万葉集の中で「惜しむ」を詠みこんだ25首ほどの和歌には,比較的定型的な表現が随所に出てきます。
たとえば,「(花が)散らまく惜しみ」「(季節が)過ぐらく惜しみ」「(夜が)更くらく惜しみ」「(夜が)明けまく惜しみ」「(白露が)置かまく惜しみ」といった具合です。
「動詞+まく(らく)+惜しみ」は「○○しそうで名残惜しんでいる」という意味になるようです。
我がやどの梅の下枝に遊びつつ鴬鳴くも散らまく惜しみ(5-842)
<わがやどの うめのしづえに あそびつつ うぐひすなくも ちらまくをしみ>
<<私の家の梅の下枝でウグイスが楽しそうに遊んで鳴いている(梅の花が)散りそうで名残惜しんでいます>>
三諸の 神奈備山に たち向ふ 御垣の山に 秋萩の 妻をまかむと 朝月夜 明けまく惜しみ あしひきの 山彦響め 呼びたて鳴くも(9-1761)
<みもろの かむなびやまに たちむかふ みかきのやまに あきはぎの つまをまかむと あさづくよ あけまくをしみ あしひきの やまびことよめ よびたてなくも>
<<雷丘の向かいの甘橿の岡に 秋萩のような妻と 共寝に誘おうとして 朝月が出る夜に明けようとすのを名残惜しんで やまびこを響かせ 呼び立てては鳴く鹿よ>>
最初の短歌は,大伴旅人が筑紫長官をしていたとき大宰府で盛大に行われた梅の花を愛でる宴のとき,出席者が詠んだ32首の内の1首です。
2首目の長歌は,柿本人麻呂が詠んだといわれているものです。
夜,妻(雌鹿)に共寝を誘った雄鹿が朝月の夜が明けようとして,共寝が出来きず,名残惜しんでいるためか,山彦が起こるような大きな鳴き声で鳴きたてている姿を詠んでいます。
繰り返される雄鹿の悲しそうな鳴き声に起こされたが,隣には最愛の妻が寝ている自分(人麻呂)の幸福感を詠っているのでしないかと私は思います。
<「惜しむ」は今の幸せが変わらないでほしい気持ち>
これらの「惜しむ」の表現は,いつまでも今の状態が続いていてほしい。でも,やがて変わってしまうことが分かっている。
それでも,もう少し今のままでいてほしいという気持ちの表現に使う言葉です。
一日の変化,四季の変化は止めることはできないという無常感と,でも変わらないでほしいという希望との鬩ぎ合いを「惜しむ」という言葉は端的に表わしていると私は感じます。
「惜しむらくは」という言葉は,この用法が転じたかもしれないと思うのですが,いかがでしょうか。
天の川 「この夏いつまでも暑うてたまらんわ。たびとはんは若い頃のことを惜しんでいてもあかん年にとっくになってしもたしなあ。」
うるさい! 君は夏バテしているからオトナシクしていればいいの! オトナシクしていないと某党の前幹事長見たいに人気が落っこちるよ。
惜しむ(3:まとめ)に続く。
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