今回は蓋し(けだし)について,万葉集を見ていきます。「蓋し」は「ひょっとして」「もしかして」「もしや」「思うに」という意味です。
最初に紹介するのは,弓削皇子(ゆげのみこ)から贈られた歌に対して糠田王(ぬかだのおほきみ)が詠んで返した短歌です。
いにしへに恋ふらむ鳥は霍公鳥 蓋しや鳴きし我が念へるごと(2-112)
<いにしへにこふらむとりは ほととぎすけだしやなきし あがもへるごと>
<<昔を恋しいと鳴くその鳥は霍公鳥でしょう。たしかに(昔が恋しいと)鳴いていますね。私が思っているのと同じように>>
この短歌で詠まれている「昔」とは,天武天皇がまだ存命で統治していたころだろうと言われています。そのころに比べて,今は悲しいことが多い(文武に優れた大津皇子の氾濫・粛清など)というのが,作者の感想だったのかも知れません。
さて,次に紹介するのは,恋人が来るのを待つ女性が詠んだ恋の歌です。
馬の音のとどともすれば松蔭に出でてぞ見つる蓋し君かと(11-2653)
<うまのおとのとどともすれば まつかげにいでてぞみつる けだしきみかと>
<<馬の足音がドドっとするので,庭の松の木の下まで出てみたのよ。もしかしてあなたが来たのかもしれないって思ったから>>
恋人の来るのを待つ身の辛さを「蓋し」という言葉が表しています。万葉時代,いろんな思いをして恋人または夫を待っていた女性が詠んだ短歌がたくさん万葉集には出てきます。
最後に紹介するのは,山上憶良が九州と対馬を結ぶ航路の海難で帰らぬ人となった志賀白水郎という航海士を偲んで詠んだとされる10首の内の1首です。
沖行くや赤ら小舟につと遣らば蓋し人見て開き見むかも(16-3868)
<おきゆくやあからをぶねに つとやらばけだしひとみて ひらきみむかも>
<<沖を行くあの赤い丹塗り小舟に土産をことづけたら,もしかしたら(白水郎がいて)開いて見るかもしれない>>
この人物は,地元の志賀島では多くの人に慕われていたのでしょう。
だから,「蓋し」がこの短歌に使われているように,何とか生きていてほしいという気持ちが捨てられないのです。そんな,残された人たちの気持ちを憶良は詠んだのかも知れません。
(続難読漢字シリーズ(13)につづく)
0 件のコメント:
コメントを投稿