引き続き,「き」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除く)
蔵む(きすむ)…大切にしまう。
昨夜(きぞ)…ゆうべ。昨晩。
腊(きたひ)…丸ごと干した肉。ほしじ。
煌煌し(きらきらし)…容姿が美しい。
次は,「蔵む(きすむ)」が出てくる市原王の短歌です。
頂きに蔵める玉は二つなし かにもかくにも君がまにまに(3-412)
<いなだきにきすめるたまはふたつなし かにもかくにもきみがまにまに>
<<私の頭の頂きの髪を束ねた中に大切にしまってある玉は,最高でかけがえの無いものなのです。それを君に与えます。とにかく君の思うままにして構いませんよ>>
この短歌は,譬喩歌に分類された箇所に出てきます。玉を自分の最愛の娘(娘が一人いたようです)に譬えている和歌とすると,お嫁に出す相手(男性)に送る和歌と取れます。
また,玉を自分の最高の秘めたる恋心(桑田圭祐の「いとしのエリー」風に言うと「♪俺にしてみりゃこれで最後のレディ~♪」)だとすると,恋人(恐らく後の正室となる能登内親王)に愛情を打ち明けて,相手の意思を問う和歌とも感じられます。
「君がまにまに」の君は,当時相手が男性でも女性でも使っていたようです。ただ,「君」を使う場合,相手に対する尊敬・敬愛の念が今より断然強いとすると後者の解釈を私は受け入れたくなります。嫁をやる父親が相手の男性を尊敬し,どうにでもしてくれなんてことは古今ないと私は思います(賛同頂けるお父さんは多い?)。
市原王は,生没不詳のようですが,経典の写経舎人の仕事から出世し,奈良の大仏造営の要職にも就いたらしく,仏教については深い造詣があったと考えられます。
万葉集には8首短歌を残しています。すぐれた和歌が多いとの評価があるようで,私もそう思います。恐らくは,写経で得た仏教の知識がバックグラウンドとして在って,仏教の経典に出てくる巧みな譬喩技法を参考に(植物,岩,玉などを擬人化),自分思いを奥深く表現。そのため,なるほどと思わせる和歌が多いのかもしれませんね。
市原王の正室能登内親王は,大伴家持による万葉集作成のスポンサだと私が勝手に考えている(2009.3.29投稿)光仁天皇の娘です。
この能登内親王が亡くなった時点の夫市原王の生没は不明ですが,葬儀を司ったメンバーの一人に大伴家持がいたらしいです。それが事実だとすると光仁天皇,市原王,能登内親王,家持の間にはかなり深い関係・交流があったのではないかと私は改めて感じるのです。(「く」で始まる難読漢字に続く)
2009年7月29日水曜日
2009年7月24日金曜日
万葉集で難読漢字を紐解く(か)
引き続き,「か」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除く)
嬥歌(かがひ)…上代,東国で歌垣(男女が集まって互い和歌を詠み交わし,舞踏して遊んだ行事)のこと。
耀ふ,赫ふ(かがよふ)…きらきらとゆれて光る。ちらつく。
篝(かがり)…かがり火。
皸る(かかる)…手足の皮がひびわれる。あかぎれが切れる。
杜若(かきつはた)…カキツバタ
陽炎(かぎろひ)…日の出前に東の空にさし染める光。
水夫、水手(かこ)…舟を漕ぐ者。ふなのり。水夫。
瘡(かさ)…皮膚病の総称。瘡蓋(かさぶた)は比較的ポピュラー。
挿頭(かざし)…頭髪または冠にさした花または造花。
炊く(かしく)…めしを炊く。
畏し(かしこし)…恐れ多い、ありがたい。
徒歩(かち,かし)…かち、歩行、徒歩。「かし」は東国の方言。
楓(かつら)…フウ(カエデ)の木の古称。
鬘(かづら)…かつら、頭飾り。
愛し(かなし)…愛おしい。
適ふ(かなふ)…丁度よく合う。適合する。
桜皮(かには)…白樺の古名?
蛙(かはず)…カエル。
峡(かひ)…山と山の間の狭い所
卵(かひご)…鶏や小鳥の卵
腕、肱(かひな)…肩から肘までの間。二の腕。また、肩から手首までの間。
感く(かまく)…感ずる。感動する。心が動く。かまける。
竈(かまど)…土・石などで築き,その上に鍋・釜などをかけ,その下で火を焚き,煮炊きするようにした設備。
醸む(かむ)…酒を造る。
甕、瓶(かめ)…液体を入れる底の深い壺形の陶器。
糧(かりて)…かて。
この中で,今回は「卵(かひご)」が出てくる長歌の冒頭を紹介します。
鴬の卵の中に 霍公鳥独り生れて 己が父に似ては鳴かず 己が母に似ては鳴かず~(9-1755)
<うぐひすのかひごのなかに ほととぎすひとりうまれて ながちちににてはなかず ながははににてはなかず ~>
<<鶯の巣のある卵の中の霍公鳥は,本当の親と一緒ではなく一人ぼっちで生まれて,育ての父・母と似た鳴き方はできない ~>>
この和歌は,托卵本能(他の鳥の巣に卵を産みつけ,他の鳥に育てさせる習性)のある霍公鳥を子供が実の親に育ててもらえないことを哀れと思って読んでいる歌です。この長歌の反歌では,次のように「哀れその鳥」と詠んでいます。
かき霧らし雨の降る夜を 霍公鳥鳴きて行くなり あはれその鳥(9-1756)
<かききらしあめのふるよを ほととぎすなきてゆくなり あはれそのとり>
<<急に霧が立ち込め雨が降る夜を 霍公鳥は鳴いて行くという 哀れなその鳥よ>>
当時,霍公鳥の托卵の習性については,一部の人はすでによく知っていたのでしょう。
しかし,托卵する側の鳥(この場合霍公鳥)は人間のように生活に困ったり,子育てに興味がなくなって子供を捨てるのではなく,托卵する際,元からあった仮親(この場合は鶯)の卵を1個捨て,元の数と合わせ分からないようにするそうです。また,霍公鳥の卵の方が先に生まれて,まだ生まれていない鶯の卵をすべて下に落としてしまうという残酷なことをするようです。それと知らず,鶯の親は霍公鳥のヒナを唯一残った自分のヒナと思って巣立ちまで育てるそうです。
他の鳥類の親が自分のヒナと勘違いし,親代わりになってくれ,ちゃんと独りで育つことが分かっているから托卵をするのでしょうね。
すなわち,鳥の世界は鳥の世界で,人間には残酷と移る行為を行っているようだけど,自然の摂理として,鶯も霍公鳥も子孫を絶やすことなく生きているということになります。
<人間に当てはめると>
この和歌は,托卵の残酷さまでは知らずに,霍公鳥のヒナの哀れに見える様を通して,実の親に捨てられた人間の哀れ,悲しみ,孤独感,それでも頑張っている姿を詠っていると私には感じられます。
その背景として,大化の改新により戸籍制度が整備されるにしたがって,(良い意味でも悪い意味でも)血のつながりを意識するようになった人々が,実の親,実の子,里親,里子,継親,継子の位置づけが明確になることで,辛い思いを強く感じる人が増えたのではないかと私は考えています。
戸籍によって個人を管理することは,社会システムの効率化には重要な要素です。しかし,その情報が保護されないで誰でも知れるようになると差別や疎外をもたらすことが十分考えられます。
現代では,機微な個人情報を適正に保護できるコンピュータシステムの高度化だけでなく,個人情報を扱う人の倫理観の醸成が本当に必要だと私は改めてこの和歌から感じるのです。(「き」で始まる難読漢字に続く)
嬥歌(かがひ)…上代,東国で歌垣(男女が集まって互い和歌を詠み交わし,舞踏して遊んだ行事)のこと。
耀ふ,赫ふ(かがよふ)…きらきらとゆれて光る。ちらつく。
篝(かがり)…かがり火。
皸る(かかる)…手足の皮がひびわれる。あかぎれが切れる。
杜若(かきつはた)…カキツバタ
陽炎(かぎろひ)…日の出前に東の空にさし染める光。
水夫、水手(かこ)…舟を漕ぐ者。ふなのり。水夫。
瘡(かさ)…皮膚病の総称。瘡蓋(かさぶた)は比較的ポピュラー。
挿頭(かざし)…頭髪または冠にさした花または造花。
炊く(かしく)…めしを炊く。
畏し(かしこし)…恐れ多い、ありがたい。
徒歩(かち,かし)…かち、歩行、徒歩。「かし」は東国の方言。
楓(かつら)…フウ(カエデ)の木の古称。
鬘(かづら)…かつら、頭飾り。
愛し(かなし)…愛おしい。
適ふ(かなふ)…丁度よく合う。適合する。
桜皮(かには)…白樺の古名?
蛙(かはず)…カエル。
峡(かひ)…山と山の間の狭い所
卵(かひご)…鶏や小鳥の卵
腕、肱(かひな)…肩から肘までの間。二の腕。また、肩から手首までの間。
感く(かまく)…感ずる。感動する。心が動く。かまける。
竈(かまど)…土・石などで築き,その上に鍋・釜などをかけ,その下で火を焚き,煮炊きするようにした設備。
醸む(かむ)…酒を造る。
甕、瓶(かめ)…液体を入れる底の深い壺形の陶器。
糧(かりて)…かて。
この中で,今回は「卵(かひご)」が出てくる長歌の冒頭を紹介します。
鴬の卵の中に 霍公鳥独り生れて 己が父に似ては鳴かず 己が母に似ては鳴かず~(9-1755)
<うぐひすのかひごのなかに ほととぎすひとりうまれて ながちちににてはなかず ながははににてはなかず ~>
<<鶯の巣のある卵の中の霍公鳥は,本当の親と一緒ではなく一人ぼっちで生まれて,育ての父・母と似た鳴き方はできない ~>>
この和歌は,托卵本能(他の鳥の巣に卵を産みつけ,他の鳥に育てさせる習性)のある霍公鳥を子供が実の親に育ててもらえないことを哀れと思って読んでいる歌です。この長歌の反歌では,次のように「哀れその鳥」と詠んでいます。
かき霧らし雨の降る夜を 霍公鳥鳴きて行くなり あはれその鳥(9-1756)
<かききらしあめのふるよを ほととぎすなきてゆくなり あはれそのとり>
<<急に霧が立ち込め雨が降る夜を 霍公鳥は鳴いて行くという 哀れなその鳥よ>>
当時,霍公鳥の托卵の習性については,一部の人はすでによく知っていたのでしょう。
しかし,托卵する側の鳥(この場合霍公鳥)は人間のように生活に困ったり,子育てに興味がなくなって子供を捨てるのではなく,托卵する際,元からあった仮親(この場合は鶯)の卵を1個捨て,元の数と合わせ分からないようにするそうです。また,霍公鳥の卵の方が先に生まれて,まだ生まれていない鶯の卵をすべて下に落としてしまうという残酷なことをするようです。それと知らず,鶯の親は霍公鳥のヒナを唯一残った自分のヒナと思って巣立ちまで育てるそうです。
他の鳥類の親が自分のヒナと勘違いし,親代わりになってくれ,ちゃんと独りで育つことが分かっているから托卵をするのでしょうね。
すなわち,鳥の世界は鳥の世界で,人間には残酷と移る行為を行っているようだけど,自然の摂理として,鶯も霍公鳥も子孫を絶やすことなく生きているということになります。
<人間に当てはめると>
この和歌は,托卵の残酷さまでは知らずに,霍公鳥のヒナの哀れに見える様を通して,実の親に捨てられた人間の哀れ,悲しみ,孤独感,それでも頑張っている姿を詠っていると私には感じられます。
その背景として,大化の改新により戸籍制度が整備されるにしたがって,(良い意味でも悪い意味でも)血のつながりを意識するようになった人々が,実の親,実の子,里親,里子,継親,継子の位置づけが明確になることで,辛い思いを強く感じる人が増えたのではないかと私は考えています。
戸籍によって個人を管理することは,社会システムの効率化には重要な要素です。しかし,その情報が保護されないで誰でも知れるようになると差別や疎外をもたらすことが十分考えられます。
現代では,機微な個人情報を適正に保護できるコンピュータシステムの高度化だけでなく,個人情報を扱う人の倫理観の醸成が本当に必要だと私は改めてこの和歌から感じるのです。(「き」で始まる難読漢字に続く)
2009年7月18日土曜日
万葉集で難読漢字を紐解く(え,お~)
引き続き,「え」「お」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除く)
なお,旧かな使いで「ゑ」「を」で始まるものは,ここには含まず,わ行まで来たら紹介します。
課役(えだち)…人民に課する労役。
靇(おかみ)…水の神。雨雪をつかさどる神。
息嘯(おきそ)…溜息。嘆息。
襲(おす)…頭からかぶって衣裳の上を覆うもの。
大臣(おほまへつきみ)…天皇の前に仕える者の長。
嫗(おみな)…老女。婆。
妖(およづれ)…他をまどわすことば
さて,今回は「妖(およづれ)」が出てくる和歌2首を紹介しましょう。
石田王(いはたのおほきみ)が亡くなったとき,壬生王(みぶのおほきみ)が詠んだ長歌の反歌です。
妖の狂言とかも 高山の巌の上に 君が臥やせる(3-421)
<およづれのたはこととかも たかやまのいはほのうえに きみがこやせる>
<<嘘であってほしい 高山の大きな岩の上に君がおやすみになってしまうなんて>>
また,大伴家持が越中赴任中に弟の書持の訃報を聞いたときに詠んだ長歌の一部です。
~ 嬉しみと吾が待ち問ふに 妖の狂言とかも 愛しきよし汝弟の命 何しかも時しはあらむを ~ (17-3957)
<~うれしみと あがまちとふに およづれの たはこととかも はしきよし なおとのいのち なにしかも ときしはあらむを~>
<<嬉しくて私が「待っていましたよ」と聞くと,嘘であってほしい。ああ,愛おしい私の弟の命が,どうしてか,時はそんなに経っていないのに ~>>
両首とも死を悼む和歌で「その死の知らせは嘘であってほしい!」という気持ちを表す言葉として「妖の狂言とかも」が使われているようです。
「妖」は意味のある名詞のようですか,「妖の」は「狂言」の枕詞と考えても良いかもしれません。
これで「あ行」の難読シリーズを終わりにします。
<我が家のネコ>
ところで,私の「自己紹介」で使っている写真は,今我が家で飼っている「あう」という名のオスネコです。
なぜ「あう」かというと鳴き声が「にゃ~」ではなく「あう」としか鳴かないからです。
9年程前,すでに我が家で飼っていたメスネコ「ランちゃん」を目当てに,ときどきベランダを行き来し,中をのぞく程度の野良猫だったのですが,ある日妻(さい)が洗濯物を干すため窓を開けていたら堂々と入ってきて,そのままずっと我が家に居候をしてしまったという厚かましい奴です。
「ランちゃん」とは結局相性が悪く,いつも別々の部屋で寝ていて,たまに2匹が廊下で出くわすと唸りあっています。
でも,お腹が減ったときや家人が1日留守にしていて帰ると「あう~,あう~」となついてき,なかなか可愛い奴なのです。
写真は「あう」です。
「あう」の年齢は不詳ですが,10歳は確実に超えているはずです。人間でいえば,老人の部類でしょうか。
やがて「あう」の寿命が尽きた時には「妖の狂言とかも」を含んだ弔いの和歌を贈ってやろうと思っています。 (「か」で始まる難読漢字に続く)
なお,旧かな使いで「ゑ」「を」で始まるものは,ここには含まず,わ行まで来たら紹介します。
課役(えだち)…人民に課する労役。
靇(おかみ)…水の神。雨雪をつかさどる神。
息嘯(おきそ)…溜息。嘆息。
襲(おす)…頭からかぶって衣裳の上を覆うもの。
大臣(おほまへつきみ)…天皇の前に仕える者の長。
嫗(おみな)…老女。婆。
妖(およづれ)…他をまどわすことば
さて,今回は「妖(およづれ)」が出てくる和歌2首を紹介しましょう。
石田王(いはたのおほきみ)が亡くなったとき,壬生王(みぶのおほきみ)が詠んだ長歌の反歌です。
妖の狂言とかも 高山の巌の上に 君が臥やせる(3-421)
<およづれのたはこととかも たかやまのいはほのうえに きみがこやせる>
<<嘘であってほしい 高山の大きな岩の上に君がおやすみになってしまうなんて>>
また,大伴家持が越中赴任中に弟の書持の訃報を聞いたときに詠んだ長歌の一部です。
~ 嬉しみと吾が待ち問ふに 妖の狂言とかも 愛しきよし汝弟の命 何しかも時しはあらむを ~ (17-3957)
<~うれしみと あがまちとふに およづれの たはこととかも はしきよし なおとのいのち なにしかも ときしはあらむを~>
<<嬉しくて私が「待っていましたよ」と聞くと,嘘であってほしい。ああ,愛おしい私の弟の命が,どうしてか,時はそんなに経っていないのに ~>>
両首とも死を悼む和歌で「その死の知らせは嘘であってほしい!」という気持ちを表す言葉として「妖の狂言とかも」が使われているようです。
「妖」は意味のある名詞のようですか,「妖の」は「狂言」の枕詞と考えても良いかもしれません。
これで「あ行」の難読シリーズを終わりにします。
<我が家のネコ>
ところで,私の「自己紹介」で使っている写真は,今我が家で飼っている「あう」という名のオスネコです。
なぜ「あう」かというと鳴き声が「にゃ~」ではなく「あう」としか鳴かないからです。
9年程前,すでに我が家で飼っていたメスネコ「ランちゃん」を目当てに,ときどきベランダを行き来し,中をのぞく程度の野良猫だったのですが,ある日妻(さい)が洗濯物を干すため窓を開けていたら堂々と入ってきて,そのままずっと我が家に居候をしてしまったという厚かましい奴です。
「ランちゃん」とは結局相性が悪く,いつも別々の部屋で寝ていて,たまに2匹が廊下で出くわすと唸りあっています。
でも,お腹が減ったときや家人が1日留守にしていて帰ると「あう~,あう~」となついてき,なかなか可愛い奴なのです。
写真は「あう」です。
「あう」の年齢は不詳ですが,10歳は確実に超えているはずです。人間でいえば,老人の部類でしょうか。
やがて「あう」の寿命が尽きた時には「妖の狂言とかも」を含んだ弔いの和歌を贈ってやろうと思っています。 (「か」で始まる難読漢字に続く)
2009年7月11日土曜日
万葉集で難読漢字を紐解く(う~)
引き続き,「う」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除く)
親族(うがら)…血縁のある人
祈誓ふ(うけふ)…神に祈る
領く(うしはく)…自分のものとして領有する
髻華(うず)…木の枝、葉、花や造花を冠や髪にさして飾りとしたもの。かざし。
現人(うつせみ)…この世に存在する人間。この世、現世、世人
現(うつつ)…夢に対して現実
薺蒿(うはぎ)…ヨメナの古名。春若芽を食用にした
宣(うべ)…もっともであること
績麻(うみを)…績んだ麻糸
倦む(うむ)…いやになる。あきる。退屈する。
績む(うむ)…麻などを細く切り裂き、長くより合わせる
末(うら,うれ)…草木の成長する先端
心(うら)…こころ。思い。現代でも「うら寂しい町」という使い方をする。この「うら」は「心」が漢字として当てられる。
次は,「心(うら)」が出てくる大伴家持の有名な短歌です。
春の野に霞たなびき 心悲しこの夕影に 鴬鳴くも (19-4290)
<はるののにかすみたなびき うらかなしこのゆふかけに うくひすなくも>
<<春の野に霞が棚引いている。そして,何となく悲しいこの夕影に鶯が鳴いているなあ>>
この短歌,私には,まるでNHKの「さわやか自然百景」の一場面(音声入り)をテレビで見聞きしているような見事な自然描写と感じてしまいます。
さて,この短歌の現代風パロディを1首作ってみました(時は,夕方ではなく早朝です)。
春の朝霞たなびき 心悲し生ゴミねらい 烏(からす)来鳴くも
(「え」「お」で始まる難読漢字に続く)
親族(うがら)…血縁のある人
祈誓ふ(うけふ)…神に祈る
領く(うしはく)…自分のものとして領有する
髻華(うず)…木の枝、葉、花や造花を冠や髪にさして飾りとしたもの。かざし。
現人(うつせみ)…この世に存在する人間。この世、現世、世人
現(うつつ)…夢に対して現実
薺蒿(うはぎ)…ヨメナの古名。春若芽を食用にした
宣(うべ)…もっともであること
績麻(うみを)…績んだ麻糸
倦む(うむ)…いやになる。あきる。退屈する。
績む(うむ)…麻などを細く切り裂き、長くより合わせる
末(うら,うれ)…草木の成長する先端
心(うら)…こころ。思い。現代でも「うら寂しい町」という使い方をする。この「うら」は「心」が漢字として当てられる。
次は,「心(うら)」が出てくる大伴家持の有名な短歌です。
春の野に霞たなびき 心悲しこの夕影に 鴬鳴くも (19-4290)
<はるののにかすみたなびき うらかなしこのゆふかけに うくひすなくも>
<<春の野に霞が棚引いている。そして,何となく悲しいこの夕影に鶯が鳴いているなあ>>
この短歌,私には,まるでNHKの「さわやか自然百景」の一場面(音声入り)をテレビで見聞きしているような見事な自然描写と感じてしまいます。
さて,この短歌の現代風パロディを1首作ってみました(時は,夕方ではなく早朝です)。
春の朝霞たなびき 心悲し生ゴミねらい 烏(からす)来鳴くも
(「え」「お」で始まる難読漢字に続く)
2009年7月7日火曜日
今日は七夕です
七夕を「たなばた」と読むのも,七夕のイベントが廃れていたらおそらく超難読漢字になっていたと思いますね。万葉時代,織女のことを「たなばたつめ」または単に「たなばた」と呼び,それが七夕の行事名となっていたのでしょう。
さて,今回は難読漢字シリーズを一休みにして,万葉集の七夕の和歌について少し書いてみます。万葉集で七夕を詠んだ和歌が,何と約130首も出てきます。
七夕の風習は,中国から伝わった牽牛と織女が年に1度,7月7日にだけ逢うことが許されるという伝説が日本に渡来し,日本風にアレンジされて節句の行事として習慣化されたようです。
万葉集にたくさん七夕の和歌があることから,すでに奈良時代には七夕の行事が節句(正月,桃<上巳>,端午,七夕,重陽)の一つとして広まりつつあったことを示しているように私は思います。
この五節句の中でも,万葉集で(正月は別として)七夕に関する多くの和歌が詠まれているのは,恋の歌が多い万葉集ならではのことでしょうね。
ただ,山上憶良と大伴家持の七夕の和歌(計25首)は別格で,これは二人の七夕の伝説や物語に対する蘊蓄(うんちく)がなせる和歌だと思っています。
一方,巻10にある柿本人麻呂歌集や詠み人知らずの多くの七夕の和歌の方が,雑多な男女関係を想像させるが故に私には興味があります。
七夕は実は当時男女を意識する節句だったのではないかと私は想像しています。
ちなみに,七夕の昼の行事は各地で相撲が行われたようです。
そして,夜の節会では,若い男が集まります。『今日は待ちに待った七夕だ!』と酒を飲みながらお目当ての彼女との逢瀬について和歌を詠んだと思います。そして,昼間の相撲を見た影響からか『やっぱり男は押しの一手だ! さあ,妻問いに行こうぜ!』というノリだったのかも。
この節会で七夕の和歌を詠み合うことで,彼女が自分とバッティングしている奴(恋敵)はいないか探る意味もあったと私は想像しています。
旧暦7月7日は,今の8月上旬です。梅雨も完全に明けまさに今でいう夏(暦の上では秋)の恋の季節到来だったといえるでしょうね。
なお,中国の七夕物語は,織女が天の川を渡り牽牛に会いに行くのですが,万葉集では逆に牽牛が会いに行く話を前提としているようです。例えば,つぎのように。
天の川霧立ちわたり 牽牛の楫の音聞こゆ 夜の更けゆけば(10-2044)
<あまのかはきりたちわたり ひこほしのかぢのねきこゆ よのふけゆけば>
<<天の川に霧が立ち渡って夜がふけゆくと、彦星が漕ぐ楫の音が聞こえる>>
妻問い婚の風習がメジャーで,女性は家に籠って機織りや裁縫をするのが当たり前と考えられていた当時の日本では,一年に一度であっても彦星が逢いに行くことにした方が自然なのでしょうね。
さて,教えてよ天の川君。私にとって今日から8月上旬までに,一年に一度の逢瀬はあるのでしょうか?
天の川「たびとはん。こんなブログを書いたはるようやと,まあ無理とちゃう?」
(次回は難読シリーズに戻る)
さて,今回は難読漢字シリーズを一休みにして,万葉集の七夕の和歌について少し書いてみます。万葉集で七夕を詠んだ和歌が,何と約130首も出てきます。
七夕の風習は,中国から伝わった牽牛と織女が年に1度,7月7日にだけ逢うことが許されるという伝説が日本に渡来し,日本風にアレンジされて節句の行事として習慣化されたようです。
万葉集にたくさん七夕の和歌があることから,すでに奈良時代には七夕の行事が節句(正月,桃<上巳>,端午,七夕,重陽)の一つとして広まりつつあったことを示しているように私は思います。
この五節句の中でも,万葉集で(正月は別として)七夕に関する多くの和歌が詠まれているのは,恋の歌が多い万葉集ならではのことでしょうね。
ただ,山上憶良と大伴家持の七夕の和歌(計25首)は別格で,これは二人の七夕の伝説や物語に対する蘊蓄(うんちく)がなせる和歌だと思っています。
一方,巻10にある柿本人麻呂歌集や詠み人知らずの多くの七夕の和歌の方が,雑多な男女関係を想像させるが故に私には興味があります。
七夕は実は当時男女を意識する節句だったのではないかと私は想像しています。
ちなみに,七夕の昼の行事は各地で相撲が行われたようです。
そして,夜の節会では,若い男が集まります。『今日は待ちに待った七夕だ!』と酒を飲みながらお目当ての彼女との逢瀬について和歌を詠んだと思います。そして,昼間の相撲を見た影響からか『やっぱり男は押しの一手だ! さあ,妻問いに行こうぜ!』というノリだったのかも。
この節会で七夕の和歌を詠み合うことで,彼女が自分とバッティングしている奴(恋敵)はいないか探る意味もあったと私は想像しています。
旧暦7月7日は,今の8月上旬です。梅雨も完全に明けまさに今でいう夏(暦の上では秋)の恋の季節到来だったといえるでしょうね。
なお,中国の七夕物語は,織女が天の川を渡り牽牛に会いに行くのですが,万葉集では逆に牽牛が会いに行く話を前提としているようです。例えば,つぎのように。
天の川霧立ちわたり 牽牛の楫の音聞こゆ 夜の更けゆけば(10-2044)
<あまのかはきりたちわたり ひこほしのかぢのねきこゆ よのふけゆけば>
<<天の川に霧が立ち渡って夜がふけゆくと、彦星が漕ぐ楫の音が聞こえる>>
妻問い婚の風習がメジャーで,女性は家に籠って機織りや裁縫をするのが当たり前と考えられていた当時の日本では,一年に一度であっても彦星が逢いに行くことにした方が自然なのでしょうね。
さて,教えてよ天の川君。私にとって今日から8月上旬までに,一年に一度の逢瀬はあるのでしょうか?
天の川「たびとはん。こんなブログを書いたはるようやと,まあ無理とちゃう?」
(次回は難読シリーズに戻る)
2009年7月4日土曜日
万葉集で難読漢字を紐解く(い~)
前回に引き続き,今度は「い」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除く)。
斑鳩(いかるが)…スズメ目アトリ科の鳥。イカル。(注)奈良県の地名もあり。
海石(いくり)…海中の岩。暗礁。
鯨魚(いさな)…クジラ。
労し(いたはし)…苦労である。病気で悩ましい。不憫である。
櫟(いちひ)…ブナ科の常緑高木。
斎(いつき)…潔斎(けっさい)して神に仕えること。潔斎とは,心身を清めること。
厭ふ(いとふ)…好まないで避ける。いやがる。
斎瓮(いはひへ)…祭祀に用いる神聖な甕(かめ)。
鬱悒し(いぶせし)…気分がはれず、うっとうしい。
甍(いらか)…屋根の背。家の上棟。
同母兄、同母弟(いろせ)…同じ母の兄弟(父は違う場合あり)
この中で,「甍」について少し書きます。
童謡「鯉のぼり」の冒頭「♪甍の波と雲の波 ♪重なる波の中空を ~」に出てくる甍ですから,もちろん読める方は多いかも知れませんね。
ただ,突然「甍」1字が出てきてすぐに「いらか」と読みが出てくる人は,そうあなたのような○○の人でしょう。
さて,万葉集の中で「甍」が出てくる有名な和歌は何と言っても巻16にある「竹取の翁」の長歌といえますね。
これは竹取物語の原型の一つといわれているようですが,内容はあの竹取物語と全然異なるものです。竹取の翁が野辺で煮物を作っている9人の乙女に,自分の若かりし頃にあった女性との一途な愛(一生懸命はなやかに着飾って注目されようとした)を語っているような内容です。
この中で「~ 海神(わたつみ)の殿の甍に 飛び掛けるすがるのごとき 腰細の ~」というように使われてます。
「竜宮城の甍に飾ってあるすがる<シガバチ>のような腰細のスタイルで」と,翁が若いとき,相手の親の反対にもめげずに逢っていた彼女から秘かに贈ってもらった帯をきちっと締めた自分の格好良さを紹介した行(くだり)です。
竹取の翁の昔の恋物語を聞いた9人の乙女たちは,それぞれ(その努力に対して感心したという意味の)感想を短歌で翁に返しています。
さて,今の世の中,お爺さんから若いころの恋自慢を聞かされて感心する若い女性はどれだけいるのかなと思うと,単なる物語の和歌とは言え,そのころが少し羨ましいと感じますね。(「う」で始まる難読漢字に続く)
斑鳩(いかるが)…スズメ目アトリ科の鳥。イカル。(注)奈良県の地名もあり。
海石(いくり)…海中の岩。暗礁。
鯨魚(いさな)…クジラ。
労し(いたはし)…苦労である。病気で悩ましい。不憫である。
櫟(いちひ)…ブナ科の常緑高木。
斎(いつき)…潔斎(けっさい)して神に仕えること。潔斎とは,心身を清めること。
厭ふ(いとふ)…好まないで避ける。いやがる。
斎瓮(いはひへ)…祭祀に用いる神聖な甕(かめ)。
鬱悒し(いぶせし)…気分がはれず、うっとうしい。
甍(いらか)…屋根の背。家の上棟。
同母兄、同母弟(いろせ)…同じ母の兄弟(父は違う場合あり)
この中で,「甍」について少し書きます。
童謡「鯉のぼり」の冒頭「♪甍の波と雲の波 ♪重なる波の中空を ~」に出てくる甍ですから,もちろん読める方は多いかも知れませんね。
ただ,突然「甍」1字が出てきてすぐに「いらか」と読みが出てくる人は,そうあなたのような○○の人でしょう。
さて,万葉集の中で「甍」が出てくる有名な和歌は何と言っても巻16にある「竹取の翁」の長歌といえますね。
これは竹取物語の原型の一つといわれているようですが,内容はあの竹取物語と全然異なるものです。竹取の翁が野辺で煮物を作っている9人の乙女に,自分の若かりし頃にあった女性との一途な愛(一生懸命はなやかに着飾って注目されようとした)を語っているような内容です。
この中で「~ 海神(わたつみ)の殿の甍に 飛び掛けるすがるのごとき 腰細の ~」というように使われてます。
「竜宮城の甍に飾ってあるすがる<シガバチ>のような腰細のスタイルで」と,翁が若いとき,相手の親の反対にもめげずに逢っていた彼女から秘かに贈ってもらった帯をきちっと締めた自分の格好良さを紹介した行(くだり)です。
竹取の翁の昔の恋物語を聞いた9人の乙女たちは,それぞれ(その努力に対して感心したという意味の)感想を短歌で翁に返しています。
さて,今の世の中,お爺さんから若いころの恋自慢を聞かされて感心する若い女性はどれだけいるのかなと思うと,単なる物語の和歌とは言え,そのころが少し羨ましいと感じますね。(「う」で始まる難読漢字に続く)
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