今年も奈良県明日香村のみかん農園で私が年間オーナであるみかんの木(一本)を摘果する季節になり,昨年と同様に埼玉の自宅最寄り駅からJR青春18きっぷを使い,移動することにしました。
昨年は摘果の前日の夜,JR東海道線大津駅(滋賀県)から奈良街道をJR奈良線宇治駅(京都府)まで歩きました。始発を待ち,桜井線香具山駅(奈良県)までJRで移動,同駅からは藤原京跡経由で農園までまた徒歩で移動しました。
<今年のコース>
今回は27日午後JR快速や普通列車を乗り継ぎ,途中浜松駅では夕食の浜松餃子定食を食べました。
その後も普通電車を乗り継ぎ,24時過ぎにようやく大阪市住吉区のJR阪和線我孫子町(あびこちょう)駅に着きました。
同駅より紀州街道,長尾街道(堺大和路線)などを徒歩で移動,28日朝6時47分奈良県の近畿日本鉄道(近鉄)南大阪線二上山(にじょうさん)駅まで至りました。そこから電車で橿原神宮前駅に向かい,また徒歩でなじみになった農園に移動したのです。
投稿は2回に分けます。今回は我孫子町駅から二上山駅まで歩いた内容をお知らせします。
我孫子町駅から南海電鉄高野線我孫子前駅を通り過ぎました。
さらに阪堺電気軌道阪堺線我孫子道駅を通り過ぎます。
この先,紀州街道との交差点までの西に行く間,途中に住宅街はありますが,けっこう商店街が続きます。平日の夕暮れ時はさぞや活気ある商店街ではないかと想像しながら,夜中静かな商店街を歩くのもおつなものでした。ここで,交差する紀州街道を左に折れ,南行しますが,北行側にはまた商店街がありました。商店街がなんと多い地区だなと感じました。
南行側は昼間でも静かな雰囲気を感じさせてくれる昔風の街道沿いをイメージできる雰囲気でした。
万葉時代の頃には,この紀州街道より西側はすぐ海で,松林などがあったのだろうと私は想像します。次の万葉集の短歌も紀州街道あたりから詠まれたのかもしれませんね。
住吉の岸の松が根うちさらし寄せ来る波の音のさやけさ (7-1159)
<すみのえのきしのまつがねうちさらし よせくるなみのおとのさやけさ>
<<ここ住之江では寄せ来る波が岸の松の根を洗い出し寄せ来る波音のなんと清々しいことよ >>
さらに南行すると,大和川(上流は奈良県)に掛かる大和橋に差し掛かりました。
今は大和川の上流・下流にたくさんの橋ができていますが,昔はこの近辺にはここしか橋がなく,この橋の両側は大変な賑わいだったのだろうと私は想像します。
この橋を渡ると大阪市住之江区から堺市堺区に変わります。さらに紀州街道を南下すると,街道沿いの面影が残る場所が続きます。
やがて阪堺線が道路の中央を走る大通りと合流します。この大通りを阪堺線駅を3つ分ほど歩くと花田口駅にたどり着きます。
ここが奈良方面(東方)に向かう長尾街道の起点だそうです。紀州街道を歩くのはここまで。左折し,今回の主目的である長尾街道を歩き出します。時間は午前1時半を超えていました。
長尾街道の最初は道幅の広い幹線道路(堺大和路線:県道12号)として整備されていました。
歩道を進んでいくと南海高野線堺東駅のそばを渡り,さらに行くと前方に高層マンションが見えてきました。JR阪和線堺市駅周辺にあるマンション群だと近づくに従い分かりました。
堺市駅の手前から県道12号と長尾街道が別の道になります。私はもちろん静かな長尾街道を行きます。長尾街道を歩くと立派な倉を持つ大きな家にいくつも出会います。
この街道が昔いかににぎやかな街道で,行きかう物資や人で多くの富を得た人たちが多かったのだろうと私は感じました。
ところが,しばらく街道を東行するとまた高層マンションが見えてきました。堺市中心部から離れていくのに変だな思いつつ。このマンションの近くに地下鉄御堂筋線北花田駅があるからのようです。大阪市の中心部まで30分も掛からず行けますから,居住地として人気が高そうなのはうなづけます。
そこから,さらに行くとようやく松原市に入りました。4時近くになっていました。歩いてみると堺市の広さが身で持ってわかりました。
松原市に入ると商店街がまた見えてきました。近鉄南大阪線布忍(ぬのせ)駅の前を通ります。
時間は4時半を過ぎていました。かなり疲れ始めていましたので,このままこの駅で始発を待てばすぐ橿原神宮前まで行けるなあ~という誘惑を振り払い先に進みます。
松原市街地を抜けると羽曳野(はびきの)市に入り,しばらく行くと雄略陵古墳の池の周りを通ります。
万葉集の冒頭の長歌を詠んだとされる雄略天皇の墓とされる古墳がここにあるのはこの地が「そらみつやまとのくに」との近さを感じさせます。
そこからすぐ藤井寺市に入ります。藤井寺市は,私にとって以前プロ野球球団として存在してた近鉄バッファローズのホーム球場があった場所くらいしか印象に残っていません。ただし,こんな立派な家が街道沿いに続きます。
藤井寺市内で長尾街道はまた県道12号と合流します。このあたりになると朝が白み始め,徹夜で歩いたのとだんだん上り勾配がきつくなってきたため疲れがさらに溜まってきました。
そこへ近鉄南大阪線土師ノ里(はじのさと)駅が見えてきて「ここで電車に乗れば楽になるやんか」という今回一緒には連れてこなかった天の川君が誘惑したら負けそうに状況をじっと我慢して進みました。
近鉄道明寺駅付近の石川(いかわ)橋を越えて,更に進むと柏原市の近鉄大阪線河内国分(かわちこくぶ)駅まできました。
ここでも「大和八木駅で乗り換えれば,...」という誘惑を振り払い,広い国道165号を南行します。
道の昇り勾配はますますきつくなり,なかなか体が前に進みません。
藤井寺市を過ぎ柏原(かしわら)市に入り近鉄大阪線大阪教育大前駅までくると山間部で歩道がほとんどありません。
しかし,車はピュンピュン飛ばして私のすぐそばを走りすぎます。この車の中に,もしかしたら昨夜(土曜の夜)からずつと飲酒して帰る運転手がいるかもしれないと思うと結構強い恐怖心が湧いてきました。呼気にアルコールを検出するとエンジンがかからない自動車を発明してほしいと正直思いつつひたすら車に気を付けながら歩きました。
ほどなくすると奈良県香芝(かしば)市との県境に差し掛かり,ここで後は下りだけと思っていたら,また田尻峠を越えがまっています。
そして峠を下ったと思ったら穴虫という所から目的地の二上山駅までの最後のだらだらとした昇りは本当につらく長く感じました。
ようやく二上山駅に着いたのは朝7時近くになっていました。
ホームのベンチに倒れこみ,次の大伯皇女(おほくのひめみこ)が弟の大津皇子(おほつのみこ)が謀反の疑いで処刑されたのを受け二上山(ふたかみやま)を詠んだ有名な挽歌を思い出す余裕は私にはありませんでした。
うつそみの人にある我れや明日よりは二上山を弟背と我が見む(2-165)
<うつそみのひとにあるわれや あすよりはふたかみやまを いろせとわがみむ>
<<この世の私は明日からは二上山を弟だと思って見るのでしょうか>>
次回は橿原神宮前から帰宅までをお伝えします。
2013夏休みスペシャル‥「明日香を眠さと暑さに耐えてひたすら歩く」に続く。
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