<聴覚について>
人間の感覚器の一つ「耳」が非常に重要な器官であることは,常識の範疇なのかもしれません。
補聴器が役に立たないくらい聴覚が機能しなくなると,正しい発声にも障害がでます。
その場合,人とのコミュニケーションでは,手話や読唇術,相手の顔の表情などから,訓練すればかなり円滑なコミュニケーションがでしょう。しかし,危険を知らせる警報音に気付くのが遅れ,災害や事故に遭いやすくなるというハンディキャップは残ってしまうと思います。
また,自然や生活の営みが織りなす音(例:鳥のさえずり,小川のせせらぎ,秋の虫の合唱,そよ風を感じる木々のざわめき,早朝の釣舟のエンジン音,遠くに聞こえる霧笛の音,大晦日の除夜の鐘の音,水琴窟の音など)で風情を感じることができにくくなってしまうと考えると,聴覚器官は本当に大切にしなければならないものだと改めて感じます。
<新しい文化は新しい音を聞かせる>
さて,万葉時代は大陸からの新しい文化・宗教・生活習慣がそれまでに比べてはるかに速いスピードで流入し,それに伴って新しい音も出てきたと思われます。同時に昔から暮らしや自然で発生する音への愛着も感じる時代だったのではないでしょうか。
そんな時代のためか,万葉集には「音(おと・ね)」を詠んだ和歌が多数(130首以上)出てきます。
今回から数回にわたり,万葉集で詠まれた「音」について見ていきます。
まず「おと」と発音すると考えられる和歌を見ていきますが,「何の音(おと)」を詠んでいるか気になるところです。
万葉集でどんな音がで出くるか,最初に示しましょう(‥の右の意味は,万葉集の和歌での意味を意識している)。
足の音(あしのおと)‥馬の足音。
鶯の音(うぐひすのおと)‥鶯の鳴き声。
馬の音(うまのおと)‥馬の足音。
風の音(かぜのおと)‥風が吹く音。
楫の音(かぢのおと),楫音(かぢおと)‥楫を漕ぐ音。
川音(かはと,かはおと),川の音(かはのおと)‥川水が流れる音。
小角の音(くだのおと)‥角をくり抜いた小型のラッパを吹く音。
声の音(こゑのおと)‥鳥の鳴き声の音。
鈴が音(すずがおと)‥馬につけた鈴の音。
瀬の音(せのおと)‥川の瀬(浅い場所)で水が流れる音。
鶴の音(たづのおと)‥鶴の鳴き声。
鼓の音(つつみのおと)‥鼓をたたく音。
遠音(とほと)‥遠くで聞こえる音。
鞆の音(とものおと)‥鞆とは,弓を引く人が射った後の衝撃を和らけるため,左手手首から肘までをカバーした布や毛皮を指す。弓を射るとツルが鞆にあたるときの音。
中弭の音(なかはずのおと)‥弓を射ったとき,弓の中央部分を矢が通過する音か?
鳴く音(なくおと)‥鳥が鳴くまたは囀(さえず)る音。
波音(なみおと,なみと),波の音(なみのおと)‥波が寄せる音。波しぶきの音。
鳴る神の音(なるかみのおと)‥雷の音。
羽音(はおと)‥鳥の羽をばたつかせる音。
人音(ひとおと)‥人々が動く音。
笛の音(ふえのおと)‥笛を吹く音。
水の音(みづのおと)‥川の水が流れる音。
夜音(よおと)‥夜爪弾く琴の音。
これらの「音」に関する表現から,当時の社会の様子が分かってくるように私には思えます。
・笛,鼓,琴,ラッパといった楽器の演奏が頻繁に行われるようになった。
・舟の運行が盛んであり,楫の音をみんなが知っていた。
・馬が陸上の交通手段として一般的であった。
鳥の鳴き声や羽音,川の音,波の音,雷鳴などが万葉集の多くの和歌で取り上げられていることは,「音」に対する万葉人の感性は割と繊細なものがあったのかもしれません。
今回は,そのなかで大伴家持の有名な1首のみを紹介します。
我が宿のい笹群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも(19-4291)
<わがやどのいささむらたけ ふくかぜのおとのかそけき このゆふへかも>
<<自宅に植えた細い竹の植え込みに吹く風の音がかすかに聞こえるこの夕方である>>
風はそれ自体相当強く吹かないと音は聞こえません。
風がかすかに吹いているだけの場合,家の中ではそれに気が付かないことが多いでしょう。家持は笹の葉が振れる音で,風が吹き出したを感じ取ったのでしょう。
熱い1日が終わり,夕方の風が出てくると涼しくなる期待が高まります。
以前にもこのブログで述べたと思いますが,日本人は昔から変化の始まりを感じ取る繊細な感性を持ち合わせているのです。
その感性も,外国と比較すると多様に変化する自然があるからであり,その変化の前兆に「音」が占める割合が多いので,万葉集にも多く出てくることになったのかもしれませんね。
今もあるシリーズ「音(おと,ね)(2)」に続く。
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