「音楽の強弱記号」「今年のパリーグは2強4弱だ」「自然界は弱肉強食」「強きを挫き弱きを助ける」など,「強い」「弱い」が対比されることがあります。
万葉集で「強」と「弱」の漢字を当てる言葉はどのように使われているか見てみましょう。
まず「強」ですが,万葉集では「強(つよ)い」の文語形の「強し」という言葉は出てきません。「強し」は平安時代以降使われだしたようです。「強」の漢字を当てる言葉としては「強制する」という言葉の文語形「強(し)ふ」が万葉集に出てきます。
橡の袷の衣裏にせば我れ強ひめやも君が来まさぬ(12-2965)
<つるはみの あはせのころもうらにせば われしひめやもきみがきまさぬ>
<<橡(クヌギ)染めの袷(あわせ)の衣(ころも)を裏にするようなことをされるなら,私はあなたに無理に来て逢ってくださいとは申しません>>
裏地を表に出すということは,自分への恋心は本心ではないという態度を指すのだろうと思います。それを露骨に見せられた作者(女性)は「逢いに来てほしい」と強く言う気持ちになれなくなったのでしょう。
でも,本当はもっと自分の方を向いてほしいという作者の強い気持ちの存在が,この短歌から私には伝わってきます。女性の心理は複雑ですね。
次に「弱」ですが,「弱い」の文語形の「弱し」を使った万葉集の和歌があります。たとえば次のものです。
玉の緒を片緒に縒りて緒を弱み乱るる時に恋ひずあらめやも(12-3081)
<たまのををかたをによりてををよわみ みだるるときにこひずあらめやも>
<<玉を貫く紐をより合わすとき,片糸だけなら弱い紐となるように,片思いのあなたを心乱れずに恋することができるでしょうか>>
これも詠み人しらずの短歌です。片思いの切ない気持(気弱な気持ち)が伝わってきます。
また,慣用的な使い方として「手弱し(たよわし)」という言葉を使った和歌の例もあります。
岩戸破る手力もがも手弱き女にしあればすべの知らなく(3-419)
<いはとわるたぢからもがも たよわきをみなにしあれば すべのしらなく>
<<岩戸を打ち破る手の力があればよいのに。私はか弱い女なのでどうしてよいか分からないのです>>
この短歌は平城京遷都より前の持統天皇の世,河内王(かふちのおほきみ)が九州北部(福岡県)の鏡の山に葬られたとき,手持女王(たもちのおほきみ)が詠んだ挽歌3首の1首です。
墓は岩戸で塞がれています。それをこじ開けて河内王の遺体を出して生き返らせる力が,か弱い女の私にはなく,どうしていいか分からないという葬送の短歌です。
ただ,「手弱し」の対語である「手強し」(現代では「手強い」という)は万葉集に出てきません。「強(ごは)し」の用例が平安時代にならないと出てこないようで「手強い」は後から出てきた言葉と想像できます。なぜ今後から出てきた「手強い」は残り,万葉時代からあった「手弱い」は使われなくなったのか興味があります。
最後に万葉集で9首ほどの和歌に出てくる「手弱女(たわやめ)」について書きます。
「手弱」という漢字は当て字という説もありますが,万葉仮名として「手弱女」と記されている歌もあります。いずれにしても「弱し」という意味は備わっているのでしょう。
~ 獣じもの 膝折り伏して 手弱女の 襲取り懸け かくだにも 我れは祈ひなむ 君に逢はじかも(3-379)
<~ ししじもの ひざをりふして たわやめの おすひとりかけ かくだにも あれはこひなむ きみにあはじかも>
<<~ 鹿のように膝を曲げ,か弱い女の衣を羽織り,せめてこのように私はお祈りいたします。あなたに逢えるかも知れないから>>
この長歌は坂上郎女が神事で詠んだものとされています。この長歌の「手弱女」の万葉仮名も「手弱女」です。「か弱い」ことが神を加護を受ける助けになると考えているのかもしれません。
「手弱女」は万葉時代女性は強い手の力(腕力)を出せないという一般的な認識があったことを表している言葉だと私は考えます。
ただ,今は女性は必ずしも「手弱」ではないこともあるようです。先日,夕食の準備中に私がつまみ食いをしようとして伸ばした手に妻がピシャッとしたときの腫れがなかなか治りません。
対語シリーズ「開と閉」に続く。
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