「万葉集をリバースエンジニアリングする」というこのブログも次回で投稿100回目となります。
今回は,このブログのキャストについて,改めて説明しますね。
◎私(たびと)…生まれ:京都市伏見区。高校まで同市山科区の学校に通う。
その後,東京八王子市の大学(経済学部)入学,八王子市に暮らす。
社会人(ITエンジニア)になってからは埼玉県の
いくつかの市を転居して,現在埼玉県南部のある市に居住。
万葉集との出会い。小学校の国語の教科書が初め。
このとき印象に残ったのが,山部赤人の次の短歌。
若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る (6-919)
大学で万葉集研究サークルに入り,すこし本格的に万葉集に接する。
現在,好きな万葉歌人は大伴家持,長意吉麻呂,笠女郎。
◎あう…私(たびと)と同居しているネコ。私の代わりに写真が出ています。
◎妻…私の長年の同居人。ネコが好きですが,万葉集にはほとんど興味を持たず。
現在は韓流ドラマに凝っている。
◎天の川…私が生まれてからずっと私にまとわりついている陽気な亡霊。
なぜか関西弁でうるさく話し,ときどきこのブログに出てきては
ちょっかいを出す。
現在,キャストはこんなものです。
次にこのブログの方向性めいたものも改めて説明します。
万葉集を有名歌人や名歌と評されている和歌から題材にすることはしません。
万葉集で使われている言葉に焦点を当てます。
その言葉を使っている万葉集の和歌を機械的にまとめて見ていきます(このあたりがエンジニアの発想)。
この方法は万葉集を専門に研究されている学者先生も当然行われているかもしれませんが,私のやり方が研究者と根本的に違う(劣る)のは,過去の研究結果や評論をほとんど参考にしない点ですね。
このブログに書いてある内容は,ある言葉にこだわって,万葉集を数日調べて,感じたことをその都度書いているだけなのです。
過去の偉い学者先生方が完全否定していることや万葉集を全部調べれば間違っていることも書いてしまうかもしれません。
このブログは,すべてその時点の私の感想でしかありません。
私は,万葉集からやまと言葉ややまと文化の源流をさぐることができると信じています。
そして,そこから現代でも失ってはもったいない文化やモノの見方・考え方を伝えられればと考えているのです。
さて,前回(98回)まで,いろんな言葉を題材にしてきました。
また,難読シリーズや動きの詞シリーズの連載をアップしていますが,まだまだ紹介できていない言葉はいっぱいあります。
これからもずっと続けられるだろうと思うほど万葉集は言葉の宝庫なのです。まさに「よろず(万)の言の葉」なのです。
また,万葉集の中で同じ言葉が様々なシチュエーションで使われていることで,同じ言葉でも前後の関係で微妙にニュアンスが異なり,ある言葉の奥深さを感じさせるものもあります。
もし,万葉集がなかったら,当時使われていた言葉の多くが忘れ去られたり,本来の意味と異なる意味に使われてしまい,日本語が大きく変わっていたかも知れません。
さて,次回は連載100回記念として,万葉集から現代人が学ぶべき点は何かについて私の考えを書く予定です。
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