2015年8月9日日曜日

2015 盛夏スペシャル(5:まとめ)…万葉集に出てくる神々について

残暑お見舞い申し上げます。今年は8月8日が立秋となります。
立秋を過ぎても「盛夏スペシャル」とはこれ如何に? まあ,,,細かいことは言わずにご覧ください。
場所によっては,まだまだ猛暑日がやってきそうですからね(言い訳)。
さて,盛夏スペシャルの最後は,「神」について万葉集を見ていくことにします。
私は,仏教については少し勉強していますが,日本の神道については知識がほとんどなく,今回調べながらの記述になります。
<神風特攻隊の「神風」>
終戦の日を間近にして,太平洋戦争終盤では「神風特攻隊」なるゼロ式戦闘機(ゼロ戦)による自爆特別攻撃隊が結成され,その無謀な実行で,双方多くの兵士が犠牲になったといいます。
「神風特別攻撃隊」を調べてみると,この「神風」は万葉集に出てくる「かむかぜ」から採った名前ではないとのことのようで,万葉集を愛好している私は少し安心をしました。
万葉集に入る前に,日本の神の一般的な話として「八万(やよろづ)の神」というほど,たくさんの神の存在が認識されます。
神を祀る神社には,「浅間」「稲荷」「鹿島」「春日」「香取」「熊野」「神明」「住吉」「諏訪」「天神」「八幡」「氷川」「日吉」なとなどの名前が頭についたものがあり,それぞれメインで祀られている神が違うとのことです。
皆さんが住んでいる近くにも,このような名前を持つ神社(分社)や地名があるかもしれません。
<日本では誰でも神になれる?>
また,Wikipediaを見ると日本で神と呼ばれている名称や人が,数百は出てきます(八万件はでてきませんが)。
日本の神の場合は,歴史上の人物も神になって祀られ,その神社まで作られている人物もいます。
神とされている歴史上の人物で一番有名と私が思うのは,天神(天満宮)として祀られている平安時代の貴族,政治家であった菅原道真(学問の神)でしょうか。
また,比較的新しく神と呼ばれるようになった歴史上有名な人物は,明治時代の軍人・教育者であった乃木希典(のぎまれすけ)でしょうか。
希典を神として祀った乃木神社が各地にあり,東京の神社近くでは乃木坂という坂の名称まで作られ,2010年代に入り「乃木坂46」というアイドルグループまでもが結成されています。「乃木坂46」のメンバーは特に乃木神社の氏子ではないと思いますが...。
さらに,神として祀られている中には,大阪では有名な「ビリケン」のような海外のキャラクターから出た神も拝まれています。
このように,日本の神はその歴史的な重みや権威づけもさまざまなようですが,逆に日本人にとってはいろいろな願いを気楽に祈願できる身近な存在になっているのかもしれません。
<大阪では偉大な神もお友達?>
ちなみに,大阪では神のことを「神様」とは言わず,「神さん」と言っていることのほうが多いようです。また,神社や神の名も「天神さん」「住吉さん」「お稲荷さん」「八幡(はちまん)さん」「戎(えびっ)さん」「弁天さん」「布袋(ほてい)さん」「ビリケンさん」などと親しみを込めた言い方で呼ぶようです。
この神の考え方,捉え方は,キリスト教やイスラム教といった,どちらかというと一神教に属するといわれている宗教とは大きく異なる神のイメージがあるのかもしれませんね。
実は,万葉集でもすでにいろいろな神が出てきます。天皇(神としての),山,海,道,雷,風,国が神だったりします。
今の神社がある地名もたくさん出てきます。たとえば,伊勢(三重),石田(京都),鹿島(茨城),近江・多賀(滋賀),春日・三輪・石上・橿原(奈良),熊野(和歌山),住吉(大阪)などです。
では,神が出てくる多数の万葉集の和歌から少し見ていきましょう。
最初は,詠み人知らずの恋の苦しさを詠んだ短歌です。

いかにして恋やむものぞ天地の神を祈れど我れは思ひ増す(13-3306)
いかにしてこひやむものぞ あめつちのかみをいのれど われはおもひます
<<どうしたらあなたを恋しい気持ちを止めることができるのだろう。止められるよう天地の神々に祈ってみても,恋しさがますます増えて行くばかり>>

天や地上にいるあらゆる神に恋しい気持ちを抑えたいと祈ったけれど,ダメなんだという短歌です。
さて,この短歌の作者には,相手に対する恋心を抑えなければならない何らかの理由があるのでしょうね。それは,身分の違い,氏素性の違い,仕事上の制約,地理的な問題,倫理上許されない恋など,いろいろ考えられるかもしれません。
そういったことで,神でもこれは止められないという気持ち。当時はどう受け止められたのでしょうか。万葉集の編者は同感する部分が多かったから採録したのでしょう。
次は,新婚の結婚式または披露宴で詠まれたのではないかと考えられるお祝いの長歌です。

葦原の瑞穂の国に 手向けすと天降りましけむ 五百万千万神の 神代より言ひ継ぎ来る 神なびのみもろの山は 春されば春霞立つ 秋行けば紅にほふ 神なびのみもろの神の 帯ばせる明日香の川の 水脈早み生しためかたき 石枕苔生すまでに 新夜の幸く通はむ 事計り夢に見せこそ 剣太刀斎ひ祭れる 神にしませば(13-3227)
あしはらのみづほのくにに たむけすとあもりましけむ いほよろづちよろづかみの かむよよりいひつぎきたる かむなびのみもろのやまは はるさればはるかすみたつ あきゆけばくれなゐにほふ かむなびのみもろのかみの おばせるあすかのかはの みをはやみむしためかたき いしまくらこけむすまでに あらたよのさきくかよはむ ことはかりいめにみせこそ つるぎたちいはひまつれる かみにしませば
<<瑞穂の国に手向け(ご利益)を与えるため,無数の神々が神代から降臨したと言い継いで来た神々が宿るという三諸の山は,春になると春霞が立ち秋になると紅葉が美しい。三諸山の神々が帯にしている明日香川の水流が速く生えるのが難しい石枕に苔が生えるまでの長い期間,新婚の時のような気持ちで毎夜過ごせる計らいを鎮座まします神々よ,どうか夢でお示し下され。 私がこんなに大切にお祭りしている神でいらっしゃるのですから>>

この長歌から窺い知れることは,万葉時代から日本には(その三諸山だけでも)神々が無数にいたと信じられていたということしょうね。新婚夫婦に対して「行く末永くお幸せであられんことをと神々に祈ったよ」と祝福している様子が見てとれますね。
最後は,吉田宜(よしだのよろし)という大伴旅人の臣下が平城京から大宰府に赴任している旅人に贈ったといわれている短歌です。

君が行き日長くなりぬ奈良道なる山斎の木立も神さびにけり(5-867)
きみがゆきけながくなりぬ ならぢなるしまのこだちも かむさびにけり
<<旅人様が大宰府へ旅立たれてから長い月日が経ちましたので,京に通じる道沿いの山の木立も鬱蒼として神々しくなりましたよ>>

旅人は平城京に通っていたころ,通勤に事故が無いよう,家臣たちは道の周辺を整備(木々も綺麗に剪定)をしていたのでしょう。
旅人が九州に赴任して,その道は整備する必要がなくなって,気がつけば荒れ放題になっている様子を伝え,早いお帰りをお待ちしているという気持ちを旅人に伝えようとしている1首だと私には思えます。
そうすると,神々が宿るように見えるということは,手つかずの自然のままのような場所ということになります。今でも,神体とされている三輪山奈良)や,最近2017年世界遺産登録候補地として選出された沖ノ島福岡)は一般の人の立ち入りが厳しく規制されていて,人間が関わることを忌み嫌っているようです。
<日本人にとっての神は自然やヒトと簡単に同一視されてきた>
日本の神は自然と一体で,多様な日本の自然や気候変化のため,自然の多様さごと(海,山,川,里,道,木々,雷,風,雨,動物,農業の収穫物,季節など)に対応した神々が数多くいると信じられてきたのでないかと私は思います。その中に住むヒト(例:天皇)さえも神になりえる存在だったのでしょう。
そして,神々への畏敬の念から,自然を破壊するのではなく,神に祈りながら(=自然と語り合いながら)村の生活を豊かにしていくことを日本人は目指してきたのだろうと思うのです。
しかし,生活が豊かになり,人口が増え,その地域の自然だけではより豊かになるのは難しい状況になってくると,村と村,氏と氏,国と国の覇権の争い(土地の奪い合い)が始まります。
そしてもっとミクロな個人間の恋人の奪い合いも同じで,奪ってでもより良い配偶者を得ようとする人間の性なのです。
そういった覇権争いに万葉集に出てくる神々はほとんど力を持ちません。なぜなら多くは自然をベースにした神(「全知全能の神」ではない)だからです。実際に,覇権争いの結果,敗れた人や場所を詠んだ和歌には「神と言われていたのだけれど」「神に祈ったけれど」「神の力が無くなり」などの表現がでてきます。
<明治政府は天皇を全知全能の神にしてしまった>
さて,明治維新後のいわゆる日本帝国は日本人が信じてきた諸々の神々を階層化(格付け)し,頂点の神を作り,それを自然とは遊離した一神教のように国民に崇めさせたのです。他国への侵略にその神を利用し(指示として正当化し),国民に対して日本が選民国家だということを宣揚,太平洋戦争に至るまで戦争への道を歩ませてしまったのではないかと私は思います。
今,終戦70周年を迎えて,地球という限られた資源の奪い合いが続く限り,自然の破壊,戦争,紛争,テロなどの脅威は避けられません。
口だけでいくら”平和・平和”と言っていても,より豊かになりたいという人間の性(本能)がなくならない以上,それらのリスクは減りません。特に,国間,地域間,世代間などの格差がこれ以上拡大すると,さらに戦争,紛争,テロなどのリスクは高まります。
そのような中でいわゆる「積極的平和主義」というものが今の日本としてベストな選択肢であるかは私には分かりません。ただし,いろいな人々の検討・検証・諸外国との調整を経た結果における一つの対応案(もちろんリスクもある)であるという事実は間違いありません。
<核について>
そして,核の無い世界を目指すことに何の異論も私にはありません。しかし,核廃絶に向かって既に各国が努力していること(うまく行っていない部分も多)に無関心ではいられないでしょう。
核を持ってしまった国が核を捨てるストーリ(監視も含む)を誰が作るのですか? 「我々は平和憲法をもっているから核廃絶には関わりません。誰かがやれよ!」と言うだけで紛争が解決するなら世界はとっくに平和になっている気がします。
今回の安全保障法案に対し「反対」だけを主張する人がいます。世界での戦争などの発生リスク解消への具体的代替案及びそのメリット・デメリット,さらにその案を実施するために今まで諸外国ととごまで調整してきたか,実績を示さないとすれば,無責任な発言だと私には映ります。
マスコミもそういった反対活動をことさら大きく取り上げるなら,(日本がアメリカなどとの友好国との関係を度外視してでもできる)戦争や紛争に巻き込まれない策(計画)を具体的に提示すること。そして,その策で世界が同調してくれる実現可能性(フィージビリティ・スタディ)を積極的に示すべきです。責任と調整行動のない批評だけなら誰でもできそうです。
<隣の芝(日本)は青く見える>
日本の豊かで多様な自然,(多様なそれぞれを「神」と呼ぶかは別として)それらと調和した精神的・物質的に豊かな生活は,今のグローバルな時代に何もしないで守れるものではありません。
これまで,国内でそのような環境を実現するために国民一人一人が多くの大変な努力をして築き上げてきました。それが,諸外国から見てどう映るでしょうか?
日本の豊かさがネットを通じて広まると(日本にも貧困にあえぐヒトはたくさんいますが諸外国からは隣の芝は青く見えるのです),侵略やテロ,難民流入の標的にされる可能性も高ると私は想像します。
これまでの努力で実現した綺麗な水と空気,清潔な都市や街,信頼性の高い社会インフラ,整然と統制された秩序,交通事故死者数の激減,殺人・強盗・窃盗などの犯罪数の減少などが,当たり前に実現されている日本は,世界の中でも稀有な国であることを知るべきです。
今後もこれらを維持し,さらに向上する国内での努力と,外国からの侵犯や攻撃を受けないようにする努力をバランスさせて進めていくしかない時代(豊さの代償を払う時代)に入ったと私は思います。
以上で「2015盛夏スペシャル」は終わり,次回からは「動きの詞シリーズ」に戻ります。
動きの詞(ことば)シリーズ…降る(1)に続く。

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