2018年5月13日日曜日

続難読漢字シリーズ(23)…験(しるし)

今回は「験(しるし)」について万葉集をみていきます。漢字体から見ると馬を識別するために確認したマークを付けるような意味でしょうか。
最初に紹介するのは,坂上郎女が詠んだ短歌です。

まそ鏡磨ぎし心をゆるしてば後に言ふとも験あらめやも(4-673)
<まそかがみとぎしこころを ゆるしてば のちにいふともしるしあらめやも>
<<磨きあげた鏡のような無垢な気持ちをゆるめてしまったら,後で悔やんでみても意味がないのです>>

実は坂上郎女が詠んだ和歌には「験」を詠み込んでものがいくつかあります。郎女は「験」という言葉に何らかの思い入れがあったのかも知れません。
次は,海犬養岡麻呂(あまのいぬかひのをかまろ)という官僚が聖武天皇を称え天平6(735)年に詠んだとされる短歌です。

御民我れ生ける験あり天地の栄ゆる時にあへらく思へば(6-996)
<みたみわれいけるしるしあり あめつちの、かゆるときに あへらくおもへば>
<<陛下のもとに生まれた私は生きがいを確実に感じております。天地が栄えているこの時に生まれ合わせたことを思いますとなお更でございます>>

「験あり」を「確実に」と訳してみました。天平文化が最高潮に達した時代を良くあらわした天皇ヨイショの短歌ですね。
最後は,遣新羅使(けんしらぎし)の一人が,天平8年に北九州の港に船が立ち寄り停泊しているときに詠んだという短歌です。

秋の野をにほはす萩は咲けれども見る験なし旅にしあれば(15-3677)
<あきののをにほはすはぎはさけれども みるしるしなしたびにしあれば>
<<秋の野に美しく萩は咲いている時期だが,私には見る当てがない。旅の途中なので>>

遣新羅使の「旅」の意味は,今の観光旅行とは全然違いのでしょう。
新羅がある朝鮮半島までは,壱岐,対島を経由すれば,そう遠距離でない船旅ですが,対馬海峡は波が比較的穏やかな瀬戸内海とは違い,当時の造船技術では難破する事故が絶えなかったのだろうと推測されます。
美しく咲いているだろう秋萩を,遣新羅使にとっては楽しんでゆっくり観る余裕なんかないという気持ちが伝わってきます。
(続難読漢字シリーズ(24)につづく)

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