「行く」の最終回は,「行って帰る」「あの人は行ってしまった。でも帰ってきてほしい」「旅行く途中だけど,早く家に帰りたいな」など,「行く」は「帰る」とセットで使われることがあります。
万葉集で何らかの形で「行(く)」と「帰(る)」の両方が同じ和歌に出てくるものが36首あります。
いくつか紹介しましょう。
な行きそと帰りも来やとかへり見に行けど帰らず道の長手を(12-3132)
<なゆきそと かへりもくやと かへりみに ゆけどかへらず みちのながてを>
<<「行かないで」と。僕は「必ず帰って来るから」と振り返り振り返り家を出て行ってしまったけど,未だ帰れないこの長い道のり>>
この短歌は詠み人知らずの羈旅の歌です。行けども行けどもたどり着かない長い旅路。いったいいつ帰れるのだろう。家を出るときの別れの辛さを思い出す。
そんな心細い旅先での気持ちがこの短歌から私にはハッキリと伝わってきます。
玉敷ける清き渚を潮満てば飽かず我れ行く帰るさに見む(15-3706)
<たましける きよきなぎさを しほみてば あかずわれゆく かへるさにみむ>
<<玉を敷いたような清らかな渚に潮が満ちてきたならば,見て飽きないほど美しい渚を,(私たちは次の寄港地<新羅>に行くが)帰ってきたときはたのしみに見よう>>
これは,遣新羅使の阿倍継麻呂が対馬の竹敷の港に寄港したときに詠んだ短歌です。
対馬は島でありながらリアス式の海岸が多い場所です。竹敷の浦もそんな場所にあり,入江の奥深くの港で波も静かで,砂浜も白い宝石を敷き詰めたように本当に美しい渚だったのでしょう。
私は対馬にはまだ行ったことはありませんが,Googleの地図の航空写真を見ると,まさにそんな印象をもちます。航空写真は近代的な建物をあまり意識させないためか,当時の状況を想像するのに非常に便利だと私は思います。
我妹子がやどの籬を見に行かばけだし門より帰してむかも(4-777)
<わぎもこが やどのまがきをみにゆかば けだしかどよりかへしてむかも>
<<あなたの家の生垣を見に行ったら、ひっとして門から「帰ってください」と追い返そうとなさるのでしょうか>>
これの短歌は大伴家持が10歳ほど年上でバツイチの紀女郎に贈ったものです。家持は当時紀女郎にお熱を上げていたようです。結婚は難しい関係であることは紀女郎も良く分かっていて,ある一定の距離を置こうとしますが,若き家持はそんなことお構いなしです。
家持は相聞歌を何首も紀女郎に贈って強烈なアプローチをします。いっぽう紀女郎は失礼がないように「愛おしい」と返していますが「自分は年をとっています」と気付かせることも忘れていません。
紀女郎は万葉集で唯一名前(小鹿という名)が明らかになっている女性だそうです。他の女性は「○○の女性」といった呼び方で名前は出てきません。紀女郎という呼び方も「紀氏の女性」という意味ですから名前ではありません。
家持は若き日に陥った結ばれぬ恋の思い出を自分の大切な心の宝にしたかったのでしょうか。万葉集に「小鹿」の名の残したのもそのせいかも知れませんね。
さて,実はまだまだ載せたい動詞がたくさんあるのですが,今回で動きの詞シリーズは一旦お休みし,次回から新シリーズを開始します。
新しいシリーズは「対語シリーズ」です。今回紹介した「行く」と「帰る」のような関係の言葉を取りあげて,私の考えをお伝えすることをしばらく続けてみようと思います。
対語シリーズ「紅と白」に続く。
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