これは万葉集の編者(家持)が,ただ集めたら偶然その巻にしかなかったというのではなく,意図的に(強い意志を込めて)配置したものと私は考えています。
大伴氏は旅人の時代以前から各地に大きな農園(平安時代に荘園と呼ばれたようなもの)を持っていて,さまざまな農作物(含む中国,朝鮮伝来作物)を植え,それらや,またその加工品(養蚕,製紙,酒造なども含む)を作って,また売って,富を得ていたのではないかと私は想像します。
そのため,大伴氏一族は経済的には比較的豊かで,昔からの名家としてのプライドは高かったこともあり,権力の座にどんな汚い手段を使ってでも執着することに,それほど興味がなかったのかも知れません。
<七夕は今で言えばバレンタインデー見ないなもの?>
それよりも,七夕などのような行事で,願いが叶うような供物としての野菜や花木,その加工品などを流行らせることができれば,大農園や関連手工業を営んでいる大伴氏にとって,安定的な消費が期待でき,ビジネスとして計画的な経営が行えます。
現在も,母の日にはカーネーション,クリスマスにはモミの木やポインセチア,冬至にはユズ湯,夏至にはショウブ湯,正月には松飾り,花まつりには甘茶,桃の節句には雛あられ,端午の節句には柏餅などなど,関係する生産者はその時の消費を当てこんで生産計画を立てています。
また,バレンタインデー,ホワイトデーなど,従来日本には存在しなかった外国の習慣を新たに流行させ,プレゼントなどに使う製品の消費を格段に高めようとする関係業界の経営戦術も見受けられます。
<七夕を流行らせようとした憶良と家持?>
実は憶良(遣唐使で得た知識によって大伴氏の助言役だった?)や家持が,天の川や七夕の和歌を詠み,またみんなに詠ませる機会を作り,七夕を流行させようとしたのではないかと私は想像するのです。
では,七夕(今の八月上旬)でどんなものが消費されるのか,万葉集の七夕の和歌を見て考えてみます。
天の川霧立ち上る織女の雲の衣のかへる袖かも(10-2063)
<あまのがはきりたちのぼる たなばたのくものころもの かへるそでかも>
<<天の川に霧が立ち昇っている。織女の雲の衣の風にひるがえる袖のようだ>>
織姫は長い袖を持った服装であることがこの短歌でイメージされ,意中の男性からの妻問いを待つ女性は,このような長い袖をもつ服装を着て,紐を解き,寝床で待っていたのかも知れません。
男性の方も妻問いをするときは,七夕伝説の牽牛のような出で立ちで,女性の家まで夜路を行ったと思われます。
すなわち,七夕のときはいつもと違う服装で逢瀬を迎える訳ですから,七夕は男も女も妻問いのために服装を新調する一大イベントだったのかも知れません(今でいえは夏に浴衣を新調するように)。当時,機織や裁縫は身内や自分でやるとしても,機織のために生糸や染色のための植物などの需要は確実に増えます。
繰り返しになりますが,七夕伝説を利用して男女の出会いを演出することを流行らせれば,この時期の前に確実に織物が盛んになり,生糸や染め物の材料の需要が増すはずです。
他に需要を増やすものがありそうな短歌があります。
天の川波は立つとも我が舟はいざ漕ぎ出でむ夜の更けぬ間に(10-2059)
<あまのがは なみはたつとも わがふねは いざこぎいでむ よのふけぬまに>
<<天の川に荒波が立とうとも,いざこの舟を漕ぎ出そう。あの娘と逢える一年で一日だけのこの夜が更けてしまわないうちに>>
この短歌は,七夕の節会で詠まれた短歌だと私は思います。歌会を伴う七夕の節会があちこちで広がると,当然ですが酒や肴の消費が増えます。この短歌の作者は酒の勢いで,この歌を詠んでいるように私には感じ取れます。
また,歌会で詠んだ歌を書く,木簡や当時超高級品だった和紙も多く使われたのではないでしょうか。節会が終わった後,妻問いする相手に作った和歌を書いて渡したことも考えられます。
天の川 「たびとはん。ところで,このブログもワイのお陰で人気が沸騰しているやんか。ワイの『天の川』ブランドの高級ドレス,シューズ,バッグ,小物なんかを通販やブティックで大々的に売りだしてな,ひと儲けしよやんか。」
この特集は「天の川」特集で「天の川君」の特集ではないと言ったのに,君はやっぱり最後に出しゃばってきたな。
確かに,最近このブログは以前に比べてかなり多くの方に見て頂いているけれど,それが君の人気のお陰だとは..ね? それに「天の川」はいろいろな製品でとっくに商標登録されいるから「天の川」プランドも残念ながら無理だね。
まあ,天の川君の夢物語には付き合わず,天の川特集はこれくらいにし,次回からはまた動きの詞シリーズに戻りましょう。今回の「天の川」特集,多くの方のご愛読をいただき,ありがとうございました。
動きの詞シリーズ…行く(1)に続く。
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