引き続き,「ふ」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)
更く(ふく)…(夜が)ふける。
葺く(ふく)…(屋根を)ふく。
塞ける(ふさける)…さえぎって通れなくする。
衾(ふすま)…布などで作り,寝るとき身体を覆う夜具。
絆(ふもだし)…馬をつなぐ綱。
今回は「更く(ふく)」が詠まれている和歌を紹介します。この言葉はほとんどが「夜が更ける」または「小夜更けて」という使い方で万葉集には約60首に現れます。今回紹介するのは,その中で高市黒人が羇旅歌8首の中で詠んだ次の短歌です。
我が船は比良の港に漕ぎ泊てむ 沖へな離り小夜更けにけり(3-274)
<わがふねは ひらのみなとに こぎはてむ おきへなさかり さよふけにけり>
<<この船は 比良の港に 漕ぎ寄って停泊することにしよう 船は沖の方へ離れるなよ 夜が更けてきたからな>>
高市黒人は万葉集で旅先で詠んだ歌のみが残っている謎の歌人です。
山部赤人も旅の歌人と呼ばれていますが,黒人は赤人のように長歌は残っておらず,18首ほどの短歌のみです。
この短歌は黒人が近江の海(琵琶湖)を船で渡って旅をしている途中,比良の港(近江舞子付近?)に停泊したい気持ちを詠ったものです。
黒人の8首の羇旅歌は,場所もいろいろあって一度の紀行で8首すべてを詠んだのかは定かではありませんが,すくなくともこの短歌の前後を併せた3首は琵琶湖の旅を詠んだ一連のものだと私は推測します。
前の短歌では,琵琶湖にはたくさんの港があり,そこでは鶴がたくさん鳴いている情景を詠んでいます。
また,後の短歌では高島の地で夜が更けてどこで泊まろうかを思案している短歌です。
この3首が一連の短歌だとすると,黒人は琵琶湖を南の多くの港があるどこかの港から高島の港を目指し,北へ船旅をして詠んだのだと思います。
では,なぜ黒人は高島の港に直接向かわず比良の港にとまることを望んだのでしょうか?
可能性のあると考えるものをいくつか挙げてみました。
①夜陸地から離れた航行は危険であったから。
②比良港近辺に寄りたい場所があったから。
③綺麗な琵琶湖の湖岸を明日陸路で楽しみたかったから。
私は,この地を幾度も訪れた経験から③を選びたいと思います。
琵琶湖は私が生まれた京都市に近く,幼いころから現在(今は関東南部に在住)に至るまで頻繁に訪れている場所なのです。
最近は周辺住民や関連自治体の努力によって琵琶湖の水質が著しく改善されているようで,琵琶湖の美しさを訪れるこどに感じるようになっています。
比良の港がある琵琶湖西岸は比良山系から湖岸まで急斜面で湖底も遠浅ではありません(東岸と対照的)。
変化に富んだ湖岸線,水の色の変化(浅い所から深い所への色の変化),白い砂浜,どこまでも続く松林,湖岸から間近に望む比良山系と,琵琶湖の中でいつ訪れて美しいと感じる場所のひとつです。
琵琶湖西岸の港で万葉集によく出てくるのは高島の港です。但し,いまの高島港より北の安曇(あど)川の河口付近にあったのだろうと私は想像します。東を向いていますから,早朝,日の出が水平線上に出て美しい場所だったのかもしれません。
<写真は安曇川の河口付近>
高島の港あたりは,琵琶湖の西岸でも安曇川が運んできた土砂が堆積し,湖に突き出て平野が広がった場所です。
若狭湾で獲れた魚を若狭街道(通称:鯖街道)を使って,高島の港まで運び,琵琶湖を縦断して瀬田川を下り宇治田原あたりで荷を下ろし,陸路田辺辺りへ運び,再び木津川の船に載せ,木津川を逆上り,現在の木津辺りで荷を下ろし,陸路奈良や明日香へ輸送していたのだろうと思います。
黒人の詠んだ時代と今の地形とそれほど変わらないとすると,比良の港辺りから最短コースで高島の港に向かう場合,船はかなり陸から離れ沖先のコースをとることになるのです。
この短歌はそれをやめて比良の港に停泊を迫ったのです。
黒人は比良の港で船中か民家に泊り,翌日③の理由から湖岸沿いに陸路で高島に向かったのだと私は思います。
比良の港(近江舞子付近)から高島の港まで15㌔程です。いくら徒歩でも一日あれば十分行ける距離のはずです。
しかし,この後ででてくる次の短歌で詠っているように,高島の港町のかなり手前にある勝野の原で日が暮れてしまい,どこで泊ろうかと思案をしたのです。
いづくにか我は宿らむ高島の勝野の原にこの日暮れなば(3-275)
<いづくにかわれはやどらむ たかしまのかちののはらに このひくれなば>
<<私はどこでわたしは宿ろうか、高島の勝野の原にこの日が暮れてしまったら>>
これは黒人が道に迷ったというより,あまりの風景の美しさに立ち止まって時間を過ごすことが多くなりすぎたことにより,たどり着けなかったのだと私は思いたいのです。
琵琶湖を次いつ頃訪れることができるか分かりませんが,今まで経験のない湖西線近江舞子駅から近江高島駅まで湖岸をできれば歩いてみて,黒人が感じた美しさに思いを馳せてみたいと私は願っています。
(「へ」「ほ」で始まる難読漢字に続く)
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