今回は「撓ふ」について万葉集をみていきます。現代仮名遣いでは「撓る」です。
「枝が撓る」「竿が撓る」「弓が撓る」などと使われ,まっすぐなものが元の形に戻る力を保って(弾力性を維持し)曲がる様子を表します。
では,最初に紹介するのは,小田事(をだのつかふ)という歌人が藤原京末期に旅で和歌山県の勢能山を越えるときに詠んだといわれる短歌1首です。
真木の葉の撓ふ背の山偲はずて我が越え行けば木の葉知りけむ(3-291)
<まきのはのしなふせのやま しのはずてわがこえゆけば このはしりけむ>
<<真木の葉が少し曲がっている。勢能山の山深さが心細いが,山を越えて行くとき,その曲がっている木の葉がこれから行く道を知っているで安心だ>>
訳は,次の論文を参考に,自分なりに現代語にしました。
http://manyo-world.com/files/TakefuMS-2010-005a.pdf
葉が曲がっているのは人が踏んだ後だと解釈すれば,そこを歩けば,道に迷わずに済むということのようです。
次は,緩やかに揺れ曲がった合歓木の花を彼女に見立てた詠み人しらずの短歌です。
我妹子を聞き都賀野辺の撓ひ合歓木我れは忍びず間なくし思へば(11-2752)
<わぎもこをききつがのへのしなひねぶ われはしのびずまなくしおもへば>
<<あの娘の噂を聞いては、都賀野辺にしなやかに揺れて咲いている合歓の花のようなあの娘に恋している気持ちを隠すことができない>>
男性から見て魅力的な女性はやはり直線イメージはなく,曲線イメージといっていいでしょう。合歓木の枝がそよ風に揺れて,そこに咲く花がより美しく見える姿を彼女の顔の美しさに喩えたのでしょうか。残念ながら,当時の服装では,体の曲線美はよく見えなかったと思われますので。
最後に紹介するのは,京に向かう上総国郡司大原今城(かみふさのくにのこほりのつかさ おほはらのいまき)の妻が見送るときに詠んだ歌です。
立ち撓ふ君が姿を忘れずは世の限りにや恋ひわたりなむ(20-4441)
<たちしなふきみがすがたを わすれずはよのかぎりにや こひわたりなむ>
<<あなたのしなやかに立つお姿を忘れられないで,いつまでも恋い慕いながらずっと過ごしていくのよ>>
「しなやかに立つ」は夫の優しさも含めて,表現しているのでしょうか。
夫の今城は郡司ですから,地元トップの要人です。一人で旅をするわけではなく,お付きの人も多く付くはずです。ただ,今の千葉県から奈良県までの旅は,万葉時代,整備されていない道もあり,陸路では1カ月以上掛かったかも知れません。その間,夫が病気になる,ケガをする,盗賊に遭う,道に迷って行き倒れになるなど,妻にとっては心配なことだらけでしょう。
今では,旅行や外出などの移動中に事故や事件に遭う確率と,自宅にいて,災害,事故,事件に遭う確率にあまり差は無くなっている時代なのかも知れません。
それでも,家から出かけたり,帰る途中の家族に「気を付けてね」という気持ちと言葉は忘れたくないものですね。
(続難読漢字シリーズ(22)につづく)
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