2009年12月19日土曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(む~)

引き続き,「む」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)

行藤,行騰(むかばき)…獣の毛皮で作り、腰から脚にかけておおいとしたもの。
生す(むす)…発生する。生まれる。 「苔生す」
咽ぶ、噎ぶ(むせぶ)…飲食物、煙、涙、ほこり、香などで呼吸がつまりそうになる。
共(むた)…~と共に。「風の共(むた)」
正月(むつき)…1月。
空し、虚し(むなし)…中に物がない。はかない。仮初めである。
群(むら)…むれの古語。
腎(むらと)…腎臓の古称。転じて心のこと。
杜松(むろ)…ネズの木の古名。

今回は腎(むらと)が出てくる大伴家持の短歌を紹介します。

言問はぬ木すら紫陽花諸弟らが練りの腎に欺かえけり(4-773)
こととはぬきすらあじさゐ もろとらがねりのむらとに あざむかえけり
<<ものを言わない木ですらアジサイの花の色が移ろうように,見方によって変わる人の心の移ろいに私は翻弄されました>>

この短歌は,大伴家持久邇京(恭仁京)の地から,後に家持の正妻になったと言われる従妹(いとこ)関係の大伴坂上大嬢に送った5首の内の1首です。
奈良時代には,途中久邇,紫香楽など平城京以外に都が遷されたことがありました(久邇京は天平12年<740>12月からの約2年間遷都)。
この短歌5首は家持が久邇の地に居た(赴任?)ときに大嬢に贈ったと題詞にあり,おそらく久邇に遷都されている時期に作ったのだと考えられます。
そうすると,家持は20代前半の年齢で,相手の大嬢はさらに若い年齢だったでしょう。
若いが故に,お互い好きだという気持ちがありつつも,うまく気持ちが伝わらなかったり,相手の自分に対する気持ちを確かめられなかったり,相手の別の異性との関係を計りかねたりで,お互い苛立つ気持ちが少なくない中,家持はこの短歌を詠んだのかも知れません。
次の短歌(5首の最後)では,家持は自分の気持ちが伝わらないことに自棄になったような短歌を詠んでいます。

百千たび恋ふと言ふとも諸弟らが練りの言葉は我れは頼まじ(4-779)
ももちたび こふといふとも もろとらが ねりのことばは われはたのまじ
<<何度も何度も「恋しい」と言うことはあっても,多くの人が使うような上手な言葉で貴女が恋しい気持ちを表そうとは私は思わないのです>>

その後,2人の間にはさらに別れの危機が訪れることになったようですが,最終的に2人を結婚まで導いたのは,大嬢の母で,家持の叔母である坂上郎女であったと私は想像します。
万葉集の出現は前の番号ですが,時期はこの2首よりずっと後に坂上郎女が詠んだものだと推測できる次の短歌があります。

玉守に玉は授けてかつがつも枕と我れはいざ二人寝む(4-652)
たまもりにたまはさづけてかつがつもまくらとわれはいざふたりねむ
<<大事に守ってくださる御方にやっと私の娘を嫁がせることができました。これからは枕と私の二人で寝ることになりますね>>

(「め」「も」で始まる難読漢字に続く)

2009年12月14日月曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(み~)

引き続き,「み」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)

御酒,神酒(みき)…酒の尊敬語。神に捧げる酒。
砌(みぎり)…軒下・階下などの敷石の所。
胘(みげ)…牛,鹿,羊などの胃袋。塩辛の材料にした。
神輿,御輿(みこし)…神が乗る輿。
鶚、雎鳩(みさご)…おもに海上を飛ぶ大型の鳥。
京職(みさとづかさ)…律令制で京の行政・訴訟・租税・交通などの事務をつかさどった役所。
禊(みそぎ)…身を洗い清めること。
幣を(みてぐらを)…奈良にかかる枕詞。
御執(みとらし)…手にお取りになるもの。弓の尊敬語。
蜷(みな)…巻貝の総称、にな。
六月(みなづき)…水無月。
御法(みのり)…法、法令の尊敬語。
御佩刀を(みはかしを)…剣にかかる枕詞。
水縹(みはなだ)…藍の薄い色。みずいろ。
風流士(みやびを)…みやびやかな男。
海松(みる)…海産の緑藻。
水脈(みを)…船の通行に適する底深い水路。

今回は,京職(みさとづかさ)が出てくる滑稽な詠み人知らずの短歌を紹介します。

この頃の我が恋力賜らずは京職に出でて訴へむ(16-3859)
このころのあがこひぢから たばらずは みさとづかさにいでてうれへむ
<<最近の私の恋に対する努力と苦労を認めてもられないなら,奈良の京のお役所に訴えてもよいほどだよ>>

この短歌の前には,同じ作者が同様のことを詠ったと思われる次の短歌があります。

この頃の我が恋力記し集め功に申さば五位の冠(16-3858)
このころのあがこひぢから しるしあつめ くうにまをさばごゐのかがふり
<<近の私の恋に対する努力と苦労を記録してその功績を申請すれば五位の称号に値するほどだよ>>

この短歌2首は,どんなに努力しても大好きな相手(女性)に思いが伝わらなくて大変苦労し続けている本人(男性)自身の立場で詠んだ短歌ではないかと私は想像します。
しかし,当事者本人は実はこんな短歌を詠んでいる余裕すらなく,憔悴しきっている可能性が高い。
周りにいる人が見るに見かねて,またはその滑稽さを茶化して当事者本人に成代わって詠んだと考える方が面白いし,現実味がありそうです。
<現代の孤独な人々に必要なもの>
さて,今の時代でも一生懸命努力しても報われず,本人はその地獄(苦しみ)から這いあがれない状況のヒトがいるでしょう。
こういうときに本人の努力や苦労を分かりやすい譬えで説明してくれる友達,サークル仲間,職場の同僚や上司,近所のおばさんなどが居てくれることがどれだけ有り難いか知れません。
残念ながら,今はあまり干渉されたくないと思う若者は(もしかしたら中年以上の男性も?),距離の近い人間関係に重きを置かない人が多いのではないでしょうか。
人は物事がすべて順調で,好きな趣味や恋愛に没頭できるとき,それとあまり関係のない人々と付き合うことに興味が湧かないことはよくあることだと思います。
しかし,急に順調でなくなったとき,努力が報われないとき,何をすればよいか分からなくなったとき,落ち込んでしまったとき,やる気が急に衰えたとき,人生が嫌になったとき,死にたいと思ったとき,いろいろな人との繋がりによるアドバイス,手助けが大きな価値をもつことが多いに違いないと経験から思います。
<気づかせてくれる人の存在が重要>
今の世の中には,公共機関の相談窓口やプロの相談者(カウンセラー,医師,看護師,弁護士など)のサービスが昔に比べて整備されているように見えます。
しかし,本人が自分の状況が相談すべき状態だと感じなければ,基本的にそういった専門の相談相手は何もしてくれません。
日頃から,自分が気がつかない段階で自分の状況について積極的にいろんなことを教えてくれる多くの人(それも異なる視点で見る人,異なる価値観を持つ人,異なる経験をした人,異なる年齢や環境の人など)とフランクに話(言うだけでなく,素直に聞くこと)ができる機会をたくさんもっておくことが,今の不透明な時代,情報過多だが非常に偏って流される時代では,必要性が高くなっているのはないかと私は思うのです。
(「む」で始まる難読漢字に続く)

2009年12月7日月曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(ま~)

引き続き,「ま」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)

目(ま)…「目のあたりにする」という用法は現在でも使う。
籬(まがき)…竹・柴などを粗く編んで作った垣。ませ。ませがき。
粉ひ,擬ひ(まがひ)…入り乱れること。混ざって区別しにくいこと。
罷る(まかる)…退き去る。都から地方へ行く。
纏き寝(まきね)…互いの手を枕にして寝る。共寝。
任く(まく)…まかせる。ゆだねる。委任する。任命する。
設く(まく)…あらかじめ用意する。心構えをしてその時期を待つ。時が移ってその時期になる。
座す、坐す、在す(ます)…いらっしゃる。おいでになる。なさる。
大夫(ますらを)…剛勇な男。
馬塞、馬柵(ませ)…馬が出られないようにした垣
纏はる(まつはる)…絶えずくっついていて離れない。つきまとう。
奉る(まつる)…差し上げる。たてまつる。申し上げる。
服ふ(まつろふ)…服従する。服従させる。
眼間,目交(まなかひ)…目と目との間。目の前。目の当たり。
愛子(まなご)…いとしご。
随に(まにまに)…成行きに任せて。
多し、数多し(まねし)…度重なる。しげし。多い。
幣、賄(まひ)…礼物として奉る物。幣物。贈物。
卿大夫(まへつきみ)…天皇の御前に伺候する人の敬称。朝廷に仕える高臣の総称。
崖(まま)…がけ。
檀(まゆみ)…ニシキギ科の赤い実を付ける落葉樹木。弓を作ったためこの名がついた。

今回は,この中で卿大夫(まへつきみ)がでてくる短歌を紹介します。

島山に照れる橘うずに刺し 仕へまつるは卿大夫たち(19-4276)
しまやまに てれるたちばな うずにさし つかへまつるは まへつきみたち
<<庭の山に輝く橘の実を髪飾りに挿してお仕えするのは、天皇の御前に伺候する人たちです>>

この短歌は,藤原八束が天平勝宝4年(752年)11月25日の新嘗祭の宮中宴会で参加者6人がそれぞれ1首ずつ詠んだ歌の一つです。
この6人とは,巨勢奈弖麻呂石川年足文屋真人,藤原八束,藤原永手,そして34歳の少納言であった大伴家持でした。
この宴会は,父聖武天皇が女帝孝謙天皇に天平勝宝元年(749年)に譲位した後,孝謙天皇の縁戚で急速に勢力を伸ばした藤原仲麻呂が,それまで聖武天皇とともに平城政治を中心的に担ってきた橘諸兄葛城王)を脅かす存在になってきた時期です。
この6人は恐らく藤原仲麻呂の勢力拡大を当時面白く思っていなかった人たちだったろうと私は思います。
この短歌に出てくる「橘」は橘諸兄を指し「天皇に仕える高官たちほとんどは橘諸兄派なのですよ」という孝謙天皇に対するメッセージではないかと私は考えます。
非常に政治的に生臭い短歌だと思えますが,逆に万葉集に出てくる和歌のスコープの広さを感じさせてくれるような短歌です。
この後,聖武天皇(756年),橘諸兄(757年)が相次いで亡くなり,光仁天皇が即位(770年)するまで後見人を失った大伴家持は地方に飛ばされ政争の渦の中で苦労をしていくのです。
(「み」で始まる難読漢字に続く)

2009年11月30日月曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(へ~,ほ~)

引き続き,「へ」「ほ」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)

舳(へ)…船の舳先。
綜麻(へそ)…つむいだ糸をつないで、環状に幾重にも巻いたもの。
端,辺(へた)…はし。へり。
秀(ほ)…秀でていること。外に現れ出ること。
霍公鳥(ほととぎす)…ホトトギス
仄か(ほのか)…はっきりと見分けや聞き分けができないさま。かすか。
朴、厚朴(ほほがしは)…ホオの異称。

今回は,朴、厚朴(ほほがしは)を詠んだ短歌を紹介します。

我が背子が捧げて持てる厚朴あたかも似るか青き蓋(19-4204)
わがせこが ささげてもてる ほほがしは あたかもにるか あをききぬがさ
<<貴殿が高く捧げてお持ちの朴葉(ほうば)の立派さは,高貴な方が頭にかぶる蓋(きぬがさ)のようですね>>

皇祖の遠御代御代はい重き折り酒飲みきといふぞこの厚朴(19-4205)
すめろきの とほみよみよは いしきをり きのみきといふぞ このほほがしは
<<遠い昔の天皇の世では,朴葉を折りたたんでお酒を入れて飲んだということですよ>>

越中国守になって4年以上すぎた家持が氷見へ遊覧した際,参加者の一人(恵行という名の僧侶)が詠んだ短歌が前の1首。そして,大伴家持がそれに返歌したのが後の1首です。
この和歌のやり取りの場面は,家持が遊覧先の宴席で参加者が料理を取るための皿の代わりに立派な朴葉(ほうば)を用意したのがきっかけだと私は思います。
家持自らが朴葉の重ねたものを捧げ持ってきたのを見た参加者の一人が,その立派さを驚きとともに讃えたところ,家持は朴葉の由来を返歌したのでしょう。
今でも,朴葉はその肉厚で丈夫な大きな葉を利用して料理(ほうば焼き,ほうば寿司など)に使われます。万葉時代のさらに昔から,朴葉は,外出した際持ち運びが軽く,使用後は捨てられる便利さから,皿・コップ・炭火焼きの鉄板の代わりとして利用されてきたようです。
恐らく,家持は家臣に今まで見たこともないような上質の朴葉を用意させていたのでしょう。
「折りたためばお酒のコップにも使える」と返歌した家持は,同行者に日頃の国を守るための協力に対し「この立派な朴葉を使って飲んでもよいほどたくさんお酒も持ってきましたから,今日は大いに飲んでほしい」という意味を込めて返歌したのだろうと思います。
家持は翌年には5年に渡る越中赴任を終わり都に戻ります。
家持が赴任終了が近付いていることを知っていたかどうか分かりませんが,この日の和歌がこの他に数首万葉集に残っていますから,かなり盛大な遊覧旅だったのかもしれませんね。
(「ま」で始まる難読漢字に続く)

2009年11月24日火曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(ふ~)

引き続き,「ふ」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)

更く(ふく)…(夜が)ふける。
葺く(ふく)…(屋根を)ふく。
塞ける(ふさける)…さえぎって通れなくする。
衾(ふすま)…布などで作り,寝るとき身体を覆う夜具。
絆(ふもだし)…馬をつなぐ綱。

今回は「更く(ふく)」が詠まれている和歌を紹介します。この言葉はほとんどが「夜が更ける」または「小夜更けて」という使い方で万葉集には約60首に現れます。今回紹介するのは,その中で高市黒人が羇旅歌8首の中で詠んだ次の短歌です。

我が船は比良の港に漕ぎ泊てむ 沖へな離り小夜更けにけり(3-274)
わがふねは ひらのみなとに こぎはてむ おきへなさかり さよふけにけり
<<この船は 比良の港に 漕ぎ寄って停泊することにしよう 船は沖の方へ離れるなよ 夜が更けてきたからな>>

高市黒人は万葉集で旅先で詠んだ歌のみが残っている謎の歌人です。
山部赤人も旅の歌人と呼ばれていますが,黒人は赤人のように長歌は残っておらず,18首ほどの短歌のみです。
この短歌は黒人が近江の海(琵琶湖)を船で渡って旅をしている途中,比良の港(近江舞子付近?)に停泊したい気持ちを詠ったものです。
黒人の8首の羇旅歌は,場所もいろいろあって一度の紀行で8首すべてを詠んだのかは定かではありませんが,すくなくともこの短歌の前後を併せた3首は琵琶湖の旅を詠んだ一連のものだと私は推測します。
前の短歌では,琵琶湖にはたくさんの港があり,そこでは鶴がたくさん鳴いている情景を詠んでいます。
また,後の短歌では高島の地で夜が更けてどこで泊まろうかを思案している短歌です。
この3首が一連の短歌だとすると,黒人は琵琶湖を南の多くの港があるどこかの港から高島の港を目指し,北へ船旅をして詠んだのだと思います。
では,なぜ黒人は高島の港に直接向かわず比良の港にとまることを望んだのでしょうか?
可能性のあると考えるものをいくつか挙げてみました。

①夜陸地から離れた航行は危険であったから。
②比良港近辺に寄りたい場所があったから。
③綺麗な琵琶湖の湖岸を明日陸路で楽しみたかったから。

私は,この地を幾度も訪れた経験から③を選びたいと思います。
琵琶湖は私が生まれた京都市に近く,幼いころから現在(今は関東南部に在住)に至るまで頻繁に訪れている場所なのです。
最近は周辺住民や関連自治体の努力によって琵琶湖の水質が著しく改善されているようで,琵琶湖の美しさを訪れるこどに感じるようになっています。
比良の港がある琵琶湖西岸は比良山系から湖岸まで急斜面で湖底も遠浅ではありません(東岸と対照的)。
変化に富んだ湖岸線,水の色の変化(浅い所から深い所への色の変化),白い砂浜,どこまでも続く松林,湖岸から間近に望む比良山系と,琵琶湖の中でいつ訪れて美しいと感じる場所のひとつです。
琵琶湖西岸の港で万葉集によく出てくるのは高島の港です。但し,いまの高島港より北の安曇(あど)川の河口付近にあったのだろうと私は想像します。東を向いていますから,早朝,日の出が水平線上に出て美しい場所だったのかもしれません。

              <写真は安曇川の河口付近>
高島の港あたりは,琵琶湖の西岸でも安曇川が運んできた土砂が堆積し,湖に突き出て平野が広がった場所です。
若狭湾で獲れた魚を若狭街道(通称:鯖街道)を使って,高島の港まで運び,琵琶湖を縦断して瀬田川を下り宇治田原あたりで荷を下ろし,陸路田辺辺りへ運び,再び木津川の船に載せ,木津川を逆上り,現在の木津辺りで荷を下ろし,陸路奈良明日香へ輸送していたのだろうと思います。
黒人の詠んだ時代と今の地形とそれほど変わらないとすると,比良の港辺りから最短コースで高島の港に向かう場合,船はかなり陸から離れ沖先のコースをとることになるのです。
この短歌はそれをやめて比良の港に停泊を迫ったのです。
黒人は比良の港で船中か民家に泊り,翌日③の理由から湖岸沿いに陸路で高島に向かったのだと私は思います。
比良の港(近江舞子付近)から高島の港まで15㌔程です。いくら徒歩でも一日あれば十分行ける距離のはずです。
しかし,この後ででてくる次の短歌で詠っているように,高島の港町のかなり手前にある勝野の原で日が暮れてしまい,どこで泊ろうかと思案をしたのです。

いづくにか我は宿らむ高島の勝野の原にこの日暮れなば(3-275)
いづくにかわれはやどらむ たかしまのかちののはらに このひくれなば
<<私はどこでわたしは宿ろうか、高島の勝野の原にこの日が暮れてしまったら>>

これは黒人が道に迷ったというより,あまりの風景の美しさに立ち止まって時間を過ごすことが多くなりすぎたことにより,たどり着けなかったのだと私は思いたいのです。
琵琶湖を次いつ頃訪れることができるか分かりませんが,今まで経験のない湖西線近江舞子駅から近江高島駅まで湖岸をできれば歩いてみて,黒人が感じた美しさに思いを馳せてみたいと私は願っています。
(「へ」「ほ」で始まる難読漢字に続く)

2009年11月15日日曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(ひ~)

引き続き,「ひ」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)。

醤酢(ひしほす)…ひしお(味噌・醤油の原型)と酢。ひしおに酢を加えたもの。
聖(ひじり)…太陽のように天下を知る人。天皇。清酒の異称。
直土(ひたつち)…地べた。
漬つ(ひつ)…水に漬かる。濡れる。ひたす。
純裏(ひつら)…衣服の表と裏が同じ色のこと。
人嬲(ひとなぶり)…人をいじめること。
鄙(ひな)…都を離れた土地。田舎。
雲雀(ひばり)…ヒバリ(鳥)。
褨襁(ひむつぎ)…幼児の肌をくるむ着物。
蒜(ひる)…ねぎ,にんにく,のびるなどの総称。
嚔る(ひる)…くしゃみをする。はなひる。
領巾(ひれ)…首にかけ、左右に長く垂らした女性用の服飾具。別れを惜しむ時に振った。

今回は,醤酢(ひしほす)と蒜(ひる)が出てくる短歌を紹介します。
作者は今までこのブログでも何度か登場している万葉集の「綾小路きみまろ」こと長忌寸意吉麻呂(ながの いみき おきまろ)です。
宴席でもとめられた物名歌(いくつかのモノを詠み込み即興で和歌にしたもの)です。
宴席では意吉麻呂のユーモアのある即興歌を創る能力に定評があると分かっているのか,何と食材など「酢」、「醤」、「蒜」、「鯛」、「水葱(なぎ)」の5語も詠み込んで面白い和歌を詠めということになったようです。

醤酢に 蒜搗きかてて 鯛願ふ 我れにな見えそ 水葱の羹(16-3829)
ひしほすに ひるつきかてて たひねがふ われになみえそ なぎのあつもの
<<醤に酢を入れ,ニンニクを潰して和えた鯛の膾(なます)を食べたいと願っている私に,頼むからミズアオイの葉っぱしか入っていない熱い吸い物を見せないでくれよ>>

宴席で吸い物が出るのはもうお開きという意味だったと私は想像します。
まだ呑み足らない意吉麻呂は「なんだ酒の肴として期待していた鯛の膾は出ないのかよ。お開きのサインなんて見たくもない」という気持ちを詠ったのだと思いますね。
それにしても,酢醤油にニンニクを潰して入れたタレで作った鯛の膾は,ニンニクが生の鯛の臭みを取り,酢が殺菌をして,醤が鯛のうま味を引き立てる,本当に美味そうですよね。今度妻がいない時に作ってみよう。
一方,ミズアオイの葉は分厚く,細かく切り十分煮て,吸い物にしても結構にがかったのだと思います。後に食べなくなったことを考えると,当時他によい具がなくて仕方なく食べた。ただ,にがみ成分が胃腸には良かったのかも知れませんね。
私は,この短歌は食べたかった料理の美味しさと宴席の雰囲気を見事にイメージさせる素晴らしい即興歌だと思います。

最後に私のパロディ1首。
海苔干物 玉子を溶きて 飯願ふ 我れにな見えそ 古トースター 

(「ふ」で始まる難読漢字に続く)

2009年11月8日日曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(は~)

引き続き,「は」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)

将や(はたや)…もしや。あるいは。ひょっとして。
徴る(はたる)…徴収する。取り立てる。駆りだす。
埴生(はにふ)…粘土のある土地。
唐棣(はずね)…庭梅、庭桜の古名か。
柞(ははそ)…小楢(こなら)、橡(くぬぎ)、大楢(おおなら)の総称。
祝(はふり)…神に仕えるのを職とする者。
葬り(はぶり)…ほうむること。
隼人(はやひと)…九州南部の風俗習慣を大和朝廷とは異にしていた人々。後に従属。
駅馬(はゆま)…律令制で駅に用意し、管用に供した馬。
墾る(はる)…新たに土地を切り開く。

今回は,駅馬(はゆま)が出現する短歌の一つを紹介します。この短歌は大伴家持が越中赴任時,家持の部下が遊女(うかれめ)との度が過ぎた浮気をその部下に諭す長歌,短歌3首の二日後に詠んだものです。

左夫流子が斎きし殿に 鈴懸けぬ駅馬下れり 里もとどろに(18-4110)
さぶるこが いつきしとのに すずかけぬ はゆまくだれり さともとどろに
<<遊女左夫流子を本妻のようにして住まわせているお前の家に鈴を懸けない(私用の)駅馬が都から走ってきた。ひずめの音が里中に響き渡る勢いで>>

この駅馬に乗って都からはるばる越中まで飛んできたのは,もちろん都に残してきた部下の本妻です。
この前に長歌,短歌3首では,もう浮気というより左夫流子を本妻のように振舞わせていることが詠まれているくらいですから(家持はその4首で許されないことだよと諭しています),それを聞きつけた都にいる本妻の怒りの度合がいかばかりか「里もとどろに」でよく分かりますよね。
そして,越中の夫の家に着いた本妻は,戸を勢いよく開け,夫や左夫流子にどういう口調でどう言ったのかは,現代のわれわれにも容易に想像できそうです。
「そら見ろ。言わんこっちゃない」という上司家持の気持ちがこの短歌からにじみ出ています。
ただ,この前の長歌と短歌3首(浮気を諭す内容)から二日後にこの短歌を詠んでいるのは少しストーリができすぎている感も否めませんね。
部下側の和歌も残っていないことを考えると部下たちへの規律教育的見地から作ったフィクションまたは事実としても多少誇張した創作の可能性もありそうです。

天の川「ところで,たびとはんもきっとそんなえらい(大変な)目に今まで何度もおうたことあるんやろ?」

こういう話になるときまって出てくるのが天の川のやつ。無視,無視。(「ひ」で始まる難読漢字に続く)