前回は,「~去れば」「~去らば」という万葉集での「去る」の使い方を示しましたが,今回はその類似表現で「~去り来れば」を見てみたいと思います。
前回の意味は「~になったら」「~になると」という意味でした。
今回の「~去り来れば」は「~がやって来ると」という意味で,結果よりも近づきつつある過程を示していますが,全体の意味としては「~去れば」などとあまり変わらないように感じられるかも知れません。
しかし,万葉集の和歌の中での双方の使い方がはっきり異なります。
その違いは枕詞使用の有無です。「~去り来れば」の前には必ずと言ってよいほど「~」に掛かる枕詞が置かれます。「~されば」の場合は,枕詞を前に置くことはありません。
次の歌を見てください。
冬こもり 春去り来れば 鳴かずありし 鳥も来鳴きぬ 咲かずありし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず ~(1-16)
<ふゆこもり はるさりくれば なかずありし とりもきなきぬ さかずありし はなもさけれど やまをしみ いりてもとらず くさふかみ とりてもみず ~>
<<春が近づいてくると今まで鳴いていなかった鳥も来て鳴く,今まで咲いていなかった花も咲くけれども,山が荒れ放題でで入って行って獲ることもできず,雑草が延び放題で採ってみることもできない ~>>
この額田王の長歌の冒頭の「冬こもり」が「春」に掛かる枕詞です。
ぬばたまの夜去り来れば巻向の川音高しもあらしかも疾き(7-1101)
<ぬばたまの よるさりくれば まきむくの かはとたかしも あらしかもとき>
<<夜になってくると巻向川の川音が高くなると聞いているが本当に激しいなあ>>
この詠み人知らずの短歌の冒頭の「ぬばたまの」は「夜」にかかる枕詞です。
うち靡く春去り来れば小竹の末に尾羽打ち触れて鴬鳴くも(10-1830)
<うちなびく はるさりくれば しののうれに をはうちふれて うぐひすなくも>
<<春がやってきて,篠の先を尾羽で強くゆすりながらウグイスが鳴いているよ>>
この冒頭の「うち靡く」は「春」に掛かる別の枕詞です。
<「○○去り来れば」は7文字>
前回の「~去れば」は~の部分が「春」「秋」「夕」などの2文字であれぱ5文字となります。いっぽう「~去り来れば」は~がそれらの2文字であれば7文字になります。
このように,5文字に使いたいときは「~されば」を使い,7文字のところに使いたいときは「~去り来れば」を使うという使い分けがなされているように見えます。
また,枕詞+「~去り来れば」は,単なる「~去れば」に比べて,形式ばった古い表現形式ともいえるのではないかと私は思います。
すなわち,宮中などのフォーマルな行事では,枕詞+「~去り来れば」と不特定多数の参加者に向け詠唱され,参加者はたとえば「ぬ~ば~た~ま~の~~」とゆっくり詠唱されるのを聞き取ると,次は「夜...」と来ることを予測しつつ,どんな和歌になるのかを楽しみに鑑賞していきます。
逆に,そういったフォーマルな場で不特定多数にではなく,特定の相手に贈った和歌では想いを単刀直入に伝える必要があります。
そのため「~去り来れば」を「~去れば」とし,枕詞も省略して使うようになったと私には感じられるのです。
さて,次回は「去る」のまとめとして,遠ざかる意味の「去る」について,万葉集でどのように使われているか見ることにします。
去る(3:まとめ)に続く。
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