前回,本ブログ3年目突入スペシャル投稿で本シリーズは1回お休みとなりました。今回から,前々回の「去(い)ぬ」に続いて「去(さ)る」について万葉集でどう使われているか見ていきます。
実は,万葉集で「去る」は「去ぬ」よりも多くの和歌で出てきますが,それだけではなく,万葉仮名で書かれた原文でも「去」という字が多くの和歌で出てきます。
出てくる「去る」の意味はたとえば現在使われている「消え去る」の「去る」といった意味だけでなく,異なった意味で使われています。
次の和歌たちのように「(季節などが)移り巡ってくる」という意味で使われているのがその例です。
春去ればををりにををり鴬の鳴く我が山斎ぞやまず通はせ(6-1012)
<はるされば ををりにををり うぐひすの なくわがしまぞ やまずかよはせ>
<<春が来て満開の花に鶯が鳴く我が家の庭です。何度でもお出でくださいな>>
この短歌は,天平8年(736年)12月12日,葛井広成という貴族の自宅で行われた宴で詠まれたと題詞にあります。
この短歌の「春去れば」の原文は万葉仮名で「春去者」となっています。
「ををり」は花や葉がいっぱいに繁る状態を表しています。春になって,庭にウグイスが来るほど咲きほこる花は梅でしょう。
あさりすと礒に棲む鶴明け去れば浜風寒み己妻呼ぶも(7-1198)
<あさりすと いそにすむたづ あけされば はまかぜさむみ おのづまよぶも>
<<浅蜊(アサリ)を餌として磯に棲む鶴が,夜明けになり,浜から吹く風が寒いので(2羽で寄り添って暖まろうと)つがいのメスを呼んでいるよ>>
この短歌の「明け去れば」の原文は「暁去者」です。
(タンチョウ)鶴の鳴き声は動画サイトでも投稿されていて,聞くと何かしら悲しげです。この短歌の作者(詠み人知らず)はその悲しげな鳴き声からこのように感じたのでしょう。
もしかしたら作者は妻か恋人に対し,この短歌で「ふたりで暖まろう」と誘っているのかもしれませんね。
君がため手力疲れ織れる衣ぞ春去らばいかなる色に摺りてばよけむ(7-1281)
<きみがため たぢからつかれ おれるころもぞ はるさらば いかなるいろに すりてばよけむ>
<<あなたのために腕の力が弱るまで織った衣ですよ。春がきたら(あなたのために)どんな色に染めたらよいでしょう>>
この旋頭歌の「春去らば」の原文は「春去」です。
この旋頭歌の作者(詠み人知らず)は,冬の間に丹精込めて織った衣を春になったら生えてくる草花でどんな色に染めれば相手が喜ぶだろうという気持ちを詠んでいのではないかと私は感じます。
さて,「春去れば」のように「~されば」という表現は万葉集に数十首出てきますが,万葉時代より後の短歌でも古風な表現として使われています。
その代表例が,小倉百人一首に選ばれた大納言経信(源経信)が詠んだ次の短歌です。
夕されば門田の稲葉おとづれて芦のまろ屋に秋風ぞふく(小倉百人一首:71)
<ゆふさればかどたのいなはおとづれて あしのまろやにあきかせぞふく>
<<夕方になると,門田の稲葉を音立てて秋風が訪れ,葦の仮小屋の中まで吹き入って来る>>
この意味から「去(さ)る」はもともと「そうなる」であり,さこから「さなる」へ,そして「さる」と変化したのかもしれません。
去る(2)に続く。
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