2009年7月11日土曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(う~)

引き続き,「う」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除く)

親族(うがら)…血縁のある人
祈誓ふ(うけふ)…神に祈る
領く(うしはく)…自分のものとして領有する
髻華(うず)…木の枝、葉、花や造花を冠や髪にさして飾りとしたもの。かざし。
現人(うつせみ)…この世に存在する人間。この世、現世、世人
現(うつつ)…夢に対して現実
薺蒿(うはぎ)…ヨメナの古名。春若芽を食用にした
宣(うべ)…もっともであること
績麻(うみを)…績んだ麻糸
倦む(うむ)…いやになる。あきる。退屈する。
績む(うむ)…麻などを細く切り裂き、長くより合わせる
末(うら,うれ)…草木の成長する先端
心(うら)…こころ。思い。現代でも「うら寂しい町」という使い方をする。この「うら」は「心」が漢字として当てられる。

次は,「心(うら)」が出てくる大伴家持の有名な短歌です。

春の野に霞たなびき 心悲しこの夕影に 鴬鳴くも (19-4290)
はるののにかすみたなびき うらかなしこのゆふかけに うくひすなくも
<<春の野に霞が棚引いている。そして,何となく悲しいこの夕影に鶯が鳴いているなあ>>

この短歌,私には,まるでNHKの「さわやか自然百景」の一場面(音声入り)をテレビで見聞きしているような見事な自然描写と感じてしまいます。

さて,この短歌の現代風パロディを1首作ってみました(時は,夕方ではなく早朝です)。

春の朝霞たなびき 心悲し生ゴミねらい 烏(からす)来鳴くも


(「え」「お」で始まる難読漢字に続く)

2009年7月7日火曜日

今日は七夕です

七夕を「たなばた」と読むのも,七夕のイベントが廃れていたらおそらく超難読漢字になっていたと思いますね。万葉時代,織女のことを「たなばたつめ」または単に「たなばた」と呼び,それが七夕の行事名となっていたのでしょう。
さて,今回は難読漢字シリーズを一休みにして,万葉集の七夕の和歌について少し書いてみます。万葉集で七夕を詠んだ和歌が,何と約130首も出てきます。
七夕の風習は,中国から伝わった牽牛織女が年に1度,7月7日にだけ逢うことが許されるという伝説が日本に渡来し,日本風にアレンジされて節句の行事として習慣化されたようです。
万葉集にたくさん七夕の和歌があることから,すでに奈良時代には七夕の行事が節句(正月,桃<上巳>,端午,七夕,重陽)の一つとして広まりつつあったことを示しているように私は思います。
この五節句の中でも,万葉集で(正月は別として)七夕に関する多くの和歌が詠まれているのは,恋の歌が多い万葉集ならではのことでしょうね。
ただ,山上憶良大伴家持の七夕の和歌(計25首)は別格で,これは二人の七夕の伝説や物語に対する蘊蓄(うんちく)がなせる和歌だと思っています。
一方,巻10にある柿本人麻呂歌集や詠み人知らずの多くの七夕の和歌の方が,雑多な男女関係を想像させるが故に私には興味があります。
七夕は実は当時男女を意識する節句だったのではないかと私は想像しています。
ちなみに,七夕の昼の行事は各地で相撲が行われたようです。
そして,夜の節会では,若い男が集まります。『今日は待ちに待った七夕だ!』と酒を飲みながらお目当ての彼女との逢瀬について和歌を詠んだと思います。そして,昼間の相撲を見た影響からか『やっぱり男は押しの一手だ! さあ,妻問いに行こうぜ!』というノリだったのかも。
この節会で七夕の和歌を詠み合うことで,彼女が自分とバッティングしている奴(恋敵)はいないか探る意味もあったと私は想像しています。
旧暦7月7日は,今の8月上旬です。梅雨も完全に明けまさに今でいう夏(暦の上では秋)の恋の季節到来だったといえるでしょうね。
なお,中国の七夕物語は,織女が天の川を渡り牽牛に会いに行くのですが,万葉集では逆に牽牛が会いに行く話を前提としているようです。例えば,つぎのように。

天の川霧立ちわたり 牽牛の楫の音聞こゆ 夜の更けゆけば(10-2044)
あまのかはきりたちわたり ひこほしのかぢのねきこゆ よのふけゆけば
<<天の川に霧が立ち渡って夜がふけゆくと、彦星が漕ぐ楫の音が聞こえる>>

妻問い婚の風習がメジャーで,女性は家に籠って機織りや裁縫をするのが当たり前と考えられていた当時の日本では,一年に一度であっても彦星が逢いに行くことにした方が自然なのでしょうね。

さて,教えてよ天の川君。私にとって今日から8月上旬までに,一年に一度の逢瀬はあるのでしょうか?
天の川「たびとはん。こんなブログを書いたはるようやと,まあ無理とちゃう?」
 (次回は難読シリーズに戻る)

2009年7月4日土曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(い~)

前回に引き続き,今度は「い」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除く)。

斑鳩(いかるが)…スズメ目アトリ科の鳥。イカル。(注)奈良県の地名もあり。
海石(いくり)…海中の岩。暗礁。
鯨魚(いさな)…クジラ。
労し(いたはし)…苦労である。病気で悩ましい。不憫である。
櫟(いちひ)…ブナ科の常緑高木。
斎(いつき)…潔斎(けっさい)して神に仕えること。潔斎とは,心身を清めること。
厭ふ(いとふ)…好まないで避ける。いやがる。
斎瓮(いはひへ)…祭祀に用いる神聖な甕(かめ)。
鬱悒し(いぶせし)…気分がはれず、うっとうしい。
甍(いらか)…屋根の背。家の上棟。
同母兄、同母弟(いろせ)…同じ母の兄弟(父は違う場合あり)

この中で,「甍」について少し書きます。
童謡「鯉のぼり」の冒頭「♪甍の波と雲の波 ♪重なる波の中空を ~」に出てくる甍ですから,もちろん読める方は多いかも知れませんね。
ただ,突然「甍」1字が出てきてすぐに「いらか」と読みが出てくる人は,そうあなたのような○○の人でしょう。

さて,万葉集の中で「甍」が出てくる有名な和歌は何と言っても巻16にある「竹取の翁」の長歌といえますね。
これは竹取物語の原型の一つといわれているようですが,内容はあの竹取物語と全然異なるものです。竹取の翁が野辺で煮物を作っている9人の乙女に,自分の若かりし頃にあった女性との一途な愛(一生懸命はなやかに着飾って注目されようとした)を語っているような内容です。
この中で「~ 海神(わたつみ)の殿の甍に 飛び掛けるすがるのごとき 腰細の ~」というように使われてます。
「竜宮城の甍に飾ってあるすがる<シガバチ>のような腰細のスタイルで」と,翁が若いとき,相手の親の反対にもめげずに逢っていた彼女から秘かに贈ってもらった帯をきちっと締めた自分の格好良さを紹介した行(くだり)です。
竹取の翁の昔の恋物語を聞いた9人の乙女たちは,それぞれ(その努力に対して感心したという意味の)感想を短歌で翁に返しています。

さて,今の世の中,お爺さんから若いころの恋自慢を聞かされて感心する若い女性はどれだけいるのかなと思うと,単なる物語の和歌とは言え,そのころが少し羨ましいと感じますね。(「う」で始まる難読漢字に続く)

2009年6月28日日曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(あ~)

<難読漢字シリーズ開始です>
テレビで漢字の読みや記述の問題をタレントが解く番組が結構放送されていますね。そこで出題されるような難読漢字の多くは,読みが「やまと言葉」で,意味を「漢字」で表しているものが多いようです。
昔の人は「やまと言葉」にそれと近い意味の漢字を当て,漢字の意味を知っている人には,その言葉の意味が解るという仕組みを考えたのでしょう。
漢字の代わりに英語にした例を示すと「twilight(たそがれどき)の美しい浜辺」のように,「twilight」と書いて「たそがれどき」と読ませるようなものですね。
<難読漢字が出てしまう理由?>
ところで,漢字の発音(音読み)が読みなら,読みを比較的簡単に類推できます。しかし,やまと言葉に漢字を当てた場合,漢字の発音とは全く無関係の読みになるため,日常的に漢字と読みの両方を使っていないとすぐ忘れてしまう。だから,難読になりやすいのだと私は思います。
これからの何回かのシリーズでは,やまと言葉の宝庫である万葉集に出現し,後から当てられた漢字で難読文字になっていそうなものを順次紹介します。
まず,読みが「あ」で始まる言葉です(地名は除く)。

蜻蛉(あきづ)…トンボの古名
父菜(あささ)…リンドウ科の多年草
可惜(あたら)…もったいないことに(副詞)
羹(あつもの)…熱い吸い物。(注)「羹に懲りて鱠(なます)を吹く」のことわざを知っている人は別に難読ではない?
率ふ(あどもふ)…掛け声をかけて,軍勢などを引率する(動詞)。
花鶏(あとり)…スズメ目アトリ科の鳥の名
楝(あふち)…センダン(栴檀)の古名
母(あも)…「はは」の東国方言。
東風(あゆ)…東の風。(注)北陸地方では「あい」と呼び,読み方はポピュラー?。東風(こち)は春に東から吹く春風。
殿(あらか)…宮殿

さて,大伴家持は,越中赴任中に次の和歌を詠んでいます。

東風いたく吹くらし 奈呉の海人の釣する小舟 漕ぎ隠る見ゆ (17-4017)
あゆのかぜいたくふくらし なごのあまのつりするをぶね こぎかくるみゆ
<<越の海で「あゆのかぜ」と呼んでいる東風が激しく吹いているらしい 奈児の漁師が釣りをする小舟を漕いでる姿が隠れたり見えたりしているから>>

旧暦1月29日(新暦3月上旬)にこれを詠んだ家持は,まだ寒い日も多いし,都に比べ鄙びた土地だけど,春間近で,漁師が強風で多少の危険があっても,美味しい魚を獲ってくれることを期待して詠んだのかもしれません。
そういえば,3月上旬からは富山湾でホタルイカが獲れ始めます。家持は,初もののホタルイカを酢味噌に付けで酒を飲みたかったかもと考えるのは,恐らく珍味好きな私の勝手な想像でしょうね。(「い」で始まる難読漢字に続く)

2009年6月24日水曜日

技術屋から見た万葉集

先日,奥高尾で再会した旧友から,私のことについて「IT(理系)の技術者のたびとさんが,なぜ万葉集に興味をもち,今ももっているのか? 自分の知っている理系の技術者にはそんな人は見かけない」という質問を受けました。
私はそのとき「万葉集に興味をもっている人には女性がいっぱいいるから」というウケ狙いの回答しかできませんでしたが,改めてその理由を,少し詳しく書くことにします。
<ITエンジニア(私)が万葉集に興味を持つ理由>
私が専門としているコンピュータソフトウェアの仕事は,ソフトウェアを新らたに仕様決定・設計・プログラム作成する場合,また既に完成して動いているソフトウェアの再設計,プログラム修正(保守開発)する場合,いずれの場合でも「論理的」にあいまいな部分を残したままではコンピュータに「正しい結果」を出させることはできません。
この仕事では「論理的」に数学の証明レベルの厳密さが要求されるのです。
ただし,ここでいう「正しい結果」とは何か?実はそれが大きな問題なのです。
<コンピュータの出す正しい結果は机上のもの>
コンピュータが出す「正しい結果」とは,「ある種のモデルを満たす結果」という意味がほとんどです。
そのモデルとは,モデル(標準的な手本)という名称でも示すように,ある前提条件において正しいといえるだけなのです。
実際には,そのモデルを誰か(発注者,プロジェクト責任者等)が前提条件とともに承認して,そのモデルに対して「論理的」に厳密に実現できる処理を考えるのです。
このような承認後の厳密なモデル実現作業が,いわゆる「理系の技術屋」の仕事の世界だといえます。
<コンピュータの出す結果に対象外が出てしまう>
その「モデル」の前提条件に合わない対象は,技術屋の対象外(責任の範囲外)になり,いわゆる理系の発想では「正しい結果」を得られなくても良いのです。もちろん,システムとしては前提条件に合わない対象は対象外としてエラー通知をする必要があります。
コンピュータシステムの開発では,多くが開発費用と開発期間を抑制するため,(極力最小限にすることを目指すにせよ)ある前提条件をもつモデル実現に向けたソフトウェアの設計をします。
<対象外とされた人が猛クレームを出す?>
しかし,システムが稼働し始めると「正しい結果」の前提条件に合わない人たちから新しいコンピュータシステムの恩恵に預かることができないだけでなく,「前より悪くなった」とクレームが出る場合があります。また,「前提条件」自体が変化し,以前の「前提条件」の基に作られたソフトウェアがそのままでは「正しい結果」を出さなくなる場合があります。
そのとき,ソフトウェアをどのように改善し,クレームをもつ人たちからの不満を解消するか,また変化した後の前提条件でも「正しい結果」が出るようにするかを考え対応するのが,私が専門とするソフトウェア保守開発の仕事です。
ただし,クレームが出てからや,「前提条件」が変わってから考えるというような受け身(リアクティブ)の姿勢では,クレームを発した人たちの我慢や「正しい結果」の得られない状態をより長く放置することになります。
<私のIT業務の理想形>
私が考える理想のソフトウェア保守開発の姿とは,新システムや現行システムに対するクレームの種類,そしてそのクレームがいつ頃強く出されるかを事前に予測したり,「前提条件」が変わる兆候を察知したりして,先手を打って(プロアクティブに)対応するのがその姿です。
できるだけ先手の対応をするためには,現行システムへの大きなクレームになる前に人が不満を募らせるパターンを早い段階から予測しておく必要があります。
<人間の欲求の本質は理系のヒトだけで分かる?>
その正しい予測には人間が持つ欲求の本質とは何かを如何に幅広く理解しているかが重要なポイントだと私は考えます。そのためには,心理学者,哲学者,社会学者,経済学者,教育者,法律家,宗教者,そして文学者のさまざまな考えを知ることが不可欠なのです。それぞれ専門家の考え(仮説)は,人間のある側面の本質を表すモデルに他ならないからです。
<ITエンジニアは政治も関心を持て>
いっぽう,「前提条件」の変化の話ですが,例えば「消費税は5%」というのが前提条件があったとします。消費税がいつごろどのよう変更されるのかを予測するには,政界や世論の動向に十分目を向けたり,政治活動にさえ参画するくらいの強い関心をもってこそ,その兆候を的確に予測できるのだと私は考えています。人々が不満を募らせる(不幸に感じる)内面要因,社会対する不満を極小化を目指す政治のあるべき進め方などに対する洞察力を高めることが重要です。
<文学はマクロとミクロのギャップを明確化する?>
そのためのバックグラウンドとして,文学(特に詩歌)はとりわけ重要ではないかと私は考えています。なぜなら,文学に興味を持つ人はさまざまな文学作品を通し,実は世の中の常識通りに人間が対応できないケースが現実としてありうることを理解しています。
人間が本質的に持つ性質(個々に異なる性質)と,ひとつの社会システムの一員として守らなければならない常識との間にあるギャップを文学は常にテーマにしているから非常に参考になるのだと私は思います。
<万葉集はそのギャップを多数明確化している?>
そして,私が特に万葉集に魅かれる理由は,当時人々が律令制度という新しい社会システムへ急速に適応することを求められることとのギャップに悩むさまざまな姿が見えるからです。また,率直な表現(言葉)を通して「人が生きるために失ってはならないものは何か?」を考えさせるものが凝縮された形で数多く存在しているからなのです。
何らかの形で人間が関係するコンピュータシステム(ほとんどすべてそうである)を構築,修整するとき,人を薄っぺらで・画一的なモデルに当てはめ,それで良しとする考えには慎重でなければならないと私は考えています。

次は,あまりにも有名な山上憶良貧窮問答歌の併せ短歌です。

世の中を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば (5-893)
よのなかをうしとやさしとおもへども とびたちかねつとりにしあらねば
<<今の世の中が憂鬱だとか生きていることが恥ずかしいとか感じても,そこから飛び立って離れて行くことはできない。鳥ではないのだから>>

この和歌,豊かで幸せな生活を送っているあなたにとっても,特に解説はいりませんよね。

2009年6月21日日曜日

永遠の友との再会

昨日,大学時代に万葉集を嗜んでいた当時のクラブメイトとひさしぶりに再会をしました。
今回の再会をアレンジした私は,会場を東京都八王子市南浅川町の山中にある地鶏の炭火焼を中心メニューとした料亭にしました。
この時期,この料亭は「ほたる狩り」と称するイベントを夜に開催しています。
昨日は土曜日ということもあり,子どもたちも含め,たくさん人たちが(中には観光バスを連ねて)来ていました。
この演出は,夜のある時刻から全館,全離れ屋,全庭園の照明を完全に消し,放たれたたくさんのホタルが光を放ちながら飛んだり,枝にとまって光る姿を庭園内または部屋から鑑賞するという演出です。「あっ!こっちでも光っている」「あっ!あんなにたくさん飛んでるよ」「こっちに向かって飛んでくるぞ!」「捕まえた!手の中でほら!光っているよ」「幻想的!」などの声があちこちで聞こえていました。
私は,これまで何度もこの演出が行われる時期にここに来ているのですが,再会したメンバーは全員この演出を見るのは初めてということでした。
その他私が準備した語らいの演出もふくめて,参加者全員にとって大きな喜びと思い出の一コマを形作れたという手ごたえを感じました。
また,以前から変わることのない参加者たちの人間的な優しさに,それぞれの人生経験の蓄積による深みと幅をより加えてきていることを強く感じました。私自身の人間の幅を広げる意味でも,いつまでもこの人たちと交流していきたいし,1年以上前からこの再会の準備をしてきた努力が本当に報われた気がしました。

ところで,ホタルといえば,万葉集にはホタルが出てくる和歌が1首(13-3344)しかありません。それも,「ほのか」にかかる枕詞「蛍なす」として出てくるのみです。
ホタルが「ほのか」な光を放つことを万葉人は知っていたのかも知れませんが,平安時代からの源氏物語新古今集古今集などでホタルに対する思い入れに比べて,扱いが極端に少ないことがちょっと気になりますね。
もしかしたら,奈良時代やそれ以前は,ホタルをそれほど気する存在ではなかったとも考えられます。
平安時代になって以降,貴族たちが鑑賞用や子供に与える生き物として風流を楽しむために養殖し流行らせた可能性は大です。
それにしても,昨日の料亭のホタルは,予想以上に明るく綺麗な光を放ち,元気いっぱい飛ぶ姿を私たちに見せ,私たちの再会を祝ってくれたようです。

蛍火の数多舞ひけり 奥高尾万葉友との 語らひ綺羅し   たびと(=私)作
ほたるひのあまたまひけり おくたかをまんえふともとの かたらひきらし

(注)「万葉友」には「よろず世の友」すなわち「永遠の友」の意味も持たせたつもりです。

2009年6月10日水曜日

枕詞は記憶のための道具か?-その3

5.難しい枕詞「ひさかたの」に挑戦
万葉集の枕詞の中で,私が特に興味を持つものに「ひさかた(久方)の」があります。万葉集に50首ほど出てきます。枕詞の中では,メジャーなもののひとつです。私の「枕詞は和歌を記憶しておくためにある」という仮説が正しいとすると,「久方」は当時ポピュラーな言葉でないといけません。
「久方の」に続く言葉は,万葉集では天,雨がほとんどです。少しですが,月,夜,都を従えている例もあります。
余り若い人は使わないかもしれませんが,「久方ぶりにお会いしましたね」という用例は,現代でも普通に使われています。
「久方の」(ように)と「ように」を補足すると「久方」は長い時間,すなわちいつまでもという意味に取れます。
当時は,「久方」は,このような長い時を意味する言葉として普通に使われていたのではないかと想像します。
天,雨,月は昔から(長くいつも)天上にあるという意味で,連想するイメージ(枕詞)として「久方の」は何とか説明が付きそうです。
また,都は国の最上位に位置する都市です。そして,夜は「天の一姿」と考えると「久方の」は,それらを連想させる枕詞としてふさわしいのかも知れません。
その後,古今和歌集などにも枕詞として使われつづけました。広辞苑よると万葉集での使われ方以外に,「雪」「雲」「霞」「星」「桂」「鏡」「光」にかかるとあります。万葉集より後に詠まれた和歌でも,よく使われた枕詞のようです。

次は紀友則の百人一首(古今和歌集巻二)に出てくる有名な短歌です。

久方のひかりのどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ
<<光が穏やかにふりそそぐ春の日に どうして落ち着ついた心を失って花は散ってしまうのかな(そんなに急いで散らないでほしい)>>

6.枕詞のまとめ
ここまで述べてきたように,枕詞を和歌の特殊で技巧に走った修飾語とは私は思いません。
枕詞を何か特別な信仰を背景したものとか,神秘的な意味を持つ言葉と捉えるのではなく,文字のない世界では記憶に留めやすいことが最も優先されたと考えるべきだと思います。
その有効な方法として枕詞が活用されたのです。
平安時代かな文字が利用されるようになってから詠まれた和歌(古今集,新古今集,伊勢物語,源氏物語などに現れる和歌)は,書き残せ,いつでも読み返せることを前提に作られました。
その結果,無理に人の記憶に頼る必要性がなくなり,それにつれて枕詞は徐々に廃れ,枕詞の代わりにより多くの情報を短歌の中に入れるようになったのではないでしょうか。

7.余談
私はちょっと前に考えていた内容をすっかり忘れてまったり,モノをどこに置いたか後から思い出せないことが,最近少し多くなってきたようです。
でも,そんなときは焦らず,それを考えていた時間の少し前に何を考えていたか思い出そうとします。それが思い出せたら,その次何を考えようとしたかその動機を思い出します。そうこうしているうちに「あっそうだ!○○のことを考えいたんだ!」と思いだせることがよくあります。枕詞に続く言葉が出てくるようにですね。
また,モノをどこに置いたか思い出せないときは,まずどこをどう歩いたかを思い出します。そして,その通り歩いてみると,その目の方向に置いていたことが分かることが大半です。
そんなことをして何とか思い出せると,自分の記憶力はまだ大丈夫だろうと少し安心できます。すなわち,すぐ思い出せないだけで,忘れてしまった訳ではないからです。
といっても,自分に都合の悪いことはすぐ忘れてしまうと周りによく言われる忘れやすさは一向に直りませんね。(枕詞シリーズ終り)