<翌日明日香村へ>
7月26日(日)は名張の宿泊先を早朝5時前に出発し,前夜の花火大会の賑わいが嘘のように静かな名張の街を少し散策し,初瀬街道を西に向かいます。
赤目口まで,一面に青々とした田,田に水を供給する水路の水の流れる音,周囲の里山,宇陀川の清流の風景を眺めながら,朝の涼しい風を受けすがすがしい気持ちで歩くことができました。
赤目口で,また街道沿いの古い民家の中を歩き,赤目口を過ぎると,宇陀川沿いに少しずつ山間に入っていきます。そして,奈良県の宇陀市室生地区に入ります。
朝9時頃までに榛原まで初瀬街道を歩き,近鉄で橿原市の岡寺駅まで行くつもりでしたが,途中風景を楽しみながらゆっくり歩いたので,榛原まではその時間までに着くのは無理を判断し,一つ手前室生口大野駅から近鉄電車に乗りました。
この判断は正解で,何せ室生口大野から榛原までは電車で6分,私鉄1駅区間運賃としては異例の260円です(営業距離 7.1㎞)。電車と違いカーブの多い道を歩くのですから,相当時間を要することが考えられます。
次回の機会にチャレンジしたいと思います。
ここで,初瀬(泊瀬)について万葉集で詠まれた何首かを紹介しましす。
最初は,柿本人麻呂歌集に出ていたという短歌です。
こもりくの豊泊瀬道は常滑のかしこき道ぞ恋ふらくはゆめ(11-2511)
<こもりくのとよはつせぢは とこなめのかしこきみちぞ こふらくはゆめ>
<<泊瀬の山道は滑りやすい恐ろしい道。恋路とて同じ。あまりお急ぎめさるな>>
写真は宇陀川の川床ですが,この地帯は岩石が地表に出ていて,雨の日は街道にもすべやすいところがあったのだろうと私は想像します。
もう1首,石ころだらけの険しい道であったことを詠んだ詠み人知らずの短歌(長歌の反歌)です。
隠口の泊瀬小国に妻しあれば石は踏めどもなほし来にけり(13-3311)
<こもりくのはつせをぐにに つましあればいしはふめども なほしきにけり>
<<泊瀬の里に妻がいるので,石ころだらけの険しい道を踏んで,それでも僕はやってきた>>
今の初瀬街道も旧道に入ると,今にも崩れ落ちそうな岩がむき出しになり,植物の根が中に入れず,網の目のように這い覆っているところがありました。
最後は,泊瀬の山が豊かな森林おおわれていたことを思わせるこれも詠み人知らずの短歌です。
三諸つく三輪山見れば隠口の泊瀬の桧原思ほゆるかも(7-1095)
<みもろつくみわやまみれば こもりくのはつせのひはら おもほゆるかも>
<<三輪山を見ると,泊瀬の檜木の山林を思い出してしまうなあ>>
「三諸つく」は三輪山,「隠口の」は泊瀬に掛かる枕詞です。この作者は,泊瀬出身か,行商で今の初瀬街道を行き来した人ではないでしょうか。
ご神体として山林が手つかずの三輪山を見て,山深い泊瀬の山の山林に負けないくらい立派だと詠んだのでしょう。
さて,私は岡寺駅からはみかん畑まで,20分あまり上り坂を歩きました。この時間帯になると暑さが強烈になり始めます。水分を補給して今年も頑張ります。
いつも楽しみにしている道途中のハス池は,今年も綺麗に咲いていました。
みかん畑について,さっそく摘果を開始します。上の写真の2つの実は傷がついているので,残念ですが摘果。下の写真の実は残します。
こうやって,傷ついた実,発育の悪い実を袋いっぱいの実を摘果しました。摘果した実は,家で搾り,焼酎の炭酸割にたっぷりと入れて,爽やか味わいを存分に楽しみました。
2015 盛夏スペシャル(4)に続く。
2015年7月28日火曜日
2015年7月25日土曜日
2015 盛夏スペシャル(2) … 三重県名張に着いたぞ!
<名張に1泊>
今日も暑いですね。まさに盛夏です。私は午後自宅を出て,新幹線,近鉄線特急で三重県の名張に到着し,今晩泊まるホテルに入りました。
事前に何も調べていなかったので,名張駅に着くと浴衣姿の若い女性が沢山いました。どうも,花火大会があるようです。
駅から,宿泊先のビジネスホテル(昔の街道沿いの民家を改築したもので,オーナーは老夫婦。のどかな感じが良い)までの途中,さっそく初瀬街道の街並みを見ながらで雰囲気のある町であることが分かりました。ビジネスホテルの裏はこんな感じです。そして,花火は良い場所で見ることができました。
なぜ,名張に来たかというと,毎年この時期,奈良の明日香村にある農園のみかんの木1本のオーナーになっていて,摘果(育ちの良くない実を取り去る)のために明日香村を訪れます。
今年は,明日早朝,名張から初瀬街道を歩いて,桜井市,そして明日香村に入る予定です。
初瀬街道は,万葉時代から明日香と伊勢を結ぶ街道の一つとして人々の往来があったようです。
もちろん,今の街道は当時と違い舗装されていたり,周辺の家は現代風のものにななっていますので,当時の面影はないでしょう。
ただ,山の形や川の流れ方はあまり変わっていないかもしれないので,今年はこの道をあることにしました。
初瀬街道の報告は次回にして,名張が万葉集に何首か詠われているため,今回は名張について万葉集を見ていきます。
最初は,當麻真人麻呂妻(たきまがまひとまめろのめ)が詠んだとされる短歌です。
我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ(1-43,4-511)
<わがせこはいづくゆくらむ おきつものなばりのやまを けふかこゆらむ>
<<私の愛しい人はどこを旅しているのだろう。名張の山を今日あたり越えるのだろうか>>
夫である當麻真人麻呂が持統天皇が伊勢に行幸したとき,お供として同行したようです。
そのとき,奈良の都で留守を守った妻が詠んだとされています。名張の山は結構厳しい峠道だったのでしょう。名張の市内は街道という感じですが,明日の山中が楽しみです。
次は,長皇子(ながのみこ)が持統天皇の伊勢行幸に同行した妻を偲んで京で詠んだとされる短歌です。
宵に逢ひて朝面無み名張にか日長く妹が廬りせりけむ(1-60)
<よひにあひてあしたおもなみ なばりにかけながくいもが いほりせりけむ>
<<夜に逢って翌朝恥ずかしくて顔を隠(なば)るその名張で幾日も妻は庵(行宮)に籠っているのか>>
このように,名張で詠んだのではなく,名張(もともと隠れるという意味)という場所へ行くには,大変で,それを心配して詠んだのが,この2首です。
さて,最後は,2番目の短歌のパロディーとして縁達帥(えんだちのはふし)という人物が詠んだ思われる短歌です。
宵に逢ひて朝面なみ名張野の萩は散りにき黄葉早継げ(8-1536)
<よひにあひてあしたおもなみ なばりののはぎはちりにき もみちはやつげ>
<<夜に逢って翌朝恥ずかしくて顔を隠(なば)るその名張野の萩は散っても次なる黄葉よ早く継いで色づいてくれ>>
この短歌を詠んだ時期は不明ですが,恐らく巻八の時期(平城京初期)で,名張には観光や商取引で行き来が活発になった頃,黄葉がきれいだという評判が出てきたのかもしれませんね。
2015 盛夏スペシャル(3)に続く。
今日も暑いですね。まさに盛夏です。私は午後自宅を出て,新幹線,近鉄線特急で三重県の名張に到着し,今晩泊まるホテルに入りました。
事前に何も調べていなかったので,名張駅に着くと浴衣姿の若い女性が沢山いました。どうも,花火大会があるようです。
駅から,宿泊先のビジネスホテル(昔の街道沿いの民家を改築したもので,オーナーは老夫婦。のどかな感じが良い)までの途中,さっそく初瀬街道の街並みを見ながらで雰囲気のある町であることが分かりました。ビジネスホテルの裏はこんな感じです。そして,花火は良い場所で見ることができました。
なぜ,名張に来たかというと,毎年この時期,奈良の明日香村にある農園のみかんの木1本のオーナーになっていて,摘果(育ちの良くない実を取り去る)のために明日香村を訪れます。
今年は,明日早朝,名張から初瀬街道を歩いて,桜井市,そして明日香村に入る予定です。
初瀬街道は,万葉時代から明日香と伊勢を結ぶ街道の一つとして人々の往来があったようです。
もちろん,今の街道は当時と違い舗装されていたり,周辺の家は現代風のものにななっていますので,当時の面影はないでしょう。
ただ,山の形や川の流れ方はあまり変わっていないかもしれないので,今年はこの道をあることにしました。
初瀬街道の報告は次回にして,名張が万葉集に何首か詠われているため,今回は名張について万葉集を見ていきます。
最初は,當麻真人麻呂妻(たきまがまひとまめろのめ)が詠んだとされる短歌です。
我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ(1-43,4-511)
<わがせこはいづくゆくらむ おきつものなばりのやまを けふかこゆらむ>
<<私の愛しい人はどこを旅しているのだろう。名張の山を今日あたり越えるのだろうか>>
夫である當麻真人麻呂が持統天皇が伊勢に行幸したとき,お供として同行したようです。
そのとき,奈良の都で留守を守った妻が詠んだとされています。名張の山は結構厳しい峠道だったのでしょう。名張の市内は街道という感じですが,明日の山中が楽しみです。
次は,長皇子(ながのみこ)が持統天皇の伊勢行幸に同行した妻を偲んで京で詠んだとされる短歌です。
宵に逢ひて朝面無み名張にか日長く妹が廬りせりけむ(1-60)
<よひにあひてあしたおもなみ なばりにかけながくいもが いほりせりけむ>
<<夜に逢って翌朝恥ずかしくて顔を隠(なば)るその名張で幾日も妻は庵(行宮)に籠っているのか>>
このように,名張で詠んだのではなく,名張(もともと隠れるという意味)という場所へ行くには,大変で,それを心配して詠んだのが,この2首です。
さて,最後は,2番目の短歌のパロディーとして縁達帥(えんだちのはふし)という人物が詠んだ思われる短歌です。
宵に逢ひて朝面なみ名張野の萩は散りにき黄葉早継げ(8-1536)
<よひにあひてあしたおもなみ なばりののはぎはちりにき もみちはやつげ>
<<夜に逢って翌朝恥ずかしくて顔を隠(なば)るその名張野の萩は散っても次なる黄葉よ早く継いで色づいてくれ>>
この短歌を詠んだ時期は不明ですが,恐らく巻八の時期(平城京初期)で,名張には観光や商取引で行き来が活発になった頃,黄葉がきれいだという評判が出てきたのかもしれませんね。
2015 盛夏スペシャル(3)に続く。
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