今回は釧(くしろ)について万葉集を見ていきます。もちろん,北海道の釧路(くしろ)市を読める人にとっては,難しい感じではないかも知れません。
しかし,突然「釧」が出てきたら,サッと「くしろ」が出てきて,その意味(古代に使われていた腕輪)も分かる人は少ないのかも知れません。
最初に紹介する短歌は,持統天皇が伊勢に行幸した時,京に残った柿本人麻呂が行幸に同行した宮人たちのことを想像して詠んだものです。
釧着く答志の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ(1-41)
<くしろつくたふしのさきに けふもかもおほみやひとの たまもかるらむ>
<<答志の崎で,今日は大宮人たちは天皇に食べてもらうよう,綺麗でおいしい海藻を刈っているのでしょう>>
「釧着く」は「答志」を導く枕詞ですので,特に訳すことはしませんでした。「答志島」は,鳥羽市の沖にある三重県内最大の島です。
次は,振田向(ふるたのむけ)という役人が,筑紫の国を退る時に詠んだ歌です。
我妹子は釧にあらなむ左手の我が奥の手に巻きて去なましを(9-1766)
<わぎもこはくしろにあらなむ ひだりてのわがおくのてに まきていなましを>
<<貴女が釧だったらなあ,自分の奥の手に巻いて,遥か遠い筑紫まで一緒に行けるだろうに>>
赴任中に仲良くなった女性に贈った短歌でしょう。儀礼的な別れの歌といえなくもないですね。
最後は,妻を残して旅に出なければならなくなった夫が旅先で詠んだ短歌です。
玉釧まき寝し妹を月も経ず置きてや越えむこの山の崎(12-3148)
<たまくしろまきねしいもを つきもへずおきてやこえむ このやまのさき>
<<綺麗な釧を腕にしたままで一緒に寝た妻と結ばれてからまだ日も経っていないのに,妻を残してこの山を越えて先に行く>>
「釧」は,万葉時代,女性の腕輪アクセサリとして,使われていたのでしょう。
(続難読漢字シリーズ(10)につづく)
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