2012年7月22日日曜日
対語シリーズ「夏と冬」‥夏でも寒暖の差にご注意を!
気象庁から梅雨明け宣言が出て,各地で猛暑日(最高気温が35℃を越える日)も出ています。しかし,ここ数日関東地方は涼しい日が続いていて,半袖のシャツのみでは寒いくらいに感じる日(最高気温が22℃程度の日)もあります。
「夏」と「冬」の対語テーマとしては良い気温の変化かもしれませんね。
さて,万葉集に出てくる「夏」は時期は旧暦の4月~6月(今の5月~7月)であり,若干雰囲気が異なるのかも知れません。
例えば,今の「夏」は暑さが厳しいことが強調されますが,万葉時代の「夏」は次の詠み人知らずの短歌のように草木がものすごい勢いで成長,繁茂するイメージがあるように私は思います。
我が背子に我が恋ふらくは夏草の刈り除くれども生ひしくごとし(11-2769)
<わがせこにあがこふらくは なつくさのかりそくれども おひしくごとし>
<<あなたに対する恋しい気持ちは夏草が刈っても刈っても生えてくるのと同じです>>
いっぽう,「冬」に関する万葉集の和歌の多くが,「冬」を詠んでいるのではなく,「冬が終わって春になったなあ」「冬だけれどもうすぐ春だ」といったことを詠んだものが多く見受けられます。
少ない中でも次の短歌は万葉時代の冬の情景を示している貴重な1首だと言えるかも知れません。
道の辺の草を冬野に踏み枯らし我れ立ち待つと妹に告げこそ(11-2776)
<みちのへのくさをふゆのに ふみからしわれたちまつと いもにつげこそ>
<<道端の草を冬野のように踏み枯らして私が待っていると愛する人に伝えて欲しい>>
ただし,この短歌は夏に詠んでいます。夏草が延びるのを阻止するぐらい恋人の家の前で立って待っているというのです。妻問い婚は,当然女性の両親の許可が無いと逢うことも,手紙を渡すことも許されません。
結婚という面倒くさいことは嫌だから独身でいるという現代の独身男性はどう感じるでしょうか。
さて,最後は夏と冬の両方が出てくるさらに珍しい短歌です。柿本人麻呂歌集から転載した詠み人知らずの1首です。
とこしへに夏冬行けや裘扇放たぬ山に住む人(9-1682)
<とこしへに なつふゆゆけや かはごろも あふぎはなたぬ やまにすむひと>
<<いつも夏と冬があるというのか,皮衣と扇子をいつも持っているよ,この山に住む仙人は>>
この短歌は,仙人の形を書いた巻物を見て天武天皇の皇子である忍壁皇子(おさかべのみこ)へ献上したと題詞にあります。
高い山は夏でも夜や雨が降るとけっこう寒い場合があり,いっぽう太陽が出ると直射日光が当たる尾根や岩の上は非常に暑かったりします。
仙人が皮衣を着て,扇子を持っていたと思われる絵の不思議さを皆に伝えよようとしたのかも知れませんね。
いつも夏は腹を出して裸同然で寝ている天の川君は,最近このブログにチョッカイを出す頻度が少ないようなので,私が登山に行くときに一緒に連れて行こうかな。
少しはシャキッとするかも知れないですからね。
天の川 「たびとはん。何しょうもないことを考えてんねん。このクソ暑いのに何で山なんか登らなアカンねん。たびとはんだけで勝手に行ってきたらええやんか」
い~え,もう決めました。天の川君との富士登山(ただし,同行者の気力を考えると頂上までは無理なので,途中まで)のブログ8月下旬乞うご期待。
天の川 「そんなエゲツないことせんといてほしいわ」
対語シリーズ「笑むと泣く」に続く。
2012年7月17日火曜日
対語シリーズ「海と山」‥さあ夏休み!海に行こうか?山に行こうか?
もうすぐ,日本の多くの学校が夏休みになりますね。
海に行ったり,山に行ったりする計画を立てている人も多いことでしょう。
もちろん,日本は海に囲まれた山(島)や山に囲まれた海(入江)もたくさんありますから,両方一度に行く計画の方もいらっしゃるかもしれません。
さて,万葉時代の日本も海と山に恵まれていたと思われますので,本当に多くの海や山を詠み込みだ和歌が万葉集にたくさん採録されています。
「海」または「山」の漢字が何らかの形で入る万葉集の採録和歌数は,それぞれ何と数百首ずつあります。
その中で,「海」と「山」の両方が詠み込まれている歌を紹介します。
海山も隔たらなくに何しかも目言をだにもここだ乏しき(4-689)
<うみやまもへだたらなくに なにしかもめごとをだにも ここだともしき>
<<あなた様と私は海と山ほども仕切るものはないのに,なぜこうもお目に掛かったり,言葉を交わすことが少ないのでしょうか>>
この短歌は,坂上郎女(さかのうへのいらつめ)が詠んだ恋の歌です。もっとお逢いしたいという強い気持ちを海と山ほどの違いがない(同じ人間)ことを強調して伝えようとしていると私は感じます。
次は,旅先で嵐の後に浜辺に打ち上げられた船旅の溺死者を見て詠んだ詠み人知らずの長歌の反歌です。
あしひきの山道は行かむ風吹けば波の塞ふる海道は行かじ(13-3338)
<あしひきのやまぢはゆかむ かぜふけばなみのささふる うみぢはゆかじ>
<<やはり山道を行こう。風が吹けば波が行くてを妨げる海路は行くまい>>
万葉時代,海路が新しい旅路の方法(楽で早く着く)として開拓され,人気が高かったのかもしれません。しかし,嵐に合うと沈没や座礁事故が発生し,多くの犠牲者を出した可能性は否定できません。
この歌の作者は,それを考えると厳しい山道を越え行く旅路を選択する方が良いと考えたのでしょう。今でも事故に遭うとほぼ命は助からない飛行機には絶対乗らないという人がいますからね。
さて,次は海と山を対比するのではなく,見上げる山と見下ろす海の常なる存在とそれに比べて人間のはかなさを詠った詠み人知らずの長歌です。
高山と海とこそば 山ながらかくもうつしく 海ながらしかまことならめ 人は花ものぞうつせみ世人(13-3332)
<たかやまとうみとこそば やまながらかくもうつしく うみながらしかまことならめ ひとははなものぞうつせみよひと>
<<高山と海こそは,山はこのように現実にあり,海もあるがまま真に存在する。しかし,人は花のようにはかない。それは世の人の常である>>
起伏に富んだ島国の日本にとって,海と山は切り離せないものです。日本に多くあるリアス式海岸線では海と山は接していますから。
しかし,当時の政治の中心であった奈良盆地は海に接していません。同じ作者が詠んだと思われる一つ前の歌を見るとやはり海より山に軍配が上がってしまうようですね。山が5回出てきます。
隠口の泊瀬の山 青旗の忍坂の山は 走出のよろしき山の 出立のくはしき山ぞ あたらしき山の 荒れまく惜しも(13-3331)
<こもりくのはつせのやま あをはたのおさかのやまは はしりでのよろしきやまの いでたちのくはしきやまぞ あたらしきやまの あれまくをしも>
<<泊瀬の山と忍坂の山は稜線がなだらかに続く形の良い山並みで,それぞれ美しい山です。ただ,放置されて荒れてしまっているのが残念ですね>>
対語シリーズ「夏と冬」に続く。
2012年7月14日土曜日
対語シリーズ「親と子」‥そう!「親孝行,したいときには親は無し」なのだ。
「親と子」は単純な対語関係と割り切れないものがあります。
でも,自分の親,自分の子のように相互に親子関係ならば,やはり何らかの意識を双方がするのが普通かと思います。
「親のことは忘れた」「あいつとは一切親子の縁を切った」などと言ったところで,何らかの「親と子」という意識があるから出る言葉でしょう。
さて,さまざまな人間模様を詠った和歌がたくさん収録されている万葉集,当然「親」や「子」を詠んだ和歌が数多く出てきます。
まず,恋路の邪魔をする親(父母)を詠んだ子どもたち(詠み人知らず)作の短歌を3首紹介します。
みさご居る荒礒に生ふるなのりそのよし名は告らじ親は知るとも(12-3077)
<みさごゐるありそにおふる なのりそのよしなはのらじ おやはしるとも>
<<みさご(大型の海鳥)の住んでいる磯に生えるなのりそ(ホンダワラ)のように,名前は伝えません。親が知ると厄介だからね>>
父母に知らせぬ子ゆゑ三宅道の夏野の草をなづみ来るかも(13-3296)
<ちちははにしらせぬこゆゑ みやけぢのなつののくさを なづみけるかも>
<<父にも母にも知らせていないが,恋しい君だから三宅道の夏野の草をかき分け,分からないように静かに通うことになるなあ>>
上つ毛野佐野の舟橋取り離し親は放くれど我は離るがへ(14-3420)
<かみつけのさののふなはし とりはなしおやはさくれど わはさかるがへ>
<<上野の佐野の舟橋を取り外ししてしまうように,親達は(貴方と私を)離そうするけれど,私別れたりなんかしないのだから>>
いつの世でも親が認める子どもの結婚相手と子どもが好きになる相手が同じでないことが少なくないようですね。
しかし,親(父母)を愛し,恋しく想う和歌も万葉集にはもちろんたくさんあります。その代表的なものが防人に関連する歌です。
最初は駿河の国出身の防人川原虫麻呂が詠んだとされる1首です。
父母え斎ひて待たね筑紫なる水漬く白玉取りて来までに(20-4340)
<とちははえいはひてまたね つくしなるみづくしらたま とりてくまでに>
<<父さん母さん、身を清めお祈りしながらお待ちください。筑紫の海底にあるという真珠を採って帰ってくる日まで>>
次は,大伴家持が防人の気持ちになって詠んだ長歌の反歌です。
家人の斎へにかあらむ平けく船出はしぬと親に申さね(20-4409)
<いへびとのいはへにかあらむ たひらけくふなではしぬと おやにまをさね>
<<家族が身を浄め祈ってくれたので平安な船出だったと母父にお伝えください>>
両方とも,天平勝宝7(755)年2月に採録したとの記録が万葉集の題詞にあります。
親が防人として出兵した子どもの無事をひたすら祈っている。子どもはそのことを痛いほど分かっているわけです。
祈りを通して親子の気持ちが一つになっているのですが,今の平和な日本にそんな親子関係を大切にする気持ちが変わらずあることを祈りたいですね。
そして,子ともが帰らぬ人となったとき家族はどんなに悲しむことになるのか,次は路傍の生き倒れの死人を見ての鎮魂歌です。
母父も妻も子どもも高々に来むと待ちけむ人の悲しさ (13-3337,3340)
<おもちちもつまもこどもも たかたかにこむとまちけむ ひとのかなしさ>
<<父母も妻も子どもも今か今かと帰えりを待っているであろう家族にとって本当に悲しいことだ>>
親子がお互いに生きている間に相互に愛情を持った孝行ができるようにしたいものです。一方が死んでからではできないですからね。
対語シリーズ「海と山」に続く。
2012年7月8日日曜日
対語シリーズ「押すと引く」‥押しが強ければ引き技もきれいに決まる?
<「天の川」特集は今年も好評>
このブログの閲覧数が先月後半から急増しています。閲覧頂いているほとんどの記事が,昨年の七夕に合わせてアップした「天の川」特集の3編です。
昨年の同時期の閲覧数も急増しましたが,うれしいことに今年はそれをはるかに超える数になっています。ありがたいことですね。
多くの方々に見て頂くことは大変光栄ですし,また「天の川」特集を閲覧して頂いたことをきっかけに,当ブログの他の記事もご覧頂くことになれば幸いです。
さて,昨晩は前回の投稿で写真紹介した壱岐の「天の川酒造」が1986年の貯蔵した麦焼酎「天の川」プレミヤム25年をストレートで味わいました。アルコール度数36度にも関わらず,非常にまろやかでした。それでいて,酔い心地が良く,ゆったりした気分にしてくれました。焼酎というより,熟成したウィスキーに近い味わいのように感じました。
<相撲の押し技と引き技>
ところで,今日から大相撲名古屋場所が始まります。久々の日本人力士優勝があるか,注目をしています。私にとって,相撲は四っ相撲からの豪快な投げ技も見事と感じますが,激しい押し相撲の迫力も見ごたえを感じます。しかし,引き落とし,はたき込み,肩透かし,突き落とし,送り出しなどの鮮やかな引き技も私には魅力に感じます。引き技によって負ける力士は自分が前へ押す力を利用されて引き技に引っ掛かるのだろうと思います。
引き技をあざやかに掛けるためには,相手に(余力を持たせず)渾身の力でこちらら向かってくるように仕向けなければなりません。引き技を掛ける方もまず渾身の力で相手を押し,相手に堪える力を出させます。そして,相手がもう少し力を出せば押し返せると思った瞬間を見計らって引き技を掛ける。そうすると,労せずして相手は力余ってばったり倒れたり,土俵を割ったりします。
万葉集では,相撲の技は出てきませんが,「押す」と「引く」の言葉は多数の和歌で詠まれています。まず,「押す」を詠み込んだ詠み人知らずの東歌(作者は人妻)です。
誰れぞこの屋の戸押そぶる新嘗に我が背を遣りて斎ふこの戸を(14-3460)
<たれぞこのやのとおそぶる にふなみにわがせをやりて いはふこのとを>
<<誰だろう,家の戸を揺さぶっているのは?新嘗祭のお祝いに私の夫が出かけているのを知っていて家の戸を(揺さぶっているのは)>>
万葉時代の東国は,おおらかな習慣があったのを示したいがために,編者はこの短歌を万葉集に入れたのでしょうか。
もし,本当に女性にとって迷惑だったら歌にしないでしょうね。亭主以外と密通なんて,今でもハラハラドキドキの想像が膨らむ短歌です。もちろん,人妻の立場で東国の男性がこの短歌を創作して,宴会で歌った可能性もあるでしょうね。
ただ,当時の平城京の男性達はこの短歌を見てどう思ったでしょうか? 東国は自由でいいなあ,東国へ行ってみたいなあ,東国で暮らしたいなあ,などと思ったかもしれません。私は万葉集の編者が東国へ誘おうとする意図を感じてしまいます。
次は東歌ではないですが,駆け落ちを想像させる詠み人知らずの短歌も万葉集にはあります。
奥山の真木の板戸を押し開きしゑや出で来ね後は何せむ(11-2519)
<おくやまのまきのいたとを おしひらきしゑやいでこね のちはなにせむ>
<<この重い無垢の板戸を押し開いて,さあ出ていらっしゃい。今しかないのだ>>
何か,あれをしてはいけない,これをしてはいけないという重い慣習を思い切って押し破るイメージでしょうか。
さて,今度はもうひとつの「引く」をテーマとした少し滑稽な短歌をいくつか紹介します。
梓弓引きみ緩へみ来ずは来ず来ば来そをなぞ来ずは来ばそを(11-2640)
<あづさゆみひきみゆるへみ こずはこずこばこそをなぞ こずはこばそを>
<<弓を引く,弛めるのように,来ないのなら来ない、来るのなら来るとはっきりしてくださいな。なのに来るとか来ないとか曖昧なことばかり言って,もう!>>
弓を引くとはしっかり的を絞るという意味かも知れませんね。煮え切らない男の態度に業を煮やしたのかも。
さて,次は無精ひげを生やした僧侶達をコケにしたこれも詠み人知らずの短歌です。
法師らが鬚の剃り杭馬繋いたくな引きそ法師は泣かむ(16-3846)
<ほふしらがひげのそりくひ うまつなぎいたくなひきそ ほふしはなかむ>
<<横着して鬚を剃らないで伸びて来た坊さんの鬚に馬を繋いで強く引かせてはいけないよ。坊さん泣くだろうからね>>
万葉時代,仏教の僧侶と言えば非常に高貴であり,時代の最先端の知識を持っていたエリートでした。当時の僧侶は,頭と顔を綺麗に剃り,清潔感溢れるスターのイメージです。
しかし,着ている衣(袈裟)は同じでも,行動力,態度,知識,書,講話力,修行の重ね具合などの実力には,それぞれ差が大きかったのでしょう。こんな髭を馬に引っ張られて痛がる僧をイメージした短歌が作られるくらいですから。ただ,僧侶の方も負けていません。この短歌に対して「拙僧を馬鹿にすると,税の取り立てが厳しくなり泣くことになるぞよ」と返しています。
そのほか,「引く」を詠み込みだ万葉集の和歌は80首超でてきます。引く対象は弓や馬以外に,網(あみ,つな),舟,眉,裳,裾,水,葛,麻,花などがあります。
対語シリーズ「親と子」に続く。
2012年7月6日金曜日
対語シリーズ「逢うと別れ」‥「天の川」それは出逢いと別れの象徴?
私ごとで大変恐縮ですが,ボーナスが予想よりほんの少し多く出たので,思い切って七夕を機に壱岐の麦焼酎「天の川」プレミアム(写真)を買いました。
何と通常の焼酎ボトルの半分の量(360ml)で2,100円もします。
庶民の私にとっては,急流の天の川に飛び込むような勇気を振り絞って買った次第です。
ただ,申し訳ありませんが,味はまだ飲んでいないので分かりません。呑ん兵衛の天の川君に見つからないように隠しておいて,明日の七夕の夜に飲むことにしています。その味は次回に報告します。
さて,今回のテーマは「逢うと別れ」です。まさに明日の七夕では牽牛と織姫が年に一回逢い,そして翌日には別れ,翌年の七夕まで逢えないのです。
次は,天平2(730)年の七夕の頃,大伴旅人邸の宴席で山上憶良が詠んだとされる短歌です。
玉かぎるほのかに見えて別れなばもとなや恋ひむ逢ふ時までは(8-1526)
<たまかぎるほのかにみえて わかれなばもとなやこひむ あふときまでは>
<<ちらっとお逢いしただけで別れれば無性に恋しく思うでしょう。再び逢える時までは>>
1年に一度ほんの少しだけしか逢えず,すぐ別れてしまうからこそ,恋の想いがさらに募るのでしょうね。
次も七夕の「逢うと別れ」を詠んだ詠み人知らずの短歌です。
月日えり逢ひてしあれば別れまく惜しくある君は明日さへもがも(10-2066)
<つきひえりあひてしあれば わかれまくをしくあるきみは あすさへもがも>
<<月日はいっぱいあるけれど,今日一日と定めて逢ふのですから,別れることが捨てがたいあのお方は明日までもいて下さればよいのですが>>
織女の今夜逢ひなば常のごと明日を隔てて年は長けむ(10-2080)
<たなばたのこよひあひなば つねのごとあすをへだてて としはながけむ>
<<織姫は七夕の今夜彦星に逢えたなら,またいつものように明日から二人は離れ離れとなって一年の長い時を過ごしていくのか>>
明日には別れる定めであっても,もう一日でも長く逢っていたいのが,愛し合う二人の気持ちに違いありません。
牽牛と織姫は一年でたった一日だけでも逢える可能性があります。
ただ,遣新羅使のように船が難破して,命を落とし,二度と最愛の人に逢えない可能性があると次の短歌となります。
天平8(736)年の七夕,新羅に向かう遣新羅使が福岡で詠んだ短歌です。
年にありて一夜妹に逢ふ彦星も我れにまさりて思ふらめやも(15-3657)
<としにありてひとよいもにあふ ひこほしもわれにまさりて おもふらめやも>
<<一年中で一夜だけ織姫に逢う彦星でも私以上に妻のことを想うはずがない>>
万葉時代,このようにして,さまざまな人達が七夕を通して,お互いの恋しい気持ちを確認し合っていたのかもしれません。
対語シリーズ「押すと引く」に続く。
登録:
投稿 (Atom)