今回は「激る(はしる)激つ(だきつ)」について万葉集をみていきます。「激つ(だきつ)」は現代仮名遣いでは「激る(たぎる)」となります。なお,現在では「水がはしる」という言い方はしなくなったようです。「激流」「激水」「激浪」「激端」などの音読み言葉ばかりで,この訓読みは両方とも思い出しにくいかもしれません。
今回は,「激る(はしる)」「激つ(だきつ)」が使われている,それぞれ長歌を紹介します。
最初に紹介する長歌は,「激る(はしる)」が詠み込まれている柿本人麻呂が吉野の離宮を賛美したものです。持統天皇が吉野に行幸したときに詠んだとされています。
やすみしし我が大君の きこしめす天の下に 国はしもさはにあれども 山川の清き河内と 御心を吉野の国の 花散らふ秋津の野辺に 宮柱太敷きませば ももしきの大宮人は 舟並めて朝川渡る 舟競ひ夕川渡る この川の絶ゆることなく この山のいや高知らす 水激る瀧の宮処は 見れど飽かぬかも(1-36)
<やすみししわがおほきみの きこしめすあめのしたに くにはしもさはにあれども やまかはのきよきかふちと みこころをよしののくにの はなぢらふあきづののへに みやばしらふとしきませば ももしきのおほみやひとは ふねなめてあさかはわたる ふなぎほひゆふかはわたる このかはのたゆることなく このやまのいやたかしらす みづはしるたきのみやこは みれどあかぬかも>
<<今の我が君が統治されている土地は天の下に多くあるけれど,山も川も清き河内の地とお好きな吉野の国の花散る秋津の野辺に,宮柱も太き宮殿を建立され,多くの大宮人は舟を浮かべて朝川を渡り,舟を競って夕川を渡っている。この川が絶えることのないように,この山がいつまでも高くそびえ立つように,我が君も永遠に高々と統治されることだ。水が大変な速さで走るように流れるこの滝の都はいくら見ても素晴らしい>>
吉野は,天武天皇のゆかりの地であり,暑い奈良盆地の夏の時期の避暑地として離宮を整備したのだと思います。
避暑地である吉野に到着した持統天皇一向に対して,人麻呂は吉野の素晴らしさを読み上げ,「素敵な吉野での避暑をお過ごしください」と,ここまでの旅の疲れをこの和歌で癒したのでしょうか。奈良盆地に流れる川と比較にならない水量,流の早さ,水の冷たさ,清らかさが,きっと天皇の心を潤すに違いないとこの長歌は締めているように私は解釈します。
紹介するもう一つの長歌は,「激つ(だきつ)」が詠み込まれた大伴家持が越中で詠んだとされるものです。
あらたまの年行きかはり 春されば花のみにほふ あしひきの山下響み 落ち激ち流る辟田の 川の瀬に鮎子さ走る 島つ鳥鵜養伴なへ 篝さしなづさひ行けば 我妹子が形見がてらと 紅の八しほに染めて おこせたる衣の裾も 通りて濡れぬ(19-4156)
<あらたまのとしゆきかはり はるさればはなのみにほふ あしひきのやましたとよみ おちたぎちながるさきたの かはのせにあゆこさばしる しまつとりうかひともなへ かがりさしなづさひゆけば わぎもこがかたみがてらと くれなゐのやしほにそめて おこせたるころものすそも とほりてぬれぬ>
<<年があらたまって春になると花々が美しく咲く。(雪解け水で)山のふもとを轟かして激しく流れくだる辟田川。(夏になると)その川の瀬では鮎の元気に泳ぐ姿が見える。(夏の夜)鵜飼仲間と伴って,篝火をかざして川を行くと,我が妻が形見と思ってと,紅色に幾度も染めて送ってくれた着物がすっかり水に濡れてしまった>>
この長歌から家持は越中の春から夏にかけての自然を謳歌している気持ちが私に伝わってきます。特に,鵜飼は家持にとって大変楽しみな夏の夜にみんなで興じるスポーツだったのです。
妻が気を付けてほしいという気持ちで作らせた女性が着るような派手な着物も,楽しくてしょうがない鵜飼に興じているうちに,スプ濡れになったのでしょう。
水量が「激る」ほど豊かで,アユがたくさんいる辟田川の自然がどれたけ家持の気持ちを癒したか,私には共感するものが多くあります。
(続難読漢字シリーズ(25)につづく)
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