今回は隈廻(くまみ)について,万葉集を見ていきます。「隈廻」は道の曲がり角という意味です。
最初に紹介するのは,天武天皇の皇女であった但馬皇女(たじまのひめみこ)が同じく天武天皇の皇子であった穂積皇子(ほづみのみこ)に贈った相聞歌です。
二人は,母は違っていても兄妹の関係で,許されない恋愛に苦しんでいます。
後れ居て恋ひつつあらずは追ひ及かむ道の隈廻に標結へ我が背(2-115)
<おくれゐてこひつつあらずはおひしかむ みちのくまみにしめゆへわがせ>
<<後に残され恋に苦しんでいるぐらいならいっそ追いかけてゆきたいのです。だから道の曲がり角ごとに分かるように目印をつけておいてくださいな,私のあなた>>
次に紹介するのは,若くして一生を終えた天武天皇の皇子である草壁皇子(くさかべのみこ)の死を悼み,仕えていた舎人(とねり)が詠んだ挽歌です。
夢にだに見ずありしものをおほほしく宮出もするかさ桧の隈廻を(2-175)
<いめにだにみずありしものを おほほしくみやでもするか さひのくまみを>
<<夢にも想像しなかったものを暗い気持ちで任務のために桧の隈廻(皇子の墓の地名)を通って宮に行くのだなあ>>
草壁皇子に仕えていた舎人には,お世話する人がもういないことに対する切ない気持ちがよく伝わってきます。
最後は,少し前の2018年1月6日にアップした「続難読漢字シリーズ(2)… 労(いたは)し 」でも紹介した山上憶良が詠んだ長歌に「隈廻」が出てきますので,再掲します。
うちひさす宮へ上ると たらちしや母が手離れ 常知らぬ国の奥処を 百重山越えて過ぎ行き いつしかも都を見むと 思ひつつ語らひ居れど おのが身し労しければ 玉桙の道の隈廻に 草手折り柴取り敷きて 床じものうち臥い伏して 思ひつつ嘆き伏せらく 国にあらば父とり見まし 家にあらば母とり見まし 世間はかくのみならし 犬じもの道に伏してや命過ぎなむ(5-886)
<うちひさすみやへのぼると たらちしやははがてはなれ つねしらぬくにのおくかを ももへやまこえてすぎゆき いつしかもみやこをみむと おもひつつかたらひをれど おのがみしいたはしければ たまほこのみちのくまみに くさたをりしばとりしきて とこじものうちこいふして おもひつつなげきふせらく くににあらばちちとりみまし いへにあらばははとりみまし よのなかはかくのみならし いぬじものみちにふしてやいのちすぎなむ>
<<京へ行くため母のもとを離れ,知らなかった国の奥の方へと行って,幾重にも重った山を越えて,早く京を見ようと同行の人々と話し合っていたが,自分の体力が耐えられず,道の曲り角の土手の草を手折り,小枝を下に敷いて、それを床のようにして倒れ伏して,ため息をつき,いろいろ寢ながら考えたことは,生まれ故郷にいたら父が,家にいたら母が看病してくれる。しかし,世の中は思うようには行かないものだ。犬のように道端に伏して,最後は命が終わってしまうのだろう>>
急な峠を越える街道では,急勾配を緩和するために,どうしても道を曲線にしているところが多いのです。
そして,その隈廻・曲がり角(カーブ)ごとに名前を付け(日光の「いろは坂」のように),後どれだけ曲がれば峠に到達するかを思いつつ,苦しい登り道を上っていったのでしょう。
(続難読漢字シリーズ(11)につづく)
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