かな季節の変化とともに暮らす中,無意識のうちに無常を前提とした価値観を持っていたのではないかと考えます。
そこへ飛鳥時代仏教(主に大乗仏教)が急速に伝来し,その根底にある無常の思想が日本人の無意識の無常観とマッチし,違和感なく受け入れられたかもしれないと私は思うのです。

世の中に絶対変わらないものはない。今の状態(良い状態/悪い状態)はいずれ変化する。
良い状態が変化し,終わろうとする刹那に「惜しむ」という感情が出現する。
いっぽう,悪い状態が終わり,良い状態になるのを期待する心の動きを動詞シリーズの最初に取り上げた「待つ」があるのかも知れません。

万葉集に「惜しむ」と「待つ」の両方が詠み込まれた長歌の一つ(後半抜粋)を次に紹介します。
この長歌は,摂津国の班田史生丈部龍麻呂が自殺した際,判官であった大伴三中が詠んだとされる挽歌です。

いかにあらむ 年月日にか つつじ花 にほへる君が にほ鳥の なづさひ来むと 立ちて居て 待ちけむ人は 大君の 命畏み おしてる 難波の国に あらたまの 年経るまでに 白栲の 衣も干さず 朝夕に ありつる君は いかさまに 思ひませか うつせみの 惜しきこの世を 露霜の 置きて去にけむ 時にあらずして(3-443)
<~いかにあらむ としつきひにか つつじはな にほへるきみが にほとりの なづさひこむと たちてゐて まちけむひとは おほきみの みことかしこみ おしてる なにはのくにに あらたまの としふるまでに しろたへの ころももほさず あさよひに
<<~どのように暮らしているのかと,毎日毎日立派な君がいつもにこやかな顔で帰ってくるかと玄関で待っている家族は,難波の国で年を重ねている。衣も干さずに一日中居る君は何を思ったのか,大切なこの世から露霜のように去って消えてしまった。若くして。>>

年間自殺者が3万人を超える(交通事故で亡くなる人の4倍以上)である状態が続いている今,毎日どこかでこの長歌のような無念な想いをしている人がたくさんいると思うと心が暗くなります。
今の我々は,何としてももっと「命を惜しむ」という心を強くし,そしていろんな人と関わりをもって励まし合いながら生きていくことが大切だという気持ちをより強く持たなければならないと思うのは私だけでしょうか。

さて,このブログも次の次で100回を迎えます。
この後の2~3回は,動きの詞シリーズは少し休みにして,これまでこのブログに残してきた記事を少し振り返ってみたいと考えています。

2010年8月29日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…惜しむ(2)

万葉集の中で「惜しむ」を詠みこんだ25首ほどの和歌には,比較的定型的な表現が随所に出てきます。
たとえば,「(花が)散らまく惜しみ」「(季節が)過ぐらく惜しみ」「(夜が)更くらく惜しみ」「(夜が)明けまく惜しみ」「(白露が)置かまく惜しみ」といった具合です。
「動詞+まく(らく)+惜しみ」は「○○しそうで名残惜しんでいる」という意味になるようです。

我がやどの梅の下枝に遊びつつ鴬鳴くも散らまく惜しみ(5-842)
わがやどの うめのしづえに あそびつつ うぐひすなくも ちらまくをしみ
<<私の家の梅の下枝でウグイスが楽しそうに遊んで鳴いている(梅の花が)散りそうで名残惜しんでいます>>

三諸の 神奈備山に たち向ふ 御垣の山に 秋萩の 妻をまかむと 朝月夜 明けまく惜しみ あしひきの 山彦響め 呼びたて鳴くも(9-1761)
みもろの かむなびやまに たちむかふ みかきのやまに あきはぎの つまをまかむと あさづくよ あけまくをしみ あしひきの やまびことよめ よびたてなくも
<<雷丘の向かいの甘橿の岡に 秋萩のような妻と 共寝に誘おうとして 朝月が出る夜に明けようとすのを名残惜しんで やまびこを響かせ 呼び立てては鳴く鹿よ>>

最初の短歌は,大伴旅人が筑紫長官をしていたとき大宰府で盛大に行われた梅の花を愛でる宴のとき,出席者が詠んだ32首の内の1首です。
2首目の長歌は,柿本人麻呂が詠んだといわれているものです。
夜,妻(雌鹿)に共寝を誘った雄鹿が朝月の夜が明けようとして,共寝が出来きず,名残惜しんでいるためか,山彦が起こるような大きな鳴き声で鳴きたてている姿を詠んでいます。
繰り返される雄鹿の悲しそうな鳴き声に起こされたが,隣には最愛の妻が寝ている自分(人麻呂)の幸福感を詠っているのでしないかと私は思います。
<「惜しむ」は今の幸せが変わらないでほしい気持ち>
これらの「惜しむ」の表現は,いつまでも今の状態が続いていてほしい。でも,やがて変わってしまうことが分かっている。
それでも,もう少し今のままでいてほしいという気持ちの表現に使う言葉です。
一日の変化,四季の変化は止めることはできないという無常感と,でも変わらないでほしいという希望との鬩ぎ合いを「惜しむ」という言葉は端的に表わしていると私は感じます。
「惜しむらくは」という言葉は,この用法が転じたかもしれないと思うのですが,いかがでしょうか。

天の川 「この夏いつまでも暑うてたまらんわ。たびとはんは若い頃のことを惜しんでいてもあかん年にとっくになってしもたしなあ。」

うるさい! 君は夏バテしているからオトナシクしていればいいの! オトナシクしていないと某党の前幹事長見たいに人気が落っこちるよ。
惜しむ(3:まとめ)に続く。

2010年8月23日月曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…惜しむ(1)

「惜しむ」は現代でも比較的使われている言葉だと私は思います(形容詞の「惜しい」はもっとポピュラーに使われていそうです)。
「別れを惜しむ」「急逝を惜しむ」「才能を惜しむ」「自分の命を惜しめ(大切にしろ)」「行く春を惜しむ」などとして使われることがまだあります。
万葉集では,25首ほど「惜(を)しむ」を使った和歌が出てきます。
<我が家の愛猫ランちゃん死す>
ところで,1週間余り前に我が家の愛猫「ランちゃん」が死にました。
ありし日のランちゃんです。

私の自己紹介に使っている写真の猫は「あう」です。「あう」と「ランちゃん」については,昨年7月18日のブログで少し紹介しています。
「ランちゃん」は15歳1カ月で天寿を全うしました。人間でいえば90歳を軽く超えている年齢でしょうか。
15年ほど前にスーパーのペットショップで「可愛い子猫だ」と妻と息子が選んで買ってきたヒマラヤンのメス猫です。
今年の猛暑が始まってしばらくして,急に食欲がなくなり,体力が急激に衰えてきました。
死ぬ2週間前あたりからは,トイレ以外はほとんど動けず,流動食や水を少し口にするのがやっとの状態でした。
ついに死ぬ数時間前(夜中)から,呼吸が不規則な状態になり,妻が「ランちゃん」に添い寝して身体をなでている中,眠るように息を引き取りました。
約15年間ずっと家族同様暮らしてきた猫ですから,もう少し長生きしてほしかったと「惜しむ」気持ちが続きました。
<ランちゃんの葬儀>
死後すぐに段ボール箱で簡易な柩を作り,その中に「ランちゃん」をタオルで丁寧にくるんで入れました。
何かあったときのために地方の鮮魚市場で鮮魚を買うと付いてくる保冷剤をいくつも冷凍庫に凍らせていたので,それを周りに並べ,傷まないようにしました。
柩を愛用のペットフードや水,遺影とともに仏壇の前に置き,保冷剤を取り替えながら,ロウソクと線香を絶やさず焚き続けました。
そして,翌々日の朝まで「ランちゃん」との別れを惜しみ,柩にシミキと菊の花,愛用のシートを敷き詰め,火葬場付きのペット霊園へ運びました。
ペット霊園はちょうどお盆の真最中で,多くの人が来ていて賑やかでした。
戻った我が家では「あう」と新参猫の「ぴん」が,何事もなかったように家中で運動会をしていました。

そんな中万葉集に次の詠み人知らずの短歌を見つけました。

薦枕相枕きし子もあらばこそ夜の更くらくも我が惜しみせめ(7-1414)
こもまくら あひまきしこも あらばこそ よのふくらくも わがをしみせめ
<<薦(こも)で作った質素な枕を共にして寝たあの子がこの世にいたならば,この夜の更けることを惜しみもするのだけれども>>

まさにそのときの妻の心境でしょうか。合掌。惜しむ(2)に続く。

2010年8月14日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…遊ぶ(3:まとめ)

大伴家持は越中の地(家持28~33歳)で「遊ぶ」という言葉を入れた和歌を多く詠んでいます。
以前にも何度か触れていますが,家持は越中で豊かな自然や暮らし,地元役人だけでなく,農業,漁業,商業に携わる人々と楽しく接することができ,平和な時間を過ごせたようです。
書持(ふみもち)という仲の良い弟を亡くした悲しみが越中赴任直後にありましたが,若いころから恋人同士だった坂上大嬢を妻に迎え,本当に幸せを感じた時期だったのかもしれません。
その結果,家持はこの越中で200首以上の和歌を詠み,いわゆる越中歌壇と呼ばれるジャンルを万葉集に残しました。
越中で最後に「遊ぶ」を入れた短歌は天平勝寶2年3月27日に酒宴で詠んだものです。

春のうちの楽しき終は梅の花手折り招きつつ遊ぶにあるべし(19-4174)
<はるのうちのたのしきをへは うめのはなたをりをきつつあそぶにあるべし>
<<春のなかでいちばんの楽しみは,梅の花を手折って客を迎え,楽しく遊ぶことに決まりだね>>

この短歌を詠んだ時期は梅はとっくに散っている季節です。
この短歌の題詞に,家持が筑紫の大宰府で父大伴旅人と一緒にいたとき,梅の花を愛でる宴を追想して詠んだとあります。
この宴は,越中赴任時代の20年ほど前の天平2年正月に催された宴を指すと思われます。
このとき,出席者が1首ずつ詠んだ32首が万葉集に残っていますので,その盛大さが想像できます。家持がその時に出席者によって詠まれた短歌の記録を所持していたのでしょう。
家持は筑紫でのその盛大な宴にいた可能性が高そうです。しかし,家持は12歳位だったのでさすがにそのときの家持の歌は残っていません。
越中の家持は筑紫の梅花の宴32首を前提にして19-4174の短歌を作ったと想像しますが,特にあるひとりの参加者(法麻呂という陰陽師)の次の歌を意識したのではないかと私は思います。

梅の花手折りかざして遊べども飽き足らぬ日は今日にしありけり(5-836)
<うめのはな たをりかざしてあそべども あきだらぬひはけふにしありけり>
<<梅の花を手折って頭に飾りいくら楽しく遊んでも少しも飽き足ることがない日はまさに今日の宴でしょう>>

家持は本当に楽しかった筑紫の宴を思い出して越中の出席者に梅見の遊びの楽しさがいちばんだと断言したかったのでしょう。

しかし,天平勝寶3年秋に越中守の任を終了し奈良の都に戻った家持に待っていたのは血で血を洗う権力闘争や庶民生活を脅かす重税でした。
聖武天皇は東大寺大仏建立のことばかり考え,光明皇后や藤原仲麻呂の意のままに政治が進み,家持の後見役的な左大臣橘諸兄は家持越中赴任前ほど力を持たなくなっていたのです。
家持は19-4174を詠んだ3年後の春(大仏開眼法要も無事終わった翌年,本当は楽しいはずの季節)に,次のような自分の暗い気持ちを詠んだ有名な短歌を残しています。

うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しも独し思へば(19-4292)
<うらうらに てれるはるひにひばりあがり こころかなしもひとりしおもへば>
<<日差しが柔らかに照っている春日に雲雀が飛び上がっているが,独りで思いにふけると心は悲しくなるなあ>>

惜しむ(1)に続く。

2010年8月7日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…遊ぶ(2)

今日は立秋です。また,旧暦の七夕(奈良時代は七夕は秋の季節を指す言葉)の時期でもありますね。
旧暦の七夕なので,ここでひさびさに天の川君登場を願いたいところですが,残念ながら完全に夏バテ状態で伏せっています。
さて,万葉集で「遊ぶ」を詠んだ和歌には実は七夕の時期のものはあまりなく,梅の花が咲く春や歓送迎の宴席を指すことが多いようです。。
万葉時代,冬は自宅に閉じこもっていることが多かった。でも梅の花が咲き,まさに春間近,みんなで集まり,これからの活発に活動できる時期を楽しみあったことを「遊ぶ」は指したのかも知れません。
もうひとつの「遊ぶ」の主役,歓送迎などの宴もみんなで集まることが楽しみの大きな要素です。
それに対して七夕の時期は恋の季節なので,みんなで集まる楽しみとは違う一対一の恋の和歌が詠われたのかも知れませんね。

さて,前回大伴家持が「遊び」を詠んだ和歌が9首あると書きましたが,その父旅人も1首「遊ぶ」を入れた短歌を詠んでいます。

世間の遊びの道に楽しきは酔ひ泣きするにあるべくあるらし(3-347)
よのなかのあそびのみちにたのしきはゑひなきするにあるべくあるらし
<<世の中の遊びの中で一番楽しいことは、酒に酔って泣くことに決まっているようなのだ>>

この短歌は旅人の代表作「酒を讃むる歌十三首」の1首です。この酔って泣くという意味は,一人で飲んで泣いているのではないと私は想像しています。
多くの仲間と酒を酌み交わし,大声で喋ったり,笑ったり,叫んだりして,とうとう声が嗄れてきた状態を指すのではと私は思うのです。
酔った人間の中には「俺の話を聞けよ!」「おい,分かってんのか!? この野郎!」などと他人に絡む人がいます。
絡まれた人間はえらい迷惑ですが,翌日当の本人はカラッとしていることがあります。
<本当は自分の話を聞いてほしい>
ある種の文明社会の人間は,本当は自分の話(本音)を聞いてほしいと常に欲求している動物ではないかと私は考えています。
さまざまな組織内の規則,調和,チームワーク,相手の気持ちを維持するため,言いたいことを我慢するか,やんわりと伝えることばかり経験していると,その人には着実にストレスがたまっていくのではないでしょうか。
そういう時,楽しく酒を呑みながら率直にたくさん話をし合うことが,そのストレスを発散に有効ではないかという大伴旅人の考えに,ペンネーム「たびと」の私も賛成したくなります(もちろん,度を過ごして人に絡むようなことをせず適量の呑むのが条件です)。

ところで,旅人の異母妹である大伴坂上郎女も次のような「遊ぶ」と「酒」を詠んだ短歌を残しています。

かくしつつ遊び飲みこそ草木すら春は咲きつつ秋は散りゆく(6-995)
かくしつつあそびのみこそくさきすらはるはさきつつあきはちりゆく
<<この宴では,こうしてみんなで遊び楽しみ、お酒を召し上がってください。草木ですら自然に春は生い茂り、秋には散ってしまうのです(先のことは気にせずに)>>

<女性は話し好きでストレスが低い?>
最近,ある程度人生経験を積んだ女性たちが,同年代の男性たちよりもすこぶる元気に見えるのは,とにかく話好きだからではないかと私は思っています。
はたから見ていて「よくもこんなに長く話ができるなあ」と感心しつつも,そのような女性たちは1人以上の相手とちゃんと話のキャッチボールが出来ているのです。
私はこれからさらに元気で楽しい人生を送るために,何時間でも(双方向で)話をし続けられる友人をたくさん作り,世の元気な女性たちに負けないくらい話す機会が「遊ぶ」時間の多くを占める状態にしたいと考えているのです。
遊ぶ(3:まとめ)に続く。