これからしばらく万葉集に出てくる言葉で反対語の例を示し,万葉集での言葉の使い方や万葉人の感じ方を見て行く「対語シリーズ」をお送りします。
なぜ「対語」をとりあげるのか?
人間はいつも望むべき状態とその反対(望まない状態)を常に意識している生き物だと考えています。望むべき状態が続いていてほしいが大概はそれが続かず,望まない状態になってしまうことも少なくない。
いっぽう,望まない状態が続いていると,反対の望むべき状態になることをひたすら願い,そのための努力をする。でも,それはなかなか思うようには行かない。その辛さを表現する手段のひとつとして万葉時代の日本人は和歌を利用したと私は考えます。
また,見た感じが正反対で,特徴が違っていても,両方とも望むべき状態である場合もあります。そのときは,両方を出して望むべき状態を強調することもあります。
本シリーズの最初に取りあげる対語は,現代の言葉として「紅白試合」「紅白まんじゅう」「紅白もち」「紅白幕」「紅白帽」などに出てくる「紅(くれなゐ)」と「白(しろ)」です。
「紅」と「白」は共に比較的良いイメージのことばです。
まず「紅」からですが,万葉集では「紅色」を「くれなゐいろ」という言葉で示し,「べにいろ」という音はなかったようです。
今(8月5日~7日)開催中の山形花笠まつりの花笠は「ベニバナ」をあしらったものと言われていますが,万葉時代は「末摘花(すゑつむはな)」または「くれなゐ」と呼んでいたようです。
外のみに見つつ恋ひなむ紅の末摘花の色に出でずとも(10-1993)
<よそのみにみつつこひなむ くれなゐのすゑつむはなのいろにいでずとも>
<<(逢うこともせず)外からお姿を拝見しながら恋しているだけにしましょう。ベニバナの色ようには顔色に出さないようにして>>
この詠み人知らずの短歌は,まさに自分の「偲ふ恋」の心を素直に表現している良い歌だと私は思います。
なお,「偲ふ」については2010年3月28日から3回に渡ってこのブログに書いていますので,よかったら見てください。
相手にも,周囲にも気付かれないよう恋したうという決意と,しかし相手を見ていると偲ぶ想いと裏腹に顔が赤くなるのを止められないかもしれない。そんな葛藤(偲ふ恋の苦しさ)が私にはストレートに伝わってきます。
さて,反対の「白(しら,しろ)」を見て行くことしましょう。
「白」は単独で使われるよりも次のような修飾語として使われることが万葉集では多いです。
白髪(しらか,しろかみ),白香(しらか),白橿(しらかし),白雲(しらくも),白鷺(しらさぎ),白菅(しらすげ),白玉(しらたま),白躑躅(しらつつじ),白鳥(しらとり),白塗(しらぬり),白浜(しらはま),白髭(しらひげ),白紐(しらひも),白斑(しらふ),白砂(しらまなご),白山(しらやま),白雪(しらゆき),白酒(しろき),白栲(しろたへ)
ただ,「白」単独で使われる場合も少ないですが,あります。
矢形尾の真白の鷹を宿に据ゑ掻き撫で見つつ飼はくしよしも(19-4155)
<やかたをのましろのたかをやどにすゑ かきなでみつつかはくしよしも>
<<矢形の尾の真白な鷹を家に置いて,撫でては眺めつつ飼うことの気分は最高だ>>
この短歌は大伴家持が越中赴任中に鷹狩りの鷹をペットとして自宅で飼って,心癒される気持ちを詠ったものです。
矢の形をした尾が真っ白な珍しい鷹を手に入れ飼い始めたら,本当に可愛くて仕方がない。目を細めて,なでたり,眺めて声をかけたりしている家持の姿が目に浮かびます。
最後に,「紅」と「白」が両方出てくる長歌の一部を紹介します。
~ 春の野に すみれを摘むと 白栲の 袖折り返し 紅の 赤裳裾引き 娘子らは 思ひ乱れて 君待つと うら恋すなり 心ぐし いざ見に行かな ことはたなゆひ(17-3973)
<~ はるののにすみれをつむと しろたへのそでをりかへし くれなゐのあかもすそびき をとめらはおもひみだれて きみまつとうらごひすなり こころぐしいざみにゆかなことはたなゆひ>
<<~ 春の野でスミレを摘もうと白い袖を折り返し,赤い裾を引上げた娘子たちは,心を乱して君(家持君)を待っています。心の中で恋する切ない思いで。さあ,見に行きましょう。そんな気持ちを察して>>
この長歌は,大伴池主が越中で家持に贈ったと伝えられています。
この長歌から,野で花を摘む娘子たちの姿はトップスは「白」で,ボトムズは「紅」だったようですね。まさに神社の巫女さんの装束そのものです。
「紅」と「白」のコントラストが,まさに「日の丸」に代表される日本にとって昔から美しいとされる色彩のひとつだったことは間違いありませんね。
対語シリーズ「苦と楽」に続く。
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