「栄ゆ」の2回目は,植物が栄える(繁茂する)という意味で使われている万葉集の例を示します。
最初は,現在の桜井市にあったといわれる大伴氏の荘園を訪れた紀鹿人(きのしかひと)がその立派さを詠った短歌です。鹿人の属する紀氏と大伴氏との間には太い交流関係があったようです。
茂岡に神さび立ちて栄えたる千代松の木の年の知らなく(6-990)
<しげをかにかむさびたちて さかえたるちよまつのきの としのしらなく>
<<茂岡に神々しく立って栄えている千代松の木はその立派さに樹齢を推測することもできないです>>
荘園には千代松という立派で樹齢が長いシンボル的な松の木があったのでしょう。それをほめたたえることで,大伴氏が長年所有し,整備してきた荘園の価値を高く評価したのだと思います。
次は馬酔木の花(枕詞として使用)を詠んだ詠み人知らずの短歌です。
馬酔木なす栄えし君が掘りし井の石井の水は飲めど飽かぬかも(7-1128)
<あしびな さかえしきみが ほりしゐのいしゐのみづは のめどあかぬかも>
<<(馬酔木の白い花がたくさん咲くように)立派になられたあなた様が掘られた石井の井戸水はいくら飲んでもおいしいですね。>>
馬酔木の花・茎・葉などには毒があり,獣や虫が寄り付かない効果があるためか,井戸の周りに植え,井戸水が常にきれいであるようにしていたのかもしれません。もちろん,馬酔木の花自体も白く,見ていて清潔感があり,井戸や池の周りに植えるのに適していたと私は想像します。
最後は,草が盛んに生えることを詠んだ柿本人麻呂歌集から万葉集に転載したという詠み人知らずの旋頭歌です。
山背の久世の社の草な手折りそ我が時と立ち栄ゆとも草な手折りそ(7-1286)
<やましろのくせのやしろのくさなたをりそ わがときとたちさかゆともくさなたをりそ>
<<山城の久世の社の草を手折ってはならない。我が世の盛りとばかり立ち栄えていようとも社の草を手折ってはならない>>
これは,久世にある社(神社)は雑草さえも霊験あらたかなので,むしり採っていけない。少しぐらいむしり採っても分からないくらい生い茂っていても,やはりむしってはいけないということを詠ったと素直に解釈できそうです。
しかし,この前に出てくる旋頭歌1285では,田で一人で作業をしている疲れた若者に対して,「お前には助けてくれる妻がいないから疲れているだよね」とカラかっているものがあります。
この旋頭歌1286が旋頭歌1285の続きであれば,意味が違ってきそうです。たとえば,草のことを若い妻候補の女性のこととすれば(旋頭歌1285に出てくる「若草の」は妻に掛かる枕詞),「僕にはいっぱい妻候補がいるんだ。かっさらったりするんじゃないぞ!」という内容にも思えます。
動きの詞(ことば)シリーズ…栄ゆ(3:まとめ)に続く。
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