2009年7月7日火曜日

今日は七夕です

七夕を「たなばた」と読むのも,七夕のイベントが廃れていたらおそらく超難読漢字になっていたと思いますね。万葉時代,織女のことを「たなばたつめ」または単に「たなばた」と呼び,それが七夕の行事名となっていたのでしょう。
さて,今回は難読漢字シリーズを一休みにして,万葉集の七夕の和歌について少し書いてみます。万葉集で七夕を詠んだ和歌が,何と約130首も出てきます。
七夕の風習は,中国から伝わった牽牛織女が年に1度,7月7日にだけ逢うことが許されるという伝説が日本に渡来し,日本風にアレンジされて節句の行事として習慣化されたようです。
万葉集にたくさん七夕の和歌があることから,すでに奈良時代には七夕の行事が節句(正月,桃<上巳>,端午,七夕,重陽)の一つとして広まりつつあったことを示しているように私は思います。
この五節句の中でも,万葉集で(正月は別として)七夕に関する多くの和歌が詠まれているのは,恋の歌が多い万葉集ならではのことでしょうね。
ただ,山上憶良大伴家持の七夕の和歌(計25首)は別格で,これは二人の七夕の伝説や物語に対する蘊蓄(うんちく)がなせる和歌だと思っています。
一方,巻10にある柿本人麻呂歌集や詠み人知らずの多くの七夕の和歌の方が,雑多な男女関係を想像させるが故に私には興味があります。
七夕は実は当時男女を意識する節句だったのではないかと私は想像しています。
ちなみに,七夕の昼の行事は各地で相撲が行われたようです。
そして,夜の節会では,若い男が集まります。『今日は待ちに待った七夕だ!』と酒を飲みながらお目当ての彼女との逢瀬について和歌を詠んだと思います。そして,昼間の相撲を見た影響からか『やっぱり男は押しの一手だ! さあ,妻問いに行こうぜ!』というノリだったのかも。
この節会で七夕の和歌を詠み合うことで,彼女が自分とバッティングしている奴(恋敵)はいないか探る意味もあったと私は想像しています。
旧暦7月7日は,今の8月上旬です。梅雨も完全に明けまさに今でいう夏(暦の上では秋)の恋の季節到来だったといえるでしょうね。
なお,中国の七夕物語は,織女が天の川を渡り牽牛に会いに行くのですが,万葉集では逆に牽牛が会いに行く話を前提としているようです。例えば,つぎのように。

天の川霧立ちわたり 牽牛の楫の音聞こゆ 夜の更けゆけば(10-2044)
あまのかはきりたちわたり ひこほしのかぢのねきこゆ よのふけゆけば
<<天の川に霧が立ち渡って夜がふけゆくと、彦星が漕ぐ楫の音が聞こえる>>

妻問い婚の風習がメジャーで,女性は家に籠って機織りや裁縫をするのが当たり前と考えられていた当時の日本では,一年に一度であっても彦星が逢いに行くことにした方が自然なのでしょうね。

さて,教えてよ天の川君。私にとって今日から8月上旬までに,一年に一度の逢瀬はあるのでしょうか?
天の川「たびとはん。こんなブログを書いたはるようやと,まあ無理とちゃう?」
 (次回は難読シリーズに戻る)

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