2015年11月29日日曜日

今もあるシリーズ「音(おと,ね)(3)」 ‥清流のイメージは「美しい水」+「流れる水の音」のコラボで決まる?

「音(おと)」の3回目は「水」に関する「音」について万葉集を見ていきます。
その音として,そのままの「水の音」のほか,「川の音」「瀬の音」「波の音」が万葉集に出てきます。
ここでは,それぞれ1首ずつ紹介していきます。
最初は「水の音」を詠んだ詠み人知らずの短歌です。

奥山の木の葉隠りて行く水の音聞きしより常忘らえず(11-2711)
おくやまのこのはがくりて ゆくみづのおとききしより つねわすらえず
<<奥山の木の葉に隠れて流れていく水の音を聞いてからは,(水がきれいだろうなと想像して)もう忘れられないのです>>

おそらく「水」は「女性」のたとえでしょう。
女性の噂を聞いて,そのうわさから「きっとたいへん美しい人に違いない」と思い,「見たい」「会いたい」といった気持ちが強くて,昼夜を問わず忘れられない自分の気持ちを詠んだのだろうと私は想像します。
次は,「川の音」を詠んだ短歌で,九州で防人(さきもり)の(すけ)をしていた大伴四綱(よつな)が大伴旅人大宰府から帰任する時の宴で旅人に贈った1首です。

月夜よし川の音清しいざここに行くも行かぬも遊びて行かむ(4-571)
つくよよしかはのおときよし いざここにゆくもゆかぬも あそびてゆかむ
<<月夜が素晴らしく,川の流れる音も清々しい。さあ!ここで都へ帰られる人も残る人も楽しく遊びましょう!>>

今後は大納言旅人様と一緒に楽しいひと時を過ごせなくなるので,今宵限りは美しい川のせせらぎが聞こえ,名月が見られる宴(うたげ)の場所(おそらく宴開催の場所としては最高の場所)で,旅人様と一緒に過ごせる最後の宴を楽しく進めましょうという意図の表わした短歌だと思います。
会社の送別会などの途中にあいさつを頼まれた人は,この短歌をパロディー化して紹介しても良いかもしれませんね。
たとえば,「眺めよし飲む音忙(せわ)しいざここに行くも行かぬも遊びて行かむ」というような感じですかね。
さて,次は「瀬の音」を詠んだ詠み人知らずの短歌1首です。

夕さらずかはづ鳴くなる三輪川の清き瀬の音を聞かくしよしも(10-2222)
ゆふさらずかはづなくなる みわがはのきよきせのおとを きかくしよしも
<<夕方になると河鹿が鳴き声が聞こえる三輪の川で,さらに清らかな瀬の音が聞こえるのはよい気持ちだなあ>>

平城京の前の京(みやこ)である藤原京から数キロはなれた三輪の地で流れる川(今の大和川?)の瀬の音がカジカの声と混じってさわやかに聞こえることを詠んだと私は感じます。
この地は「三輪そうめん」が有名です。美味しいそうめんを作るために必要なきれいな水が豊富な土地だったのでしょうか。
最後は,「波の音」を詠んだこれも詠み人知らずの短歌です。ただし,この短歌で出くる波は海の波ではなく,川でできる波の音です。

泊瀬川流るる水脈の瀬を早みゐで越す波の音の清けく(7-1108)
はつせがはながるるみをの せをはやみゐでこすなみの おとのきよけく
<<泊瀬川の水の流れが速く、水が浅瀬を越えてできる波の音が清らかだ>>

泊瀬川は,前の短歌に出ている三輪から南に少し行き,伊勢方面へ行く今の初瀬街道沿いに流れる川といわれています。
奈良盆地大和平野)から名張方面へ向かって山の中に入りますので,泊瀬川は清流でかつ急流の部分がたくさんあったのでしょうか。
急流の部分の瀬(浅いところ)では,川の表面に波が立ち,さらさらと波の音がして,その音はさらにきれいな水を引き立たせる効果が作者には感じられたのでしょう。
さて,今回あげた4首の内3首は万葉集に作者が載っていない(詠み人知らずの)短歌です。
この人たちは,万葉集に作者として名前が載っている人麻呂赤人旅人家持黒人天皇名だたる貴族たちに比べて有名では無かった(一般庶民とは限りませんが)のだろうと私は思います。
でも,これら3首の短歌から,作者の「川の水」で「音」を感じる感性が非常に繊細かつ鋭敏であること,そしてその表現力が優れていると私は感じます。
では,なぜこんな「音」を感性豊かに感じる和歌が多く作られたのでしょうか?
多くの名も無い人が作歌する目的があったはずです(和歌を作る自体はその目的を達するためのあくまで手段にすぎない)。
その目的を探るため,私の万葉集をリバースエンジニアリングする旅はまだまだ続きそうです。
今もあるシリーズ「音(おと,ね)(4)」に続く。

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