スペシャル投稿が終わり,今もあるシリーズ戻ります。
今回は鳥の「鵜(う)」を取りあげます。
今もあるといっても鵜はスズメのようにどこでも見られるような鳥ではありません。
鵜を見たければ,動物園などに行くか,各地で観光用に行われている「う飼い」を見に行けば,確実に鵜を見ることができそうです。
「う飼い」は日本では,岐阜県の長良川,山梨県の笛吹川,愛知県の木曽川,京都府の宇治川などで行われているとWikipediaに載っています。
う飼いで採る魚は「鮎(あゆ)」がほとんどで,舟の上から鵜を操る鵜匠(うしょう)が,鵜からとった鮎を舟に乗った観光客にふるまうとのことのようで,私も一度舟から見てみたいと思っています。
万葉集で,このようなう飼いにいちばん近いイメージの短歌(天平勝宝2(750)年3月8日越中で大伴家持が詠んだ長歌の反歌)があります。
年のはに鮎し走らば辟田川鵜八つ潜けて川瀬尋ねむ(19-4158)
<としのはにあゆしはしらば さきたかはうやつかづけて かはせたづねむ>
<<今年も鮎が飛び跳ねるように泳ぐ季節になったら,辟田川に鵜をたくさん潜らせるために川瀬に行くぞ>>
家持は,越中に来て4年目。もう越中での年中行事やいろいろな遊びやそれに適した季節を覚えていたのでしょうね。
う飼いができる季節を待ち遠しく感じている家持の気持ちがよくわかります(まだ,新暦で4月というのに)。なお,この反歌の前に出てくる長歌にも「鵜養伴(うかひとも)なへ 篝(かがり)さし」とあります。
まさに,今の観光用のう飼いのイメージに近いものがありますね。観光用にう飼いの行事を決めた後世の人もこの長歌短歌を参考にした可能性は大だと私は思います。
家持は各地で鵜匠を育成し,遊び(スポーツ)としての「う飼い」を流行らせた可能性も否定できません。鵜匠はプロで,家持たち金持ちはアマチュアで楽しむといったことかもしれません。
そんな状況を表した短歌が同じく越中で家持が天平20(748)年春に詠んだ次の1首です。
婦負川の早き瀬ごとに篝さし八十伴の男は鵜川立ちけり(17-4023)
<めひがはのはやきせごとに かがりさしやそとものをは うかはたちけり>
<<婦負川の早瀬ごとに篝火をかざし,大勢の男性役人達がう飼いを楽しんでいる>>
家持が越中に赴任して2年目。これを見て,家持はスポーツとしての「う飼い」をやってみたいと思ったのでしょうか。
「う飼い」の和歌が万葉集に残されていることで,将来日本には環境保護により清流がさらに増え,鮎の放流が盛んになれば,渓流釣りよりハードなスポーツとしての「う飼い」も復活するかもしれませんね。
最後は,海に住む鵜を旅先(瀬戸内海の兵庫県付近を西航している船)で詠んだ山部赤人の短歌です。
玉藻刈る唐荷の島に島廻する鵜にしもあれや家思はずあらむ(6-943)
<たまもかるからにのしまに しまみするうにしもあれや いへおもはずあらむ>
<<見えてきた唐荷の島の上を旋回して飛んでいる鵜でさえ,自分の家のことを忘れることはないだろう>>
赤人が京からどんどん遠く離れて旅することでますます自分の家が恋しくなる気持ちを詠んだと考えられます。
鵜は自由に空が跳べ,ましてすぐ近くの美しい唐荷の島に巣があるのだろう。そんな鵜でさえ夜になったら巣に帰るのにという旅先の寂しさを痛感する思いなのでしょう。
今もあるシリーズ「筵(むしろ)」に続く。
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